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エールを飲んでも飲まれるな

「どれもうめぇな」


喧騒に消えゆくほどにグレイは呟く。


 街の宙に垂れ揺れる提灯が放つ、ぼんやりとした温かい光が暮夜を照らした。地面を這う淡い影は歩くたびにほかの者の影に混じり、屋台の影に混じり、どの影が自分の影の輪郭なのかがわからなくなってしまうほどに不確かなものであった。


「キュ!」


 短く小さな鳴き声はこれまた喧喧とした楽しそうな声にかき消される。が、グレイとチビには十分聞こえる声量であった。


チビはグレイの顔の出ている隙間から顔を出した。グレイは素早く、自身の手に持った串焼きをチビの口に近づける。チビはパクッとできるだけ多くの肉を口に含むと再びグレイのお腹へとしがみ付いた。


グレイの左手には棒だけになった串が何本も纏めて握られており、もう片方の手にはまだ三本とチビに食べられた一本が残っていた。


「次はどうしようか」


 グレイは左手に残された串を設置されていた箱に投げ捨てる。


 あたりに広がるかぐわしい香りは混ざり合い、グレイの視線は匂いの出現場所の見分けに忙しなく動いていた。あるところからは「うちのドライフルーツは最高だよ!」と聞こえてきたりまたある所からは「うちのポタージュは温かくて美味しいよ」などと聞こえてきた。


 グレイは急いで駆け寄り、魔法巾着から何度も出し入れしているうちに面倒だと思ったグレイは取り出しやすいようにお金だけを移し替えた普通の巾着からお金を差し出した。


 両方とも買ったグレイはフードを目深にかぶり、チビとともに食べながら進んでいった。


「よ、兄ちゃん、それうまそうだね。どうだい喉なんか渇きはしないかい?」


 突然グレイに無精ひげを頬まで薄く蓄えた体格のいいおじさんが話しかけてきた。グレイはそういわれると先ほどポタージュを飲んだにも関わらず、肉のタレが未だに喉を支配しているように感じられ喉がとても飲み物を欲しているように感じられた。


「何を売ってるんだ?」


「なんだ、兄ちゃんわからないのか。エールだよ、エール。串を頬ばって食った後にこのエールでキュッと肉の油を流し込むと最高な気分になるんだ。どうだい一杯飲んでかないか?」


「じゃあ、二つくれ」


 エール売りのおじさんは毎度! と笑顔を浮かべると背後の大きな樽に木で作られたジョッキを突っ込み並々に入ったエールを差し出した。グレイは値段を聞きお金を払った。値段は二杯で大銅貨八枚であった。


 グレイは初めて嗅ぐエールの匂いに鼻を近づかせ、不味いものではないかと確認がされたが、初めての匂いでグレイはこれがどんな味であるか測りかねていた。


 舌をジョッキに突っ込んだ。シュワシュワとする異常な刺激を感じてグレイはパッと舌を引っ込めた。


「おいおい、兄ちゃん。炭酸は初めてなのか?」


「炭酸?」


 グレイが飲みあぐねているのを最初から見ていたエール売りのおじさんはグレイの驚きの反応を見てたまらず声をかけた。


「初めてか、そっか兄ちゃん十五になったばっかだったんだな。さっきエールを飲んだ時舌が何かにチクチクされただろ。それがエールの炭酸なんだ。気になるんだったらもう少し飲むのを待つといい、炭酸が無くなるよ」


「おいおい、なんだよ~。成人してやがんのにエールも飲めねぇのかよ~」


「なんだったら飲めるんだ? 井戸の水か~? ポタージュか~? それとも牛竜の乳か~?」


 エール売りのおじさんの言葉に屋台の隅でたむろして飲んでいたおじさんたちが耳ざとくヤジを飛ばし、それに下卑た笑い声が合わさる。


真っ赤に染まった頬にだらしなくゆがんだ口端を大きくゆっくりと動かし、辺りの喧騒に張り合うような声量で話すおじさんたちをエール売りのおじさんは宥める。


「やめてくれよ、店先でほかの客にちょっかいを出すのは。君も気にすることはないよ、って。ええ?!!」


 グレイの方に向き直ったエール売りのおじさんは口を大きくあけ放ち、驚いた。それはグレイがジョッキに口をつけて真っ逆さまにじジョッキを傾ける、否、ひっくり返してエールを呷っていたからであった。


「おい! 兄ちゃん。大丈夫か?」


「ふぅー、大丈夫に決まってんだろ。どうだ、テメェらみたか。こんなの簡単に飲めるぜ」


 屋台から身を乗り出すほど心配してくれるエール売りのおじさんにグレイは木のジョッキを屋台に音を鳴らすほど打ち付けて置き、その手を前に出し、動きを止める。そして、ヤジを飛ばした集団に向けて指を差し、自慢げに鼻を鳴らす。


「……おお!!」


「見直したぞ~、坊主~」


「これからの未来も明るいな」


 しばしおじさんたちの動きが止まったが、動き出した途端感嘆の声を上げる。そしてぞろぞろとグレイに近づき、ローブの被っているグレイのフードの上から乱暴に撫でる。


「おい! 坊主その飲みっぷりは見ていて気分がいい。ガハハハッ、どうだ、俺たちとほかの店を一緒に回らねぇか? いいだろ? よし行くぞ」


「よし、未来を担う骨のある男を俺たちで祝おうぜ!」


「今日はお祭りだ~! 一緒に仲良く祝お~う!」


「ちょっ、テメェら。離せよ! おい、じいさん。こいつらをどうにかしろよ」


ガッシリと両側の肩をおじさんたちに組まれたグレイはゆっくりとそして力強い誘導のもとどこかへ運ばれそうであったため、エール売りのおじさんに救いを求めた。が、微苦笑を浮かべてかぶりを微かに揺らし、諦めろとグレイには示唆を与えるだけで、おじさんたちの方には「あんまり無理に飲ませるなよ」と言って止めることはしなかった。


「やめろよ、くっつくなよ!どこ行くつもりだよ」


グレイは苦言を呈するが、癇癪を起こす子供を宥める大人のように周りのおじさんたちは


「まぁまぁ~」


「いいから~、いいから~」


などと言うだけでグレイの問いに答えようとしない。グレイは不貞腐れ、自身の足で歩く事を辞めて抗議の意を唱えても、おじさんたちは肩を組んだまま引きずるように運んでいった。


〆〆〆〆


「ぷはーー、うめぇ! 最高だ!」


「そうだろ~坊主~! ここのエールは最高だろ~! よしっ、次は何を食おうか」


グレイは見事に酔っ払っていた。一気飲みのエールが徐々に回って完全に回ったのか、微かな頬の赤みから周りのおじさんたちと遜色ないくらいに見事に染まった紅の顔が耳までも侵食していた。


グレイはもう何杯飲んだか見当がつかないでいるほど多くのエールを飲み歩いていた。


 グレイの見る世界は縦横無尽に動き回り、さらに世界が何重にも重なって見えて、視界のジョッキは波紋のように何重も広がる。そして、揺れる視界の中、再び一つに重なる。そんな視界にも関わらずグレイは不思議と愉快な気持ちであった。


「肉だー! 肉、肉。串焼きだ」


「よっしゃ~! 最後はとっておきの店で飲もうぜ~!!」


「おめぇら行くぞ~!」


 なぜかグレイが周りのおじさんたちをまとめ上げ、各々気の抜けた返事を返す。加減の狂った力でジョッキを置き。肩を組みながらあるものは笑い、あるものは歌いだした。


グレイのローブからチビはその様子を呆れたように眺めていた。ちょこんと出ているチビの顔をみて酩酊しているおじさんたちは一瞬だけ驚くが、勝手に最新の玩具だと勘違して何も言わない。チビは自分の存在がバレていないと思っているため動じることはなかった。


「ってぇな」


「うっ」


グレイの真正面を走るようにぶつかってきた少年は、壁にぶつかった人のように跳ね返って転んだ。


グレイは愉快な気持ちに水が差された様に感じて倒れた少年を目を眇め見下ろす。慈悲などない冷たい目をしていた。少年は薄汚れたボロ切れを着ており、年はグレイと同じくらいであった。燻んだ茶髪がスラムの人間である事を示している様であった。茶色い瞳は驚きで見開かれ綺麗に円形の虹彩が見えた。


「テメェなにぶつかって来たんだよ、あぁ? やるか? おい。俺と戦うか?」


メンチを切り、ずいずいと剣呑な雰囲気を纏ったグレイが少年に近づいていく。これは酒のせいなのか、素面でもこの対応なのかわからないおじさん達は止めに入る……訳もなく囃し立てる様に野次を始めた。


「いいぞ〜、いいぞ〜! やれやれ! 坊主なら勝てるぜ」


「そうだ、やっちまえ〜!」


夜も更けて少なくなった周りの人は既に出来上がっている者が多く、おじさん達と同じように真っ赤な者達が引かれるように興味ありげに集まってきた。野次に加わる者も増え、ガヤガヤと雑音が舞い戻ってきていた。


「チッ」


少年はグレイを見上げて睨みを効かせると、人垣の間を縫うように抜けていった。


辺りの者の落胆のため息が吐かれると、真上に吊るされていた提灯の灯火が揺らいで、ふっと消えた。また少し、本来の夜に戻ったように暗くなった。

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