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第一話『消沈』

挿絵(By みてみん)




 クリスマスを控えた、ある晴れた昼下がり。聞こえてきた、盛大な溜め息。吐き出したのは、おれの目の前に居る女。机に突っ伏し、うんうん唸っては頭を右へ向けたり、左へ向けたりしている。


 サラサラの黒いショートヘアが、目の前で動く。


 出雲(いずも)恵未(えみ)。おれと同じ、二十歳の女だ。普段は明るく活発で、いつも何かしらの菓子を食っている。


 そんな恵未がこんな状態になった理由は、きっとアレだろう。つい最近行われた会社の忘年会で、おれの後輩が恵未に告白した事――からの、付き合い始めた、からの、なんやかんやだろう。


 おれは営業部の副部長。恵未の彼氏は、営業部所属。そりゃ、直接の後輩だし、おれはそいつの事をよく知っている。


 溝口(みぞぐち)(とおる)。今月誕生日を迎えた十八歳。癖毛にヘアピンが特徴で、いつも眠たそうな顔をしていて愛想はないけど、頭はいい。普段から色んな小説を読んでいて、映画鑑賞が趣味……って奴だ。


 恵未の唸り声の原因は、その“映画鑑賞”が原因じゃないかと、おれは思ってる。


 とか考えてたら、恵未が突っ伏してる腕の上から目までを出して、恨めしそうにこっちを見てきた。


「アンタの後輩……どうにかしなさいよ」


 おれの予想はビンゴだったみたいだ。でも、色々すっ飛ばして問題解決の要求だけしてくるのはいかがなものか。


 まぁいいか。これ以上不機嫌になられたら、こっちが困る。


「って言ってもなぁ。正直、カップルの問題は、当人同士でどうにかして貰いたいっつーか、なぁ?」


 おれは、隣に座っている相方に意見を求めた。ぶっちゃけ、プラスになる答えは期待していない。何故ならこいつは、恵未とは犬猿の仲だからだ。


「透は別に悪くない。かといって、恵未も悪くはない」


 犬猿の片割れは、意外にも恵未の事もフォローした。いや、フォローとかじゃなく、事実を言っただけだけど。


 おれの相方は、おれよりいっこ年下だけど、営業部長を務めている。営業先の女性にも大人気のイケメンだ。数年前に過度のストレスで総白髪になったけど、顔はカッコイイし、髪も今風のシルバーヘアに見えなくもない。頭も良いし、仕事も出来る。子どものいない社長からは、入社時から『養子になってくれ』と猛アタックもされている。つまり、次期社長候補だ。


「潤先輩が結婚して、心境に変化があったのは……何となく分かるけどさ」


 “潤先輩”っていうのは、この犬猿コンビの直接の先輩だ。二条(にじょう)潤。この事務所の副所長をしている。因みに、会社の社長とは戸籍上の弟――義弟だったりする。


 ふたりはこの先輩を巡って、先輩の役に立てるのは自分だ、とか、先輩のお気に入りは自分だ、とか、いつも何かといがみ合っている。


 おれの相方――芹沢(せりさわ)(りょう)は、軽く息を吐き出して、ノートパソコンを閉じた。珍しく、対角線上に居る恵未に視線を向けて、今度は重めの息を吐き出している。


「っつーかさ。恵未(おまえ)のその、潤先輩に対する感情って、恋愛感情じゃ――」

「断じて、ないわ」


 凌の言葉を遮る、恵未の強い語気。あまりに強い言い様だったから、凌も言葉を引っ込めた。

 しかし恵未は――怒鳴ったのを申し訳なく思ったのかどうなのか――さっきの勢いを(しぼ)ませて言葉を続ける。


「あー……“恋愛”って、よく分かんないのよ。潤先輩の事は、好きだし、好きだし、好きなのよ。そりゃもう、先輩の為なら、死んでも悔いはないわ」

「そりゃまぁ、オレも先輩の為なら死ねるけど」


 さっき『弟』って言った通り、潤先輩は男だ。めちゃくちゃ美人だけど、男だ。


 凌は女の人が苦手だったりする。かなりモテるのに、誰かと付き合ったとか、デートしたとかいう類の浮いた話は聞いた事がない。グラビア雑誌を見るのも嫌らしい。……と言うと誤解を生みそうだけど、男と付き合ったっていう話も聞いた事がない。本人曰く、「女を触りたいとも思わないし、男を触りたいとも思わない」んだとか。かといって潔癖なのかというと、そんな事もない。


 四年間一緒に居る、おれが知る限り“女性らしさを前面に出してくる女”が苦手なようだ。


「おれが思うに、ふたりの潤先輩に対する感情は……単純に“愛”なんじゃ……」

「そうとも言う」


 凌と恵未の声が、見事にデュエットした。


「愛か」

「愛ね」


 何か、ふたりで納得してるし……これはこれで解決したっつー事で、良いか。


 …………。


 いや、解決してないよな? そもそも、恵未は潤先輩の事で悩んでいたわけじゃなくて、透の事で悩んでるんだよな?


「ところで恵未、透と映画――」

唖阿呀亞(ああああ)……」


 え、いや、怖い。怖いんだけど。


 恵未は「あ」に似た発音の言葉をカタカタと発しながら、再び机に突っ伏した。


「何だよ……付き合ってまだ五日だろ? うまくいってないのか?」

「“うまくいってる”って状況が、私には、分からない……」


 呻くように、恵未が言った。


 そんな絞り出すような声を聞いても、おれも凌も返す言葉がない。何故なら、彼女いない歴イコール年齢だからだ。


 おれが参っていると、目の前をチョコレートの包みが通過した。そのチョコは恵未の脳天にコツンと当たり――物凄い速さで、恵未が掴み取った。


 ……なんだ、元気じゃないか。


「貰い物だけど、やる」


 凌はそう言うと、ビジネスバッグのファスナーを閉めた。


 恵未は凄く小さな声で、ありがとう、と言って、包みを開けている。正直、ここまで参っている恵未を見るのは初めてだ。


日曜日(きのう)の初デート、何かあったのか?」


 思わず訊いた。あんまり気にするような話題じゃなかったけど、この状態の恵未を見てると、流石にちょっと気になる。


 恵未はチョコレートを口の中で転がし、渋々、といった感じで答えた。


「何かあったっていうか、何もなかった、って言うか」

「何だ。エロい事期待してたのか?」


 間髪入れず発したおれの言葉に対する、恵未の、何とも言えない、(さげす)むような渋い顔。おれは無意識の内に「申し訳ありません」と謝罪していた。


 アーモンドが入っていたのか、恵未の口の中で何かがガリっと砕けた音がした。


「映画よ。イギリスのアニメーション映画を、観たのよ」

「うん。それで?」

「上映時間が、七十四分だったわ」

「映画にしては、短いな」

「あの狭い座席に、一時間以上、動かずに座っとくのよ?」

「……うん」


 そういえば、恵未は映画館で映画を観た事がないって言ってたな。


 少しくらいは動いて良いと思うけど……。と考えたけど、恵未は構わず続ける。


「頭痛と吐き気がしたわ。その後食べたご飯の味を、覚えてないのよね」

「…………」


 恵未は盛大な溜め息を吐き、今度は頭を抱えた。


「明日、天皇誕生日でしょ? 仕事、休みでしょ? 今度は、百二十分超えの映画を観るって言ってんのよ」

「それは、断っていいと思うな……」


 おれは助言したけど、恵未はまだ、うんうん唸っている。


 おれの隣では凌が、


「っつーか単純に、透の趣味との相性が悪いんじゃ……」


 と、半眼で呟き、営業先で貰ったバウムクーヘンを持って、立ち上がった。給湯室で切り分けてくるつもりだろう。


 凌が入って行った給湯室から、「わっ! 倖魅(ゆきみ)先輩、居たんですか!?」と凌の声がした。


 給湯室から出てきたのは、紫色の髪と眼をした、倖魅先輩。蹴ったら折れそうな体をした、一八〇センチ超えの長身。首元には、夏でも外される事のない白いマフラーが揺れている。名前は女みたいだけど、男だ。


 そして、何年もの間、恵未に絶賛片思い中。恵未に彼氏が出来ても、それは変わっていないらしい。今までも好意をアピールしていたけど……残念な事に、恵未にその思いが届く事はなかった。潤先輩は倖魅先輩を応援しているらしい発言をしていたけど、おれは、この人の好意が恵未に届く事は一生ないんじゃないかと思っている。


「やっほー。恵未ちゃん、トールちゃんとうまくいってないの?」


 期待に満ちた表情で、倖魅先輩はスキップをしながら自分の席である、恵未の隣へ座った。


「もー、そういう話はパス」


 恵未は両手で頭を挟んだまま、うんざりと吐き出した。




 この部屋は――いや、おれたちの居るこの事務所は、ある企業の末端にある、服飾部門の事務所だ。自社店舗を持たず、セレクトショップなどに販売委託を頼んでいる。この部屋は、この事務所の“長”が付く役職の人間が、各々の部署での仕事を終えて集まる場所だ。


 厳密には、“所長室”なんだけど。所長が、皆でワイワイするのが好きだから、上層部のメンバーが集まれる部屋を作ってくれたんだとか。っていっても、この事務所は全員で十四人しか居ないんだけど。


 この事務所は、十四歳のアルバイトから二十四歳の所長という、若手ばかりで構成されている。経緯はそれぞれだけど、ほぼ全員、血縁者(かぞく)が居ない。それでも皆、元気に毎日働いている。


 因みにおれは、へその緒がくっついた状態で駅のコインロッカーに放置されていたらしい。恵未は十歳の時に、両親に山に捨てられた。凌は中学一年生の時に、父親が事故死して、その後母親は病死。皆それなりに色々あったけど、この事務所はいつも賑やかだ。


 本社は土日と祝祭日が休みなのに対して、この事務所は、それに加えて水曜日も休みだ。“副業デー”みたいな? そんな感じで、中休みがある。


 そんな、この事務所の名前は《PEACE(ピース)×PEACE(ピース)》。略して《(ピス)×(ピス)》。平和を愛し、平和を願う……からこんな名前なのかどうかは知らないけど、こんな名前だ。間抜けな顔をしたピンクのウサギがマスコットキャラクターで、表の看板にも描かれてる。




 倖魅先輩は鼻歌でリズムを刻みながら、所長室から出て行った。おそらく、恵未の直接の後輩になる祐稀(ゆうき)の所へ行くんだろう。祐稀も恵未の事が好きらしく、恵未の事になると人が変わったように“乙女”になる。普段は、なかなかにボーイッシュな喋り方なんだけどな。因みに祐稀は、女だ。


 倖魅先輩と祐稀は共謀して、透と恵未を別れさせようとしているらしい。ここ数日、一緒に居るところをよく見かける。


 恵未は、パワフルで気が強くて、お菓子が好きで、胸はぺたんこだけど、顔は結構かわいい。おれは、そう思う。暴力的なトコもあるけど、いい奴だ。いい奴には、幸せになってもらいたいものだ。




 目の前では、食欲がないなら小さいヤツを食ってろ、やら、食欲はあるから大きいのを寄越しなさいよ! とかいう、いつもの口喧嘩が繰り広げられている。


 それをぼんやりと眺めながら、おれは凌が切ってくれたバウムクーヘンを口へ放り込んだ。




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