思考は刃のように鋭くない
昼時を過ぎた店には人影が少なくなり、グレイが客に呼ばれるのも一段落したタイミングであった。そんな折にメアリーが他人には聞こえないように声を潜めて話しかけてきた。
今日の修行は魔力感知というグレイが魔力を流すのを座って受けるだけとなったため、昨日よりも元気である。
メアリーは魔法に才がないのか、グレイが魔力を流し続けたのちに、何となく魔力を感じました。と話すだけで終わってしまった。
「グレイさん。あの人おかしくないですか?」
メアリーはチラリと端に視線を送る。グレイがそちらを見ると、小さなテーブルにフードを深くかぶった者がいた。見えるのは口元だけで相貌はうかがい知れないが、体格的に細身の男であることが推察された。
その男はこちらに見られていることに気が付いたのか下に視線をそらす。だがしかし、あのような格好をしているものはこの数日でとても見慣れた格好であったため、何がおかしいのかグレイには理解できず、メアリーに聞き返した。
「何がおかしんだよ。ただのお客だろ?」
「そうなんですが、その、とてもグレイさんのことを見ていまして」
メアリーは言いにくそうにそう言ったが、グレイには思い当たる節がなかった。
「そうか? 俺一度も眼があったことはねぇけどな」
グレイはカウンターからほど近い大きなテーブルを拭きながらら話を続ける。メアリーはカウンターに残った食器を厨房の窓へと運んでいく。筋肉痛がするのか、運ぶ食器の量はいつもよりも抑え気味である。
「ええ? ほんとですか? あんなにみられているのにですか。鈍いんですか?」
信じられないという目をしながら、声を抑えて叫んだ。
グレイの近くの席の客が食事が終わったらしく、席を離れて会計に向かった。グレイは次の清掃場所に視線を向ける。
「鈍くねぇよ。鈍くねぇはずだ」
「信じられないです」
グレイは客の居なくなった席の木皿を重ね持ち、厨房の窓へと運ぶ。
「うるせぇ。それが本当なら何か言いてぇことがあるのかもしれねぇな」
グレイは次の清掃場所に向かいながらフードの男のいる席にもう一度目をやった。しかし、そこにはもう男はおらず、グレイは店内を見渡した。
「あれ、居ません」
グレイの反応に気づいたメアリーも端の席を見て、そう言った。
「そこのお客さんなら、お金を置いてとっとと外へ出ていったよ」
今まで会計をしていたラミィが告げる。
「いつの間に会計すましたんだよ」
ラミィは一つ溜息をつきエールを大きな樽から注ぎながら、声音は優しいが棘の混じった言葉を飛ばす。
「あんたらの会話のせいで居心地が悪かったんだろうさ。お金だけ置いて出て行ったよ。仕事中のお客の話ならもっと声を潜めて話すか、話さないことだね」
「すみません」
「気を付ける」
気付かぬうちに気を抜いて働いていたことに気付いたメアリーは顔を引き締め、グレイは自分の非をわかっているためしぶしぶとラミィの忠告に謝った。
「そうだ、あんたら。休んだらどうだい?」
「はっ? 気が抜けていたことは確かにそうだけど、別に疲れてねぇよ」
「そうじゃないよ。ほら見な?」
ラミィは近づいてきたグレイに人の少ない店内を顎をしゃくって見せた。昼時の峠を越えた店内は飯の食べている冒険者がちらほらと、ほかに、固い黒パンを食べるために「ワイバーンの泊まり木」特製ポタージュに浸しふやけるのを待っている年寄りがいるだけであった。見る限り、これから注文が大量に入るわけではないことは容易に想像できる。
「この時間は客が少ないからさ、休憩がてらこの町を見て回ってきな。グレイは、仕事と修行でこの町を何も見て回ってないだろう。優しい店主からの贈り物さ」
「いや、俺は別に」
「お駄賃もやるから、とっとと外行きな。後メアリーを案内役として連れてきな。それとこの子も」
観光に来ていたわけではないグレイはラミィの気遣いを簡単に断ろうとするが、ラミィはグレイの返事など関係ないとばかりに、入口の方に向かって手を払う。さらに毎日厨房、カウンター、店内、自室をチビを抱えて歩いていたルルを持ち上げ、掲げる。もちろんその腕の中にはチビがいる。
「こいつ……、ルルは何の役に立つんだよ」
こいつと呼ばれた瞬間、頬を膨らませて始めたルルを見て、グレイは思い出したかのように、躊躇いがちに言い直した。
「そりゃ、あれよ。いるだけで幸せになる可愛い担当だよ」
ルルはラミィに頬ずりされて眼を細め頬を緩める。グレイはそれを対して興味なさげに眺める。
「ルルね。いいところ知ってるよ。知りたい?」
ラミィに降ろされ、グレイの足元まで駆けてきたルルは自慢げに話しかけてきた。
「そうか、面白れぇところか。知りてぇなぁ」
グレイは面白いという言葉に反応し笑顔を作り、しゃがみ込み、ルルと視線を合わせる。ルルはパッとさらに笑顔を輝かせ、ついてきてね。と外へ向かっていった。
「グレイさん。お駄賃は私が代表として持ってますので、行きましょうか」
〆〆〆
子供たちの感嘆の声のなか、グレイも同じように眼を瞠った。眼前にて行われる大道芸人のジャグリングは妙技であった。刃の鋭いナイフを一本から回し始め、二本、三本と本数を増やし、しまいには十本ものナイフを回しているのである。
「グレイ! どう? ここルルのお気に入りの場所なの。ここ面白い人がよくいるんだ!」
「ルルはよく知ってんな」
「ねっ、ねっ、グレイは見たことあったこんなにすごいの」
「そうだな、真正面でこんなに長く見るのはそんなになかったかもな」
「でしょでしょ。ルル凄いね」
「そうだな」
メアリーはグレイの言葉に違和感を感じ、物思いにふける。が、すぐにグレイの呼びかける声によって中断された。
グレイはナイフのジャグリングをする男のさらに奥に見える扉の上に付けられた宣伝する気もないのか小さな看板に『武器屋』とだけ書かれた建物を指し示していた。それは雷が降りそうな雲を切り取ったかのようなくすんだ色をした石で出来上がっていて、元は茶褐色であったであろう木の扉は今は日焼けをして色が薄くなっていた。
その扉には小さな窓が付けられていて、そこから見えるのは陽を遮断した元来の暗さであった。
メアリーは「どうしましたか?」と尋ねるとグレイは「中を見てくるわ」と言い残し、店の中へ入っていった。
中に入ってすぐに感じたのは乾くような暑さであった。次第に目が暗闇に慣れてくると、店の中に置かれた剣や盾、防具に弓などどれも数はないが種類が多くある店内が見えた。どれも仄暗い店内の中でもわかるほど綺麗に磨かれていた。
グレイは近くの剣を掴んだ。刃先が細く、両刃である派手な装飾のないシンプルな剣であった。しかし握りを覆うような派手ではない装飾が簡素な印象をを持たせないように施されていた。
「勝手に売り物に触るな」
カウンターの先にある扉から出てきた男が放ったのは低く、野暮ったい声音であった。彼は深く刻み込まれた皺をさらに強調するかのように眉間にさらに深い皺を刻み、眼を開くのも面倒なのか重く瞼を半分下げていた。
グレイはその男を見て、黙って剣を置いた。もう一度剣をじっくりと眺め、男の方へと身体ごと向ける。
「わりぃな、良い剣だなって思って」
グレイは世辞のない感想を告げる。武器屋のおやじらしきその男は胡乱げな表情をそのままに不精髭が顔の大半を占めるその頬を痙攣させたかのように微かに動かす。グレイはさらに言葉を継ぐ。
「これ、売ってくれねぇか?」
先ほどまでもっていた剣を指してグレイは言った。武器屋はグレイの瞳をじっと見て大きく息を吐いた。
「お前の格好、態度を見るに騎士ではないようだな」
「もしかして騎士は嫌いか?」
「だったらなんだ」
グレイの質問ににべもなく答える。
「奇遇だな。俺も嫌いなんだよ」
グレイは片頬を吊り上げてあくどい顔をして同調した。
「……昔はそうではなかったんだがな。それで予算は」
男はグレイをまねるように片頬を少し上げた。しかし、誰かに聞かせるわけでもない小さなため息混じりの言葉を洩らすと、重い腰を上げたかのようにやっとグレイに尋ねた。
「予算? 銀貨二枚とちょっと──っと」
グレイが端数を答えきる前に「冷やかしなら、よそでやれ!」とナイフが飛んできた。それはグレイの横を通り過ぎた後方の扉に向けられた脅しのためのものであったはずだったのだが、グレイはそれを難なく掴んだ。そのことに武器屋の男は瞼の重たさを感じさせない速さで眼を見開いた。
「このナイフもいい感じだな」
グレイはナイフを嘗めるように眺める。投げられたナイフは装飾のない見た目は普遍的なナイフであったが、刃が細く美しく、剣身はグレイを淡く反射させるほどであった。口をだらしなく開いたままの男が二の句を継がないためグレイがナイフを見ながら話す。
「冷やかしじゃねぇよ。今は盗まれて金を持ってねぇだけだ。直に大金が手に入る。多分な」
「金を盗まれた無一文が、直に大金が入るからって武具を物色しに来るなんて良い想像なんて出来ねぇな。帰りな。次は当てるぞ」
グレイの聞きようによっては容易く誤解を招いてしまう言葉にまんまと招かれてしまい、男は新しいナイフを武骨な手で構える。
「なに勘違いしてるかよくわからねぇけど。俺変なこと言ったか?」
グレイの考える大金はギルドに行けば、自身の持っている魔石が交換出来て大金になるかもしれない。というものであるがそのことが相手に伝わっていないことをグレイはわからずにいた。
「言っただろ、直に大金が手に入るって。時々いるんだ、悪事に使った武器が何らかの理由で壊れたときの替えに目星をつけておくイカレタ野郎が」
わざと呆けた演技をしていると思い、なかなかその態度を変えないグレイにしびれを切らし、グレイの眼をしっかりとにらみながら声を荒げ、堰を切ったかのように口早に喋った。
「え、なんだそれ」
「……っとにかく、剣が欲しいなら最低、大銀貨を一枚でも持ってきてから来い。それなら安い剣が買える」
グレイはあまりに不思議そうな顔をしているので、男はそこで自身の考えすぎであったことに気が付いた。男は一つ空気を換える、ごまかすような咳をした。
「わかった。今日はとりあえず帰るわ。今度は金を持ってくるからこの剣売るなよ」
グレイは次回の来店する旨を伝え、おとなしく帰って行こうとしたが「おいっ」と男に呼び止められた。
「なんだ? じっくり武具でも見してくれんのか?」
グレイは振りむき男に尋ねるが、男は何か言いづらそうにしていた。何度か口を開き話すのに挑戦したあと、ゴツゴツとした指をグレイの手元にやおら動かし、グレイが手元に顔を動かし訳が分かったタイミングで男がやっと言葉を発した。
「……ナイフを置いてから出てってくれ」