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貴城は、口調こそきつかったが教え方は丁寧だった。課題の答えだけを教えてくれるのかと思ったが、どのように考え調べたら答えにたどり着くのか、そこから話が始まった。
その話の途中に、突然、幸野の携帯が震えた。机の上に置いておいたので、慌てて止めると、智からのメールだと見えた。
「あ、ちょっとすみません」
智との約束は明日に迫っていた。具体的な時間と場所を打ち合わせる内容を返信して、幸野はレポートに向き直る。
貴城は何か言いたげな視線を向けたが、特に言及せずに課題の話を続けた。
程なくして、また携帯が振動した。すぐに幸野は、すみませんとだけ言って飛びつく。
自分でも頬が緩むのを感じながら、智からの返信を読んでいると、
「お前、すごいな」
冷ややかな声音が聞こえた。
教えてもらってる身としては、流石にまずかった気もしたが、幸野にとってこのメールは何よりも大事だ。
「あ、あのですね!」
半眼で睨みつけている貴城に向き直り、幸野は声量を抑えながらも力説する。
「これ、智から、えっと親友からのメールで。大学入ってから全然会えてなかったんですけど。明日やっと会えるんです! もう『親友』っていうか私には心の友と書いて『心友』? なんて、えへへへへ、みたいな子なんですけど」
一人、手振りをつけたりにやけたり忙しい幸野に、
「それで?」
貴城はなおも冷たい声で先を促す。
「ですから! レポートも大事なんですけど、智のメールも大事なんです!」
「ふーん」
「な、なんですか?」
「じゃあ、聞くが。そのレポートの締め切りはいつだ?」
「……今日の五時です」
「今の時間は?」
「四時過ぎ、ですね」
「その大事なメールとやらは、五時を過ぎて返信したらまずいのか?」
幸野は言葉に詰まった。
「……まずくは、ないですかね」
「で? 今のお前はどちらをやるんだ? メールか? レポートか?」
唸りながら首を傾げた幸野は、しかしどちらと答えればいいのか既に分かっていた。相手の言う事を否定する材料はない。降参する思いでうなだれた。
「レポートです」
「うん。それなら安心だ」
貴城が頬杖を突きながら頷いた。幸野は、未練を残しながら携帯を机に置く。
本から文を筆写している途中だったのでレポート用紙に向き合ったが、やはり智の事が気になる。返信に時間が開いたら心配してしまうんじゃないだろうか。
「あのぅ、……やっぱり、今のメールにだけ返信したらダメですか?」
首を竦めながら恐る恐る言うと、
「は?」
貴城は眉を持ち上げた。
怒鳴られるだろう、とは思ったが、智の為だ、と幸野は一つ頷いた。
「智が心配しちゃうと思うんですよね。放置されてるんじゃないか、とか」
貴城は、理解しがたいというように眉根を寄せた。
「一時間程度、返信が開くだけだろう?」
「いやぁ、そうですけど、やっぱり……」
何とか頼みを聞いてもらおうと愛想笑いを浮かべる幸野に対して、貴城は頭を振った。
「いや、もう分からん。やるんならさっさとしろ」
その言に幸野は破顔する。
「ありがとうございます!」
勢い良く携帯に飛びついて返信メールを作る。背後から、はあぁという貴城の声が聞こえた。
「親友なんだったらメールが遅くても良さそうだけどな」
呆れを含んだ声音に、幸野はにこにこしながら答える。
「親友だからこそ、です」
貴城が何も言わずに首を傾げ、その顔に向かって幸野は元気良く、
「はい、もう大丈夫です!」
言って送信の終わった携帯を脇に置いた。
「じゃあ、早く写せ。これ終わったら後は参考文献の書き方な」
「はい!」
何故かやる気みなぎる幸野には、貴城の深い溜息の音など気にならなかった。
締め切りの五時直前に教授の元へレポートを提出しに走り、一分前だよと皮肉を言われても幸野はにこにこしていた。教授室のドアから出て、周囲の廊下に人がいない事を確認すると、幸野の笑みが爆発した。
「……ったぁー!」
これで、智に会える。それだけでもう、他の事など意識の外だった。