23話 フィデロ伯爵家の図書室
フィデロ伯爵家の居城は、両翼の棟を持つ帝国風の城だった。
その東側の棟の先に、クリーム色の壁に赤い屋根の、八角形の建物がある。フィデロ伯爵家の図書室だ。
中に入ると、古書の独特の、乾いたような匂いが鼻をくすぐる。
その匂いを嫌う人もいるけれど、マリアベルはどこか懐かしい気分になるそれが大好きだった。
立ち止まって息を吸うマリアベルがどれほど本を愛しているのか分かって、フィデロ伯爵夫妻はともに本を愛するものとして、温かい視線を送る。
「素敵……」
古書の匂いを堪能してから図書室を見回したマリアベルは、胸の前で手を組んでため息をついた。
外から見た時は二階建てかと思ったが、中は広い吹き抜けになっていて、壁一面が本棚になっている様子は圧巻だ。
八角形の部屋の中央に大きな階段があって、その先に壁に張りだすように作られている廊下がある。
高いところにある本は、その廊下を渡って取るようだ。
階段の両脇には落ち着いた色の大きなテーブルがそれぞれ置いてあり、丸い天窓からの光がちょうど当たるようになっている。
日差しが本に直接当たらないように計算されつくした配置の窓は柔らかい光を落とし、図書室の中を明るく照らしていた。
「これが噂に名高いフィデロ伯爵家の図書室ですか。なるほど、確かに素晴らしい。これを見られただけでも、帝国にきた甲斐があるというものだ」
本好きのジェームズも、マリアベルの横で感嘆のため息をもらす。
自慢の図書室をほめられて、フィデロ伯爵は嬉しそうにひげをなでた。
「さあ、バークレイ侯爵。こちらに『失われた王国』の初版本を置いてあります。どうぞ」
机の後ろには、鍵のついたガラスの扉の書棚があった。
常に鍵を持ち歩いているのか、フィデロ伯爵はチェーンのついた鍵を取り出し、扉を開ける。
フィデロ伯爵は胸元から白い手袋を出すと、それをはめてから本を取り出して、ジェームズに渡そうとした。
「私は集中するとどうしても汗をかいてしまうので、本を汚してしまうのですよ。ですから手袋をはめて本を読みます」
「なるほど。確かにそれは良い案ですな。古い書物はデリケートですから。しかし、あいにく私は革の手袋しか持ち合わせてはいないのです。ううむ。どうしたら……」
「あ、いや。バークレイ侯爵は私のような汗っかきではないでしょうから、別に気になさらずとも……」
「あなた。こちらを侯爵様に渡してくださらない」
かえってジェームズに気を遣わせてしまったと焦るフィデロ伯爵に、夫人がそっと新しい白手袋を渡す。
「あなたはすぐに手袋をダメにしてしまうから、いつも新しいものを用意しておりますのよ」
「おお。そういえばそうだったな。申し訳ない。私はどうも、気が利かなくて……」
頭をかくフィデロ伯爵は、貴族としては腹芸ができないタイプのようだが、かえってそれが宮廷闘争に疲れているジェームズには新鮮に映った。
「お気になさらず。それよりもこれから親族として深い交流をしていくのですから、ジェームズとお呼びください」
フィデロ伯爵はマリアベルたちがなぜここに来たかを思い出して、滝のような汗をかいた。
「では私のことはダニエルと」
手袋越しに再び握手を交わすジェームズたちを見て、マリアベルは微笑ましい気持ちになる。
これからマリアベルが皇族に嫁ぐとしても、帝国内に善良な親族がいてくれるのはとても心強い。
「私もマリアベルさんとお呼びしていいかしら? 私のことはテレーゼと呼んでくれると嬉しいわ」
艶やかな黒髪を結い上げているテレーゼは、そう言ってマリアベルに微笑んだ。
「テレーゼ伯母様?」
「こちらにいらっしゃい、マリアベルさん。とっておきの恋愛小説がありますのよ」
そう言って階段の反対側の棚へ行く。
そこには大量の恋愛小説が並んでいた。
「どうかしら。私の自慢のコレクションなの」
「凄いですね」
マリアベルはその冊数に圧倒される。
もしかして世の中に流通している恋愛小説は全部揃っているのではないだろうか。
「我が家に滞在中に、何冊かお読みになる?」
「お借りしてもよろしいのですか?」
「もちろん。これから仲良くしていく親戚ですものね」
にっこりするテレーゼは、夫よりもよほどしっかりしているようだった。
マリアベルは遠慮なく本を選ぶことにする。
正面にある青い背表紙の本のタイトルは、ジャンロッドの書いた三大悲劇の一つ「デズデモーナとディスタゾー」だ。
敵対する家同士でありながら愛し合う二人の物語だが、最後は悲劇に終わる。
マリアベルは悲劇的な話は好きではない。
物語を読むならば、最後はハッピーエンドがいいと思っている。
「だって、そのほうが読んでいて楽しいもの……」
小さく呟いて他の本を探す。
すると本棚の上のほうに『薔薇の微笑み』というタイトルの本があった。
読んだことはないが、なんとなくハッピーエンドのお話のような気がする。
だが背を伸ばしても本に手が届かない。
踏み台を探してこなくてはダメだろうかと諦めようと思ったその時。
後ろから誰かがその本を取り出した。
「お探しの本はこれかな?」
驚いたマリアベルが振り向くと、そこにはいたずらっぽく笑うレナートの姿があった。
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