あてないでください
『本日昼頃、逃亡中の与卯序小学校の教師が、盗んだトラックで走行中に交通事故を起こし、病院に運ばれそのまま逮捕されました。逮捕された教師は、先週木曜日に児童の着替えを盗撮していた所、突然鳴り響いた火災報知器の音に驚き、声を出した事で児童に気づかれ、その後逃亡していました。学校側は――』
ボロアパートの一室。ラジオの声に混じって、2人の男性が何やら話している。
「おい、そろそろ本格的にやべえぞ」
「ああ、そうだね〜」
「ったく、何を呑気に。他人事じゃねぇんだぞ」
「遂に水も止められたしね〜」
終始イライラしているのは兄のキョウ。
終始ノロノロしているのは弟のダイ。
「今日の誘拐も良いところまでいってたのに、お前がどんくさいから失敗しちまったしよ」
「だから、それはもう何度も謝ったじゃあないか」
「謝って済んだら警察は要らねぇんだよ!」
2人は金を稼ぐ為に、様々な悪事に手を出していた。
数年前に両親を亡くした兄弟は、それから2人だけで生活してきた。
初めの方こそ真面目にアルバイトをしていたが、どれも長続きしなかった。
キョウは直ぐに喧嘩をし、ダイは直ぐにいじめられるからだ。
そして2人が辿り着いたのが、この道であった。
といっても、いつも犯行前に何らかのドジを踏むため、幸か不幸か今のところ全て未遂に終わっている。
「今日こそいけると思ってたのによぉ」
「いや〜、まさかおもちゃだったなんてね。最近のは凄くリアルだよね〜」
「そこはどうでも良いんだよ! はぁ、あんなの放っておきゃよかったんだ」
「でもあのままだと、あの子が車に轢かれてたかもしれないよ? あの子、無事で良かったね」
「……ま、まあな」
2人は今日の昼頃、身代金目的で金持ちの子供を誘拐するために、とある高級住宅地の公園を訪れていた。
ダイは抜けている所があるので、キョウはできれば1人で行いたかった。
だがキョウは目つきが鋭く、子供が見たら泣き出してしまう。そのため、某パンヒーローの様な顔立ちのダイが、子供を連れて来る役をすることになったのだ。
キョウの心配を余所に、ダイが身なりの良い男の子を連れて公園を出て、キョウが待つ2人乗り用自転車の方に向かってきた。ここまでは計画通りであった。
問題はこの後。
男の子は何の疑いもなく、無邪気な笑みを浮かべてダイに付いてきていたが、ある一点を注視しながら不意に立ち止まった。
男の子につられて、キョウとダイが目を向けた先には、一匹の猫がいた。車道のど真ん中に。
誰かが『あ、これトラックが突っ込んでくるやつや』とでも思ってしまったのか、見事にそのままの事態が起きた。
男の子は猫を助けるために飛び出そうとした。だが、ダイが男の子を制し、その餅のような見かけによらず素早く猫の元へと駆け出した。
だが、あと一歩の所で間に合わず、無惨にも猫はトラックに轢かれてしまった。ついでにあと一歩の所まで迫っていたダイも、軽くではあったがトラックと接触してしまい右足を負傷した。
尻もちをついているダイの周辺には、プラスチックの破片が散らばっていた。
そして、ダイの側に1人の女の子が駆けて来て、『うわぁ~ん! 昨日パパに買ってもらったばかりなのに〜!』と、物凄い大声で泣き出した。ダイ達が誘拐しようと思っていた男の子も、つられて泣き出す始末。
そんな騒ぎを聞きつけて、周囲の通行人や公園にいた親達等、野次馬が集まりだした。
キョウは、誘拐どころではないと慌て、泣いている子供達を見てオロオロしているダイを自転車に引っ張り、急いでその場を去ったのだった。
そして場面は冒頭へと至る。
「やっぱり、2人乗り用自転車で誘拐は無理があったんじゃないかな~」
「だって俺達、車の免許持ってないじゃねぇか。何か? 無免許運転でもしろってか?」
「いや、そうは言ってないけどさ~」
「……はぁ、金を稼ぐどころか、ダイが怪我しちまったし。急いで逃げちったから、あのトラックの運転手に治療費も貰いそびれたし……ほんとツイてねぇな」
「右足なら大丈夫だよ? ちょっと腫れてるだけだし、しばらくすれば治るよ」
「だからそう言う事じゃねぇんだよ。……まぁお前が無事で良かったけど」
キョウは、最後の方ぼそぼそと呟くように付け足した。
そんな兄の様子を仰向けに寝転んだ状態で見つめていたダイは、ニコニコとした笑みを浮かべながら起き上がり、兄とコタツを挟んで向かい合うように座り直した。
「そ、それよりも! いいか? 軽い怪我でも大げさに言えば、大量の慰謝料をふんだくる事ができるんだよ。ほら、何か、あったろ? そんな手口。えーと……」
「兄ちゃん、それって当たり屋ってやつかな〜?」
「それだ!」
「でも、当たり屋って何か古臭いよね〜。それに、最近は自動ブレーキもあるし、なかなか当たらないやんって聞くよ〜?」
「……良し。次は当たり屋をやってみるか!」
「兄ちゃん、僕の話聞いてた? 少しは反応してくれても良いのに〜」
拗ねた様子のダイを余所に、キョウはどこからかある一冊の本を取り出した。本には、栞替わりの長方形の紙が挟んであった。キョウはそのページを開き、中身を見ながらしたり顔で口を開いた。
「なぁ、ダイは"カリギュラ効果"って知ってるか?」
「うん、知ってるよ」
「……え? 何で!」
「だって、兄ちゃんが子供の頃から大事にしてる、黒いノートに書いてあったもん。確か、『フッ、我の罠にまんまと引っかかったな。貴女は何が起こったのか不思議であろう。だが、それは"カリギュラ効果"を利用した――』」
「わー! もういいから!」
「そう? じゃあさ、その本は何? もしかして、僕に内緒で買ったの? いつもお金無いとか言ってるのに~」
「いや、これは図書館で借りたんだよ」
「へ~、僕も読んで良いかな?」
「あ、明日返さないといけないからなあ! 忘れたら迷惑がかかるし、カバンにしまっておこう!」
キョウは顔を真っ赤にして、『明日から君もモテモテ! 知ってたら頭の良さそうな用語集』という、頭の悪そうな表紙の本をカバンへとしまった。
「そ、それよりもだ! ダイも知ってる通り、"カリギュラ効果"は『押すなと言われるとかえって押したくなる』みたいな心理の事だ」
「うん。良くわかるよ〜。僕も、先週忍び込んだ学校でつい押しちゃったしね〜」
「はぁ……お前が火災報知器を鳴らしたせいで、危うく捕まりかけたんだぞ? 何故か『変態!』とか言われちまったし」
「それは僕達に言ってたわけじゃないと思うけど。……それで? その"カバティ効果"がどうしたの?」
キョウは先週の失敗を思い出し顔を曇らせていたが、ダイが疑問を口にすると、待ってましたと言わんばかりに目を細めて凶悪な表情を作った。
「"カリギュラ効果"な? "カ"しか合ってないぞ。……でだ、ここで話は当たり屋に戻る」
「もしかして、『あてないでね〜』って言いながら町を練り歩くの? なんてね~」
「……まぁ今日はもう遅い。ダイは明日の朝を楽しみにして、もう寝ろ」
「ぐ~、ぐ~、ぐ~」
「…………」
弟の規則的な寝息を聴きながら、キョウはある作業に取り掛かるのだった。兄弟の部屋の明かりは、お隣りの郵便受けに朝刊が届けられるまで灯っていた。
「カバティ〜カバティ〜カバティ〜カバティ〜」
「…………おい、そろそろ起きろ」
「カバ――んぅ、兄ちゃん? おはよ〜」
ダイはどんな愉快な夢をみていたのか、朝日が顔を出した頃から同じ単語を呟き続けていた。
一方でキョウはそんな弟の声が気になり、結局殆ど眠っていない。
「あれ? 兄ちゃん、その服……」
「フッ、気づいてしまったか。……見よ! これが当たり屋の秘密兵器だ!」
「……もしかして、その服を着て外に出るの? 正直、兄ちゃんが中学生の時に着ていた、やけに丈の長いボロボロのコートより酷いよ?」
目の下に盛大なクマを作ったキョウは、冬だと言うのに半袖の白いTシャツを着ていた。
Tシャツの前後には、『あてないでください』という文字が、無駄に凝った書体で刺繍されていた。
「そうか?」
「だって、何か文字が崩れすぎてミミズみたいになってるよ?」
「そこが良いんだろ? まぁ、お前の美的センスがまだまだってことだな。ちなみに、あのコートは今も使ってるぞ」
「ふ~ん。まぁ別に良いけどね~。それよりも、その服の意味を教えてよ」
「ああ、そうだったな。昨日、お前が言ってた事は惜しかったんだ。ただ、車を運転していると外の声なんて聞こえにくいだろ? だったら聴覚じゃなくて視覚から"カリギュラ効果"を引き起こしたら良いんだよ。この服を見た人は簡単に引っかかってくれるさ!」
「…………」
「良し、じゃあ早速行ってくるな! 留守番よろしく!」
「……あ! ま、待って! 僕も行くよ!」
ダイは兄に哀れみの目を向けていたが、キョウが勢いよく立ち上がると、自身も立ち上がりながら言った。
「でもお前、右足は大丈夫なのか?」
「あ~、これ? 見た目ほど痛くはないから大丈夫だよ~」
ダイは、昨日のトラックとの接触で痛めた自身の右足をぺチぺチと叩きながらそう答えた。
「……じゃあ行くか!」
「うん!」
そうして、2人は大金目指して出発したのだった。
「ねぇ兄ちゃん、本当に寒くないの?」
「おおおおおう。全然さささむくななないぞい!」
「……無理はしないでね――あっ!」
「ん? ……あ」
家から一歩外へ出たところで2人が会話をしていると、キョウの頭に鳥のフンが落ちた。
「ぷっくくくく! に、兄ちゃん、早速Tシャツの効果が出たね~。鳥のフンが頭に"あたった"よ~ぷくくっ!」
「……そ、そうだろう! だが、鳥から金は取れんからな。とりあえず人の多いところに行こうか!」
「その前に公園で頭洗ってね? お、お腹が痛いからっぷぷっ!」
「…………」
2人は昨日とは別の公園へとやって来た。
今日は日曜日という事もあって、子供達の賑やかな声が響いている。
キョウは、子供達の注目を集めながら水道で頭を洗っていた。
「ねぇおじちゃん。何で半袖なの?」
「馬鹿は風邪をひかない……クックック」
「その服ダッサーイ」
キョウは羞恥に顔を赤くしながらも、無言で手を動かし続けている。
「兄ちゃん、大丈夫だよ。兄ちゃんは少し老け顔だけど、まだ40代って言っても通用するからね」
「……この服、カッコイイと思うんだけどな」
今年23歳になるキョウは、今年20歳になるのに中学生と間違われるダイに、見当違いの慰めを受けるのであった。
「……よし、もう良いだろう。さっさとここから離れる――っ!」
「に、兄ちゃん! だいじょう――ぷっくくく!」
立ち上がり顔を拭っていたキョウの顔面に、どこからか飛んできた野球のボールが直撃した。
キョウの額にはボールの跡が残っている。
「ぷくく、その服本当に効果あるかもね~」
「…………」
『すみませーん』
「どうする~? あの子達からお金もらう~?」
「……行くぞ」
騒ぎ出すと思っていたダイの予想とは裏腹に、キョウは無言でその場を後にした。
「待ってよ、兄ちゃ~ん!」
――顔を拭っていたキョウの目には、ボールがあり得ない角度で曲がり、自分に向けて飛んで来る光景が映っていた。
公園を後にしてからも、キョウには色々なものが"あたった"。
風で飛ばされた新聞紙、お婆さんの打ち水、ラジコン飛行機、果てには昼に食べた貝なんかにも"あたった"。
「ねぇ、兄ちゃん。今日はそろそろ帰ろうよ、ね?」
「…………」
初めの方こそ笑い続けていたダイであったが、次第にその笑みは心配と不安の表情へと変わっていった。
ダイは、公園を出てからずっと無言で歩き続けるキョウの後ろを追っている――と、
「兄ちゃんあぶない!」
「え――っ!」
キョウが建設中のビルの前に足を踏み入れた瞬間、大きな音と共に鉄骨が落下してきた。
落下にいち早く気づいたダイが思いっきり後ろへと引っ張ったため無事であったが、そのまま歩いていればキョウは鉄骨の下敷きになっていたであろう。
「兄ちゃん! その服何かおかしいよ! ねぇ、もう帰ろ?」
「……そうだな」
キョウは終始服の効果について考えていたが、これ以上はダイも巻き込まれると考え、アパートへと戻る事に決めた。
「じゃあ家に帰ろ~! ――っとその前に……はい!」
「何だ?」
「今日の変な現象は全部その服のせいだと思うからね~。さすがにその服を脱いで家まで帰るのは寒いだろうから、せめて文字だけでも隠しておこうと思って」
ダイは自身の首に巻いていたマフラーを取り外すと、『あてないでください』という文字が隠れるようにキョウの体へと巻き付けていった。
「……ありがとな。よし、帰るか!」
「うん!」
不思議なもので、文字を隠してからはキョウに何かが"あたる"ことはなくなった。
帰路を歩く2人は、昨日誘拐に失敗した公園付近までやって来ていた。
「やっぱり、その文字のせいだったんだね~」
「ああ、何でかは分からんがな」
「兄ちゃん、その文字を縫うときに変な事しなかった~」
「いや、何もしてないぞ? ただ、文字を縫うための糸がなかったから、母さんが仕事で使ってた手袋をほどいて使ったけどな」
「お母さんって、確か占い師だったよね~」
「ああ、よくあたるってテレビとかにも引っ張りだこだったんだぞ! 確か俺もテストの問題を占ってもらおうとしたんだけど、怒られたんだよなぁ」
「へぇ。……あれ?」
ダイは、キョウの言葉から何かに思い至ったようだ。
そしてそのことをキョウに伝えようとしたが、ふと前方を見ると1人の男の子が道路の真ん中でうずくまっているのが見えた。
「ねぇ、あの子って……」
「ん? ……あ! あいつ、昨日のガキじゃねぇか!」
キョウがダイの指差す方向に顔を向けると、昨日誘拐に失敗した男の子の姿を捉えた。
「あいつ、何やってんだ? あんな所に座ってたら昨日みたいにまた車が――」
「兄ちゃん馬鹿!」
と、キョウが余計なことを口走ると、遠くから物凄いスピードで一台の自動車が走行してきた。
「おい、そこのガキ! とっとと逃げろ!」
「兄ちゃん! あの子、もしかして怪我してるんじゃ」
良く見ると、男の子は右足を両手で抑えている。
そのことを理解したダイは、全速力で男の子の元へと駆け出した――が、数メートル走った所で右足を抑えてうずくまってしまった。
「くそ! お前もかよ! やっぱり右足痛かったんじゃねぇか!」
自動車は、刻一刻と男の子との距離を縮めている。
「……仕方ないか」
「に、兄ちゃん!」
キョウはダイのように運動神経が良くないため、今から走っても間に合わない。
そのことに思い至ったキョウは、ダイが巻いてくれたマフラーを取り払った。
すると、男の子の数メートル前まで迫っていた自動車は突然進路を変更した。
自動車はそのまま、うずくまる男の子とダイの脇を走り抜けると、キョウめがけて突っ込んだ。
そして自動車に跳ね飛ばされたキョウは、勢いよく後方へと吹っ飛んでいった。
「兄ちゃーん!」
***
兄弟の暮らすアパートの一室。
夕日が部屋を赤く染めている。
「…………」
目元に涙を浮かべるダイは、キョウのカバンに彼の数少ない私物を詰め込み、病院へと向かった。
「兄ちゃん……」
病院のベッドで横になるキョウの姿を見たダイは、思わずといった様子で口元を手で覆った。
「ダイよ、心配してくれるのは嬉しいけど、何も泣かなくたっていいじゃねぇか。怪我したって言ってもただの骨折だし、直ぐに退院もできるらしいから」
自動車に跳ね飛ばされたキョウは、誰が持って来ていたのか、公園から転がってきた巨大なバランスボールに"あたった"ため、酷い怪我を負うことはなかった。
「いや、そうじゃなくてね……これ」
そう言いながらダイが差し出したのは、『明日から君もモテモテ! 知ってたら頭の良さそうな用語集』という表紙の本であった。
「ん? ……げっ! ……ダイ、この本の中見てないよな?」
「見たよ~。思わず涙が出るくらい笑っちゃったよ。ぷくくくっ!」
ダイは我慢していたようだが、限界だったのか口元を覆う手をどけると、勢いよく笑い出した。
「べ、別に好きでこの本を借りたわけじゃないぞ! た、ただ偶然この本が目に入ってだな、あれだ! 運命の出会い的なやつだ!」
「うん、本当に運命の出会いだったんだろうね~ぷくくっ!」
「くそ、馬鹿にしやがって……ん? 何だこれ?」
キョウが顔を真っ赤にして意味不明な事を口走っていると、ダイが長方形の紙と新聞の切れ端を差し出した。
「この紙は本の栞替わりに使ってたやつじゃねぇか。本を借りた時に挟まってたからそのまま使ってたけど……こっちの新聞紙は……ククッ、クハハハハ!」
キョウは長方形の紙と新聞の切れ端を見比べると、羞恥の表情を満面の笑みへと変え、大声で笑い出した。
キョウが栞替わりに使っていた長方形の紙に書かれている数字と、新聞の切れ端に書かれている数字が全て一致していたのだ。
「宝くじが"あたった"んだよ! ぷぷ、笑わずにはいられないよ~」
「クハハ! おい、これは夢じゃないよな!」
「うん! ほら!」
「痛ってーな! ク、クハハハハハ!」
「ぷくくくくく!」
とある病院の一室。
仲の良い兄弟の愉快な笑い声は、怒りの形相でやって来た看護婦に叱られるまで鳴りやむ事はなかった。
大金を手に入れた兄弟はその後、やっぱり自分たちには合わないと、悪の道から足を洗った。
そしてお次はギャンブルの道へと足を踏み入れるのだが、それはまた別のお話。
お読みいただきありがとうございます。