敗因
「ねぇ、ちゃんと教えなさいよ。あんたがシルバーズさんの弟子になった方法を」
何時もはグレイとチビワイバーンが眠っているベットの上から、グレイの声ではない声がする。
「だぁー、うるせぇな。だからさっきから何度言ってんだろ!」
その質問に返答者であるグレイはベットの脇の床から怒気を含んだ声で返事をする。
もう、と納得いっていない表情を浮かべたエレナがベットから上半身を起こした。
窓から入る月光がエレナを照らし、その幼げな相貌を何処か大人びた雰囲気に変える。グレイはエレナを見ることなく、瞼を閉じていた。眉間に皺を寄せて。
何故この様な状況になってしまったのか、睡魔に蝕まれ動きにくい頭を働かせて、グレイは夕食後の会話を思い出す。
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「グレイよ、負けたからって拗ねていてどうするんじゃ。負けを認めることも大切なことじゃぞ」
夕食後、地下室に行ってから一言も言葉を発していないグレイにシルバーズが嗜めるように話す。
「……てねぇだろ」
グレイは吐き捨てるよう言う。そして、顔を上げた。シルバーズに向けた顔は眉を寄せ、怒っている表情を浮かべていた。
「負けてねぇだろ!」
続けて叫んだ。先程の小さな声は嘘のように、獲物のをとられぬように威嚇する犬のように唸りを上げた。
ジワリジワリと自身が勝っていたかもしれない可能性が込み上げ、グレイは負けを認められなくなってしまった。
「ジジイがあの時止めてなければ俺が勝っていたかもしれなかっただろ! なのになんだよ! 勝手に試合を止めて俺の負けを宣言しやがってよ。腕の一本イカれたぐらいでなんで止めんだよ、実戦で腕一本折れたから、じゃあ降参しますなんて言うわけねぇだろ!」
「そうじゃな」
「じゃあ、なんでだよ! なんで止めたんだよ」
シルバーズはグレイの目をしっかりと見て話す。グレイの金色の眼とシルバーズの銀色の眼には、相手の顔がしっかりと映った。
「お主が、儂の弟子だからじゃよ」
「……っ、意味わかんねぇよ!」
「そうか、なら何度でも言おうかの。お主は儂の弟子じゃ、だから止めたのじゃよ。更に話すなら、あのまま続けておってもグレイが勝つ事はなかったじゃろう。運が良かったとしても引き分けがいいとこじゃと、観とってわかったのじゃ。わかってしまっているのにじゃ、更に傷を負ってでも勝とうとしている弟子を止めない師はいないじゃろ」
グレイが愕然とした、シルバーズの目にはエレナとの決闘に、途中でグレイには勝機はないものだと見られていた事に、同時に失望もした。
グレイはそう考えていたシルバーズにムカついた。失望していた眼に怒りが宿りシルバーズを射殺すほどに睨んだ。すると、シルバーズの少し申し訳なさそうで、慈しむようで、心配しているような、様々な感情が入り混ざったような表情をしていることにグレイは気付いた。
シルバーズの表情にグレイの固まった眦は解け、次第に自分の弱さに腹が立ち、奥歯を噛み締めた。
「俺がもっと強ければ、ジジイは決闘を止めることも、俺が怪我をする事も無かったって事なんだな。そしたら、俺が負ける事も無かったんだな」
「……そうなるかのう」
うつむき発したグレイの言葉にすぐにシルバーズが肯定した、そしてそのまま言葉を継いだ。
「何故、そこまで勝ちにこだわるのか。……お主は弱くない、この一年でお主はとてつもないほど速く成長をしてる。じゃがな、相手が悪かったのじゃよ。修行一年目の者が生まれてからずっと修行していたものに勝てる筈がないのじゃよ。お主はとても善戦をしていたと儂は思っておるのじゃぞ。今回の決闘は実力を把握するためのものであって、身体を壊されたら困るじゃろう」
「儂は、まだ、勝つ事は無いと思っているだけじゃしのう……」
ニヤリとシルバーズが笑った。グレイはその言葉と顔にいじけた表情が瓦解し始める。
「グレイよ、敗者には負けた要因があるのじゃ。勝者には勝った要因があるのじゃ」
「負けとか、敗者とか。うるせぇ!俺は負けたくねぇんだ。その為にジジイの弟子になったはずなのに俺は(ワイバーンに)負けて! (エレナに)負けて!負けてばっかじゃねぇか! …………ぜってぇ、負けねぇ!! もう負けねぇ!!二度と負けてたまるか!」
何時もの調子にすぐ戻ったグレイは気合を入れる為に勢いよく頬を叩く。赤い紅葉が頬の上に描かれた。
「なぁ、ジジイ! その俺の敗因はなんだよ。なんで強くなったはずなのに負けてんだよ」
「こればっかりはの、相手が悪かったとしか言えないのう。お主は強い、でも相手はもっと強かったというわけじゃ、相手を知れば勝てなかった理由がわかるかも知れぬの……あっ、そうじゃ!」
シルバーズは立ち上がり、部屋をでる途中で振り向いたその時、シルバーズは下卑た笑みを浮かべていた。
「その為に儂、準備しとくから。お主は湯浴みをして早く床に着くと良い」
「準備ってなんだよ」
スキップしそうなほど軽い足取りでシルバーズはへやをあとにした。
「キュア! 」
シルバーズが部屋を出て少し後にチビワイバーンの鳴き声が聞こえた。
鳴き声をの方へ視線を動かすと、四足歩行でゆっくりと進むチビワイバーンがいた。無意味な背中をはためかせて。
「チビ、お前もいくか?」
「キュア!」
返事を聴くが早いか、チビワイバーンを掴み頭の上に乗せた。そして湯浴みへと向かった。
湯浴みを終えたグレイは自室の扉の隙間から光が漏れている事に気がついた。
先程のシルバーズの話していた、準備、というものが今このグレイの自室で行われていると感じたグレイは、中にいるシルバーズを驚かす為に勢いよく扉を開けた。それは毎朝シルバーズが入ってくる時のように。
「キャ!」
短い悲鳴が上がった。その声はシルバーズのものでもなく、今日の昼に何度も聞いた声だった。
「何でおめぇがいるんだよ!」
「何でって、今日はこのベットで寝ていいってシルバーズさんが言って下さったからよ」
「あっ!」
グレイはシルバーズとの会話を思い出し、合点がいった。
目の前のエレナ、勝者がいる事に。
「何が、勝者には勝った要因があるだ! 何が、相手を知れば勝てなかった理由がわかるだ! あのジジイ、先ずはアイツに勝つ!」
グレイは小さな声で決意を固めた。
「ボソボソ喋ってないで、早く出てってよ」
「なっ、ここは俺の部屋だ! オメェがお昼に怒鳴り込んで来た部屋で、その時俺が寝てたからオメェも知ってただろ!?」
「あの時はシルバーズさんの部屋を貸していた、って聞いてるわ」
「まぁ、ここの部屋はジジイから貸して貰ってるもんって言ったらそうだけど、俺が先に借りてるんだ。オメェが出てけ!」
「イヤよ、あんたが出て行きなさいよ!」
「お前が、で・て・け・よ!」
「あんたが!」
「お前が!」
「キュー」
グレイの頭の上にいるチビワイバーンは、グレイの応戦をする。
ガチャンッ!!
中途半端に閉まっていた扉が完全に閉まった。視線が扉へと集まる。
グレイが近づきドアノブを回そうとする、がビクともしない。
「どうしたのよ、まさか開かないの?」
エレナが問いかけるが、グレイは返事をせずにゆっくりと手に力を込めた。徐々に赤くなる手と顔に、どれだけ力を込めているかを容易に分からせた。
手を離し、深く息を吸いこむ。そして扉に小声で話し始めた。
「おい! ジジイ、どういうつもりだ!いるんだろ! そこにいるのはわかってんだよ!」
「……お主達がのう、仲良くないみたいじゃからの。仲良くなるための荒治療みたいなもんじゃよ」
扉の向こうからシルバーズの声が返ってきた。
「シルバーズさん?! 」
「というのは建前で。眠れる部屋がここしかないでの、どっちか1人を外で野宿させるか、ここで纏めて寝るかしかないのじゃよ」
驚きの声を上げるエレナにシルバーズは説明を始めるが、グレイは顔を顰めた。
「嘘付け! 部屋ならまだあるだろ! それにこの部屋じゃなくても寝るだけなら出来るだろ!」
「………………しっかりと寝て明日の修行に臨むのじゃぞ。では、おやすみのう。では、行くぞレベンディス」
グレイの言葉を聞こえなかったふりをして、部屋を離れた。足音が遠くなって行く。
「グレイ君!」
すっかり誰もいなくなってしまったと思っていたグレイとエレナは、レベンディスの声で肩が跳ね上がった。
「な、なんだよ」
「少し、扉に耳を付けてくれないか?」
グレイは耳を言われた通りにくっつけた。扉の冷たさが耳の熱を奪う。
「わかってると思うけどね。少しでも私の娘に触れたら……ね。それ相応の覚悟が必要だからね」
何時もの溌剌とした声と違い、低く、重い声質が言葉の真剣度を更に強調させた。扉から奪い去られた筈の耳の熱を更に奪われて、耳が凍りつきそうな程に冷たくなった。
背中をつたう冷や汗をかきはじめた時、扉の向こうから再び声が聞こえた。
「返事を聞かせて貰えるかな?」
「ふ、触れねぇよ!」
グレイは恐怖を振り払うように声を張り上げた。エレナは驚いた様子でグレイを見た。すると壁からは何時もと同じような声が聞こえた。
「はっはっは。そうか、その言葉が嘘でない事を信じよう。では、また明日の修行でな!」
「あっ、お父さん!」
エレナが腕を扉へと伸ばした。遠退く足音が聞こえて、やっとグレイは平静に戻った。だが、頭の上のチビワイバーンはグレイの頭を掴み震えていた。グレイはチビワイバーンを撫でて、後ろへと振り返っていった。
「おめぇは、俺に近づくんじゃねぇ」
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それから少しの時間が流れた。グレイは床にシーツを敷き、布団を被って寝転がり、瞼を下ろす。エレナは最初はぎこちない雰囲気であったが、元々の性格が明るい為かぎこちなさは直ぐになくなった。
「さっきから何度も聞いているけど信じられないわ。スラム街で出会っただけなのに弟子にしてくれるはずがないもの。本当なの!?その話」
「本当に決まってんだろ嘘つく必要ねぇし。ここの寝心地悪さとお前の雑音の質問のせいで眠れねぇんだよ」
グレイは辟易した様に答える。かれこれ10回以上この質問を投げかけられていた。最初は決闘の賭けの対象であった為、決まりの悪そうなグレイは渋々ながらもしっかりと答えていた。だが、その答えが信じられる返答ではなかった様子のエレナは何度も同じ質問を投げかけてきたのであった。
「雑音とは心外ね、だけど少しだけ声が大きくなってしまっていたことは謝るわ」
グレイはエレナの謝罪の言葉を聞くと直ぐに仰向けでいた身体をベットに背を向けて、横向きにした。
でも、と先程抑えたばかりの声を元に戻し興奮の熱を少し含んだ声で話し始めた。
「さっきの話が嘘だとしても、バズ様の弟子になるのは本当に凄いことなのよ。……私もなりたいぐらいなのに」
「なれば良いじゃん。俺もジジイに話しとくからさ。これでこの話はおわりな」
眠たいグレイは、なにかを思い出し落ち込んだ声音で呟くエレナの言葉をおざなりな返答をした。
「言っても無駄だよ、バズ様は1人しか弟子を取らないって言ってたのよ、だからもう無理なの。……今度こそ弟子になれると思っていたのに」
「んぁ?」
「ううん。なんでもない」
あくび混じりの聞き返しに、エレナは先程の零した言葉を拭き取るように無かった事にした。しかし一度出した言葉は綺麗には拭えずに、エレナの心を優しく締め付けた。
夜の帳はおり、森の一寸先は闇で覆われていた。時々聞こえる魔物の鳴き声が夜の静けさを奪う。空を見上れば空を埋め尽くす星。その星が霞む程綺麗で、明るい大きな月が夜の闇を塗り潰す。
ログハウスの灯りが漏れ出る一室にはレベンディスとシルバーズが対面に座って話をしているのであった。