第四章(破):13【未踏なる異世界へ】
「あ、センセー」
戻ってきた、山の中。
【筆箱】と称される、カンヅメ用の施設。
そこで、編集者美紀翠はもぐもぐと、手作りの弁当なんぞを食っていた。
今の時間昼過ぎ。
朝に来てから、彼の不在を知り、彼女はきっと、それからずっと待っていた。
帰ってくると、疑わず。
「おかえりっす。散歩っすか。やー、わかりますわかります。机の前に座りっぱなしだと気ぃ滅入ってきちゃいますもんね。あ、それ良かったらどうぞ! 苦闘中のセンセーの為に、あたし一肌脱ぎました!」
ちょいちょい、と箸で差された先には、何人前かとまず考えなければならないような特大サイズの直方体が鎮座ましましていて、中を開けば更に驚きが畳み掛ける。
弁当箱の中身は、三と七。
米が三で、からあげが七だった。
即ち、炭水化物と油と鶏肉の王国だった。
野菜のやの字も見当たらない。
「どうぞどうぞ、ガーッといっちゃってください! 昨日の晩からじっくりたっぷり漬け込んだお肉を、今朝早起きしてドジャっと揚げました! とーちゃんからも『運動部に食わせろ』と太鼓判を頂いた自信作っすよー!」
うまいからあげは冷めてもうまい。
シンプル極まりない、ストレート過ぎる献立に迷う間もなく箸が進む。鳥、飯、鳥、飯、鳥、鳥、飯、鳥。生姜の風味が食欲をそそる。しっかりと付いた醤油の下味が、鳥の旨みを膨らませ、舌に米を求めさせる。
馬鹿みたいな量を、あっという間に食べきった。
ごちそうさま、と手を合わせる。
「おそまつさまっす」と翠も合わせる。
「よかったぁ。こんなことぐらいしか出来ないっすけど、少しでもセンセーの力になれれば、あたしも嬉しいっす」
「翠さん」
切り替えるように、言った。
「ごめん」
「っす?」
「ここまで色々、してもらって。凄く、期待もして貰って。君にも、編集長にも、感謝してる。でも、だから、――――すみません」
わかったことは、誤魔化せない。
好意を。
嘲笑うような、真似は出来ない。
「もう、あの頃みたいな原稿は、書けない。――――今の僕は。この世界を、神様たちを、憎めない」
失望を。
叱責を。
罵倒を、落胆を。
覚悟し、受け止めるつもりの、告白。
しかし、
「なーんだ! ようやくわかったんすか、センセー!」
美紀翠の口から返ってきたのは、そんな、あっけらかんとした言葉だった。
「…………………へ?」
「くっふっふ、見くびらないでくださいっすよ! あたしもね、これでも一応プロの小説担当編集っすから! 作家さんに何が書けて何が書けないかぐらい、目端が付くようになりましたって! 中学の時から成長したんっすよ、センパイと同じにっ!」
「……え、っと」
「いやー、それにしても時間かかったっすねー! まさか丸々一ヶ月以上なんて! とーちゃんの言った通りじゃないっすか!」
「言った通り、って」
「『書けないことを、もう自分はああいう作品を書かなくてもいいってことを、自覚させる為に向き合わせる。そのことぉ自覚するまで、ま、一月ちょいはかかるなありゃあ。あいつ根っからの阿呆だから』って言ってました!」
返す言葉も無い。
笑いしか漏れない。
結局、蓋を開けてみれば、何から何まで、一方的に世話になっていただけだった。
「あのね、センセー。とーちゃんもよく言ってますけど、あたしも思うっす。作品ってのは、書きたい理由があるから書かれてくるものであって、書きたくもない、書かなくても自分が足りてるものなら、ムリヤリにやんなくてもいいものだって! 書けなくなったのは、必ずしも悪いことじゃあないんだって! だって、それは――書かなくてもよくなったってことなんですから!」
おめでとうございます、と彼女は言った。
満面の笑みで、拍手した。
「センセーには、もっと――苦しいのを吐き出す以外に、やりたいことが見つかったんですよね!」
それで、落ちた。
すとんと、落ちた――腑に落ちた。
自分の中に、生じていたもの。
何だろう、と思っていたもの。
それを。
彼女が、形にしてくれた。
言葉にしてくれた。
わかりやすく、表してくれた。
「――キミドリちゃん、」
「はいっす!」
「君こそ、もしかしたら――僕なんかよりずっと、作家に向いてるんじゃないかな」
「えっへっへっへ! うっす、キョーシュクっす! でもでも、駄目っすよー?」
ちっちっち、と指を振る。
「とーちゃんに、伝言を頼まれてるっすからね! センセーがバッドエンドを書けないことを自覚出来たら――次は是非、ハッピーエンドを書いてもらえって!」
「――――ああ。きっと、約束するよ」
「やぁったーっ! 言質! 言質、確かに取りましたからね! あなたのファン一号として、猛烈に期待してるっすよ、センセーっ!」
こうして。
伝えるべきことを伝え、またしても重荷が増える。
それが、どうしてだろう。
楽しみで、心地良くて――この先に、この後に、やらなければならないことが、やりたいことが出来たというのが、田中には、嬉しくてならなかった。
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書類を書く。
判が押される。
禊を済ませ、服を着替える。
守月草、異世界転生課。
午後四時五十五分。
全ての準備を終えた田中が、第一番渡航門の前で呼吸する。
「では、御武運を」
「うん。ありがとう――工藤さん」
「最後にひとつ」
「有難く」
「あなたはもう少し、自分を大切にするべきです」
「、」
「いい加減に知りなさい。自分が、愛着を抱かれるだけの人間だと。そういうものを、自分に許していいのだと。何もかも仕損じた――何一つ守れなかった、無価値な人間なのではないのだと」
「――――」
「しあわせになる権利は、誰から与えられるものでもない。自分から【これがある】と訴えて、それが欲しいと自覚して、はじめて、意味があるものなんです。そして、そういうあなたを、世界は決して、無視したりすることはない。――――それが、これです」
異世界転生、第一番門。
最も大規模なその部屋に、収まり切らないほど――異世界転生課の職員たちが、集まっている。
皆が。
田中のことを、じっと見ている。
真っ直ぐに。
真剣に。
届けと祈る、
真心を篭めて。
「証拠には足りませんか?」
「もったいないぐらいだよ」
二礼、二拍、一礼。
それを、彼は、三重の鳥居ではなく、自分を送り出す為に集まってくれた、かつての同僚たちに向かって行った。
集まった全員が、誰に先導されるでもなく、頭を下げた。
「行ってきます」
予定通りの午後五時。
光を放ち始める、三重鳥居。
その向こうに踏み出す瞬間、田中は、背後で爆発する歓声を聞いた。
轟く応援に、その背を押された。
なんだかおかしくて、少しだけ、笑った。
まったく。
これじゃあ、僕が、神様みたいだ。
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そして、始まる。
人と、神の、喧嘩が始まる。
神から。
神を取り戻す為の、戦いが始まる。
大創造神の異世界にて、火蓋が切って落とされる。
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【第四章・破、了】
【続――――第四章・急】
【只人間と荒御霊】




