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第一章:02【ライク・エンカウント】



 異世界間“渡航”。

 境界を越え渡るのでそう物々しく呼ばれもしているが、実際のところそれに要される時間は決して長いものではない。

 光の中に入った田中は、まるで扉一枚の向こうにでも移動するような何気なさで、別の世界へ到着していた。


 踏みしめる床の感触。

 光で眩んでいた視界、一瞬だけ混乱した感覚が、正常なものへ戻っていく。


 そこはもう別の世界――“その世界”にやってきた者が始めて訪れる窓口、異世界転生課だ。渡航門には通常、そういう設定がされている。

 円滑で円満な異世界転生が行われる為、各世界の異世界転生課は様々な垣根を越えて連携すべし――それぞれの世界を司る創造神たちがそのように、自らの世界に生きる子らへ命じたのだ。


 田中もこれまでに、いくつもの異世界へ渡り、他の異世界転生課と関わってきた。

 世界への出入を管理する異世界転生課の規模と出来は決まって、世界の発展、知的生命体の繁栄、住み心地や快適さと比例していたと言っていい。


『その異世界を知りたくば、異世界転生課を見よ』。

 市販の異世界転生ガイドブックで頻繁に強調されるコピーの正しさを、田中は身を以て体感してきている。


 ――そして。

 これまで田中が肌で感じ、学び、確かなものとして積み上げてきた経験則。

 その理論に従うならば、

 この場所は。


「……………………、うん」

 

 ぐるりと周囲を見渡した後、振り返って確認する。

 椅子も机も一脚ずつ。来客の座る応接用の席も無く、資料を纏める為と思しき棚の中には、ペラッペラのファイルが打ち捨てられたように倒れこんでいる。


 窓はあるがカーテンはぴっちりと閉められており、閉塞感も割増だ――とても、来客を迎えるに相応しい状態が整っているとは思えない。

 そして、田中の背後には、この世界の渡航門と思しき簡素な四角の木の囲いが、申し訳程度に立っていた。


 眩暈を気合で押さえ込む。

 要するに。

 信じ難い話ではあるが――どうやらこの世界の【異世界転生課】は、この一室で、完結しているということらしかった。

 頭の中に率直に思い浮かんだ単語、【ひなびた雑居ビル】という意識を消すのに結構な労力を使った。


 ――更に、言うなら。

 問題は、部屋についてだけではない。


「……業務中だって、話だったけど」


 改めて振り返り、見渡して確認する。

 やはり、無人だ。

 何の気配も感じられない。 

 職員が何かの用で席を外しているのだろうか。無断で歩き回るのもまずかろうし一度引き返したほうが、


「――――あ、」


 そこまで考えたところで、見つけた。

 唯一の事務机の上。

 今淹れたばかりとしか思えない、湯気の立つカップ。


「ほんの少し前までは、誰かいたのかな……」


 悪意は無い。

 気になるものを見つけたので、つい動いた――――それだけだ。

 何かを深く考えてなどいないし、手持ち無沙汰の状況、感じた些細な疑問の答えが、不透明な状況の見通しに繋がるかもしれないと、無意識に淡い期待を抱いてしまうのも、別段不自然なことではない。

 つまり、


「え、」


 まんまと罠に、嵌められた。

 田中は実に無防備に、机へと近付き、カップへと手を伸ばした。

 愚かにも、自ら隙を作ってしまった。

 机の下。

 そこから飛び出してきた者へ、咄嗟に対処出来ない位置に腕を動かしたのだ。

 その代償が、


「動くな」


 度し難く鈍重な足元を狩る、蛇噛むが如き鋭い突進。

 姿勢を崩されながら、完璧な不意打ちであるにも関わらず受身の必要すらなく柔らかく転げさせられているのは、それだけで相手の技術の証明に他ならない。

 

「いや、違うな。是非動け。そのほうが手っ取り早い。理由が立つ、動機になる、正当性が溢れ出す。何事も出来うる限り、単純に火力任せで済むといい。千の言葉で殴りあうより、銃声ひとつでけり(・・)がつく――それこそまさに、理想の世界というものだろう?」


 あまりにも無茶な理屈に反論出来ない理由はひとつ、そんなことをすればどうなるかが嫌になるほど目に見えている。

 何しろ、視界の中心だ。

 左目と右目の間、冷え冷えとした銃口が、無視の出来ない存在感で密着していた。


「どうした。遠慮はするな。好きなだけ抵抗していいぞ。おまえもいっぱしの(けもの)なら、目の前にある柔らかい肉に、形振り構わず食いつけよ。それとも貴様、成されるがままがお好みの犬ころか?」


 これ見よがしに、挑発するように、強調される引き締まった太腿。

 こちらもまた、嫌でも眼に入ってしまう――姿勢が姿勢だ。

 後ろに転ばされた直後、田中は素早く馬乗りになられていた。

 手も足も抗うにはあまりに不自由な、計算尽くの位置取り。

 それを分かった上で。

 こちらが理解していると知った上で、相手は言葉を用いている。

 抵抗は無意味であり、自白するしかない状況に追い込んでいく。

 

「ならば狗は狗らしく、存分に鳴いて貰おう。よりにもよって、この世界に――我が女神の創りし地に、不法なる侵入を仕掛けた理由をな」


 最早、考えるまでもない。

 最初田中は、この異世界転生課に、誰もいないと考えた。席を外しているのだと推測した。


 違う。

 正解は、席を外していたのではなく、息を潜めていた。

 隙を突き、優位を得る為に。物陰に隠れ、好機の瞬間を窺っていたのだ。


 その、

 軍服めいた衣装を着た、

 左目を眼帯で覆い、

 残った右目で眼球二つ分の睨みを利かせる女は。


「単独犯? は、まさか。貴様は根っから走狗の(ツラ)だ。さっきから、下っ端の気配が匂ってしょうがないんだよ」


 侮蔑を隠しもしない目線。

 嫌悪に溢れた硬い声。

 その服装に相応しい、威圧の固まりそのものの態度。


「飼い主の名と、仕込まれた命令を吐け。一体どこでどうやって、我が女神の不在を聞きつけたのかも忘れずにだ。早ければ早いほうがいい。その分苦しまずに済むからな」


 口を。

 いやらしく、嗜虐的に歪める。

 相手を弄ぶ愉悦の顔。

 上下関係の上にある確信が作る、歪んだ慈悲の発露。

 

「……ああ、そうだ。痛い怖いで舌を動かせないならば――特別に。その逆を、報酬にしてやってもよいのだぞ?」

「申し遅れました」


 銃口を眉間に突きつけられたまま。

 生殺与奪を握られたまま。

 田中は、にこりと微笑んだ。

 まるで、平常通りの様子で。


「私、この世界を創造なされた女神様の許可を得て地球という世界から訪問調査に参りました、異世界転生課勤務の異世界派遣調査員、田中と申します。この度は事前に連絡も入れず急な訪問、大変失礼致しました」


 胸ポケットのほうに名詞が入っておりますので、どうぞご確認下さいませ。

 促され、田中の無抵抗を見て取ってか、女性は素早く言われた通りに、万が一自分を陥れる策略である可能性も考慮しながら油断無く名刺を取った。

 銃はまだ下りない。

 冷酷な三白眼が、田中と手元を往復する。


「――――ッは、」


 鼻で笑い。

 そして、女は田中の名刺を、獰猛に噛み千切った。


「ふざけるなよ、貴様」


 目には怒り。

 澱みなき確信。

 声に篭った敵意はいよいよ爆発寸前で、あと一突きの刺激を受ければ破裂必至の高まり具合。


「これまでの三百年、自分がどれほど涙を飲んできたのか知っての発言だろうな」


 軍服女は堂々と、

 田中に向けて言い放つ。


「――――この世界に! まっとうな来客なぞ、あるわけがなかろうがッ!!!!」

 

 それはそれはヤケクソめいた。

 聞かされるほうの胸こそ痛む、怒りと悲しみの混合した断言。


「ひっ……人をおちょくるのもっ、いい加減にしろぉぉぉぉっ!!!!」


 その様子。

 あまりにも辛い我慢の日々が形成したのだと、推して知れる。

 本当は歓迎している事実を、心の何処か、冷めた部分が勝手に抵抗してしまい、受け入れたくても受け入れられない――――そんな、複雑な感情の入り乱れた半泣きの表情で、彼女は絶叫したのだった。

 身に纏っている軍服と、とてもミスマッチな可愛らしさで。


 反応を待たれる間。

 田中はあくまで冷静に、根気良く、可能な限りの誠実さを篭めて、繰り返す。


「本当です。自分の世界に異世界転生が行われない、その原因を調べたい――女神様より依頼を受けて、私は来ました。この世界に、転生希望者を呼び込むお手伝いをする為に」


 すん、と。

 馬乗りな彼女の喉が、小さく鳴った。

 神妙な顔。

 かすかに希望の灯った眼。

 恐る恐ると唇が、

 開く。


「…………マジで?」



                 ■■■■■



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