ゴブリンの代わりに
朝日がいつもと変わりなく昇る。
陽は暗闇を追い払うかのようにゆっくりと夜を朝に変化させる。それを横目にメアリーは何度目か、息を整えていた。相対するのは長く綺麗な灰色の髪を後ろに一つに纏め、獰猛に金色の大きな瞳をしている。グレイである。
彼の細くないその腕が握る木剣はだらりとだらしなく下げられていた。
メアリーは動揺も油断もしていない。それはもうすでに経験し終わっているからだ。
「今日は何をするんですか? その、ゴブリンをまた倒しますか?」
メアリーがそう言って楽しそうにグレイに話しかけたのはまだ陽が昇る気配さえ感じぬ時であった。
グレイにとっては優しすぎる準備運動のジョギングでメアリーがゴブリンを初めて倒した場所まで来ていた。
冷えている風がメアリーのあったまった体温を容赦なくさらう。
「そんなことは、もうしねぇよ」
グレイは後ろにいるメアリーに振り返りもせずに言った。
「な、なんでですか? 私、悪い事しちゃいました? 最近、グレイさんに、その、仲良くなれた気がして、馴れ馴れしくしてしまっていたからですか?」
メアリーはグレイの言葉の真意が読み取れず、自分が何か気に障るようなことをしてしまったと考え。慌てた。
「そうじゃねぇよ、別に」
グレイが笑いながら言ったことでメアリーは安心したように息を吐く。グレイは振り返り魔法巾着から木剣を二本取り出すと木剣を一本メアリーに投げ渡す、メアリーはそれを掴み損ね落としそうになり、ぎゅっと慌てて抱き留めた。
「今日の修行内容を今から言う。二日目と同じだ」
「二日目ってことは、ゴブリンの対決では?」
メアリーは小首をかしげる。お下げがふわりと揺れた。
「そうだ。だけど相手が違う。俺が相手だ」
「え」
驚くメアリーをよそにグレイは剣を構え、真剣な表情を浮かべる。
「予定が変わったが、まぁ、こっちの方が安全で、良い修行になるだろ」
「わかりました」
グレイの当初の予定がどのようなことをするつもりだったのかメアリーにはわからないが、強くなれるならどのようなことでも頑張ると決めていた。メアリーのなかには拒否権はない。
「この前、ゴブリンを倒した時のように俺に殴りかかればいいぜ。俺は適当に切り返すから、それを避ければいい。簡単だろ」
そう言い放ち、グレイは一礼をする。それにつられるようにメアリーが一礼すると、グレイはだらりと剣を下げた。
腕の力を突然失ったかのように急であった。
メアリーは視線がその腕につられた。
困惑、戸惑いの思考が頭をめぐるなか視線を上にあげるとすぐ近くにグレイの姿があった。首筋に冷たい木の硬質さを感じた。
「気を抜くな、ゴブリンの大群が来てると思って戦え」
グレイのメアリー修行計画は初め、自身の修行をして、それにメアリーが真似ながら付いてくるっということを想定していた、しかし、メアリーの初日の体力のなさに早々に頓挫した。だからグレイはメアリーの現在の能力を確認することから始めた。
二日目に戦闘能力の確認と称し『鬼ごっこ』を変更したものを考えた。しかし、あまりに警戒心のないメアリーと、当日部屋でみたものを見てあることを思いついたグレイはゴブリンを一匹連れてきたのだった。するとメアリーはゴブリンに勝利した。グレイは善戦くらいはするだろうと思っていたが、これにはいい意味で裏切られた。
そして三日目、魔法の素質を見た。こちらは芳しくなかったが、魔力感知が出来ているなら魔法使いになれる可能性はあるだろうとグレイは考えた。
グレイはこの短い期間でメアリーを強くするならば戦闘を覚えさせた方が可能性があると考えた。その方法はゴブリンを徐々に増やし、戦闘に慣れさせるという考えであった。がしかし昨日のおじさんとの会話でそれは潰えた。そこでグレイは自身が敵になることでその問題を解決しようと、今日の修行を実行したのであった。
体力強化をしないのは、教えられる時間が限られているからという理由であった。
そんなグレイの考えを知らないメアリーではあるが、グレイの気迫に頬を引き締めた。まだ陽の出ていないのにメアリーの背中に冷たい汗が流れた。
「わかりました。頑張ります」
仕切り直しと距離を置いたグレイに頭を下げることなく、そう言った。視線を外すと首筋に木剣を当てられてしまうとそう感じたから。
今度はメアリーが先手を打った。ただがむしゃらに振るった初心者の剣筋である。グレイは左足を半歩下がり容易く回避する。メアリーの気合の入った勢いはグレイに避けられることで行き場を失い、切っ先が地面にあたった。
グレイはメアリーのガラ空きの背中に木剣を当てる。
「力入れすぎだ」
「はいっ!」
グレイが木剣を離す。
「そのまま、かかてこい」
メアリーはグレイに言われたとおり、木剣を斜め後ろにいるグレイに振り払う。グレイは鎬で受け止め、弾く。
グレイは今度は木剣を横に振り払う。本気ではないが、それでも速い剣筋にメアリーは容易に当たった。
右腕が折れたと感じるほどの痛みを感じたメアリーは苦鳴を洩らす。
「今のは避けねぇとな」
グレイは一度距離を取る。
「どうした? そんなに強く叩いてねぇはずけど、中止にするか?」
グレイは右腕を左手で押さえるメアリーに挑発的に訊ねた。メアリーは左手を離し、木剣を握った。
「まだ、やれます」
痛みを堪え、潤んだ瞳が溢れないように下唇を噛む。
「やめてぇ時は直ぐに言えよ、直ぐに辞めてやるからな」
今度はグレイからメアリーに仕掛けた。わざとらしく右手に持った木剣を左肩を越えるように構えた。それは左から右に行く軌跡を描くことが丸わかりの構えだった。
木剣を構えているメアリーの空いている横腹にグレイが木剣を振るう。メアリーはバックステップで避けようとするが、横腹に当たった。
それから何度も、何度も、何度もグレイに攻撃を仕掛けては流されてしまった。
満身創痍のメアリーに無傷のグレイ。
陽が出てくる。荒い呼気で視界が揺らぐ。
体力のなさを恨む。結局グレイに一太刀も入れられずに終わった。
今日もグレイに運ばれるだろうと、情けない、惨めな気持ちがよぎる。
メアリーは膝から崩れ落ちた。
すぐさまグレイが支える。陽はもう十分朝と言えるほど昇っていた。
グレイは楽しそうに笑った。
「俺、ジジィみてぇだな」