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君の夢の裏側  作者: 鈴鯉
第2章 レポートよりも大事なことがあるんです!
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 何とはなしにその方向――通路の方に目を向けると、思わず幸野の体は一瞬びくりと跳ねた。

 移動式の書架に手を掛けたまま、貴城が睨むようにこちらをじっと見ている。

 幸野は救いを求めてとりあえず反対方向にゆっくりと首を巡らせたが、やはり誰もいなかった。そしてまたゆっくりと顔を元に戻すと、彼は変わらず幸野を見つめている。

 これはやっぱり、私を睨んでるってこと……だよね――そう考えたが理由が分からないので、取り繕うように愛想笑いを作った。

「あ、あの……?」

「できたのか?」

 低い声で貴城が尋ねた。これはレポートの事だろう、と推測できたが、幸野は返答に困った。できてない、なんて言ったら怒鳴られそうだ。しかしうまい嘘もつけずに、

「あ、や……、いやぁ」

 ごまかしながら首を傾ける。

 貴城は怪訝そうに眉をしかめた。

「あの課題の、何にそんな時間がかかるんだ? ちゃんと調べたんだろ?」

「うーん……」

 首を左右に交互に曲げて、目を泳がせながら幸野はへらへらと笑うしかなかった。

「えーとですね……、どの本見たらいいのかなぁ……みたいな?」

 貴城がすっと目を細める。

「やる気あんのか?」

 幸野は慌てて頷いた。

「いや、やる気は、もう! ……はい」

「じゃあ、早くやれよ」

 素っ気なく言って、貴城は移動書架を押して行ってしまった。

 緊張の理由が去って幸野は深い息を吐いた。誰かに助けてほしい気持ちはあるが、あの先輩は遠慮したい。出来ない者に対してすごく厳しそうに見える。

 少ししてから、よし、と小声で気合いを入れた。まず本を取って――と手を伸ばしたところ、

「おい」

 再び低い声が耳に届いて鼓動が跳ね上がった。

 一瞬、聞こえた声を無視しようかと考えたが、その後の展開が怖くて結局そちらへと顔を向ける。

 理不尽なまでに不機嫌そうな表情の貴城が立っていた。先ほどと違うのは、どこかに置いてきたのか移動書架が見えない事だ。

 どうしてこの人の不機嫌をぶつけられなければいけないんだろう――幸野は今すぐ逃げ出したくなった。その場に留まれたのは、相手がつかつかと歩み寄ってきて逃げる機会を逸したからだ。

 貴城は、幸野が手を伸ばした先にあった厚みのある本を取りだした。それから彼はもう一冊、同じ棚の中から本を選び取る。何が行われるのか見当もつかない幸野は、とりあえず自分の手をゆっくりと胸元へ引き寄せた。

「これとこれ、どっちで調べる?」

 幸野は瞬いた。一つは紺色の辞書のような本で『――概論』というタイトルが見える。もう一つは先ほど自分が手にしたような、『基礎からわかる』とタイトルに付いた薄いものだった。自分が見た時に期待を裏切られた事を考えると、幸野の答えは自ずと決まった。

「こ、こっち……」

 辞書のような方を指さす。相手の顔は見られなかった。

 深い溜息の音が聞こえた。

「見てみろよ。レポートの答え、今ここで探してみろ」

 選んだ方の本を押しつけられ、幸野は受け取らざるをえない。貴城が凝視している中、おずおずと本を開きページを繰った。

 内容を見ると、幸野は思わず顔をしかめた。文字も図も小さく、一ページの情報量が多い。試しに、開いた最初の方のページの文章を頭で読んでみたが、表現も何やら難解で、何の事を説明する文なのか全く分からなかった。

 しばらく本を見つめ、やがて諦めて顔を上げた。

 貴城は、依然として幸野を見つめていた。

「分かったか?」

 そのフラットな声音に、幸野は迷う。強がって取り繕って、もう少し頑張ろうか――。しかし迷いは一瞬で、幸野はうなだれた。

「……分かりません」

 貴城は面白そうに眉を上げた。

「じゃ、こっちは」

 薄い方の本を差し出されたので、幸野は受け取って同じようにページを繰った。先ほど自分で取った本とは少し内容が違い、つい最近の授業で聞いた気がする部分もあった。

 しかし、課題の答え――ある定理がなぜ正しいのか証明せよ、という問いの答えは全く見えてこない。

 本を見つめたまま固まっている幸野に、呆れたような貴城の声が降る。

「……すげーな。これで分からないのか。三田さんの言った通りだな」

「え?」

 顔を上げた幸野に、貴城はにやりとした。

「三田さんが、絶対、一人で出来ないだろうから、細かく教えて来いってさ」

 先ほど一階で尋ねた、あの時だけで見抜かれたのだろうか。

「え……なんで私が分からないって」

「さあ、それは知らねぇけど。なんか、毎年一人や二人は必ずいるらしいぞ。お前みたいに資料で調べるのが出来ない奴」

 それは安心していい事なのだろうか――どこか腑に落ちない幸野だったが、

「荷物はどこだ? 席取ってるのか?」

 貴城が言って踵を返したので、慌てて鞄を置いた机の位置を案内する。

 その場まで行くと、貴城が躊躇いもなく幸野の席の隣の椅子を引いたので、

「あ、あの……」

 幸野は思わず声を掛けていた。

「図書館の人って、こんな事までするんですか?」

 調べるのに適した本を紹介してくれるところまでは想像していたが、レポートを具体的に教えてもらえるとは思っていなかった。大学の図書館はこんな事までカバーしているのだろうか。

「いや」

 貴城は机を向いたまま素っ気なく否定した。

「調子に乗って、他のレポートも教えてもらおうとか思うなよ?」

 学習スペースは静まり返っている。幸野も貴城も、普段より声を落としているが、それでかえって幸野は突き放された気がした。

「はい……」

 萎れながら席に着くと、貴城の抑えられた声音が聞こえた。

「毎年いるっつっただろ、調べられない奴が何人か。単に本が苦手な奴だったら、実はかなりの数いるんだ。大抵の連中は先輩に聞くとか仲間内で協力とかして何とかする。何とか出来ない、お前みたいな奴が数人出るんだ」

 話の主旨が分からず、幸野は首を傾げた。

「私が落ちこぼれ、って事ですか?」

 貴城の声が少し苛ついた。

「実際のところ、内容が支離滅裂でも、努力した跡が見えればあの先生はレポート合格にするんだ。俺の推測だが。――でも、調べる事が出来ない、誰にも頼れないと言って投げ出す奴がいる。入学まもないこの時期に、一個でも単位を諦めてしまうと自棄になるんだろうな。他の授業も投げ出したり、学校に来なくなったり。極端に聞こえるだろうが、現実にそういう学生がいるんだ」

 幸野はようやく貴城の顔を見た。デスクライトに照らされて、貴城は苦笑していた。

「大学はそういう学生を少しでも減らしたいんだろう。でもあの先生は方針を変えない。だから、助けが必要な奴を出来るだけ助けろってお達しが出てるんだ。図書館でなくても、学生相談室だってこの手の相談が来るらしいからな」

「へぇ……」

 勇気を出して尋ねて良かったという事か――自分が大学に受け入れられたような気がして、幸野は仄かに嬉しくなった。

 笑顔になった幸野に釘を刺すように、貴城は一層声を低めて睨んだ。

「毎回持ってくるなよ、本当に。基本的に断るからな」

 幸野は慌てて居住まいを正した。

「はい」

「そしたら早く準備しろ」

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