第二話『提案』
ここは、《P×P》営業部専用の部屋。営業部は他の部署に比べて人数が多い。つっても、六人だ。まぁ、警備部なんて恵未さんと祐稀しか居ないんだから、それに比べりゃ大人数だと思う。但し、今は部門移行に伴って撤退態勢に入っている為、比較的仕事が少ない。
俺は、隣で文庫サイズの小説を読んでる相方の様子を伺った。
いつも通り、クルンクルンの癖毛は大量のヘアピンで留められていて、寝そうな眼は下へ向き、文字を追っている。
俺は、相方である透の読んでいる小説があとがきに差し掛かった事を確認して、声を掛けた。
「どうなんだよ」
すると、眠たそうな琥珀色の目が、こっちへ向いた。何を考えているのか分からない、無気力な眼だ。
「何が?」
透は質問よりも短い言葉で、質問を返してきた。
俺は、《P×P》設立時から透の相方をやっている。研修時代も一緒だったし、付き合いはそれなりに長い。
俺は、もっと分かりやすい質問に変えた。
「お前さ。本当に恵未さんの事が好きなのか?」
「うん」
意外にも透は、即答してきた。
不思議だ。付き合いは長いけど、透は今まで“好きな人”の話をする事なんてなかった。好きな俳優や女優の話はするけど、それは一貫して『演技が上手いよね』というものだ。
「どんなトコが好きなんだよ」
正直、恵未さんとはあまり話した事がない。だから、分からない。そもそも透が、何で恵未さんに興味を持ったのか。
ぶっちゃけ、広報部長の倖魅さんが恵未さんの事を好きなのも知ってるし、俺たちと同期の祐稀が、恵未さんの事を好きなのも知ってる。っていうか、そもそも恵未さんは、副所長の事が好きなんだと、俺は思ってた。今まで、事務所内の行事の時は常に副所長の隣に陣取ってたし。
透は文庫本を鞄にしまって、そうだね、と切り出した。
「綺麗だし格好良いし、明るいしよく食べるし……なんか、キラキラしてるよね」
「んー、まぁ、いつも何かしら食ってるイメージはあるな。けどなぁー……」
「何? 何か文句あるの?」
透が眉根を寄せて、睨んできた。
俺は、透が新しく手に取った、新書サイズの小説を指差した。表紙には、水着と同等な布面積のトップスを着た、女性のイラストが描かれている。その女性――女の子?――の、露わになっている豊満な胸部を確認してから、俺は目線を透へ戻した。
自分の胸の前で、両手で膨らみを作りながら、
「恵未さんって、ほら……あって欲しいものがないっていうか……」
「あぁ、胸はぺったんこだね。Aか……あってもギリギリBカップくらいかなぁ?」
透の分析を聞きながら、俺は半眼になった。
「相変わらず、お前は言いにくい事を躊躇いなく、さらっと言うな」
「事実だよ」
「そー……ぉ、だけど、なぁ……」
俺は、長めの襟足をワシワシと掻き毟った。
「透って、貧乳好きだったっけ?」
「ツルペタが好きなわけじゃないよ。でも、好みのタイプと惹かれるタイプが、必ずしも一致するわけじゃないと思うんだよね。ただ、まだ分からない事があるんだ」
「何だ?」
透は顎元へ手を当てて、考える素振りを見せた。これは、本当に迷っているらしい。こいつにしては、珍しい事だ。
「女性として惹かれてるのか、人間として惹かれてるのか。それがまだよく分からないんだよね」
それはつまり、恋愛対象として好きなのかどうなのか、分からないって事か?
「恭平だって、凌先輩の事が好きだから、同じ髪型にしてるんでしょ? 大丈夫。僕もそういう偏見、ないから」
いや、気持ち悪い言い方すんなよ。この髪型は、尊敬と敬意の表れだっつーの。俺は女が好きだっつーの。
「まぁ、冗談だけど」
冗談かよ! 本気で、弁解するべきかと悩んだわ!
よし、話題を戻そう。
「んで? 女としてか人間としてかって? そりゃもう、服を脱がせたいか、そうじゃないかの違いだろ」
俺は、そうだと思う。え、そうじゃねーの? そうだろ? 服の下に興味があるかどうかじゃねーの?
透は、新書サイズの小説を広げて、うーん、と唸った。
「……それで言ったら……」
と、ひと言だけ発して、まただんまり。
何なんだ。
透が続きを言うのかどうなのか、待ってみたけど特に何も言う様子がない。代わりに、部屋の入り口が開いた。
小柄な金髪と、長身の黒髪が入ってきた。
顔にそばかすが散っている、世界名作劇場に出て来そうな金髪碧眼が伊織。ふわっとした癖毛でソース顔の男前が、英志。
「ただいまー」
と、ふたり揃って、各々のデスクに鞄を置いて、椅子に腰を下ろした。
この部屋にデスクは、七個ある。俺たち四人分と、部長と副部長の分と、祐稀の分。祐稀は営業部じゃないけど、部屋が無いからここへ来る。ここに居ない時は、情報処理室か、会議室だ。
大抵、空席がみっつある状態で、俺たちは駄弁ってる。
「聞いてくれよ。こいつ、まーた人妻に手ぇ出して、ひと悶着あったんだぜ?」
報告してきたのは英志で、話題の人間は伊織だ。伊織は童顔で可愛い系の顔をしてるんだけど、熟女好きだ。ストライクゾーンは三十五歳以上らしい。しばしば……いや、しょっちゅう、人妻に手を出しては、問題を起こしている。
「ボクは悪くないよー。寂しい思いをさせてる、旦那さんが悪いんだよー」
伊織は、しれっと言って退けると、スマートフォンに入っている画像データを「可愛いでしょ」と見せてきた。
美魔女ってやつ? 伊織が言うには五十歳らしいけど、全然、そうは見えない。若い。あと、持ち物が高価そうだ。実業家か何かだろうか。
っつーか、伊織はどこでこういう人と出会うんだ……。
俺が疑問に思っていると、伊織は、訊いてもないのに勝手に説明を始めた。
「ボクが通ってる、スナックのママの知り合いでねー。旦那さんは単身赴任で、アメリカに居るんだー。一週間くらいお泊りしてたんだけど、お手伝いさんに見つかっちゃったんだよね」
こいつ、とんでもねぇ。っつか、スナックに通ってんの? 未成年なのに? ヤバイだろ。本当にヤバイのはそんな事実じゃなくて、伊織自身が“ヤバイ”と思ってない事だ。全く、悪びれていない。
「可愛い顔をしてるとー、すっごく可愛がってもらえて、ラッキー! って感じー」
この調子だ。語彙が息をしていない。こいつは顔面は可愛いけど、性格も頭の中も可愛くない。なのに、年上の女にはモテる。これも、俺には理解不能だ。
伊織の相方をやっている英志はというと、もう慣れきった様子で“オレを巻き込むなよバリア”を展開している。
で、だ。いつもの事だけど、伊織は、出さなくてもいいちょっかいを、透に出す。
「ところでさぁー。透君は、恵未さんとどうなの? お泊りしたの?」
いや、早急過ぎるだろ。付き合い始めて、まだ五日だぞ。っていうか、俺ら皆、会社管理のマンションに住んでるし。透の部屋、俺の部屋の隣だし。ぶっちゃけ、透が恵未さんを部屋に連れ込んでるトコはあまり想像したくない。
透は透で、読んでる小説から顔を上げて、淡々と答えた。
「映画観て、ご飯食べた」
会話は、そこで途切れた。
数秒の沈黙。
「って、それだけ!?」
驚いたのは、伊織のみ。透は頷いて、視線を本へ戻した。
「もっとないの!?」
「ない」
「手を繋いだりとか!」
「全く」
透は小説を捲りながら、いつもの無機質な声で答えた。
「おっかしんじゃないの!?」
伊織の基準も、色々とおかしいと思うんだけど……。
「別に、そういうのって個人の自由だろ……」
と意見したら、凄い剣幕の伊織に睨まれた。何でだよ。何がこいつの逆鱗に触れたのか、全く分からん。
「恭平は黙ってろ。ボケ!」
えぇー? 何でキレてんの、こいつ。
「っつーか、おい、透。てめぇ、人が話してんのに、何、本読んでんだよ! 蜂の巣にすんぞ!」
「伊織。そうやって、否定されるとキレる癖、治した方が良いよ」
透はしおりを挟んで、本を閉じた。何か、空気がバチバチしてる。
「あー、はいはい。ふたりとも、ストップ」
今まで展開していた“オレを巻き込むなよバリア”を解除した英志が、ふたりの間に割って入った。グッジョブ、英志。やっぱお前、スゲーわ。男前だわ。
「伊織、美人な彼女の写真、見せてくれ」
と、伊織の気を逸らせてくれた。全く興味ないんだろうけど。
伊織は、パッと表情を一八〇度変えて、「えへへー。英君、そんなに見たいの? いいよー。見て見てー」と猫撫で声で、スマホの画面をスライドさせている。
透は小さく溜め息を吐いて、本を開き直した。さっき読み始めたばかりなのに、もうページは半分以上進んでる。
読書を妨げて悪いけど、ちょっと気になる事が。
「ところで透。次のデートの予定は?」
「明日」
明日か。なんだ。結構、うまくいってんだな。ちょっと安心した。
そう思ったのも束の間。透はまたしおりを挟んで、本を閉じると……、珍しく深刻な顔で、俺に訊ねてきた。
「ねぇ……。長時間座ってると生気が抜ける病気って、あるのかな?」
「は? いや、聞いた事がねぇけど」
「そう……」
思い詰めた様子で考え込んでいる様子を見ると、俺も心配になる。どうかしたのかと訊くと、透が、実は、と打ち明けてくれた。
「恵未さん、映画を観た後、抜け殻みたいになってたから……」
…………。そういえば、凌先輩から聞いた事がある。恵未さんは長時間じっとしているのが大の苦手で、極限に達すると反動で暴れ回るんだ、て。相手が透だし、きっと我慢したんだろうな。
“我慢しなくちゃいけない”ってのは、つまり――、
「あー……、あのさ。もしかすると、“劇場で映画鑑賞”っていうデート内容が、恵未さんと相性悪いんじゃ……」
透は、いつも半分しか開いていない眼を広げている。何か、重要な事に気付いたようだ。しかし、すぐに表情は陰りを見せた。
「僕、映画館と本屋以外行かないから……」
「あー、そうだな。カラオケとか、ボーリングとか……」
「僕、歌うのもスポーツも苦手なんだよね」
「んじゃ、無難に夢の国とかどうだ?」
「休日って、人がアブラムシみたいに犇めくからヤだ」
なんつー例えを使いやがるんだ、こいつは。っつか、アドバイスを尽く蹴散らしていくな。
「アミューズメント施設はどうだ? お前の得意なゲームとか、ねぇの?」
「うーん……ゲーセンにあるようなゲームとか……ダーツくらいなら……」
「んじゃ、明日はソレにしろ。体を動かすんなら、恵未さんもきっと楽しめる筈だ」
アドバイスしつつ、元気付けつつ……。何故か俺が、透の明日のデートプランを組んで、今日の定時を迎えた。




