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第三章:04【知らなかった人、初めて逢う人】


 つまり、工藤女史はこう仰った。

 逆境もまた一種の突端。視点を変えて思考を回し、角度をズラせばあら不思議。課題問題難題が、ぐるりプラスに早着替え。


『放っておけない。であればいっそ、連れて行けばいいのですよ。田中さんの出張先に。折角その場所だって、おあつらえ向きなのですから――どういう神の思し召しか、ね』


 鈍行電車は線路を走る。

 町並を抜け、田園を抜け、河を眺めてトンネル越えて。


 そうして、そこに海があった。

 進行方向左側、ボックス席の窓の向こう。どこまでも遠く広大で、夏の陽を跳ね返して輝く、果ての見えない青の色。


 異世界の女神は。

 異世界の天使は。

 感嘆の息すら吐き出せず、彼方の風景を見詰めたまま、時が止まったように硬直した。

 畏れるように。

 敬うように。


 ほどなくして、目的地へと到着する。

 守月草から約一時間三十分。扉の開いた車内に濃厚な潮風が、市内では決して感じられない土地の匂いが鮮烈に吹き込んできた。


『終点、松衣(まつえ)、松衣。お荷物のお忘れものに、ご注意ください』


 アナウンスを背に、ほどよく冷房の効いていた心地よい車内から踏み出した。

 瞬間、

 照りつける太陽。

 肌を包む熱気。

 茹だるような、季節の猛威。


 それも、これも、市街ではへばってしまう辛さも。

 海と、砂浜。

 その組み合わせで、醍醐味になる。


「さて。水を差すようで申し訳ありませんが、先にやるべきことを済ませましょうか、お二人とも」


 聞いているのか、いないのだか。

 電車を降りた直後、小さな無人駅のホームからも眺められる松衣海水浴場の風景に、彼女らは頬を緩めて見入っていた。

 田中は思わず苦笑する。


「長い事、一緒にいるだけあるよなあ」


 正反対のようでいて。

 なんだかんだ、似たもの同士だ。



                 ■■■■■



 すみません、と入口で声を上げた。

 間もなくして、背の高い仲居がぱたぱたと小走りに現れた。


「本日より三名で予約を取らせて頂いていた、守月草市役所の田中と申します」


 お世話になります、と頭を下げると、仲居は「はい、お待ちしておりました」と丁寧にお辞儀を返した。


「では、そちらが?」

「はい。異世界の創造神様と、天使様です」

「お、お、お世話になりますっ!」

「よ、よろしく、その、頼む」

「あらあら。これはこれは、どうも御丁寧に。私共福禄荘(ふくろくそう)一同、心を篭めておもてなしさせて頂きます。松衣はいいところですので、どうぞごゆっくり、よい思い出を作っていってくださいね」


 板張りの廊下を歩き、階段を昇り、二階【福の間】に三人は案内される。

 十畳の二部屋を横並びにし襖で区切られる畳の部屋、左右分が繋がる奥の広縁からは地名の元となったと言われる有名な松の木と、遮るものの無い海の絶景が臨める。

 持ってきた荷物を分け終えたころ、閉ざされていた襖が開いた。


「待たせたな、タナカ」


 実に、堂々とした態度。

 まるで生まれ変わったような、自信と強気を纏いながら、彼女は満足げに腕を組む。


「うむ。やはりこっちだ、私の性に合っている。クドウには悪いが、あの服装はどうにも、防備という面で大きな不安が残ったからな!」


 天使馴染みの、軍服めいた正装。

 に、過ごし易いよう工藤プロデュースのアレンジを加えた、クール・ビズ仕様。


「では行こうか。案ずるな、準備も覚悟も、昨日のうちに済ませたともさ」


 着替えた天使、大荷物を持った女神と共に出かける。

 向かう先は、旅館福禄荘最寄のバス亭から十分。

 松衣市役所、異世界転生課。

 

「あぁあぁ、あんたが守月草の田中さんかぁ。こりゃあまあようく来なせった」


 受付で来訪を告げると、初老の男性が扇子をぱたぱたとやりながら人懐っこく笑った。


「まぁまぁよろし頼まぁさ。いんや助けった、こちとしてもさ、はぃやどぉすかね思ってったんねけで、(わけ)人ら手伝ってくっとあんがてせ、もろ調べみてくぇいや。後ごろに他のらへも紹介しょるわ。おらちは岸島(きしま)言いよぉけぇ、なんかあったれらばどんど言おぅてくっちゃれぃ」


 言葉には松衣の年長者独特の訛りがあって、気を抜くとこんがらがってしまいかける。

 なので、表面上は強張りを出さないようあくまで柔和に、けれど注意深く田中は聞き取り、「はい。どうぞよろしくお願いします、岸島さん」と頭を下げた。


んで(それで)そちの嬢ちゃが(そっちの彼女が)?」


 田中の斜め後方に待機していた天使を覗き見る岸島。

 視線が合った。

 のを、きっかけに。


 天使は、田中を押し退けるようにして前に出て。

 そう広くはない松衣市異世界転生課の、そのフロア全域に響くほど激しく机に手を突いた。


 何事かと皆が振り向く。

 その一身に注目を集める。

 

「はじめまして、教官殿」


 そして、彼女は。

 ロマンスグレーな方々が中心の、和気藹々のほほんとした地方の異世界転生課で。


「私が本日よりこの異世界転生課で研修の任に就く、世暦史上最も美しくかつ素晴らしき女神の従僕である。貴君らが私に叩き込むことは即ち、我が女神へ連なる信仰と崇拝であるのだとゆめ忘れることなく、全霊を賭して教育に励むが良いっ!!!!」

 

 出鱈目で滅裂な、無闇な勢いと確信に隅々まで満ちた宣言をした。

 ――無論。

 その熱意を、その威力を、最も間近で浴びたのは田中だった。


 準備とは何だ、覚悟とはどういう意味だ。「今回はお願いする立場になるので失礼の無いようにしましょうね」という事前の注意はあれでも遠回しすぎたのか? だとすれば自分は、台本まで用意するべきだったのだろうか?


 田中が先に立たない後悔と共に貧血と眩暈に似た症状に襲われた直後、それは起こった。

 松衣市異世界転生課のそこかしこ、職員の皆様方から、「そぉこら張りきらんと(これは張り切らないと)いがげねなあ(いかないなあ)」「ハァ若しは元気なんが(若い人は元気なのが)いっちゃんや(一番だ)」「んなっはっは、おっがねおっがねおっかないおっかなないさぼれはんね(サボれないな)、なんまんだぶなんまんだぶ!」などなどの好意的な声、反応が相次いだのだ。驚くことに。


 呆然とする田中を余所に天使はさも当然、当たり前だというふうに満足げに笑い、岸島と熱い握手を交わしたのだった。


「キシマよ。まず私に、何を仕込む?」

んだらなあ(そうだなあ)


 面白いものを見る目。

 楽しくなってきたという表情。

 岸島はにっかりと、


「松衣ではたらぐったんなれば(働くんならば)。まずは松衣のもんになってくらんたなぁ(なってこないとなぁ)


 市役所、一階、窓の外。

 潮風の吹きつける、海の景色を指差した。



                 ■■■■■



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