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第二章:14【人の心、神の力】



 瞬間。

 勝利を確信したグヤンヴィレドは、

 その声を聞いた。


『発令』


「――は?」


『発令 発令 発令 発令。緊急警報。衝撃有。敵意有。害意有。危険性感知。緊急要請。承認了解。期間限定、当障害排除迄』


 誰が発したものではない。

 彼が発した音声(こえ)ではない。

 まるで空間そのものが歌い上げているような、どこからともつかない、音響。


 それは手順を踏んだ機構(システム)であり、書面を交わした正当な契約であり、何処の世界だろうと関係無く効力を保証された【保険】の実効だった。


 世界を超える神々の理。

主祭神分霊憑依保険しゅさいしんぶんれいひょういほけん】。


『神威解放・天照大神』


 グヤンヴィレド・ベル・オウル。

 彼が如何にして、【グヤンドランガ最強の男】となったのか。

 前皇帝は彼に皇位を譲り渡した際、その才覚をして【百獣皇帝】と評した。


 鍛造した肉体。

 卓越する直感。

 型破りの技芸。

 恐るべきはその出自と、格闘術の会得方法。


 彼は天涯孤独の孤児であり、師を持たない。

 グヤンリーより遥か東部、【死出の荒野】と恐れられる、無数の神獣くずれ(・・・・)が一切の文明を寄せ付けず闊歩する地に、処分(・・)された捨て子こそ彼だ。


 武具の、知恵の、肉体以外の補助なくば枯葉の如きに儚い命を、肉体のみで繋いだ露命。有り得ざる不可能に鍛鉄された、存在するはずもない生命。


 その本能が。

 戴冠以来、人の社会に受け入れられて以来始めて、全力で吠え猛った。


 跳躍。

 グヤンヴィレドは一歩で距離を取る。

 四足に近い構えは彼が最も得意とするもの。人として人の中で生きる為にと我慢していた御仕着せの概念を彼は刹那の内に捨て去る。


 無理もない。

 彼が今、その肌で浴びたのは、あまりにも濃密な【敗北】のイメージだ。即ち、懐かしき【死】のにおい(・・・)だ。


 目が覚める。

 心が醒める。

 頭が冷める。

 その場で彼は旋転する。手と足で地を打ち、跳ね、鋭く真横に回ってから着地する。


 何をどうしたのか。

 何がどうされたのか。

 身につけていた軽装甲、文明の名残が一斉に剥がれて落ちた。彼は判断したのだ。このようなものは邪魔にしかならない。今目の前にいる相手には、速度を落としていてはいけない。


 殺さねばならない相手の前で。

 人のふりなどしていられない。

 彼は駆けた。その四足で。己が発揮出来る最高を、全速を、全力を、躊躇無く叩き付ける為に。


 既に命を勘定してすらいない。

 グヤンヴィレドは“ひとり”になった。ベル・オウルの名を与えられる以前に戻った。枯れた荒野、弱肉強食の理、溢れ返る獣の中で生命(いのち)を謳う、牙と爪がそこにいた。


 地を走る稲妻の軌道。織り交ぜられる疾走と跳躍。瞳には熱。原始の熱、血液の熱、狩猟者の熱、無慈悲の熱。


 殺すつもりで動いている。

 生きる為に戦っている。

 真横から襲い掛かる。

 猛獣の速度だった。


「いけませんよ、皇帝陛下」


 言葉が。

 壁になったようだった。

 グヤンヴィレドの五指は、相手に触れるより前に空中で弾かれた。深い抵抗。頑強の感触。嫌な意味で覚えがある。あの荒野の中心に聳えていた、巨岩に齧りついた時のような無力感――それも、こちらのほうがそれよりも、遥かに堅く、成す術が無かった。


「そのような振舞いは駄目だ。たとえグヤンリーの皇帝が、政治や支配に携わらない治安維持の象徴だとしても、いえ、だからこそ、守らねばならない体裁というものがあるでしょう」


 隙間が無い。

 全方位、どこからも攻められない。まるでそいつは、透明な岩屋にでも閉じこもっているかのように守られている。


「かつて、前皇帝の依頼で【異世界転生者を含めた者たちの中から新しい皇帝を選出する】お手伝いをした後、工藤さんは随分と気にかけていました。“小さな子供に随分と懐かれたが、純粋すぎる彼は、何もかもを鵜呑みにしていないだろうか”と」

「    ッ、」


 獣の目に。

 その名を聞いた時、ほんのわずかな動揺が走った。


「そうしたら案の定。彼女が出逢った子供は、随分と極端な生き方(・・・・・・)に走ってしまっていた。人の世界に、あまりにも鮮烈な刺激の数々に、当てられ過ぎた」

「  ッッッッ!」


 色が、変わった。

 それまで純粋な、生存本能からのものであった攻撃に、無駄が増える――苛立ちが、混じる。


「自分の関わった仕事だ。とても捨て置くわけにはいかない。そこで彼女は、一計を案じた。そうなるしかない状況(・・・・・・・・・・)を創り上げて、調子に乗っている子供の鼻っ柱をここらで一度へし折っておくべきだ、とね」

「何が言いたいッ!!!!」

「聞く耳が戻りましたね」


 人としての言語を用いた彼に。

 背後に回っていたグヤンヴィレドに、

 田中が、笑顔で向き直る。


「伝言を伝えましょう」

「ッ!」

「『正しいことの為には何をしてもいいというわけじゃない』。『合理性は卑怯や我欲の言い訳じゃない』。『キレイであり続けようとする志は美しいが、無理しすぎると疲れが溜まる』」

「っく、」


『人のだめなところまで、真似ようとしなくていいんです』。

『あの荒野で。私を助けてくれたそのままの貴方は、とっても格好良かったですよ、王子様』。


「っく……ク、ドウ、さん――――ッ!」

「そして最後にもう一つ」


 手が。

 触れた。

 それまでグヤンヴィレドがどのようにしても突破出来なかった境界を、

 あっさりと。

 その向こうから、田中が越えた。


「『負けは得難い経験なので、一回どーんとやられましょう』」

「……え?」


 その後のことを、グヤンヴィレドは知らない。

 グヤンリー地下決戦場での最後の記憶は、目の前に翳された田中の手、凄まじい閃光と叩き付ける熱風。


 ――嗚呼、と思う。

 まるで。

 太陽に飛び込んだみたいな、清々しくて眩しい圧倒、納得するしかない敗北感。

 そうして、【死出の荒野】より見出されて以来、これまで一度の敗北も刻むことの無かったグヤンドランガ最強の男は、あっさりと気を失った。



                 ■■■■■



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