31話 愛とは湧きいづる泉のごとく
「フィデロ伯爵を愛していらっしゃるんですね」
マリアベルは、夫妻の穏やかな愛が羨ましいと思った。
いつか自分も、レナートとこんな風になれるのだろうか。
「愛とはね、湧きいづる泉のようなもののことかしらと思うのよ。恋をするのはその一瞬でも、その気持ちが重なって愛になるんじゃないかしら。だから……好きだという気持ちを恐れてはだめよ」
そう言って、テレーゼはテーブルの上に置かれたマリアベルの手に、自分の手を重ねた。
「王国で辛いことがあったから、自分の気持ちを抑えてしまっているのね。でも殿下は誠実なかただから、信頼しても大丈夫よ。なにせ子供の口約束から始まった婚約に対しても、あれほど誠実でいらしたのだもの。……あら、話をしていれば」
マリアベルがテレーゼの視線に合わせて後ろを振り返ると、そこにはレナートの姿があった。
みじろぎをした拍子に、膝の上の子猫が驚いて、マリアベルの膝から飛び降りる。
そのまま走り去ろうとしたが、レナートに礼をするために立ち上がったマリアベルのドレスの裾にまとわりついて遊び始めた。
「メルティ、だめよ、いらっしゃい」
慌ててテレーゼがメルティを捕まえようとするが、遊んでもらっているのだと思っているのか、ひょいひょいと飛び跳ねてなかなか捕まえられない。
「こら、いたずら子猫め」
そこへ、レナートがさっとかがんでメルティのうなじを指でつまんだ。
大人しくなったところを、ひょいと抱き上げる。
いきなり抱き上げられて暴れようとしたメルティだが、そのたびにレナートにうなじをつままれて、大人しくなった。
「まあ、ずいぶん猫の扱いに慣れていらっしゃるのですね」
感心したようなテレーゼに、レナートは「弟が猫好きなんだ」と答えた。
そしてそっとメルティを地面に下ろす。
オレンジ色の子猫は、すぐに走って行ってしまった。
残念だという顔をしていたマリアベルを見て、レナートはクスリと笑った。
「バークレイ嬢は猫が好きか?」
「ええ。あの……とても可愛いと思います」
王国では、手などに傷がついてしまってはいけないからということで、動物と触れ合うのは禁止されていた。
初めて触れ合う小さな子猫は、温かくて柔らかく、心がほっこりして、マリアベルはずっとなでていたかった。
「皇宮にも猫がいるが……オレンジ色の毛並みの猫はいたかな」
レナートが肩越しに視線を向けると、カルロが首を振った。
「……いないようだ」
少し残念そうにメルティの去った方向を眺めるレナートに、マリアベルもつい笑ってしまう。
もしかしてレナートは、皇宮にもオレンジ色の猫がいれば、マリアベルが喜ぶと思ってくれたのだろうか。
帝国の皇太子だというのに、そんな小さなことにも気を配ってくれるのが嬉しい。
「いつか……」
マリアベルは柔らかく微笑みながら、レナートの横に並んだ。
「いつか、一緒に猫を飼いませんか?」
未来の約束は、マリアベルにとって、前に進む最初の一歩だ。
マリアベルは、これから先の人生をレナートと共に歩んでいこうという覚悟を決めた。
エメラルドのような透明な緑の瞳が、決意と共に鮮やかにきらめく。
「もちろんだ」
マリアベルの変化に気がついたレナートは、改めてその姿に見惚れた。
ただ美しいだけではなく、共に並び立てるほどのその気概をこそ、愛しいと思う。
目を細めて見るレナートが気恥ずかしくて視線を泳がせたマリアベルは、少し離れた場所に咲いている赤い薔薇の花を見て「あっ」と小さく声を上げた。
急いで侍女を呼ぶと、ここにくるまでに馬車の中で作っていたサシェを受け取る。
レナートに渡せる機会があればすぐに渡そうと思っていたので、用意していたのだ。
サシェを渡すと、レナートはとても喜んでくれた。
「つまり俺たちは、同じ香りに包まれるということだな」
レナートのサシェの香りをかぎながらの流し目に、マリアベルの顔は真っ赤になった。
「殿下……。それくらいにしておいてくださいね。バークレイ嬢には刺激が強すぎます」
「これくらいでか?」
「なんといっても、完璧な淑女ですから」
不満そうなレナートをなだめたカルロは「そろそろお時間です」と無情に告げる。
忙しい合間を縫ってここにやってきたレナートは、またすぐに皇都に戻らなければいけないらしい。
まだ話し足りないレナートを無理やり馬車に乗せると、カルロは「それではバークレイ嬢、皇都でお待ちしております」と、優雅に礼をした。
もしも「続きが気になる」「面白かった」などと思って頂けましたら、
広告下の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援いただけると嬉しいです。
どうぞよろしくお願いします!




