第三章:11【“この場所”を愛するもの】
宿場町より移動して、辿り付いたのは丘の上の小さな寺。
なるべく安全な、見通しのいい、他所に話を聞かれない場所がいいと注文した田中の願いに、彼は「それならば」と迷う素振りもなく案内してくれた。……どうやら、相当に土地勘があるらしい。
「さて、ここまで来れば良いでしょう」
周囲の林からは、蝉の合唱が響いている。
これなら確かに、隠れてこっそり聞き耳を立てようとしても無理だろう。
「久しいですね、タナカさん。私が守月草の異世界転生課に世話になった時以来だ」
屈託のない、親しげな微笑み。
異性であったらそれだけでやられてしまいそうな天然の愛嬌は、多少雰囲気が変わったところで揺るぎなく健在だった。
その、ぴこぴこと弾むように揺れる、可愛らしい犬耳も含めて。
「グヤンヴィレド皇帝陛下は、松衣に滞在していらっしゃったのですね」
「オウル、とお呼び下さい。あの時も言いましたが、私は既に冠を下ろした身なので」
『世界の壁を越えての新しい生活に、以前の経歴を引き継ぐつもりは無いのです』――狛犬の台座に腰を下ろしたかつての皇帝は、ウィンクを一つする。
「そうした【荷】を全て置いて、そこからの自分に何が出来るのか。それが私の、異世界転生の理由でもありますから。なので、これからは仕事上の関係ではなく、プライベートとして仲良くしてくださいね、タナカさん。恩人で年長の貴方から、敬語を使われてしまうのも面映い」
「……了解、オウル」
「ありがとうございます」
本来、異世界転生を行った者は、それまでの経歴や特技、能力に性格を鑑みた生活の補助が行われる。
職の斡旋に、住居の手配――そうした権利も丸ごと辞退し、彼は【この世界にいてもいいこと】以外の全てを、自分で見つけて手に入れているらしかった。
自分の手で得て。
自分の力で暮らし。
自分の目で世に触れる、放浪の生活。
世界を回る、旅人であること。
より多くの見識を、自身の中に獲得すること。
それが今の、グヤンヴィレド・ベル・オウルの指針だと言う。
本来ならば通すには難しい条件だが、他ならぬあの工藤が身元引受の保証人になることで無理を道理に組み直したとか。
彼女ならそういうことが出来るよなあ、と田中は納得し、彼女にはやはり頭が上がりません、と元皇帝は笑った。
「そういえば、クドウさんはご一緒ではないのですか?」
「何しろ引く手数多、年がら年中スケジュールがビッシリの敏腕異世界コンサルタントだからね。どれくらいかかるかわからない現場の調査に行かせるなんてもってのほかだし、万が一にも危ない目になんて合わせられないんだよ。要は現場を歩く刑事と、後方から命令を出すキャリア組の違いってわけ」
「そうだ。危ない目といえば、タナカさん。先ほど、あの少年たちに危害を加えられていたようですが――」
「ああ、」
察する。
オウルは、グヤンドランガの決闘場で田中が彼を圧倒したあの時のことを言っているのだろう。
「主祭神分霊憑依保険の適用範囲はね、あくまでも【異世界へ派遣調査目的で渡航する時】のみなんだ。たとえ異世界転生課の業務、危険が伴う可能性があることであっても、同じ世界、僕で言うなら地球での仕事の時に頼ることは出来ない。それほどまでに取り扱いが慎重な、本来は人の身に余るし人が扱っちゃいけない領域の反則だから」
つまり、何の掛け値も無い。
切り札も、奥の手も、あの場で使えたものなんて、ハッタリ以外は品切れだった。
「なんで、さっきは本当助かった。ぶっちゃけあの状況、滅茶苦茶怖かったしどうにも成す術無くてさ」
苦笑する田中と対照的に、オウルの表情には憂いがある。
田中も思わず、彼がまだ未成年だということを忘れてしまいそうになる、大人びた、真剣な顔。
「タナカさん。これは貴方の、異世界転生課の業務に関わることで、安易に部外者が踏み込んではいけない機密の問題であると理解はしています。しかし、それを承知で私は言うし聴いてほしい」
「――うん、」
「【松衣の幽霊城】事件。その解決に、私も協力させて頂けませんか」
誓って言える。
彼には邪念など無い。
悪意も含みも興味本位も、不真面目な理由など何一つ。
グヤンヴィレド・ベル・オウルが、どんなに実直で、清廉であり、一途なのかは。
――信頼出来る筋の関係者から、先日のグヤンドランガ訪問の後、あの酒豪が酒も飲まずに語ったのを聞いている。
「私は今、松衣の商店で生活と仕事の世話になっています。女将にも旦那にも、頭が上がらないほど礼がある。あの人たちも困っていたのです、その悪しき噂のせいで客足が減っている、と」
純粋な人助け。
恩人への返礼。
オウルに限ってその動機によもや疑う余地もなし、土地勘があり、更には腕っぷしの確かな男手の助力を得られるのは、今日巻き込まれかけたトラブルを考えれば、それこそ願ったり叶ったり、渡りに船も極まりない。
……しかし。
それでも、やはり彼は部外者であり、公的な業務に一介の職員の独断で関わらせるのは、
「お願いします、タナカさん。所詮外様の風来坊風情が、何を言うのかと思われるのかもしれませんが」
田中の迷いを見て取ったのだろう。
オウルは、真っ直ぐに訴えかけてくる。
お役所仕事の理屈を越えた、
人間としての、感情の部分に。
「私は、この町を愛しているのです」
「――連絡先、教えてくれるかな」
ふう、と。
息を吐いたのは、憂鬱からではなく、切り替える為だ。
自分の中の、つまらない迷いや、幼稚な感情を。
「そういう悪だくみが得意な同僚や、僕に出張を命じた上司に連絡を取るよ。……あの人たちは僕と違って優秀だから、まあ、おそらく確実だろう。どういうふうに体裁を整えて無理を通すか決まったら、今夜のうちに報告する」
太陽が弾けるような笑顔。
オウルは「ご馳走します。私のお世話になっている店がこの近くなのです」と、田中の手を引いて階段を下り始めた。
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