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第四章(破):03【再会、一献】

 夜も十時を回ってくれば、町からは大部分の明かりが消える。

 特別に華やいでいるわけでもない、平々凡々で典型的な、どこにでもある地方都市。


 それが、守月草。

 かつて、田中の働いていた土地。

 決して少なくない、愛着のある――“当たり前”の場所。


「何を感傷(カンショ)ってるんですか、貴方」


 立ち止まっていたら、ケツを蹴られてよろめいた。

 ……ぴっちり着込んだブランドスーツの、タイトなスカートに関わらず、平気でそういうことをする。


「くだらない。微笑ましい。可愛らしくて眩暈がします。ええ、出来れば私も付き合ってあげたいのは山々なんですけれどね。何しろこちらも急ぎなもので。とっとときびきび足を動かして頂けます?」

「……ネフティナ」

「はい?」

「君、割合そういうところ大雑把だよね」

「当然ですが何か」


 鼻で笑う。


「今は私、【工藤さん】ではありませんから。残念ですが、そういった温情には期待されぬが宜しいかと」

「……寂しいな、っていったらどうする?」

「それはもう。甘えるな、と唾を吐いて差し上げます」


 秋の夜はしんと冷え込む。

 吐く息も白く、寝静まった静けさと星明りの暗さ、人通りの無さが物寂しさを際立てる。


 気の利いた会話も出来ずとぼとぼ歩く居心地の悪さに耐えていると、その内に見えてきた。


 明かりだ。

 夜となれば素直に眠る守月草にもささやかながら飲み屋が軒を連ねる通りがあって、その一角だけは深夜まで、ともすれば明け方ほどまでも賑やかさが保たれている。


 軒先から漏れる光に浮かぶ【守月草福々通かみつぐさふくふくどおり】の門をくぐり、西側から入り左手の二件目、


「さて、着きました」


 居酒屋、【食火】。

 馴染みの暖簾。

 馴染みの匂い。

 換気口から溢れ出る、食欲そそる火の煙。


「いやあ、いい具合に身体も冷えましたね。こういうところにきゅっと、焼きたての干物を肴に燗を一杯やりたいものです」

「……ネフティナ、」

「なになに。……ほほう! これはこれは、ツイていますね田中さん。今日のおすすめは【安納焼芋バター乗せ】ですって。やはりね、その季節のものは頂いておかなければウソですよ。こう、割った瞬間ほっこりと立ち上る湯気に、艶やかなバターさまを乗っけましてとろっとろと、」

「君、さっき僕に何て言ったっけ?」

「美味しい料理は、口を滑らせ、物事を円滑に進ませてくれますから」


 一歩。

 身体を、横に退けて。

 入口の前を、ネフティナは開けた。


「韜晦、術数、交渉、籠絡。欲を満たせば心は緩む。付け入る隙も、自ら見せる――見に覚えもありますでしょう、公務員?」

「……随分と、やらしい顔をする」

「魅惑的だと褒めてください」


 先に入れ、のジェスチャー。

 この期に及んでまあ無いだろうが、


「中に入った瞬間、ズドン。とか?」

「うふふ。こちらにその気があれば、出雲国のあの路地でそういうことは済ませていますよ。――そもそも、もし、そうなる時が来るとすれば、それをやるのは、私だ。他の誰にも、その権利を譲りはしません。絶対に」


 わずか、言葉に浮上した熱っぽい色を、そうかい、と受け流す。


 結局、いくら考えようと詮無い。

 ネフティナに、異世界公安に再び眼をつけられた段階で、自分に出来るのは腹を括ることとその意向に従うことぐらいだと重々承知している。


 今の自分には、もう、守るものも無い。

 たった、ほんの二月程度で、何もかも失った。

 馴染みの店の前だというのに。

 随分、遠くへ来た気がする。


「いいさ」

「……ふん?」

「君らがどのような思惑で関わってきたのだろうと。僕はその中で、自らの我を通してやる」


 自棄混じりの覚悟。

 闇雲でがむしゃらな意地。

 いっそどうにでもなれ、という気持ちで田中は、まるで戦場に臨むような心地で、居酒屋の引き戸を開けた。


 何度聞いたかわからない、いらっしゃいませ、という見知った店員の声。

 そして、


「お、来た来たぁー」


 ふにゃら、と。

 やわらかくほぐれるような、見知った笑顔。


「おつかれおつかれ。こっちこっち。や、わざわざご苦労様。外は寒かったろう? 守月草は最近毎日今にも雪だって降り始めそうな冷え込みでねえ、はは、おかげで晩酌が楽しみでならないよ」


 一番奥の座敷席。

 テーブルの上には燗が一本、干物が一皿。


「何でも好きなものを頼むといい。今日はね、なんと会計が経費で落ちる。ああ、安心しなさい、ウチの持ちじゃない。凄いね、異世界公安さんは。現場捜査員の裁量で自由に使える活動費ってのがあるらしいんだ。ここはその頼もしいお言葉に甘えて、冒険させて貰おうぜ」


 店員に声を掛けると、つらつらとメニューを頼んでいく。

 それもこれもどれも、ぴったりと田中の好みだ。頼んだ酒は燗、度数は強過ぎず甘口、水をピッチャーで貰うのも忘れない。


「――――と、こんなもんでいいかな? 他に何かある?」


 言葉に詰まり、そして通路を確認する。

 案の定。

 ネフティナは、ついてきていなかった。

 二人きりに、させられた。


 畜生。

 まったく、


「あります」

「お? どれどれ? ああ、そうだこっちの【本日のおすすめ】からも、」

「御心配をお掛けしました」


 ――彼の。

 そこにいた先客の、【本当に安心した】という顔。


 酒もつまみもよく飲み食べるその人の、あまりにもささやかだったテーブルの上。


 少し。

 最後にあった時より、痩せた気がする。


「勝手に、行方を晦まして。一ヶ月も、連絡も取らず――――ごめん、義父(とう)さん」

「そうだね。じゃあ、」


 そこに座って。

 一杯、付き合って欲しい。


「ひさしぶりに、話をしないか」

「……うん」


 差し向かいに、腰を下ろして。

 頬杖をつくその顔と、真正面に向かい合う。


「しかし、なんだな。これは自分でも驚きなんだが――立派に大きくなったと思っても、親ってのは、子供が心配になるもんなんだなあ」


 運ばれてきた徳利と猪口。

 田中が猪口を取ると、彼がそこに酒を注ぐ。


「そんじゃま、乾杯。何にせよ、無事でよかった」

「乾杯」


 ちん、と軽い音が鳴る。

 そして田中と、彼――――守月草異世界転生課課長、田中浩幸(たなかひろゆき)はぐいっと一献を()した。


 ぷはあ、と息を吐くのも同時なら、


「「――うまいっ」」


 その台詞まで、重なっている。



                 ■■■■■



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