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大銅貨1枚

「おい、無視してんじゃねぇよ。グ~レ~イ君」


 馬鹿にするような長音の名指し。太い指がグレイの肩に乗せられた。


「おい、気安く俺の名前を呼ぶな」


 低く放たれる威圧的な声音に隣の冒険者は身体はゾクりとした感覚を味わった。しかし、威圧には慣れているのか、ゾランは一瞬、驚いたような表情をしたが、すぐ汚い笑顔に戻った。


「いいのかな~、そんなこと言ってよ」


 反対側の肩にも手を置き、顔をグレイのフード一枚を隔てた耳元まで近づかせ囁くように話す。


「……」


「俺、グレイ君の秘密知っちゃったんだ」


 何にも返事をしないグレイ。ゾランからはグレイの表情はフードにより読み取ることは出来ない。それでもグレイの両肩に置いている手で優しくマッサージをするように撫でながらゾランは話す。


「その秘密、ここで話しちゃってもいいんだ──グフッ」


「テメェみてぇな奴に誰が俺の名を呼んで良いって言ったんだ?」


 グレイはゾランのことを見もしないで、肘を打ち込み。ゾランはみぞおちを抑え、片膝を付く。グレイはクルリと尻を滑らせゾランの表情を座ったまま見下ろす。ゾランの表情には苦悶な表情と驚きの表情とが混ざっていた。


「ッテメェ、どういうつもりだ。さっきは反撃しなかったくせによ。冒険者登録して気でもデカくなったのか? 忘れてんじゃねぇか? 俺はⅮ+の冒険者だぞ。そしてテメェは登録したてのF−、最低ランクだ」


 わかっているのか? といい腹を抱えている姿は誰の目から見ても滑稽だろう。ゾランの大声が聞こえた冒険者たちは遠巻きに両者を眺めている。


「テメェみたいな、弱そうなやつにだけに威張るやつは気に食わねぇな。それと……俺を弱そうなやつだと思いやがったことも気に食わねぇ!」


 溜めてまで強調した後者の意見の方がグレイの琴線に触れたのだろう。ダンッと威嚇をするように音を出しながら立ち上がる。


「テメェの師匠の名前を言ってもいいんだぞ」


 腹を抑えつつ立ち上がるゾランの苦痛の色のにじませた顔の中には未だ愉悦の影が潜んでた。


「……は? 言われて何が困るんだ?」


「しらばくれったって無駄だ」


 グレイは小首を傾げ、胡乱げな視線をゾランに向ける。そんな戸惑いも興奮の色も浮かべないグレイの表情を偽造と考えたゾランは、これ以上の駆け引きはグレイを煽るのには無駄であると考え、情報の暴露を決行することを決めた。


「ああ、テメェがそんな態度なら言ってやるよ。謝らなかったことを後悔するんだな!」


 フードで表情の見えにくいグレイの顔に未だ焦りの表情が見えないことに、ゾランは苛立ちを感じた。今自身が持っている情報は大きく喧伝されて不利益を被るのはグレイだ、なのに動揺さえみえない。


 ゾランはグレイ自身から発されて聞いていた言葉を頭の中で反復し、周りにいる冒険者たちを眺め、関心が自身へと向いていることを確認した。


 多くの冒険者の内、受付の時に傍観者として見ていた冒険者が多くいた。彼らはゾランが仕組んだサクラの数人の話によって付いてきた者たちであった。サクラの数人が隣の数名が聞こえるくらいの声量で─ゾランのやつがさっきの少年とケンカをするらしいぞ──いや、俺がゾランから聞いたのはあの少年のヤバイ話をばらすって言っていたぞ──どっちにしろ、面白そうだな、見に行こうぜ─といった文言を話していたのを聞いた冒険者たちが野次馬根性で来たのであった。


 予想よりも多い人数に内心ほくそ笑み、口を開いた。


「テメェの師匠の名前、シルバースって言うんだってな」


 ガヤガヤしていた傍観者たちはゾランの発した言葉が耳に届くと驚きを目に浮かべてその瞳をグレイへと向けた。


「知らねぇなんて言い訳出来ねぇからな。受付で話しているお前がそう話しているのを聞いていたからな。さぁ、どうなんだ?」


「……そうだけど、なんだってんだよ」


 あたりから冷笑が聞こえる。グレイはムカつき辺りににらみを利かせる。


「おい、お前ら聞いたか?」


 ゾランが笑いながら周りにそう問いかけた、すると周りの冒険者もゾランを中心として凪いだ水面に小石を投げ入れたときの波紋のように笑い始めた。


「なんだよテメェら。ジジィのことを馬鹿にしやがって、テメェらにジジィの何がわかるってんだよ」


 シルバーズのことを何にも知らない奴らの嘲笑にグレイの気分は最悪だった。


「……知らねぇよ。けどわかるぜそいつのピョンと化け物じみた人間ではない耳を生やしている姿が目に浮かぶぜ」


 なにを持ってグレイを嘲るのかグレイが問うと予想を斜め上の返答がかえってきた。グレイは思わず「はっ?」と聞き返す。ゾランはグレイの戸惑いの声に耳を傾けず、さらにグレイを煽る。


「そんな奴に教えを乞うなんてお前、どっかのスラム(貧民)街の出か?」


 周りはドッと沸いた。言い慣れた、聞きなれた相手を貶す冗談なのだろう。その中にはその冗談を信じ、グレイを蔑視する者もいた。真実、グレイはスラム街の出身だ。あながちその冗談は間違いではない。だから当然、グレイにとってその軽蔑の表情は見慣れた表情であった。


「そんなに若ぇと乞食とか犯罪とか、やってそうだな」


「違いねぇ」


「へぇ、身なりは綺麗なんだがな。見かけによらねぇな」


「お、もしかして、アイツも耳付きなんじゃねぇのか?」


「フードを取って俺たちにその姿を見せてみろよ」


 外野が邪推を始め、次第にグレイへとわいた疑惑が向かった。


「テメェら、ジジィを誰かと勘違いしてんじゃねぇのか? ジジィに耳は生えてなかったし、もし生えてたとしてもジジィがジジィであることに変わりねぇだろ。それに俺知ってるぜ、ジジィに習ったからよ。この王国は亜人差別が禁止だってことをな」


 グレイはシルバーズとの授業のことを思い返していた。


 〆〆


 それはまだグレイがシルバーズのことを信用していない頃、それは髪さえもまだ結っておらず、チビすらもまだいない時の授業のことだった。


「おい、クソジジィ! なんで俺が勉強なんてしなきゃならねぇんだよ。俺は強くしてくれと言ったんだ。誰が勉強なんてしてぇって言ったんだ?」


 机を力強く叩きグレイが抗議の声を苛立ち気に上げる。


「おや、グレイよ。ここの足し算が間違っておるぞ」


 隣に座っているシルバーズは平然と机に広げられた紙に書かれた計算式の一つを指さす。


「っ、そんなわけねぇだろ。24足す12は36だろ! まず、1の位が4と2で6になって、その次10の位が2と1だから3になるんだろ。だから、36だ。わかったか? 俺は間違ってねぇだろ!」


 もう一度計算式を書き、それをシルバーズにしっかりと見せる。


「本当じゃ、さすが天才じゃな。これは申し訳がなかった」


 大仰に手を叩き、褒めたたえるシルバーズは潔く自分の非を認め謝った。


「あたりめぇだろ、ジジィ。馬鹿にすんじゃねぇ」

 

 褒められたグレイは頬を緩め、しかしそれを隠しながら怒る。あっ、と大きな声をあげるとシルバーズはまだグレイが解いたことのない3桁の足し算を指さした。


「これは、難しい問題じゃ! しまった、これはまだ難しいから、まだ出すつもりじゃなかったんじゃがな。これは流石のグレイとて、解くことは至難の技じゃろうな」


「ど、どれだよ。この俺が解けない問題なんかあるかよ。なめんなよ、ジジィ!」


 指さす問題をシルバーズが消す前に解いて見せると言わんばかりに、慌てて解き始める。


「770足す330は、……こんなの簡単じゃねぇか」


「おっ、すごいのう、もう解けたのか」


 式さえ作らず自信満々なグレイにシルバーズは感嘆を洩らす。


「答えは1,000だ! 簡単だぜ」


「ふむ……残念! 簡単じゃと思って式を書くのを横着したことが原因じゃな」


「なっ! ふざけんなジジィ! そんなわけねぇだろ。またジジィの間違えだろ!」


「落ち着いてもう一度きちんと見るんじゃよ。700足す300が1,000じゃろう」


 あっ、自身の間違えに気が付き声を上げたグレイは、少しばつが悪そうな表情を浮かべて答える。


「……1100だな」


「ふむ、そうじゃな。よく気が付いたのう。しかし、この問題は難しいんじゃないかのう?」


 新たな問題を指さし、挑発気に訊ねる。


「今度は失敗しねぇよ」


『グレイは石を200個持っていました、そしてシルバーズも石を200個持っていましたが、途中でシルバーズは154個落としてしまいました。今、二人が持っている石の数を合わせると何個あるでしょうか』


 わからない言葉をシルバーズがフォローしながら、グレイはたどたどしいながらも読み切った。グレイは頭を搔きながら式を書き起こし始めた。


「って、そうじゃねぇ! あぶねぇ、また騙されるかと思ったぜ」


「今日は、ダメじゃったか」


 はっと自身が抗議をしていたことを思い出し、鉛筆を投げ捨てた。この方法でグレイは何度も失敗に終わっていたのだった。今日こそはとノートを机の端に押し退ける。


「おいっ、ジジィ。俺はこんな無駄なんてしたくねぇ」


「無駄じゃと? グレイよ、お主はおかしなことを言うんじゃな」


「なんだよ、俺はおかしなことなんて言ってぇぞ、俺は強くなりてぇんだよ、こんなことしたって、強くなるわけねぇだろ」


「確かに、ある一面だけを見れば強いとは言い難いじゃろう」


「じゃあ、これなんか辞めて魔法を教えろよ!」


「魔法の修行は後日嫌というほどするから、そう慌てることはないわい」


 いきり立つグレイを諫め、シルバーズは巾着から取り出した物をグレイへ差し出した。グレイは黙ってそれを受け取った。銀色に輝く銀貨一枚であった。高価な硬貨を突然手渡されたことに、グレイは動揺し、シルバーズの顔と銀貨を行き来する。


「して、グレイ。大銅貨2枚に銅貨2枚の物を買った時グレイは手元に銀貨1枚しか持っていなかったとする。その銀貨1枚で支払いをすると……」


 シルバーズは鉛筆を持ち、グレイに渡した。そして銀貨を回収しようと手を伸ばすと空を切った。シルバーズはグレイに視線を送る。

 シルバーズの手を避けたのは、意図したことではなかった、反射的であった、ただ反射的に逃げてしまっていたのだった。銀色に輝く、掌に容易く納まるほどの小さな硬貨はひんやりとした冷たさでその存在をグレイに訴えかけていた。


 見つめ返すグレイは掌を閉じて固く結んだ。


「返して欲しければ、奪ってみろよ。もし、奪えなかったらこれは貰うからな」

 

 シルバーズは何も言わず、その掌を掴み包むように手を置くと、グレイに微笑みかけた。じんわりと伝わる人肌を感じながらグレイは油断をしなかった。シルバーズは掌を優しく握りしめた。


「いでぇ、いでぇ。わかった。悪かった、返すから、返すから!」


 緩められた掌から引っこ抜き、銀貨を投げ返す。いたわし気に痛みのはしる掌に息を吹くかける。


「この銀貨一枚で支払いをすると、お釣りとして大銅貨8枚に銅貨8枚が返ってきた」


 今度はグレイに渡す振りをして、説明した。


 グレイはすぐにシルバーズの言葉の可笑しなところに気が付き笑顔を浮かべた。


「おっ、気付いたようじゃのう。そうじゃ、お釣りが大銅貨1枚多いのじゃよ。こういう時はどうするのじゃ?」


「もちろん、相手が気付く前にどっかに行くのが正解だろ」


 さも当然だと言わんばかりの表情にシルバーズは絶句して二の句が継げないでいる。


「それで、何がいいてぇんだよ」


「こういう場合は、大銅貨を一枚返すのが正解なんじゃがのう。それでのう、グレイはこの計算に引っ掛からなかったの」


 自身の後頭部を撫でて呆れるよう言った。しかし、すぐに切り替えて訊ねるとグレイは馬鹿にしているのかと、苛立ち気に「あたりめぇだろ」と返答した。


「はたしてそれはどうじゃじゃろうか? よーく思い出してみてみるのじゃよ。さっき、似たような問題をグレイは間違えておったのう」


「……」


 シルバーズ言われたことでさっきのことを思い出し閉口する。


「しかし、今回は間違えなかった。それは何故じゃ? 学んだからじゃ。先ほどの問題はグレイが得をするものだったからまだ良かったかもしれないが、もし現実でグレイが損をする立場であった場合はどうじゃ?」


 大銅貨一枚を指で弾く、宙を回転しながら上がる。放物線を描き、グレイの元へ落ちていく。グレイはそれを掴む。


「損して痛い目を見るのは勉学をしなかった方じゃ。学ぶことは損をしない手助けとなる道具なのじゃよ」


「わかったかの?」とグレイに理解の確認をする。グレイはシルバーズから距離をおいて大銅貨を奪われぬように握りしめながら、小さく頷く。


「それに、力だけでは解決できない問題は多くある。例えば貴族たちなどじゃ、おかしなことを言っているからと殴って、解決とはならんじゃろうな。儂らが牢屋に入れられるじゃろう。そんな時に役立つのが知識じゃ。知識をもって相手のおかしな点を指摘し戦うことが出来る。知識は時に力をも上回るものじゃ、知識は第二の強さじゃ」


 グレイは口の中で転がすように「知識は第二の強さ」と繰り返す。


「では、勉学の方に戻ろうかのう」


 ノートを戻し、問題へと戻った。


「それって、本当かよ。相手が俺の話を聞かなかったら知識なんて持ってても意味がねぇだろ」


 しかし、それをグレイが止めた。


「たしかにさっきのお金のことは良かった、良かったけどよ。それって、相手がきちんと話を聞いてくれているからだろ? 俺らの話に耳を傾けるやつなんか、どこの店のやつだ? ぜってぇ、俺が正しいことをいったところで、相手は自分の失敗なんか認めねぇぜ」


「……そうかも、しれないのう」


 眼を伏せ、ゆっくりと頷く。


「ジジィになんか、何がわかるってんだよ。下手な同情なんかすんじゃねぇ」


 憐みの対象とみられていると思ったグレイは吠える。


「儂も長く生きとるからのう、色々あったのじゃよ、色々とのう」


 グレイに弁明するように言葉を発する。頭頂部付近を撫でるシルバーズは過去を回顧しているのか、顔に刻まれた皺を一際深くさせた。


「この大陸にはのう、国々があるんじゃが、その国々にはその国々の大きな主義が存在するんじゃよ。東のヘルケルヴィア帝国、南西のアブンゲ・ヒューレター王国、西の神聖ロエリッシュ皇国、北西のセキルド・フォルド王国、そして、今儂らがおるサンロ・ミゼリア王国という五か国が在ってのう、この国は貴族至上主義なんじゃよ」


「至上主義ってなんだよ」


「至上主義っていうのは、それが一番良いと考えることじゃな。じゃから、この国は貴族の血筋が……そうじゃな、王様の家族が偉いってことじゃな」


 グレイは顎に皺を作り、思案顔を浮かべていたためシルバーズは言葉を選び、嚙み砕いて言い換えた。


「じゃあ、やっぱり意味がねぇってことだな」


「そうとも言い切れんじゃないじゃろうか、おかしな貴族と関わることさえなければ知識は有効じゃからな。それにじゃ!」


「な、なんだよ。きゅうに」


 暗くなってしまった話を吹き飛ばすほどの明るい笑顔を浮かべ、声を突然張り上げた。それに、グレイはびくりと身体を震わせた。


「そんな主義なんぞ、無くしてしまえばいいんじゃよ。もともと、この国には人間至上主義なんていうふざけた主義が存在しておったんじゃがな、無くなったんじゃよ。それによって、人間が最上な生き物であるといって、亜人を差別することが禁止になったんじゃ」


「すげぇーな! それ。俺もやってやるぜ、貴族至上主義なんかぶっ壊して俺が一番偉くなってやる」


 危険な発言をさらっと言ってのけるグレイ。シルバーズにやさしく笑いながら洒落を返す。


「そうなったら、グレイ至上主義の国が出来上がりそうじゃな。ホッホッホ」


「おっ、それいいな」


 それに本気で乗ってしまうグレイにシルバーズは笑いながら「面白い冗談じゃ」とグレイに探りを入れる。しかし、グレイは一つ笑顔を浮かべただけで否定も肯定もせず。やる気を出したようにノートの問題を真剣に解きだした。


 〆〆


 ふと蘇る昔の記憶にグレイは懐かしく思い、イラついていた気持ちが和らぐ。


「だとしたら、テメェらのしていることはこれに違反することじゃないのか?」


 得意げにグレイは知識という第二の強さをひけらかすが、返ってきたのは、馬鹿にしたような笑い声であった。


「だ、誰がそんなおかしなこと守るんだよ、笑わせんなよ」


「そんなのここじゃ、在っても無いようなものだ」


 誰かがヤジを飛ばす。


「おい、お前。耳付きだろ」


この状況に調子づいたゾランはグレイに近づきフードを外そうとした。


「第二がダメなら、第一だろ」


「ウ゛ッ」


 伸ばされた腕を左手で掴み、グレイは力の込められた右手でみぞおちにしっかりと入れた。先ほどの肘打ちとは違い、腰の入った拳はゾランの身体を宙へと少し浮かび上がらせた。膝から崩れ落ち、脂汗が顔中に滴らせた。ゾランの視界は明滅し、さらに涙が滲み出るためグレイの姿がはっきりと捉えることが出来ない。胃がポンプのように何度も収縮する嘔吐感が襲い。口を慌てて抑える。


「俺に二度と絡むんじゃねぇ」


「……うっぷ」


 話そうとすると胃の内容物がこみ上げてくる。頭を下げて、楽な姿勢を探す。そんなゾランの腹に蹴りをさらに入れる。


 吐瀉物をまき散らし野次馬の中に飛ばされた。驚きのあまり静観していた野次馬は向かってくる死に体のゾランを避けるようにして穴を作った。


 ゾランが床に落ちる音と呻き声だけが良く響くほどの静かさが辺りを支配した。


「てめぇらもだ!」


 辺りを鋭く睥睨するグレイに怯えたように頷く者、意外な形に終わった諍いを面白そうに眺める者、驚く者、つまらなそうにする者三者三様であった。それでも溜飲が下がったグレイは、自身が座っていたカウンターの席に戻った。


「はー、すっきりした。やっぱり、我慢はよくないよな」


「まぁ、我慢はよろしくないとは思いますが、あれはやりすぎだったのではないでしょうか。あくまでも個人的な意見ですが」


 一人で呟いたグレイの一言に言葉を返したのは白髪が混ざり始めた濃い茶色い髪を撫でつけた、渋い雰囲気をまとった物静かそうな中年の男性店主であった。


「……すみません。突然話しかけてしまって」


 グレイは残っていた冷めたスープを啜るのを止めて、器を置く。


「別にいいけど。でもよ俺は話をしようとちゃんと試したぜ。聞かなかったあいつらがわりぃんだよ」


「まぁ、これで新人いじめをしていたゾランにはいいお灸でしょう」


 ゾランは常習的に新人を虐める行為を行っていた、そのケンカの場所がほとんど酒屋であったため亭主にしても本気でやりすぎとは思ってはいない。グレイとも口論をしたくて話しかけたわけではない。そのため、店主は反論しない。


「つかぬことを聞くが、君の話していたシルバーズという人物は白髪の長髪を後ろで一纏めにしている老人ですか?」


「たぶん、ジジイのことだ」


「やっぱりそうですか。数年前にこの店にいらっしゃってくださったことがありますよ」


「本当か!?」


「ええ、本当ですよ。彼が亜人ではないことも私は知っています」


「なぁ、聞いてもいいか?」


「私がわかることなら」


「あいつらなんでシルバーズって名前だと分かった途端、亜人だって騒いだんだ?」


「それはですね。シルバーズという名前が30から40代の亜人に多いからだと」


「へー、ジジイの名前って多いんだ」


 店主は過去の記憶を辿るように、手元のアルコール飲料をゆっくりと揺らし、それを眺めていた。すると、記憶の断片がよぎったようで、それを言語化させる。


「そういえば、以前シルバーズさんがいらしてた時もなんか騒動があったような。……もしかして、あの時一緒にいらっしゃっていた少年ですか? ……失礼いたしました」


 グレイがフードをめくると、違っていたことに気付き頭を下げて自身のミスを詫びた。


「勘定。いくらだ?」

 

 グレイは席を立ち、頼んでいた時には覚えていたはずの金額を忘れてしまっていたグレイは訊ねた。


「わかりました。大銅貨7枚に銅貨7枚になります」


 グレイの急な勘定宣言に内心驚いた店主は、自身が何か変なことを言ってしまったのかと動揺したが、いつものように柔和な笑みを浮かべ値段を伝えた。


 グレイは銀貨1枚を出した。


「大銅貨2枚と銅貨3枚のお返しです」


 店主は間違えなく、きちんとした正しい金額のお釣りを出してきた。グレイはそれを受け取り、そろそろ終わっているだろうと思った受付へと向かって歩き出した。その途中先ほど貰ったお釣りを数えなおしたが、やっぱり大銅貨2枚に銅貨3枚しかなかった。

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