肉を噛み締める
鼻を刺激する香辛料の香りがあたりに漂い、グレイの腹の虫が騒ぐ。それと伴いグレイの背中からも腹の虫の可愛い音が聞こえる。チビの虫だ。背中に姿が見えないように張り付いたチビは町の景色が見えなくても匂いだけでもう楽しくて仕方がない様子で、バシバシと尻尾を揺らす。隣の門番が訝しげに不自然に揺れるローブを注視している。グレイはそんな目線には気付かずにそそくさと屋台への方に向かう。
「じいさん。それいくら?」
「お、さっき珍しく東門から入ってきた坊主だな。これはな、大銅貨二枚だ。うちのこの串焼きはほかの店の屋台とは比べものにならねぇほどおいしいぜ。一番初めにうちの店を選ぶなんて目がいいねぇ」
先ほどグレイが入ってきていた所を見ていたらしきじいさんは町に入ってすぐに自分の屋台を選んでくれたのがうれしかったのか、自分の屋台を自慢し始めた。すると、隣の屋台に同じく串焼きを売っていた男勝りな蓮っ葉な口調のお姉さんが口をはさんできた。
「やめときな、坊ちゃん。そんな安物のオークの肉を使っている串焼きなんて美味しくないよ。そんなものがこの都市の味だなんて思われたくはないからね。そんなものを食べる前にうちの串焼きを一番最初に食べてこの都市の本物の串焼きの味を堪能した方がいいよ」
「おい、てめぇ。うちの客にちょっかい出すんじゃねえ!」
じいさんは隣のお姉さんに怒鳴った。けれど、お姉さんはそんな威勢を怖がったリせず、涼しげに答え返す。その飄々たる様は憎らしさを感じさせるものであった、
「あら、悪いね。でもまだそちらの坊ちゃんは値段を聞いただけでそちらで買うとは一言も言ってないんじゃない。ね?」
「だとしても、てめぇのとこの串焼きよりこっちに串焼きの方が美味いんだじからこっちを買うに決まってんだろ。な?」
双方グレイに同意を求めてくる。ずいっと近づく顔にグレイは笑顔を向ける。眼前で展開された串屋の客の奪いあいにグレイは心地よさを感じていた。
王都ではグレイのことを客だと思って相手をしてくれるものなどいないにも等しく、異名が広がっていなくてもグレイの薄汚れた容姿を見れば誰もがいい顔をせずグレイのことを客だと思うこともないだろう。そんな自分がこの二人にとって客なのだと思われていることの驚きと興奮をグレイの心臓のあたりを駆け巡り、拍動がリズムよくその感情を身体に送った。
格好のおかげかと視線を下ろすとくすんだ灰色のローブの裾がチビの尻尾によって常時、はためいていた。色は違うが格好は昔と相違ない。……ただ汚れていないというだけだった。
「こんなんで俺は野犬ではなくなってしまうんだな」
小さく。それは小さく、この活気あふれる都市にはあまりにも似つかわしくのない寂寥の色を溶かし込んだ声で自嘲気に呟く。
「どうした坊主。体調が悪いんか?」
突然うつむき、動かなくなってしまったグレイにじいさんは声をかける。
「そうだよ、大丈夫? 突然うつむいたりして。もしかしてこのおっさんの顔が怖かったとか」
「んなわけ。俺の顔は怖くないわ!」
お姉さんもグレイを心配して声をかけ、そして冗談とも本気ともとれる声でじいさんを指し示す。そうだよね? と同意まで求めてくる。じいさんはお姉さんにわざとらしい笑みを固めて見せ、詰め寄りながら否定しする。怖っとお姉さんは下がる。
「いや、何でもねぇ」
グレイは首を振り、顔を上げる。
「そうか、それならいいんだが。で、どっちを選ぶよ」
これが、早く聞きたかったのだというように再び近づく顔達。手には先ほどまで遠赤外線で加熱され内部にうまみが閉じ込められている串焼きがテカテカと輝いていた。
グレイはニヤリと笑い、魔法巾着から少し手こずりながらも取り出して言った。
「二本ずつ売ってくれ」と。
屋台の明かりに輝く銀色の硬貨をグレイは掲げる。グレイは自分の稼いでいるお金ではないが自分が銀貨で支払いをしているのはすごく誇らしい気持ちになる。鼻高々である。
「毎度あり」
両者、満面の笑みを浮かべて、威勢の良い返事を返した。そして串を二本ずつ差し出す。グレイは慣れたように片手で四本とも受け取り、銀貨を差し出すと大銅貨二枚のお釣りを受け取る。グレイは手間取りながら魔法巾着にお釣りをしまう。
背中にしがみついているチビはグレイを急かすように尻尾で激しく叩く。
グレイはさっさと路地にでも行って食べに行こうと思い身を翻してこの場を離れようとするが、後ろからあっ、と引き留めるような声がした。
「なんだよ」
グレイは振り返ってみるとこちらをもの惜しそうに両者が見ていた。グレイは眉を顰めて尋ねた。
「いや、そのな」
「どっちから食べるのかが気になっててね」
じいさんが口をもごもごとさせていると、お姉さんがすぐに話した。グレイに心底どうでもよさそうに両者の顔を眺める。両者、自分の焼いた串を眺め、その串が自分のだと、自分の串を先に食べてくれと視線で送ってきていた。グレイはしばし串と両者の顔見比べた。グレイの背を催促の攻撃が痛めつける。
グレイは何かを思いつき、大きく口を開けた。そして全部の串の一番上の部分だけを同時に口に含んだ。二人は目を見開いて驚き、声をあげない。
口の中に広がる肉はシルバーズのところでは食べたことのない濃厚な味付けなタレであり、嚙み締める度にあふれる肉汁がタレと混ざり、口の中を串焼きという存在だけで埋め尽くす。
「うめぇーー!!」
グレイは腹の底から声を出す。周りの人間は驚いたように一瞬だけ目をやるがすぐに外す。二人もグレイの声に肩を跳ね上げったが、すぐに表情を破顔一笑させて深くうなずいた。
「嬉しいねぇ。こんなにも喜んで食べてくれるなんて」
「そうだね。こんなにいい顔をしてくれる客いつぶりだったか。どっちからなんてどうでもいいことだったな」
目を濡らし、二人は喜びを分かち合うように言葉を交わした。
「これ、めっちゃうめぇな!!」
グレイは惜しみながら肉を飲み込んだ後に素直な感想を伝えた。次の一口へと入れようとした瞬間背中に衝撃が走る。先に肉を食べてしまうという行為はチビの怒りの琴線に触れたらしく、その小さな顎が背中の肉を嚙み締める。
「あ゛ぁ゛!」
グレイは思わず仰け反り、心配そうに声をかける二人のもとを無言で立ち去った。屋台の並ぶ道から脇道にそれて、奥深くに入っていく。袋小路にたどり着き串を魔法巾着にしまい、後方を確認し、誰もいないとわかるとグレイはローブを脱ぎ捨て、背中に未だにかみついているチビを引っ張り剥がし、空高くに投げ飛ばす。勢いよく飛んで行ったチビは滑空するように旋回しながらゆっくりと降りてきた。
「おい、あと少しで路地裏入るつもりだっただろ。後少しだっだんだから、ちょっとぐれぇ我慢しろよ」
しゃがみ込み、目線を合わせる。
「キュ~ア」
チビは首を大げさに振り、そんな感じはしなかったと否定しているようであった。
「めんどくせぇな。ちゃんと串焼きやるからこれからはもう二度とするんじゃねぇぞ」
「キュア!」
片腕を持ち上げ、同意をした。グレイは契約成立だと納得をして、魔法巾着から串を取り出しチビに分ける。
「このタレがうめぇよな」
「キュア、キュア」
グレイの言葉に、口の周りをべとべと汚しながら食べるチビは嬉しそうに鳴く。
「でも、やっぱ。ドラゴンの肉の方が一番うめぇかもな」
そう、食べながらしみじみとつぶやく。
「これ食い終わったら、また違う店のもん食べようぜ」
「キュ!!」
まだ、食べているチビに声をかけ、ふと空を見上げる。チビを投げた時には気付かなかったが、少しばかり空が遠くなったような気がグレイにはしていた。