30話 テレーゼの恋
テレーゼの実家はあまり裕福ではない伯爵家だった。
結婚の際に、持参金を用意できないどころか、下に妹が二人もいるため、ほぼ持参金なしという条件で結婚相手を探さなければいけなかった。
だからテレーゼは自分の結婚を諦めていた。
貴族の女性が就ける仕事というのは限られていて、家庭教師か、高位貴族の女性の元で働く侍女くらいだ。
テレーゼはどちらの仕事でも良いと思ったが、先に見つかったのが、フィデロ伯爵家の侍女だった。
貴族の女性が侍女として働く場合、その家に適齢期の男子がいると、その結婚相手の候補になることもある。
基本的に貴族同士の結婚は、親からの紹介か舞踏会等で相手を見初めての結婚なので、結婚相手の候補として侍女を雇っている場合は、その男性にあまり人気のない場合が多い。
ダニエル・フィデロもそのうちの一人だった。
由緒正しいフィデロ家の跡取りとなれば引く手あまたになってもおかしくないのだが、ダニエルは引っこみ思案で赤面症、さらには吃音があり、しかも大量の汗をかくことから適齢期の女性からは敬遠されていた。
それでもいいという女性もいるにはいたが、そういう積極的で打算的な女性はダニエルのほうが苦手としていた。
そんな侍女ばかりの中、テレーゼはフィデロ家の蔵書が目的で侍女として働いていた。
あまり裕福ではないテレーゼの家で、高価な本はたくさん買えない。
自分の結婚を諦めていたテレーゼは、物語の主人公に自分を投影して恋愛小説を読むのが好きだった。
小説の主人公に感情移入して、泣いたり、笑ったり、恋をしたりした。
特にビビアナ・ロッサの作品は、恋の相手を素敵な王子さまや頼もしい騎士や冷徹な宰相などにしていることが多く、現実味がない分、楽しく読めた。
そんなテレーゼがダニエルと親しくなったきっかけは、その、本である。
といっても何か劇的な出会いがあったわけではない。
フィデロ伯爵家が稀少な本を集めているというのは有名だったので、当然、伯爵家の妻の座を狙う侍女たちはダニエルの気をひこうと図書室へ通った。
最初ダニエルは、テレーゼもそのつもりで図書室に通っているのだと思って気にも留めていなかった。
だがある時、テレーゼが借りていくのは古典の恋愛ものばかりなのに気がついた。
しかも高価なジャンロッドの初版本には目もくれず、普通の本ばかり借りていく。
もしかして本当に本好きなのかと思って気にしているうちに、いつも目で追うようになってしまった。
ただその時点でダニエルはテレーゼに好意を持っているという自覚がなかった。
よく図書室で会うなぁと、そう思っているだけだった。
だがそうした感情の機微は、女性のほうが鋭い。
すぐにダニエルの妻の座を狙う侍女たちからの、嫌がらせが始まった。
そしてついに、ジャンロッドの初版本ほどではないけれど高価な本が壊され、テレーゼはその犯人に仕立て上げられてしまったのである。
「でも、その時に主人が、絶対に私が犯人じゃないって言ってくれたの。こんなに本を好きな人が、本を乱暴に扱うはずがないって」
「それで好きになったんですね」
マリアベルが感動していると、テレーゼは「いいえ」と苦笑した。
「その時は、ご主人様が良い人で良かったわとしか思っていなかったの」
艶やかな黒髪は自慢だったが、特に美しいというわけでもなかったテレーゼは、まさかこの時にダニエルが自分の恋心を自覚したなどとは、夢にも思っていなかった。
そしてダニエルも気になる相手に積極的に迫っていく性格ではない。
嫌がらせをしていた侍女はすぐに辞めさせたが、どうやってテレーゼにアプローチしていけばいいのか分からなかった。
とりあえず、図書室にテレーゼが喜ぶと思って新作の恋愛小説を並べるようにした。
そしていつもテレーゼが本を読む方の机に、白からピンクに色が変わる薔薇の花を一輪、必ず飾るようにした。
その薔薇の花言葉は「初めての恋」だ。
ダニエルの精一杯の告白だったが、テレーゼはまったく気づかなかった。
そして迎えた花祭りの日、ダニエルは籠いっぱいの薔薇を持って、テレーゼにプロポーズしたのだ。
「最初は意味が分からなかったわ。プロポーズなら、赤い薔薇の花でしょう? 白とピンクのこの薔薇の意味は何だろうと考えてしまったわ」
柔らかく笑むテレーゼは、その時を懐かしむように薔薇園に咲く薔薇を見る。
白からピンクへと変わる薔薇は、今ではこの薔薇園いっぱいに咲いている。
薔薇園の一角には赤や紫の薔薇も咲いているが、やはりテレーゼは思い出のこの薔薇が一番好きだ。
「その時の主人がね、本当に笑ってしまうくらい顔を赤くして大汗をかいていて……。その時に、なんて可愛らしい人かしら、と思ったのよ」
「可愛らしい、ですか?」
男の人に向かって可愛らしいという言葉は似合わないような気がして、マリアベルは聞き返した。
「どうしてそう思ったかなんて聞かないで。私にも分からないんだから」
きっと、その時に恋に落ちたのよ。
そう言ってテレーゼは、少女のようにはにかんだ。
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