4.修行
グレイは疾走している。
ログハウスを囲んでいた森の中を全力で走っている。呼気は疾うに乱れ、滂沱に流れている汗の量から長い時間走っていた事が予想出来る。
「ほらっ、走るスピードが遅くなったぞ。もう少しスピードを上げないと危ないのじゃ」
シルバーズの声が聞こえる。グレイは声のする上の方へと顔を向けた。シルバーズは木の枝から枝へと跳躍しながらグレイと並走していた。
顔色を変えず平然と言い放つシルバーズを忌々しげに睨みながらスピードを上げる。
背後を振り返る余裕などもう無いが、走り続ける理由は背後に存在した。
白い痩躯に、口吻からダラシなく垂れでた舌。滴る涎。獲物として此方を見据えている眼光。山犬と呼ばれている魔物だった。
山犬は約三匹から五匹で群を成し、生活をする性質を持っていた。
そんな魔物に、どうしてグレイが山の中で山犬に追いかけられなければならない状況にあるのか、遡る事数時間前。鱈腹飯を食べたグレイがいとしのベッドで就寝し、目覚める時まで遡る。
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グレイは頬を撫ぜる冷えた風を感じ目覚めた。目惚け眼を擦り、あたりを見渡す。
まず視界に入ったものは乱立した木であった。どの木も大きく、上を見上げなければ葉が見えない程だ。
その葉の隙間を縫って通った木漏れ日が風で冷えた身体を仄かに暖める。
「おはようさんじゃ。やっと起きたのう。このまま日が暮れるかと思ったわい」
唐突に背後から話しかけられ、ビクッと身体が跳ね上がった。
「なんだよっ!!ジジイ。なんでこんな森の中に連れて来てんだ。起きたら森って初めてだわ!!」
「そんなに喜んでくれるとは思わなかったのう。サプライズのしがいがあるのう」
「いや!! 喜んでねぇ!!」
グレイが突っ込むとシルバーズは、ホッホッホっと笑い話を続ける。
「まぁ、冗談はさておき。今日、朝から森にベッドごと連れて来たのは修行を始めようと思ったからじゃ」
「修行? 修行って何をするんだ?」
グレイはベッドから立ち上がり。丁寧にベッド脇に置いてある服に着替え始めた。靴は地面に置いてあったのを履いた。
「今からこの森から家まで帰る。という修行じゃ。」
其処にグレイは100人いたら100人が気になったであろう当然の質問をする
「その修行にベッドを森へ持って来る必要はあるんか?」
「無い」
「無いんかい!!」
あっけらかんと答えるシルバーズにグレイはツッコむ。意外にツッコむ事が好きなのかも知れない。
「今回は初めてじゃから儂も一緒に家に向かおう」
シルバーズがそういうと、グレイは鼻で笑い。
「家に帰る、たったそれだけの事だろ。そんなの簡単だろ。ジジイは先に帰って先に飯でも食って待ってろよ」
こう言った。するとシルバーズが笑顔で話す。
「グレイよ。簡単に出来るものを修行にするとでも思っているのかのう。まぁ、そのうちに嫌でも分かってくるじゃろうがな」
こっちじゃ、とシルバーズは進んで行った。グレイはその背後を付いて行った。
シルバーズは平地を歩く様にささっと進んで行くが、グレイは乱立している木を避け、盛り上がっている木の根に足を引っ掛けない様に注意しながら歩いているため、通常の徒歩とは遅い速度になってしまい。時間が経つにつれ差が開いていく。
しかし、それだけ。たった少しずつ差が開く。それだけの事だと思い。気を緩ませていた。
「おっ、居たのう。居たのう」
シルバーズは何かを発見したらしく、グレイを呼んだ。
シルバーズの視線の先には白い体毛を持った70センチくらいの山犬が一匹いた。木の幹の下の洞穴で前脚を枕にし、寝ていた。
すると、シルバーズは木の幹へと小さな石をドンっと森に鳴り響く様な強さで投げた。
当たり前だが、大きな音で目覚めた山犬は此方と視線が合い。低い唸り声をあげた。
「何してんだよ、ジジイ!!?」
シルバーズ の突然の奇行にグレイはシルバーズへと詰め寄る。
「今からこの山犬と闘うかそれとも闘わずに家に向かうかどっちか選んでも良いぞ」
シルバーズが2つ選択肢を出すと。グレイは山犬の前に立ち。
「闘うに決まってんだろ。やってやんよ。修行ってやつを」
グレイは直ぐさま走り、唸り声をあげている山犬の口吻に体重の乗せた愚直な、それでいてご自慢の蹴りを放つ。右下から左上へと蹴り上げた蹴りは鈍い音が鳴り、白い山犬は飛んで行った。
空中で舞っている間に体制を整え、綺麗な着地を見せた。
山犬の身体は見た限り無傷で、少し痛がる様に口吻を舌でペロッと舐めた。
グレイは奥歯を噛み締めた。今持てる最大の蹴りをほぼ無傷で受け止められた事に。ゴブリンを何匹か殺し、魔物に対してのちょっとした謎の自信が簡単にへし折られた。
よしっ、と呟き。身を翻した。勝てない相手には挑まない。これはスラムでは鉄則であった。死んだら元も子もないのだから。
グレイはログハウスへの方角へと駆けて行った。やられっぱなしが気に食わないのか山犬がそれに追随しした。
「野犬が山犬に追われているなんて、まるで犬の鬼ごっこじゃな。ホッホッホ」
愉快そうに笑いながら、木の枝から枝へと跳躍していくのだった。
それから数刻。ただひたすらに走り。話は冒頭へと戻る。
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乱立している木の隙間から、開けた場所があるのが見えた。それはログハウスの玄関を開けて直ぐ、眼前に広がった草原だろうと推察しグレイの走りに力が増す。
力んだからだろうか、それとも疲れからだろうか、上がり切っていなかった足が太い木の根に引っかかり勢いよく身を空へ投げた。
その瞬間、山犬が待ってましたと言わんばかりに飛び上がりその鋭い爪牙をグレイに突き刺そうとした。
グレイは目を瞑った。これからくる痛みに耐える為だ。痛みには耐性があるため、よっぽど耐えられる自信があった。だが、予想していた痛みは来ず。そのまま地面にぶつかった。衝撃を受け流す為に、転がった。その為か、然程痛みを感じず。草原の上に仰向けになった。疲れた身体が酸素を欲するため、呼吸を繰り返した。
山犬はいつの間にか居なくなっており、グレイはシルバーズの方へと顔を向けた。すると、シルバーズはニコッと微笑み。
「合格じゃ」
そう言う。何が合格なのかわからないが、未だに足りぬと訴えかけてくる、酸素を補充するための呼吸を辞める事が出来ず。ただ、話を聞く事にした。
「まず、1つ目目、倒せぬとわかり直ぐ、無理せず逃走した事。そして2つ目、あの距離を走り切った体力。良くやったぞ。じゃが、1つ最後、あの状況での判断は減点じゃ、何故だかわかるかの?」
「油断して木の根に引っ掛かった事かよ」
荒い呼吸のままグレイは自己分析し、答える。
「勿論、油断するのは良くない事じゃが、それでは無く目を瞑った事じゃ、攻撃がくるとわかっておったのに防御をあきらめたその判断。その事だけが減点じゃ、じゃがそれを差し引いても及第点じゃがの」
シルバーズはグレイにポーションを渡しながら言う。
「十何年も何十年も修行をしなければならないと思っておったが、なかなか骨がある様な奴じゃから。これからはちょっとずつハードにしていこうかの」
誰にも聞こえない声で呟いたシルバーズはグレイに残りの予定伝える。
「今日は初日じゃ、最初から飛ばしてしまうと身体が持たなくなってしまうやもしれん。だから、今日、これからの時間は自由時間じゃ。寝るのも良し、ご飯を食べるのも良し、そう言う事で。今日の修行はおしまいじゃ」
そうシルバーズはいうと家まで戻っていった。グレイは朝から何も食べて居ないお腹を摩り、昨日の余ったお肉を食べようと考えるのだった。