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第三章:16【再び、】

「『異世界間転生に於ける下限年齢は、満十五歳よりと定める』」


 天使が、淡々と諳んじる。


「彼らはどれだけ、“今の世界”が辛くとも、移り住む先が無かったということか。……皮肉なものだな、この、転生飽和の現代で」

「…………」

「気も滅入る。奴の怒りも良く分かる。まだいくつも不明瞭な点はあるが、しかしもしも、ここから導き出される最悪の想像が本当にそのままだとしたら――自分たちには結局、【松衣幽霊城事件(・・・・・・・)を解決することなど(・・・・・・・・・)絶対に出来ない(・・・・・・・)、ということじゃあないか」

「色々と勉強したみたいですね、天使さん」

「おかげさまだよ、タナカ先輩(・・)


 からかうようなウィンク。

 空元気の感は否めない。


「自分としては、手っ取り早く使い物になれる為技能を教わりたかったのだがな。昨日は異世界転生課の成り立ちや役割、地域とどのように関わっているかなど、基礎からみっちり仕込まれたよ。まったく、あそこの連中は気のいい御老人方だと思っていたが、その実とんだ鬼教官の集まりだった」


 軽口に滲む親しさは、彼女が昨日一日で、どれだけ松衣異世界転生課の方たちと距離が近づいたかの現われだ。

 そういえば昨夜は、「補給を度々貰っていたもので晩飯があまり入らん」と言っていたのを思い出す。きっと、あの人たちに相当差し入れを貰ったのだろう。

 励まし、元気付けの言葉と共に。


「だがまあ、おかげでようやく自分も、タナカやクドウが見てきたであろう風景、携わってきた職務の裾野に、遅ればせながら立てた気がするよ」


【異世界転生】。

 それは、人の生き方を広げる為にあり。

 自分の道はここで終わりと思い込む心の閉塞を、拓き解き放つ可能性の鍵となる。


 新しい場所、

 新しいこと。

 挫折の突破、

 挑戦と再起。


 諦めるにはまだ早いと、

 世界は君に言っている。


「それまでに無かったモノと出逢うことで、人生が改まる。期待を捨てた暗闇に、また始まりの灯が燈る。その手伝いをするのが――異世界転生課だ。何とも素晴らしく、何より、誇らしい仕事なのだな!」


 ふんふん(・・・・)と、鼻息も元気良く語る天使の様子は、しかしなんともおかしいものだ。

 それこそまるで、今まさに、今日やっと、それになったかのようなはしゃぎかた。


 ――先程田中は、【先輩】などと呼ばれたけれど。

 本当は彼女のほうが、勤続“世紀”すら違う大々々々々先輩だろう。


「そう言ってくださると、今回、お誘いした甲斐もありますよ」


 うんうんと頷き、田中は「それにですね」と言葉を足す。


「僕たち異世界転生課職員は互いの世界を尊重しますが、それでもやはり、根っこのところにはまず【自分の世界】への愛着がある、とも思っています。自らの故郷を大切に思い、より多くの人に、その魅力に共感して欲しいと感じる、自分が生きている場所への愛情が」


『この世界の良さを、持っていって欲しい』。

 だから、別の世界にこれから転生する相手だろうと、そこへ笑顔で送り出す。


『この世界を好きになり、一緒に盛り上げて欲しい』。

 だから、星の数よりある異世界の中で、自分たちと同じ場所を故郷にしてくれる人たちを、それは手厚く迎え入れる。


 それらは、何ら特別なことではない。

 数多の世界、そこに住む『ひとつの世界に生きていた時代』の人々が、本来決して地続きではない【異世界】の実在を知らなかった昔から存在していた、あたりまえの【御国自慢】。


「天使さんだって。女神様の世界に多くの人を呼びたいと思うのは、そういう気持ちじゃないんですか?」


 ――以前。

 彼女と初対面の時には、彼女は自分たちの世界に初めて外から訪れた存在である田中をして、『ようやく女神の世界が正当に評価を受ける』と喜んだ。


 あれは、自らの主への朗報を祝うだけのものだったか。

 そこには本当に一片も、自分の中の琴線に触れるものは無かったのか?

 その感情があるならば。

 天使はもう既に立派に、異世界転生課職員として最初に必要な心構えを――


「いいや。違うさ」


 田中の、そんな推測は。

 波に攫われるように変わった、彼女の表情が否定した。


「自分などには。我が女神の創りし無垢の世界を、【故郷】と愛する資格は無い」

 

 表情の理由。

 言葉の意味。

 田中には、胸を掻き毟るような疑問の答えを、聴くことは叶わない。

 何故ならば。


 田中が口を開いた瞬間、天井をぶち破って何かが落ちてきた。


「っ、!、ッッッッ!?」


 状況を。

 理解するまでの、思考の空白。驚愕。困惑。瞬間混線。散逸する意識、衝突する認識、ドミノ倒しの優先順位、何を見るべきか考えるべきかどう動くべきか何が出来るか。まるでお役所仕事、脳内が面倒臭く無駄な手順を規律の一言で押し通す。


「――――って、」


 それら【すぐに動けない理由】の全てを蹴倒した。

 押し付けの理性悉くを捻じ伏せて理屈を黙らせる。

 必要無い。

 必要無い。

 必要無い。

 必要無い。

 舞い散る天井の破片。ひっくり返る丼、割り箸の筒、七味唐辛子に爪楊枝。

 今構うべきでないあらゆる要素を突き抜けて、田中は手を伸ばした。

 彼の対面に座っていた、天使。

 その頭上から襲い掛かった、狼藉者に。


「天使さんから、離れろッ!!!!」


 そいつは。

 一見して、女に見えた。

 若く、幼く、小柄な天使より更に一回り小さい。押せば容易に倒れそうなほど。すぐにどかせられそうなほど。

 ――――その考えが、拙かった。

 

「ぇ、」


 悩むまでもない。

 原因は至ってシンプルだ。


 田中は、安易に考え過ぎた。“この世界”の基準に囚われ過ぎた。役所に勤めていたならば、自分もそれを用いていたのだから、いくらでも知っている筈の【裏技】を、あろうことか失念していた。


 田中の手が触れた瞬間。

 少女は、【変形】した。


 此処に馴染んだ物理概念、地球の常識では絶対にありえない、質量保存の法則を無視した拡張。


 中心から左右に開いた胸部から、絶対に収納出来る筈のない量の多種多様な凶器が雨霰と飛び出してきて、それに戸惑いを覚える暇もなく、彼はそのうちひとつから顔面に食らった白色のガスにより急激な眠気に襲われる。あまりにも咄嗟過ぎて、想定外過ぎて、避けることも出来なかった。


 薄れる思考、意の届かなくなる手足、勝手に落ちてくる瞼。

 抗えない意識の断絶、その際で最後に田中が見たものは、内蔵武装の飛び出した後の空間に収納されようとする力の抜けた天使の姿。



                 ■■■■■



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