第三章:08【松衣幽霊城事件】
松衣市出張、二日目。
この日からは三人がそれぞれに別行動をするとあらかじめ決めている。
女神は旅館の部屋に篭り、さっそく昨日の海での体験を世界創造にフィードバックする。
天使は松衣市役所異世界転生課で、研修指導の世話になる。
そして、田中は守月草異世界転生課が世話になっているいくつかの会社への、夏の備品搬入等の打ち合わせ・挨拶の為の外回りへ。
――――ということに。
表向き彼は、二人に対してはそう説明している。
「……さて」
昨日の海水浴場からは、バスで二十分ほどの市の中心部。
穏やかな海と面している土地柄や観光等を柱とする、来訪者の宿場町として発展した、企業がビジネスを営みビルが立ち並ぶ守月草とは有り様の違う松衣の空気、匂いを感じ、ぐるりと一度、周囲を見渡す。
「どこらへんから、当たってみるかな」
広げた扇子で、自身を扇ぐ。
異世界転生課の職員には、とても見えない――旅先で寛ぎ、ぶらりと外に出てきた観光客といった具合の男、甚平姿の田中が、威勢よく客を呼ぶ饅頭と冷やし甘酒の屋台へ下駄を鳴らして近付いていった。
「あぁすまないね。にいさん、饅頭を二つに甘酒を一杯貰えるかな」
「よっ! お目が高いねェウチを選んでくれるたァ! あんた、見たトコ観光のヒトだろ? 大ッ正解だ! 夏の松衣に来てウチの饅頭と冷やし甘酒を飲まずに帰ったってんじゃあ、勿体無ェにも程があらァ! 御近所の奥様さまがたからヨソの世界から来なすった個性豊かな連中まで、一口頬張りゃあ誰も彼もがニコニコと昔っからの大評判よ!」
威勢も気持ちもいい売り口上を聞いていれば、饅頭の蒸し上がりも生姜たっぷりの甘酒が紙コップに注がれるのもすぐだった。
その名の通り、松が葉を広げたように大きな饅頭を受け取りながら、田中は笑顔で代金を渡す。
「ひいふうみいよ――へへ、毎度ありっ!」
「こりゃあ凄いね。大したもんだ。名物になるのも頷ける」
「だろうっ? 店内にゃあ土産用の大箱も売ってるからよ、故郷でツレを驚かせたかったら是非買って帰ってくんねぇ!」
人懐っこい笑い。
日に焼けた肌、見るからに逞しい体は、彼が確かに街頭に立ち続けて仕事をしている、重みと証拠を確認させる。
「へえ。普段から松衣を見て、松衣の人と話しながら商売をしているんですか、にいさんは」
「おうよ。じっくり腰据えてやってらァ」
「なら」
冷やし甘酒を啜りながら。
田中は、自然な調子で切り出した。
「ここのところ松衣で流行ってる――【幽霊城】のウワサ、なんてのもご存知ですか?」
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異世界派遣調査員。
それはつまり、数多の異世界の、異なる常識、異なる現象、異なる法則、異なる文化――【視点】を体感してきた人間だ。
故に、目が利き、鼻が利く。
何にか。
【自分の世界で】。
【異世界の存在が起こしている事件に】だ。
田中が今回、そうした理由で選ばれた。
自らの世界から、異世界の匂いを嗅ぎ分けるべく、調査の為に派遣された。
この。
一見何の異常も起こっていない、平和な海沿いの観光地、松衣に。
――――実害の知らせ事態は、今に至るまで報告されていない。
それは、触れられぬ幻で、在るだけの風景だった。
最初の観測は、二ヶ月前、松衣の東。
発見者は飲み会帰りの酒屋の主人、時刻は深夜。
火照った身体を覚ます風を受けながら、彼は、町の西に城を見た。
ビルの無い町に一等高く伸び上がる、場違いで、不自然で、現実感に乏しい、巨大建造物。
眼を凝らしてわかったのは、それが尋常な造りではなく、西洋風の石の城であることだった。
面白がった彼は酔いの気分も手伝いそちらへと向かったが、見えていたはずの位置につくころにはいつのまにかその城は消えてなくなっていた。
彼はその、【幽霊みたいな城の話】を方々で話の種にし。
誰もがそれを、「これだから酔っ払いは面白い」と笑い飛ばした。
そんな【酩酊した阿呆の与太話】は、しかし。
松衣各地で、【同様のものを見た】という話が重なるにつれ、不可思議な厚みを得ていく。
“夜”、
“宿場町の西に”。
だけではない。
時には北、明日は東、いやいや南――ついには、朝の海の沖にまでその城があったという証言が、異口同音に相次いだ。
第一発見者の発言に倣い、いつしかそれは、こう呼ばれるようになる。
【松衣の幽霊城】。
時を選ばず。
場所も定めず。
ただただ、遠くに眺めるだけの、ひたすらに雄大で、手に触れられない、超然とした“何か”。
この、世暦の時代。様々な世界同士が交流する、転生の時代。
決して【ありえない嘘】と言い切れない、けれど不可思議で奇妙な、もしかしたら次なる松衣観光の要。
――そのように、この謎を、ただ単純に面白がれれば、どんなに良かったか。
【松衣の幽霊城】、目撃開始、以降。
松衣では、少年少女の家出事件が多発した。
現在。
二ヶ月で十二件の家出が発生し、そのいずれも未解決。
保護者たちはいなくなった子供に対し、ほぼ例外なく【思い当たる節が無い】と証言している。
物言わぬ巨岩の城。
見つけようと近づけぬ、虹の根の如き幻。
直近の事例は四日前。幽霊城は松衣の海岸に姿を現し、そしてまた一件の届けが増えた。
今度は。
松衣に住む子供ではない、観光にやってきた家族の娘――【家出】ではなく、初の【失踪】事件として。
そこが岐路になった。
【松衣の幽霊城】に本格的な調査の必要性が認められると同時、近隣の異世界転生課に協力要請が打診され、彼――異世界の雰囲気に鼻が聴く派遣調査員、田中に出張が命じられることになったのだった。
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