鬼ごっこ
「今日の修行は鬼ごっこをしようかの」
朝食を済ませ、草原に集合したグレイ達は師匠側と弟子側に分かれて向かい合ってシルバーズの話を聞いた。シルバーズの言ったよくわからない『鬼ごっこ』という言葉にグレイは欠伸で返事をする。打って変わってグレイの隣にいるエレナは目を見開いていた。
「バズ兄、俺が鬼をやってもいいか?」
「えっ、お父さんが?」
エレナは驚きの声をあげて表情を曇らせた。
シルバーズはエレナに一瞥やると腕を組み、物思いに耽って視線を青々と陽の光を反射している草原に落とした。
話の内容がよくわからずついていけていないグレイはシルバーズから貰った、昔からログハウスに置いてある深緑のローブを羽織り、自身が被っていないフードの部分にいるチビと戯れていた。
食事時にくすねた魔力草をチビにあげたり、チビがあまりに美味しそうに食べるのでグレイも美味しそうに見えて一口食べてみたりして顔を渋らせたり、声にならない呻き声をあげたりを繰り返していた。
「よし、本当なら儂が鬼を先にして手本を見せようと思っていたんじゃけど、先にレベンディスがやるのも良いかもしれんのう」
シルバーズはレベンディスとエレナに一瞥を送る。
「なぁ、その『鬼ごっこ』ってどんな修行なんだ? 鬼を誰がやるとかやらねぇとかよくわからねぇ話してるけどよ」
グレイの言葉にエレナは心底信じられない、といった様子の顔を浮かべた。
「あんた鬼ごっこも知らないのね、じゃあ、私が簡単に説明するわね。わからなかったらちゃんと質問をするのよ」
エレナは昨日の夜の会話でグレイの口の悪い言葉に悪気は含まれていないことを感じ取ったのか、口調を咎める事はなく、何も知らない弟に優しく説明をするような声音に変わっていた。
グレイはぶっきらぼうに「ああ」と言い、チビは「キュイ!」とグレイの肩に腕を乗せて顔を出した。その返答を聞くとエレナは言葉を続ける。
「まず、鬼を1人決めるの、人数が多かったら鬼を増やしたりするけど、今回は鬼1人よ」
エレナはシルバーズの顔を伺い、頷く姿を確認してから再度続けた。
「そして、残りの人は討伐者になるのよ。これもまた、人数が増えると変わってくるけど、今回は4人だけだから……そうね、5人だったわね。5人だけだから鬼と討伐者だけになるわ」
エレナの言う数に自分が入っていないことに気づいたチビは抗議の鳴き声をあげる。すると、エレナはくすみのない真紅の眼を細めて自嘲げに笑って訂正をした。
「鬼は核と呼ばれる物を身体につける。そして討伐者は鬼に自身の身体を触られないように核を破壊するか奪えば良いのよ。鬼の全部の核が破壊、又は奪われた場合討伐者の勝ち。鬼の全部の核が破壊、又は奪われる前に鬼が討伐者に触れることが出来れば鬼の勝ちよ。簡単に説明をしただけだけど理解した?」
「わかったような、わからんような気がするけど、要するに鬼を倒せばいいって事だな」
グレイは自身の答えを要約して答えた。曖昧な理解だと話していたグレイだが、答える時には自信が溢れ出ていた。
「あっている様に思えるんだけれども……まぁ、いいわ。間違っていたとしても実際に体験しながら理解をしていけば良いのだから」
曖昧模糊としたグレイの理解に一抹の不安を抱きつつエレナは説明を終えた事をシルバーズに伝えた。
「説明ご苦労様じゃった。して、先程エレナが説明した核と言うのはこれのことじゃ」
エレナとグレイの様子を微笑ましく眺めていたシルバーズはエレナに労いの言葉をかけてから、腰の布からグレイの見慣れた物を取り出した。
「魔石?」
「そうじゃ、魔石じゃよ。核はなんでも良いのじゃが、今回はこのゴブリンの魔石を使うのじゃ」
シルバーズは掌に収まる大きさの魔石を3つ取り出し、2つをエレナとグレイに手渡した。
硬質で微かに冷たさを感じる魔石は色が微かに淀んでいて、価値は幾分か下がるだろうと思われた。
「壊そうと思ったら簡単に壊せるしのう」
シルバーズはレベンディスの背中に魔石を巻きつけ、エレナとグレイから回収した魔石を腹部と右の手の甲に巻きつけた。
「これで良いじゃろう。儂ら討伐者は先に森へ入っておるで、レベンディスはこの砂が落ちきった時に鬼ごっこを始めてくれ」
シルバーズは腰の巾着から小さな砂時計を取り出しレベンディスに手渡した。砂と云うには余りに卑屈的で、金を散りばめた様な絢爛な砂時計であった。
「得物は木剣で良いじゃろう。では鬼を討伐出来るように頑張るとするかのう」
シルバーズはは木剣を腰に携え、1人森へと入っていった。瞬く間にその姿は見えなくなり気配すらも消え、グレイにはもうシルバーズが何処にいるのかわからなかった。
「じゃあ、私も先に行くわね。一番最初に捕まらないように頑張りなさいよ」
「俺が一番最初に捕まるわけがねぇだろ。むしろ俺が一番に筋肉魔力バカを倒してやるよ!」
エレナは森へと入る前にグレイに激励の言葉を掛けるとグレイから根拠の無い自信たっぷりの返事が返ってきて思わずエレナは苦笑した。
「お父さんは、あまり倒し過ぎない様にしてね」
「倒し過ぎない様にって何をだ?」
「すぐわかるわよ。ね、お父さん」
グレイは小首を傾げ、質問を投げかけるとエレナは含み笑いを浮かべてレベンディスに目配せをした。なんの事だかわかっている様子のレベンディスは大仰に笑い飛ばした、
エレナはいつのまに森の中に入っており、紅の髪が陰鬱とした緑葉の森の中に、すうっと溶けていった。
「ほんじゃ、俺も行ってくるわ。俺が一番魔石を奪ってやるぜ」
「グレイ君。ちょっと待って」
「なんだよ? チビを置いて行かなきゃならねぇのか?」
意気揚々と森へと踏み出した丁度その時にレベンディスに声をかけられ、首だけ振り返りチビを指差した。突然、自分の話になった事に驚き、あまつさえその内容が自分が修行に参加できないかもしれない事だと理解したチビはフードの端を握る力を強くして、首を振りきれんばかりに振った。
「いや、そういう話ではなくてね。鬼ごっこの最中とても面白い事を見せてあげるから楽しみにしていてねっていう、これだけの話なんだが、多分グレイ君にはまだ見せてなかったはずだからね」
チビは安堵して大きな息を吐いて、フードの中でとぐろを巻く様にねっ転がった。
グレイは小首を傾げて「面白いこと?」と洩らした。
「まぁ、面白いことならなんでも嬉しいからな。楽しみにしてるぜ」
グレイはレベンディスのエレナと良く似た含み笑いを眺めた後、大股で森へと入って行った。
数歩歩みを進めただけでグレイの視界は薄い黒い幕がかかったように暗くなり、木洩れ日だけが幻想的に燦然と輝いていた。
草原で見た森の陰鬱さは全て偽りで、森が異物の侵入を拒む為のものであったかのようであった。
「まずは隠れて、待ち伏せでもするか。魔法で遠くから魔石を壊せばすぐ終わるだろ。正攻法でやったってまだ俺の力じゃ手も足もでねぇだろうから、魔石なんか壊せねぇだろうし、それにあいつ、ぜってぇ俺が魔法を使えるなんて思ってねぇだろうからな、驚く顔が楽しみだな! 」
下卑た笑みを浮かべ、大きな幹にその身を隠した。自分の実力がわかっているからこその、勝つ為の方法をグレイは選んだのだった。