16話 新たな婚約者
「体も丈夫になってきて、ある程度の妃教育はこなせるようになったものの、子供を産めば、本人か子供か、どちらかが命を落とすだろうと言われてしまってな」
そう言ってレナートは言葉を続けた。
「従妹はそれでも、幼い頃の自分のわがままが俺を縛りつけてしまったと後悔していて、命と引き換えに俺の子を産むつもりだったらしい。……だが、愛してもいない男の子供を、命がけで産めというのは酷だろう。婚約を解消する方向で話を進めていた時に、偶然従妹と主治医が愛し合っているという話を聞いたのだ」
レナートの説明に、カルロが後ろで頷いた。
「確かあの主治医、二十歳は年上でしたよね。研究一筋で、ずっと独身だったそうですけど」
「献身的に支えてもらって好きになったそうだ」
「……殿下との婚約が解消されるって決まって、それでも結婚したいって泣かれるかと覚悟してたんですけどねぇ。逆に、喜ばれるとは思いませんでした」
「お前、馬鹿みたいに口を開けてたな」
「殿下だって口が開いてましたよ」
「気のせいだ」
話の内容はかなり重いはずなのだが、軽い調子で二人が会話をしているので、マリアベルとジェームズは思わず呆気に取られてしまう。
一言も挟めないうちに、レナートとカルロの会話は進んでいった。
「考えてみれば、あの方がたとえ婚約解消をしたとしても、身分が違いすぎて医者との結婚はできなかったでしょうしね。療養という名目で領地のはずれで暮らすとしても、決して夫婦にはなれませんから……」
「それほど社交をしていなかったのも幸いしたな。名前を変えれば、ただの医者の妻が大公の娘だとは思うまい」
「幸せになってくれるといいですね」
「ああ、そう思う」
レナートの声には、婚約者を惜しむ響きはない。
マリアベルは、そのことに少しだけほっとした。
「まあそんなわけで殿下の婚約者が亡くなったということにして、一年間の間に新しい婚約者を決めようということになったんですが、ちょうどそこへバークレイ卿が新しく麦の取引先を探しているという話を聞きましてね」
そう言ってカルロは書類をテーブルに出した。
「バークレイ産の麦ですが、とても評判が良いですね。同じようにパンを焼いても、きめ細やかな生地で、ふっくらと焼きあがるそうです。品質も安定しているし、ぜひ取引をしたいと思います」
マリアベルの横で、ジェームズが少し体の力を抜いた。
帝国を訪れた目的のうちの一つはクリアしたようだ。
問題は、もう一つのほうだ。
「ところで麦を保管している倉庫にネズミはつきものですが、最近の王国では追い払っていた猫がいなくなったのか、ネズミが増え放題でしてね。王太子の婚約破棄騒動も、すぐにこちらに伝わってきました」
カルロは暗に、王国では他国の諜報員が増えていると言っていた。
「それは王太子殿下の騒動の後ではないのかね?」
ジェームズの問いに、カルロは首を横に振った。
「いえ。前からですよ。そうですね。ここ十年ほど前からです」
疫病が猛威を奮った後、どの国も体制の立て直しが大変だった。
王国もなんとか立て直したと思ったが、そうではなかったのか……。
マリアベルも妃教育は受けていたが、諜報活動については教えられていなかった。
それは国王と王太子の管轄だったからだ。
「バークレイ領といえば、王国でも我が帝国と隣接している、非常に重要な場所です。バークレイ嬢が王国の人間と結婚をするならば良いのですが、万が一モルヴィア共和国の人間と結婚をするとなると、我が国にとっては好ましくない」
ガレリア帝国とモルヴィア共和国が国境を隣接させているのは、ガレリアの北西だ。
もしバークレイ領がマリアベルの婚姻によって親モルヴィアになったとしたら、ガレリアは北西と北東の二つの地域を警戒しなくてはいけなくなってしまう。
「それに殿下のほうも、帝国内で新たに婚約者を決めるとなると、せっかく落ち着いた国内がまた慌ただしくなってしまいます。かといって、モルヴィア共和国の何番目かの姫など言語道断。あそこは元首制ですから、一族の間でコロコロとトップが変わる。姫といっても、帝国の下級貴族の娘と変わりませんから」
「そうでなくとも、いつ寝首をかかれるか分からない姫など、俺は嫌だぞ」
カルロの説明に、嫌そうにレナートが付け加える。
「もちろん、モルヴィアの姫など最初から問題外です。すると他国の姫君……と、言いたいところですが、我が国が中央国家群の小国の姫を娶るメリットがありませんし、王国には適齢期の姫君がいない」
カルロは一旦言葉を切って、大げさに両手を広げて周囲を見回した。
「そこへ降ってわいた王国の騒動。いや、まさに運命だと思いましたね、僕は。帝国と隣接するバークレイ侯爵家のご息女で、王家の血を引き、妃教育も終えて、完璧な淑女とまで呼ばれている美しい令嬢が、新たに婚約者を探している。もうお相手は、うちの殿下しかいらっしゃらないでしょう!」
芝居がかった口調だが、カルロの言っていることは全て事実だ。
確かに帝国にとってもバークレイ侯爵家にとっても、この縁談が結ばれるメリットは大きい。
だがジェームズは、あくまでも傷ついた娘の心に寄り添いたいと思っていた。
それにこうして短時間話しただけでもレナートの度量の広さは推し量れる。ここで断ったとしても、それほど問題はないはずだ。
その為の、非公式での会談なのだろう。
「マリアベル」
「はい、お父様」
「お前はどうしたい?」
「私は……」
てっきりレナートと結婚しろと言われると思っていたマリアベルは、予想外のジェームズの言葉に口ごもる。
どう考えても、レナートとの結婚は互いに利がありすぎる。
それなのに、自分の思いを伝えても良いのだろうか……?
「遠慮せず、今の自分の気持ちを言ってごらん」
父の優しい言葉に、マリアベルの胸が温かくなる。
そうか、これが愛だ。
家族への愛ではあるけれど、マリアベルの幸せを願う、父の愛。
マリアベルは父の思いに応えるために、桜色の唇を開いた。
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