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第四章(序):12【神山奇談】



 山の中で、神様に逢った。


 獣のような、化物のような、葦のような、嵐のような、岩のような、(いわく)のような、それは得体の知れない、理解の出来ない、気味の悪い、貌の見えない、出逢ってはならない(わざわい)だった。


 少年は、それを連れて山を降りた。

 境界を越えてはならないものを、その向こうに連れ出した。


 町が燃える。

 人が腐れる。

 世界が穢れる。


 溶けていく。

 熔けていく。

 融けていく。


 何もかもが、自らの持つ“かたくな”を、失うことで楽を得る。しあわせになる。辛いことも苦しいことも悲しいことも許せないことも、笑って許せるようになる。どうでもいいや、とすやすや眠る。


 そうして、世界中の皆が、全部に納得して静かになって。

 最後に残った少年は、禍の神様に、自分も向こうへ連れて行って欲しいとお願いする。


 神様は、その願いを叶えない。

 世界中全ての願いを叶えても、少年の願いだけを叶えない。


 それは、罰だからだ。

 それが、罪だからだ。


 世界を救った少年は、世界を救ってしまった咎を負う。救われたくなんてなかった人々を、しあわせにしてしまった報いを受ける。


 どんなに泣いても、苦しんでも、お願いしても、謝っても。

 楽園は、彼一人だけを迎えない。


 だから少年は、神様を殺した。

 何もしてくれない神様なら、せめて何かに使おうと思って。


 神様は死に。

 少年は残った。


 誰もいない丘の上に座り込んで、昔、昔々、もうずっと前に、町が燃えて、人が腐れて、世界が穢れていったあの時の景色を、思い返した。


 そのあたりで目が覚めた。

 少年はいつも通りの世界が、もう二度と戻ることのない日常が取り戻されたのだと理解して、実感して、涙を流して、笑って、

 白む空、日の昇る山へと、神様を探しに出掛けた。



                 ■■■■■



 と。

 それが、概略だ。


 十数年前の文芸誌に、予告もなく掲載された作品の名を『神山奇談(しんざんきだん)』。

 足元の定まらぬ酩酊具合でありながらやたら詳細で実際にその場に居合わせたかの説得力のある描写、世暦という時代の常識に慣れ切った人々の平衡感覚を奪い取るかのような攻撃的かつ不可思議な内容、そして何よりこれが本当に作品(フィクション)なのか或いは実体験(ドキュメント)なのか、どちらとも取れるように添えられていた注釈の一文が、当時の世間に波紋を呼んだ。


 ――――【いくつかの“証拠”を編集部では確認しております。御興味の在る方は、遺書作成・周囲への注意喚起・失踪対策の上、取材担当・美記六升まで】。

 その原稿を書いた人物については、十数年が経つ今に至るも公にはなっていない。


「…………うっひゃあ」


 で。

 その原稿を書いた当人が今、十数年振りに向き合った自分の歴史のとびきり黒くて濃厚な部分の破壊力を前に、心底辛そうに表情を歪めていた。


「こっれ、すっごいなぁ……ひぇぇえ……」


【大傑作】とかそっちの方向性でなく、無論痛々しさの方面だ。嗜虐、自虐の意味ならば、【傑作】もまさしくドンピシャな表現だが。


「すっかり忘れてた……こんなん書いたんだ、僕……」


 若さとはそれだけで(パワー)であり、その時分での考え方というのは、年を重ねた後では決して取り戻せない再現不可の特性(スキル)なのだと、田中はしみじみ頷いた。


 畳のごろんと寝転がり、仰向けに雑誌を広げる。

 単行本などは出ていない。

 この後、処女作掲載の後に二本ほど同じ文芸誌に掲載され、そこそこの“反響”があったからと単行本化の話も持ちかけられたのだが、当時はそれを断っている。

 元から執筆も掲載も、面倒臭い後輩絡みの成り行きだったから――だけではない。


 当時。

 中学、三年の初夏。

 田中の【目標】は、より具体的な方法と順路を見付けつつあった。それを思えば資金はいくらあっても困ることはないだろうが、余計なことにかかずらい(・・・・・)時間を奪われる羽目になるほうが忌々しかったのだ。


 原稿の予備(バックアップ)など、そもそも取ってすらいない。

 だから、こんなふうに他人行儀に。

 人のアルバムの写真に写り込んだ自分を探すような手順を踏んで、田中は昔の自分を確認している――



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