第三章:05【浜辺の天使と女神様(比喩無し)】
『貴女も一緒に来ませんか、天使さん』
三日前。
出張への同行を切り出す為に訪問した女神の異世界転生課で、田中は横で話を聞いていた天使にそう切り出した。
『考えてみてください。これから女神様の世界創造が進み、多くの人を招くに相応しい場所が出来上がった時。その後には、誰の出番がありますか?』
田中の言わんとしていることを察した天使は、う、と眉を顰めた。
……何せ。役職こそ異世界転生課職員ではあるが、実際のところ彼女に、その業務に携わった経験はほぼ皆無だと言っていい。
無理もないし仕方もない。これまで一度も転生希望者が現れていない世界では、そもそも彼女にやれることなぞ無かったのだから。
これまでは。
『これからは。出来なくなっていなければ、困ることがあるでしょう』
女神の異世界が順調に学習と成長を遂げ構築が進んだならば、初の転生希望者を迎えるのも、沢山の人が訪れるのも遠い話ではない。
そうなってから。
ただ無秩序に、転生させる人を迎え入れればいいというわけではない、【異世界和親条約】というルールでこそ転生が認められている現代で――肝心の手続を進めるのがあれこれ手間取る素人では、きっと、いや絶対に大変なことになる。
女神の努力も。
台無しになる。
『女神様は、前に進んでいる。ならばそのパートナーとしての貴女もまた、“見守るだけ”の惰性に留まる理由がありますか?』
『愚問を問うてくれるなよ』
一も二もない、即答。
『連れて往け。この天使を――位階高める、試練の場へな』
そのようにして、話は決まった。
状況は多少例外的ではあるが、異世界転生課同士の連携、異世界転生が滞りなく行われるよう世界の垣根を越えた努力を尽くすのは【異世界和親条約】で記された守られるべき要項の一つでもある。
天使の【異世界の転生課への研修】はこのような経緯で発案され、松衣市異世界転生課の合意を以て無事承認される運びとなった。
そして、一方。
女神がこの、海沿いの町へ来た用件は。
「お、おまたせしました、田中さん」
季節に伴う厳しさ辛さの、だからこそその反対側に生まれる楽しさの体感。
今で言うなら、【暑いからこそ嬉しいこと】。
「ほ、ほんとうにその、このような姿になっていいもの、なんですよね?」
もじもじと、身を捩る。
普段の姿、女神としての正装と比べ。
軽やかな薄着、で済んでいた移動時のサマーワンピースから、更なる先へ踏み出した。
「は、は、……はしっ、たなく、ない、でしょうか?」
そんなことはない。
海に来て、砂浜にあって、水着を着るのは極々自然なスタイルだ。全国で共通の、文化を問わない、当たり前の正装だ。
自信に欠いた振る舞いと裏腹に、その姿はまさしく芸術品めいて美しい。
……出会いの初日、ふとしたタイミングで感じたように。
やはり女神というだけあって、まるで名画から抜け出てきたような、高名な彫刻が命を得て動き出したような、思わず眩暈を覚えそうな、人惹き付ける魅力を放っている。
実在する現実に、ありったけの“理想”と“希望”を――人々の心の中にある輝きを付随させた創作物が、そっくりそのまま実際に現れたに等しい非現実的なまでの神々しさを、改めて田中は目の当たりにした。
「こ、こんなに一杯、見えてしまっていて……」
本人の控えめな気風。
瑞々しく豊かな身体。
ビキニがそれらをミスマッチに結び付けている。パレオを巻かれ申し訳程度に隠された下半身はそれこそ焼け石に水というもので、その美貌も、彼女自身の安心も、まったく隠せも守れもしていない。本人の意に反し、周囲の注目を集める結果になっているのが傍目から丸分かりだった。
「何を恥じらうことがありましょう」
対して。
そちらは、堂々としたものだった。
「怯える時とはこれ即ち、己にその場で成す術なき時。断言致します、我が女神。貴女はこの砂浜で、最も輝く地の太陽だ。空のものすら叶いはしない」
移動中にしていた少年風ないでたちの際の葛藤はどこへやら、今の天使に迷い無し。
立ち居振る舞いの力強さは海に遊びに来たのではなくトレーニングの為に砂浜に足を運んだという具合で、身に纏うセパレートの水着も油断すればトレーニングウェアのようにさえ見えてくる。
それでも、だとしても、その姿が魅力的であることに変わりは無い。
女神のそれが芸術の美であるならば、天使の引き締まった細身、活力に溢れた様は、惚れて憧れるアスリートの肉体といったところだ。
「そうだな、タナカ?」
だから。
特に気負ったわけでもなく、口からはするりと自然に言葉が落ちた。
「はい。ただ、天使さんも負けないぐらいに魅力的だと思いますがね」
そして、まったくちぐはぐだ。
田中のそんな台詞を受けて、天使本人はまるで不意に殴られでもしたかのように狼狽し、女神のほうが天使のことを、自分が褒められた以上に喜んで囃し立てた。今の今までやられていた、羞恥心さえ押し退けて。
「行こう、天使。折角来たんだもの、そこにあるのだもの! まずは味わってみましょうよ、【ウミ】というものを!」
「――はい、我が女神」
手を引き引かれ、小走りに駆けて行く。その背中を見送りながら、田中は今しがた作ったパラソルの日陰、シートの上に腰を下ろす。
……やはり、またしても不敬な話でしかないとは思うが。
はじめて見たものにはしゃぎ、全身でぶつかり、新しいことを知ろうとしている女性二人は。
まるで、人間にしか見えなかった。
「いけないよなあ、こういうのは」
尤も。
あの二人がいくら美人だからといって、不埒な下心で近付く者が現れたとしても――これはどうやっても問題にならない、なることができないぐらいには、通常の生物より遥かに頑強なのである。
下手が起こって、万が一テンパったなら、妙な事故が起こりかねないぐらいには。
「……うん。多分、僕が気を配んなきゃいけないのって、そっちだよね。どう考えても」
眼を細め、その様子を眺めて祈る。
本日、月曜平日の松衣海水浴場には休日ほど多くの人はいないが――あの恐る恐る波打ち際で前進後退を繰り返しながらそっと指で引く波の残滓をつつき舌に触れ、「て、て、天使っ! これほんとうに――お塩入ってますよ!?」と興奮しながら叫ぶナイスバディの美女が、
畏れ多くも神様だと、どうかわかってくれますように。
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