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顔色を伺う子 親心知らず

 背中に感じるとても軽いものは依然として眠ったまま。寝息が穏やかで、草原にでも眠っているかのように気持ちよさそうであった。


 グレイはメアリーの寝てしまった経緯を思い返した。


 「百本もですか?」


 聞き間違えかのように聞き返したメアリーの伺う表情に笑顔のままグレイは顔を向けた。


 顔を青ざめたメアリーは、今まで息も絶え絶えで意識することのなかった自身の歩いてきた道筋を恐々とゆっくりと足元から顔を上げて追う。


 それは、本当に自身が通ったのかと思うほど長い長い距離であった。門番などの姿はもう見えず、あの大きかった城壁が小さく見えた。しかし、それと同時に絶望感と疲労感がメアリーの身体を嬲る。頑張った自身が恨めしく思いもしたが、本数が増えるだけで距離が変わることがない事をすぐに理解し、自信を褒めたい気持ちになった。


「最初の目標がな。時間はねぇからそれさえも無理かもしれねぇがな」


 グレイはメアリーにさらに絶望を与え、コップが空になっていること気付き、魔法巾着で水を淹れなおした。これはシルバーズが水の飲めない時、場所の時に積極的使うようにと湧き水から大量に仕込んだ水が入っていた。


メアリーは「ありがとうございます」と言って急いで水を呷ると、突然吐き出した。眼を見開き、グレイの方を向いて。それはふんわりと霧状に吐き出され、グレイの顔面に命中する。


「っそ──ゲェホッ、ゲェホッ」


「おい」


 何かを喋ろうとして、気管支に口内に残っていた水が入ってしまったのか、咳き込む。グレイは顔面を拭い、声を掛ける。それは酷く平坦な声でメアリーは顔を向けたくなくて少し収まった席をわざと数回増やす。しかし、それでも聞こえる。「おい」との呼ぶ声にゆっくりとかぶりを上げた。


「すみません」


 そしてすぐに顔を下げた。それはグレイの表情が蝋で塗り固められたかのように、不気味な笑みの状態で止まっていたからであった。これは趣味の悪い貴族で購入を控えたいと思いそうなマスクのようであった。


「何に驚いてんだよ。そんなに元気ならまだ走るか?」


 メアリーは顔が外れるほどに首を振ると、急に顔を持ち上げた。


「あの! それって魔法鞄(マジックバック)ですよね! 私、初めて見ました! その、驚きのあまり噴き出してしまいました。すみません」


「魔法鞄? ちげぇよ魔法巾着だぜ」


「その、ひとまとめにした総称ですよ。すごいですね。グレイさんは貴族と縁故の関係なのでしょうか。そのつてでシルバーズ様の弟子になられたとか、……そうなのでしたら今までのご無礼をお許しください!」


 急にかしこまり、頭を地へと埋めこまんばかりに頭を下げた。


「そんなんじゃねぇよ。貴族なんかとはなんも関係ねぇし、ジジィの弟子になったのも偶然だ。気を使う必要なんかねぇ。……なんで俺が貴族と関りがあると思ったんだ?」


「それは簡単なことですよ。魔法鞄を持っているのはこの国ではランクの高い冒険者か、貴族の人間しかいなんです。それにあのシルバーズ様の弟子になる方となると身分があってもおかしくはないかと思ったんです」


 疑問をグレイが訪ねるとメアリーはほっと一安心したように楽な姿勢に座り直し話をし始めた。グレイは手に持った魔法巾着を揺らし話を聞いていた。ふとメアリーの視線が魔法巾着につられていることに気付くと「あげねぇよ」と腰に付けなおす。


「そんな、恐れ多いですよ。でも、あのよろしければもう一杯水お代わりもらえますか?」


「今度は噴き出すんじゃねぇぞ」


 メアリーは頷き、グレイが注ぐとほとんど一息で飲み干し「もう一杯ゆっくりと注いでもらえますか?」と注文付きで要求した。


「頑張れば魔法だって教えてやるよ」


「魔法ですか! 嬉しいです」


 グレイは注ぎながら調子に乗って気前よく言った鼓舞するための魔法という言葉にメアリーは喜んだが、グレイの想像をはるかに下回る喜びであった。


「なんだよ、もっと驚くかと思ったによ。魔法だぜ、魔法学校とは家に受け継がれる」


「……えっと、何か勘違いをしていませんか? 魔法はもちろん珍しいものですが、私魔法つかいを見たことありますよ」


「は?」


 グレイは聴き間違えたかのように聞き返す。


「その、魔法学校っていうのは多分王都の学院のことだと思うんですが、その卒院生に魔法を教えてもらった冒険者が数年で魔法を使うことが出来たそうです。なので、魔法を使っている人は昔よりもだいぶ増えてきたと思います。それでも人数は多くありません。その、適性がなければ何年やっても芽が出ないそうだという話を聞いたことがあります。その、間違っていたらすみません」


「まじかよ。ジジィの情報は昔の情報かよ。わかった、じゃあ大丈夫だな」


 特別感に浸っていたグレイはそれが特別ではないことに落胆し、拗ねたように魔法を教えるのを辞めようとした。


「いえ、いえ。そんなことはありません!」


 慌てたように首を振って否定をするメアリーは言葉を続ける。


「私は強くなりたいんです。そのためには魔法の習得ができることなら、その、したいんです」


 色素の薄い瞳を輝かす。切実な言葉だった。グレイはふと気になって尋ねる。


「その話を知っているってことは、魔法を覚えた冒険者が店に来たってことじゃないのか? それだったら、そいつに弟子入りすればよかったんじゃねぇのか?」


 メアリーは瞳に陰の色が混ざり、グレイの視線から逃れるかのように視線を落とした。


「……それは、その」


 口ごもるその口から発せられたのは、意味を持たない不明瞭な音。グレイは何も言わずに次の句を待つ。


「……両親にはまだ話していないんです。私が強くなりたいことを。夢のことも。正確に言うのを辞めていたというんですか」


 吶吶と話し始めた。


「昔それとなく話したことがあったんです。数年も前のことなんですけど。私、強くなるなら冒険者になるのが一番近道だと考えていたんです。だからそのことを両親に伝えたんです。そしたら、反応が芳しくないというかなんというか、その、両親にとっては晴天の霹靂だったと思うんです。ここまま店を継いでくれると考えてくれていたんだと思います。だから、この話をすることが申し訳なくなってしまって、それから、強くなることを諦めていたんですよね」


「いつも私が常連の冒険者さんと仲良く話しているとひどく心配したような顔をするんですよ。だから、私は弟子入りなんて持ってのほかなんですよ」


「だけど、俺には頼んだんだな」


「冒険者はたくさんいますけど、剣神の弟子の弟子はこの広い世界で一生に会えるか会えないかの人ですから、この時を逃してしまったら後はないと。グレイさんがシルバーズ様の弟子だと明言された夜から私の頭はいっぱいでした。ですが、踏ん切りがつかず、決めたんです。次の日に会うことがなければ諦めると心の中に」


「で、次の日に俺がいたわけか」


 メアリーは小さくうなずく。


「で、話すのかよ。このこと」


「……まだ、話しません。私が強くなったと思ったら話そうと思います。……どうですか?」


「どうですかって、知らねぇよ。俺にはかんけぇねぇし。おめぇがそれでいいと思ったんならそれでいいじゃねぇか。強くなるかはおめぇ次第だけどな」


 心配そうに見上げたメアリーの言葉を一蹴し、笑いの含んだ語調で締めくくった。


 メアリーは瞳を明るくさせ、気合を入れるかのように四杯目を飲んだ。しかし四杯目を飲み切るのに一杯目と比べると三倍以上の時間を要し大変苦痛そうであったためグレイは、もういいかと魔法巾着を腰に付ける、しかしメアリーが空のコップを突き出し


「もう……一杯ください」


と口元を抑え、さらに水を要求した。


「もう十分だろ。無理して飲んだってつらいだけだろ」


「ウップッ、魔法鞄で水を注いでもらう機会も、こんなにおいしい水を飲む機会も今後ないと思いまして」


 平民ではなかなかみられることのない魔法鞄にメアリーの知的探求心が刺激され、限界を超えるまで飲んだ水。空っぽの胃をいきなり埋め尽くそうと猛威を振るった冷や水は気を抜くと食道を逆に登ってきてしまうところまで来ていた。


「だからと言ってそんなに沢山飲んだら──」


「すみません。もう限界です」


 グレイの言葉を遮る悲痛な叫びはとても小さな声の敗北宣言であった。


 グレイはその後、修行の続行を諦め、精神的にも肉体的にも疲れているメアリーをグレイが抱えて戻ることとなり、そんなことを思い出していると『ワイバーンの泊まり木』についた。軽く揺すっても起きないメアリーを起こすのを諦め、酒屋に入ろうと扉に手をかけると中からルルらしき少女の泣いている声が聞こえた。


「おねえちゃんがい゛なーい」


 伺うようにやおら中へ入ると、ピタリと泣き声が止んだ。酒屋の中は絵画のようにおじさん、ラミィ、ルルがそのまま止まっていた。ラミィは泣きはらした目にチビを片手に繋ぐように持って、その両側に宥めていたのかおじさんとラミィがこちらに顔を向けていた。


 ルルは赤くなった瞳を見開き何も提げていない腕をグレイの方に指し示し叫んだ。


「い゛たーー!」


 ルルは両親の間を抜けてこちらに来ると、小さな拳を振り上げる。ポカポカと音が鳴るほどの力弱い攻撃だった。


「おねぇちゃんをつれてくな!」


「は?」


 グレイは意味が分からず、チビに視線を送るが。かえって来るのは半眼に開かれた冷めた瞳。それはどこは批判を帯びている。


 チビは置いて行かれたことを怒っていた。しかし、鳴くことはできないため、ルルに殴られていることをいい気味だと思っていたのだった。


「ちげぇ──」


「何が違うか、私にも聞かせて欲しいな」


 チビに弁明をしようとすると遮るようにおじさんが割り込んできた。ルルを後ろに下げ、笑顔で近づいてくるが、眼が笑っていない。どうにかしてくれと救いを求めるようにラミィに視線を向けると


「私は知らないよ。年頃の女と男だ。何が起こったって不思議じゃないさ」


 関わらないと両手を上げて示し、余計な言葉を残す。それでも実際のところがどうなのか親として気になるのだろう。グレイの言葉を興味深そうに待っていた。


 おじさんは「え? 言えないことでもしたのかい?」とか「どうして二人でこんな時間にいて、それとなぜ眠っているメアリーを坊主が背負っているんだい?」などと威嚇のつもりなのかグレイをなめるように眺めながら言った。


 グレイは閉口したまま悩んだ。メアリーがまだ話さないといっていたため修行のことを話すわけにはいかなかった。そのグレイの悩んでいる様子を肯定と受け取ったのか、おじさんはわなわなと震え始めた。眼を潤ませ、たたらを踏んで後退しカウンターに腰を打ち、椅子に座った。


「嘘だ、冗談だろ」


 早合点した妄想が脳に襲い掛かってくるのか、首を振って振り払おうとしていた。もうグレイの眼は見ていなかった。


「これは気にしないでいい。それに無理に話す必要はない、メアリーがあんたに無理をいったんだろ。大方冒険者になるための方法とか、一緒に冒険者になろうだとかを」


「……」


 グレイは驚き、ごまかすように視線を彷徨わせるがラミィは豪快に笑って手を横に振った。


「いいよ、いいよごまかさなくて。坊主が言わなくても知ってたからね。けど娘がもう一度話してくるまで、私は知らないフリをして待つさ。一度目は驚いてしまったら、話すのを辞めてしまってね。それからさ、話をしなくなったのは」


 グレイは大きなテーブルの上にメアリーを置いた。


「……嫌なんじゃねぇのかよ、その冒険者になられんの」


「それは……嫌だね。ここに最も慣れ親しんで安全な酒屋の仕事だってあるし、ほかにも沢山の仕事が存在するのになぜ命の危険がある冒険者になるのか、私にはわからない」


 首を振り、片眉を下げる。


「けどね、それを私が否定をして良いわけじゃない。それに本当になりたかったら、親の顔色なんか見てないでさっさとなっているさ」


「もしかして、わかってやってんだな」


「さぁ、なんのことだかわかんないね。さっ、仕事だ。どうせ、メアリーは今日使い物にならないだろうから、二倍働いてもらうよ」


 ラミィは机の上で寝ているメアリーと、その隣にわざわざ登り寝てまったルルを1人ずつ部屋に運び、おじさんを正気にさせ、グレイに何かを言う前に厨房へと押し込んだ。


 その日、グレイは1人でホールを回ることとなった。奥の端っこの席にフードを被った男がひとり座った。前日泊まっていた筈の男は朝何故か大通りから入ってきた。そして、小さな声で1人何かを呟いているのであった。

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