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第四章(破):01【神穢滅却大祓】


 ――――――――なにもない(・・・・・)


 その身を包む、基本にして究極の開放感。

 圧迫からの脱却。

 振るう四肢の自由。

 強制を受けることなく、不本意は伴わず、拡張しながら収束する自意識が、何処までも、何処までも、何処までも、何処までも――――


「――――」


 風の中にいる。

 視界は晴れている。

 丸い果てを見る。

 其処に世界が在る。


 夕と夜の狭間。

 地に燈る無数の星々。

 人々が織り成す、生と、意志と、存在の証。

  

「――――ああ。とても、きれいだ」

 

 焼ける陽と幕の闇が溶け合う高度15000メートルの空に、他の誰にも聞かれることのない呟きが漏れた。

 遠く、憧れるように。

 深く、贖えるように。

 背反しながら(あざな)える二つの感情が、一人の人間の形となって、今、世界の頭上に落ちてくる。

 

 

 此処は異世界ハルタレヴァ。

 これより黄昏を迎える楽園。

 


                 ■■■■■


 時は戻る。

 その【落下】の前日。

 雲集出雲国、神迎神楽祭――より、東へ向かう特急新幹線、【すさのを玖号】、グリーン車にて。

 

「どうぞ楽になさってください、田中さん」


 向かい合わせにした座席で、工藤はもりもりと弁当を食っていた。

 一度食べたらクセになる、あの味が忘れられないと大評判――地球各地の【あの世】から集まった腕っこきの料理人たちの技術と知識が厳選された素材に結集した、由緒正しき名物料理【ヨモツヘグイ】。


 まさしくこの世ならざる美味に、イベント開催期間中ならずとも連日行列完売御礼の盛況を誇る入手困難な“冥府の自慢”に、しかし田中は舌鼓を打つ余裕は無い。


 浅く座った姿勢。

 前のめりの背と、ぎらついた眼差し。

 断固として冷め遣らぬ、喪失と抵抗の熱。


「――――お気遣いはありがたいんだけれど、工藤さん。それよりも僕は、」

「物事には、順序があります」


 こちらを見ず、蓮根の煮物を齧る。


「行動を、起こすだけならば如何様にも始められましょう。けれど、それを、出来るだけ上手に、確かに、正しい形で成功させたいと願うなら。自己満足に留まらぬ結果をこそ欲するのならば、恃みとする資本をきちんと用意しておくべきかと、私は助言致します」

「……う、」


 計ったように腹が鳴る。こうなればもう、反論など虚しいだけだった。


 思えば今朝から、田中は腹に何も入れていない。これから何を言われ、何が始まるにしても、その時に力を出せなければまったくしようがないというもの。


 ――――少し、ほんの少しだが、頭が落ち着く。

 熱意を持つことと、冷静になること。

 それらは決して相反するものでなく両立し得る要素であり、また、どちらを欠こうといい仕事(・・・・)は出来ないのだと、昔、尊敬する上司から何度も教わったはずなのに。


「ほらほら田中さん、見てくださいこの卵焼きの弾力。燻製鶏の堪らない色っぽさ。御米も一粒一粒が実に逞しく、存在感を主張しながらも各種おかずと完璧に調和する、名バイプレイヤーですよ?」


 降参だ。

 くすぐりかたをこうも心得ている相手に対し、どう抵抗しろという。


 そんなものより必要なのは観念で、腹の底から湧き上がる欲求への素直さで、口内に溢れる唾を速やかに飲み下し、舌に、喉に、胃に、もっと満足のいくもっと望み通りの品を運ぶことは、これは身体という従業員を雇う自分に課された当然の義務であろう。


 妙な意地や強がり、無駄な焦りに肩肘が窮屈な力みは、溜息と一緒に吐き出した。


 弁当の蓋を開ける。

 その中には、田中の疲労と空腹を十二分に慰撫しきる、色取り取りの楽園が――


「――は、」


 思わず、笑う。

 確認してから、もう一度。


「……まったく、工藤さん。君ってやつは、おいしい人だ」


【カロンの骨から取った出汁】が売りの、魚の煮付けを食べながら、工藤はまったく何食わぬ顔で、恐れ入りますと頭を下げた。


 弁当箱の蓋の裏。

 ビニールの中に折り畳まれて入っていた用紙の束。

 そこにはこうある。


【大創造神ハルタレヴァ 自世界内不正管理疑惑についての調査報告書及び連盟の諸回答】。



                 ■■■■■



 結論から言おう。

 漆黒だ。

 ハルタレヴァの世界に招かれた客人は、およそ、人としての扱いを受けなかった。


 彼らは一人残らず、かの大創造神が大創造神としての地位と信仰を獲得する為の手段であり、道具であり、贄である。


 世暦の時代、創造神のステータスとなる要素、【愛着度】――自らの世界にいる人間がどの程度そこで満足しているか、そして、他の世界より此処に居たいと思えるか。


 それを他の何処よりも高水準に獲得する為、ハルタレヴァは【三種の喪失】を以て満願の幸福を実現させた。

 

 神権による人権剥奪。

 全人類総管理傀儡化。

 大創造神ハルタレヴァの異世界は、其処に生きる命ではなく、ただひとつ、神の目的を叶える為の、神にとっての理想郷である。


【あまりにも出来過ぎた評判】を不審の種として兼ねてより行われていた内偵は、二ヶ月前、特別な教え子(・・・・・・)を引き取った【ハルタレヴァ・スカウト】を契機に――つまり、強大な力を持つ大創造神が、自らの権能の多くをそれまで存在しなかったタスクに割り振ることで生じた、それまで完璧に近かった【外部への監視と内部の警戒網】の隙を好機とし、劇的な進展を見せた。


 即ち。

 ハルタレヴァが重大な思想汚染を発症し、破滅的目的の元【神々の連盟】を三百年間欺き続けていた――【異世界侵食性荒御霊】化の、正式な認定である。


 これに対する措置は、減免の余地も弁解の権利も無しに唯一つ。


神穢滅却大祓しんえめっきゃくおおはらえ】。

 

 【神々の連盟】は、大創造神をこの世から消しさる決定を下したのだった。



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