決闘
空腹を満たしてから、幾ばくかの時間が流れた。太陽は頂点からゆっくりと傾き始め、風が今まで照り付け熱くなっていた草葉を冷ますように優しく吹きつける。それとともに一つに括られた銀髪と熟れたトマトの様に真っ赤に染まった髪が戦ぐ。
ログハウスの正面にある草原でグレイとエレナは視線を交差させる。眦を吊り上げているエレナと口の端をあげるグレイの間にレベンディスとシルバーズが立っている。
「では、これから練習試合を始めるのじゃ。剣は真剣ではなく木剣。試合終了の条件は負けを認めるか、儂らが止めに入るかじゃ。それで良いかのレベンディス」
シルバーズは隣のレベンディスに顔を向けずに話す。レベンディスも顔は正面に向けたまま深く頷く。
「ああ、勿論だ」
「ということでじゃ、儂達は今からの練習試合を見させて貰う訳じゃが、出来るだけ干渉はせんでの。しっかりと互いの胸を借り合うつもりで頑張るのじゃぞ」
「分かりました」
「俺は胸を貸す方だけどな」
エレナは2人の方へ一礼をし、グレイは胸を叩きながら強調するように張った。
「それは私のセリフよ。あんたみたいな礼儀知らずに負けるわけないのよ」
木剣を腰から引き抜き、切っ先をグレイへ向けて言い放つ。グレイは眉間に線を刻み込み、木剣の柄に触れる。
「そうだったな、俺みてぇな礼儀知らずは強くなれねぇもんな。でも、礼儀を重んじててもお前みたいにタマゴをたべれないほど弱いのは勘弁してほしいな」
エレナの形のいい眉毛がゆっくりと上がり、口端は痙攣しているかのように震えた。
「そうね。私はタマゴを食べる事が出来なかったわ。でも私は出遅れただけよ。あんたは出遅れていない筈なのに食べられてなかったじゃない!」
エレナは剣を納め。グレイは奥歯で苦虫を噛み潰したような顔をし、木剣を引き抜く。
「うるせぇ、いいんだよ。俺はもうタマゴの味を知っているから譲ってやったんだよ、ジジイ達によ。決して負けたわけじゃねぇぞ」
「その割にはあんた、悔しそうな顔をしていたけどね」
顎を上げ、馬鹿にしたように澄ました顔でグレイを見下ろす。
「あ゛ぁ゛?」
グレイは姿勢を低くして近づき、見上げながらメンチを切る。
「なによ。本当のことでしょ」
「オホン、もう良いかのう。しかしのこれだけ仲が良いのも良いが、良すぎるのも困ったものじゃのう」
大きな音のわざとらしい咳払いを一つ鳴らし、白髪の頭部を撫でる。
「よくねぇよ!」
「良くないです!」
否定の声がハモり、否定の意味をさらに強めた。シルバーズはいつもの様に静かに笑い。レベンディスは腹を抑え豪快に笑った。
「では、そろそろ始めるかの」
笑い終わったシルバーズとレベンディスは2人から離れて言った。
「儂らはここで見ておるでの。では挨拶」
「「お願いします」」
エレナは少しだけ動揺した。先程までのふざけた態度から鑑みるとしっかり挨拶をしないように思われたグレイがしっかりと挨拶をしたからだった。だが、試合の前に精神が統一出来てないと思われたくないエレナはその動揺を抑え込んだ。
顔を上げたグレイの頬が上がっていた。レベンディスは嘆息を洩らした。
「構え」
エレナは剣を引き抜き中段に構えた。ピリつく空気が広がる。だが、グレイはエレナとは打って変わって、気の抜けた様子で右手をだらりと下げ剣先を地につけている。
エレナはグレイの構えに驚き、思わずピリつかせた空気を霧散させた。
「では、始め」
静寂の中響くシルバーズの声。グレイの雰囲気が変わった。上体を低くして地を這う様に走った。それは山犬の様な四肢を持つ動物的な姿勢に近かった。剣先は地から浮き上がり。剣を持つ手には力が入っている様には見えず、ただ手に剣がくっついているだけの様に見えた。
構え無しでいきなり走って来る予想外の行動に空気の緩んでいたエレナは一瞬だけたじろぐ。
その瞬間グレイは下から剣で袈裟懸けに斬り上げる。硬質なもの同士がぶつかる甲高い音が響いた。グレイは舌打ちを鳴らし、すぐさま下がった。
「そう簡単にいくわけねぇか」
誰に言うわけでもなく言葉を零した。
グレイの木剣はエレナの木剣に惜しくも止められ、その身に触れる事は無かった。
「一瞬だけ可笑しな構えに驚いて気を抜いちゃったけど、そこまで心配するほどでも無かったわね」
一息吐いたエレナは、構えを戻して集中を切らない様に意識した。
グレイはエレナが動かない事を確認してから、バックステップで更に距離を取って精神を整え、攻煌神体を身体に循環させ相手の動向を探った。
エレナは油断した様子なく口を開いた。
「ねぇ、私が勝ったらどうやってシルバーズさんの弟子になったのか教えてよ」
「……別にいいけどよ」
質問の意図が分からず、エレナの動作に注視する。だがエレナは身体を動かさずに口だけを動かした。
「そんな睨まなくてもあんたみたいに不意打ちなんてしないわよ。これはただの賭けなんだから」
「賭けか、おもしれぇ。じゃあ、俺が勝ったらお前は何をくれるんだ?」
そうねぇ、と言い、元々その質問が来る事をわかって居たかの様に直ぐに言葉を紡ぐ。
「シルバーズさん達の過去、とかどうかしら。あんた何にも知らないみたいだけど、少しぐらい興味あるでしょ」
「……ジジイ達の過去なんて興味ねぇけど、聞けるなら聞かねぇこともねぇ」
「交渉成立ね」
エレナは満面の笑みを浮かべた。その時の笑顔は年相応で無垢な笑顔であった。だがその笑顔も一瞬で無くなり先程までの笑顔を殺した顔になっていた。
「じゃ、本気でやるわ」
エレナはそう一言放つと同時に駆けた。いつの間にか攻煌神体を循環させていたのか素早くグレイの眼前へとエレナは距離を詰めた。
振り上げられていた剣先は振り下げられた。剣先は地に当たるわけでもなく、肉を切るわけでもなくグレイの木剣と音を奏でた。
何度も斬り結びを繰り返すと、徐々にグレイの方が後手に後手にと回っていった。このままだと不味いと考えたグレイは少し距離を置こうと後ろへと跳ねた。
「貰った!」
身動きの出来ない空中で距離を詰められ、木剣を弾き飛ばされた。
木剣はゆっくりと回りながら飛んで行き、グレイの後方の地面に刺さった。
「さぁ、これで終わりね」
木剣をグレイの眼前に突き出し、誇らしげに笑う。
「だから言ったじゃない。あんたみたいな礼儀知らずには負けないってね」