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第一章:01【当たり前の異世界へ】


「課長。こちらに判を頂けますか?」

「はぁいはい拝見致しましょうっと。んー……あぁ、そうかそうかなるほどなるほど、これ、さっきの騒ぎのか。へぇぇ、田中くん、そういうことになったんだ?」

「何をするにせよ、現状把握が第一かと。午後を空ける件については調整が付きましたので、まずはこの目で状況を確かめて来ますよ」

「お願いねー……っと」


 引き出しから取り出された印鑑。

 朱肉に押し当て息を吹きかけ、ゴム台の上に置かれた書類に、ベタンと押し当てグリグリと。


「うん。百点」


 その出来栄えを確かめて、課長が満足げな笑みを浮かべる。

 書類にはこうある。


 異世界調査渡航申請書。


「ではここに書かれた通り、これから君はその業務の終了まで、異世界和親条約地球圏日本支部八百万組合長天照大神様による分霊(わけみたま)の加護を授かります。お清めと霊写(たまうつし)等の所定の手続きを済ませた後、えっと、今は十六番渡航門が開いてるか。出発はそちらを使ってくれ。それじゃあ田中くん、気をつけて行ってらっしゃいね」

 


                 ■■■■■


 

 異世界転生課はその名の通り、“別の世界に移住する”という事柄に関する諸々の公務を執り行う。

 これから田中がやろうとしている【調査渡航】は、ざっくりと言えば【転生先異世界の下調べ】だ。


 現在いま、その場所はどうなっているのか。

 希望通りの転生先であり、新天地で無事に基盤を整えられるか。

 そういった実情を正確に把握する為、異世界転生課は調査員を派遣する。


 禊を済ませ、服を着替える。

 外見上は何の変哲も無いフォーマルな装いであるが、無論それだけに留まらない。

 田中の纏うこのスーツ、異世界転生課日本支部八百万組合の主祭神たる天照大神を奉る神社の巫女の、オーダーメイドの手縫いである。


 つまりは糸一本まで霊験あらたか。

 神の内でも人の内でも、正装と言える特注の一品なのだ。その品質、デザイン、袖の長さに至るまで、天照大神が直々に文句無しの太鼓判を押している。


 そんな、こういう時でもないと着れない上物に身を包み、鞄を提げて向かった先は一階右手廊下奥、【十六番渡航門室】と書かれた表札の掛かった部屋。

 中に誂えられているのは、全高三メートルほどの三重鳥居――そして、それをまじまじと興味深そうに、くるくると周囲を回って眺めていたのは、今回田中をこの部屋に導くことになった女神であった。


「どうも、お待たせ致しました」

「あっ、たっ、田中しゃんッ!」


 そういうこともある。

 突然に声を掛けられ、急な意識の割り振りに思わず噛んだ客人に対し、田中はわざわざ言及しない。


 羞恥も反省も狼狽も、彼女が既に自分自身でやっている。赤らむ顔を取り沙汰すのは、泣き面に蜂というものだろう。

 配慮としては咳払い一つ。

 雰囲気と段階を切り替える。


「これより、私があなたの世界へ調査渡航に行って参ります。確認をしておきたいのですが、そちらの異世界転生課は」

「は、は、はいっ! この時間であれば、えっと、それは問題無くがんばっていると思いましゅっ!」


 硬い。

 田中から見てもこの女神の緊張度合、肩の力の入りようといったら尋常ではなく、態度の隅から隅までにひとかけらの余裕も見当たらない。


 その正体。

 その原因。

 ついぞ、話を聞くだけではわかりはしなかった。


 受付で騒ぎ散らした先程の一幕、案内するという体で避難させた別室で、彼女は田中からの質問にはろくに答えず、答えられず、言い方を変え切り口を変え、結局はただひとつの質問だけを繰り返していた。


『何がいけないのでしょうか』。 


「調査を行えば、状況は進展します。あなたの問いにも今度こそ、きちんと答えられますよ」

「……っ!」


 口ほどに物を言う。

 かちこちに固まった緊張の奥から、輝かしいものがぱっと覗く。

 まるで子供のようでさえある、感情の雄弁な発露。

 大人どころか、神様なのに。


「しばし朗報をお待ちください。……ええと、」

「はい。先程も申しましたが」


 にこりと笑い、

 そして言う。


「私は未だ名を持ちません。どうぞ遠慮なく、単に【女神】と呼んで頂ければ結構ですので!」


 だから。

 それが、問題だ。

 市役所異世界転生課異世界派遣調査員である田中が、当日受付の当日出立、他の公務を余所に回してのかかり切りという決断に踏み切った、その理由。


【転生異世界登録名簿】。

 膨大なデータベースのどこを調べても載っていなかった、その【世界】――

 ――【名前の無い女神】。


「女神様」


 正面に立ち、

 一礼。


「あなたの世界に、御邪魔させて頂きます」


 何を一体どのように解釈したのか、再び彼女は赤面し、「お手柔らかにお願いします」ともじもじした。


 向き直る。

 三重の鳥居から、三歩下がった位置。田中は所定の作法をこなす。礼をし、手を打ち、また礼をして、唱えるは祝詞。

 此方と彼方。

 世界、二つ分へ捧げる、祈願。


 それが終わり、ほどなくして。

 石造りの鳥居が、その下からぼう(・・)と、朱に染まった。

 神妙に、不可思議に。

 今の今まで、単なる【同じ部屋の一部】でしかなかった鳥居の下の空間が、向こう側の窺い知れない、白い光に塗り潰された。


 その中に。

 その先に、繋がる場所に。


「では、失礼」


 田中は微塵も恐れることなく、第一歩を踏み出した。

 

 此処より遥か。

 地球とは別の、遠き【異世界】への出発を。



                 ■■■■■



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