第二章:13【不夜王城、地下決戦場にて】
音に聞こえし不夜王城には、伝説となった場所がある。
光無きが故に闇も無い、深遠なる地の底の底。
かつて世界を救った英雄が、怪物の王と戦いを繰り広げられた天然の空洞。
「ここは本来、王族以外に立ち入ることの出来ぬ場所だ」
しかし、それも今や昔の物語。
以降、その場所は新たなる役割と歴史を築き上げてきた。
元の形状を生かし、加工する形で、グヤンドランガの冶金学建築技術芸術性の粋を凝らした空間が創られた。
中央に広い空間。
周囲を囲む客席。
見るものが見れば、一目で察するその用途。
「懐かしいよ。私が始めてここに訪れた時は、ひどく場違いな感覚ばかり覚えていたっけな」
英雄が怪物を討ち果たした地は、その後、選ばれた者たちが自らの誇りを競わせる、神聖にして高潔な裁定の場に生まれ変わった。
たとえば。――現皇帝への挑戦権を得た者が、新たな皇帝となる争奪戦を挑む時に。
或いは。――分け合えず譲り合えない何がしかの権利を巡って、どちらがより相応しいかその証を立てる際。
グヤンリー地下決戦場は、己が頭上に栄冠を求める不屈の闘士を迎え入れる。
「……それにしても、」
舞台への入口は東西に一つずつ。
通路を抜けた先は控え室と隣接している。創造神であると共に武と冶金を司る存在でもあるグヤンドランガの神像に必勝の祈願を捧げ、決闘者はそこで自分の持ち込んだ品の他、用意された一級の武具の中から己にとって最適のものを選び出す。
「君は、本気か?」
年代毎・時代毎・用途毎に分けられた防具の中からグヤンヴィレドが選んだのは、一対一の決闘に百勝することをコンセプトにデザインされた、運動性を落とさないまま敵の攻撃を見切り・受けることに特化した、イェーラ戦記時代の軽装甲。身体の急所部分を限定的に覆い隠し、手や足などの意思で自在に取り成せる位置に受けの為の金属を巻き付けた、変則的な板金鎧。
そして。
携えるは、神剣グヤンキュレイオン。
神の所有する道具でありながら人に託された希望の象徴。いつか人々らが辿り着き、自らの手で再現せねばならない大いなる宿願。
かつての大戦で人類を救った鍵である武器は、ある特性を持っている。
【振るわれるべきでない時には、他の一切を奪わない】。
「こちらから怪我を負わせるつもりは一切無かったが、その逆は当然警戒していた。……今一度だけ尋ねるが、本当にそれでいいのかい?」
「ええ」
対面。
頷いた田中は、変わらない。
昨日から同じ――浴衣姿の工藤の隣では不釣合いも極まりなかった、彼の世界では実に一般的で平均的でごくごく普通に有り触れた、スーツ姿。
「私は、公務員ですので。戦いに臨む服装といえば、これ以外に有り得ません」
「――まあ、それは確かに、軽装甲より更に身軽だな。慣れない道具に振り回されるより、相手に比べて勝る点を最大限に特化させたが故の無手というわけか」
徒手を前に剣を手に。
グヤンヴィレドは油断無く構える。
「成程。君がクドウの知り合いであり、異世界転生課に所属する身として他の文化に長じるのであれば、予測もつく。あの控え室に通された者は、“これと同じ武器が相手にもある”と思えば大抵は怖気付いて防御を固める」
しかし、もしも。
【相手の武器】について、その安全さを知っていたならば。
「私がグヤンキュレイオン、【奪わずの剣】を振るうと分かっていればそんなものは必要無い、か。……しまったな。良かれと思い、オープンワールドの最後に神剣体験コーナーなど設けていたせいで、すっかり手の内が割れてしまっているじゃないか」
「おかげさまで、決闘を挑まれた際にもそこまで取り乱さずに済みましたよ」
「当てが外れて残念だ。君の正体を剥き出しにしてやろうと思ったんだがな」
ちらり、と目線を投げた先には、彼の麗しの姿がある。
この闘いを見守る、唯一の観客――――事態の中心人物、工藤だ。
ぎゅっと結ばれた唇は、余程の緊張の表れなのだろう。真剣に田中たちを見詰めているのだが、集中のあまり、その頭にちょこんと、どこから紛れ込んだのか、一匹のリスが乗っていることにもどうやら気づいていないらしい。
その可憐さに心打たれながらも、グヤンヴィレドは意識を見事に切り替える。再び田中の方を向く。
「クドウに相応しいのは、あらゆる危険から彼女を守り抜ける男性だ。君がどれだけ彼女のことを想っていようと、その能力を持たない人間に隣にいる資格を譲るわけにはいかない」
「グヤンリー王族の方らしい実直な考えですね。その為ならば、たとえば彼女が、……貴方ではなく私の方を愛しているとしても?」
「互いが生きていられてこそ、愛を謳える日々がある」
「確かに正論ではありますが。少し、物騒に考え過ぎでは? 秩序を守る、治安維持の組織とて万全にありますでしょうに。そも、決闘、武力によってものの優劣を、権利を奪い合うというのは、やはり私には賛同しかねます」
「そう思うなら、どうやら君たちの世界は些かぬるいな。無論、良きことであるのだろうが」
「グヤンドランガは違いますか」
「こちらでは。――いつまたどこぞの影より、【人を喰らう怪物】が湧き出さないとも限らぬ世界では、これが、一般の考え方だよ」
「……」
「武器はある。騎士団はある。だが、常にいるとは限らない。逆に問うが。君は、自らの愛する者を守れるのが自分しかいないという状況で、怪物に襲われた時――言葉も通じぬ略奪者に、『助けを呼ぶから待ってくれ』というつもりかい?」
「――――参りましたね。ぐうの音も出ない、正論だ」
「“正しきこと”は、ひとつではない。これもまた、私がかつて、私の女神より授けられた知恵だ」
「……ええ。それを、彼女も気にかけていましたよ」
田中は。
まるで困ったものを見るように、溜息を吐いた。
「『余計なことを教えたようだ』、と」
「……何?」
「グヤンヴィレド皇帝陛下。失望させるようで申し訳が無いのですが、彼女、工藤は確かに、敏腕な異世界コンサルタントではあるのですけれど、決して、八方完璧な人間などではありません。オンとオフの切り替えが時折ゆるいと言いますか、疲れれば適当なことも言うし、平気で間違ったことをしでかす時もあるんですよ」
「――我が女神を愚弄するか」
「そう、それだ」
しみじみと。
ここ二ヶ月で身に染みた、体感としての事実を。
田中は、純粋な親切心と、そしてほんのちょっとの嗜虐を混ぜて口にする。
「女神様だって案外おっちょこちょいなところもあれば、うっかりとミスをやらかして慌てたり怖がったり泣いたり助けを求めたりすることだってあるんです。知りません?」
それは、実感の篭もった言葉。
確かな重みがあるからこそ、それは、聞く者にある種の疼痛を引き起こす。
「ははぁ、どうやら皇帝陛下に於かれましては、相当にうぶな御様子で。なんだ、そうであれば早く申し上げて下さればよかったのに。私は異世界コンサルタントでこそありませんが、それなりに経験がありますので――貴方のような幻想主義者にうってつけの女性であれば、いくらか紹介出来ますよ?」
「侮辱と受け取る」
その声を、
「私と、何より彼女への、だ」
眼前で聞く。
「敬意には心を返し、敵意は肉で贖わせる。それがグヤンドランガの流儀だ、異世界人」
皇帝は。
別のものを振るう。
神の意無くして万物を害せぬ剣ではなく、男が、男の怒りで以て他者と戦う握り拳を。
「君の受ける痛みは! 己が招きし舌禍であると知るがいいッ!」
田中にそれを防ぐ術は無い。
完全に虚を疲れ、どう動こうとも間に合わない。
そうして。
軽装甲という重りをつけても尚鋭い、喰らえば脳を揺らされてたちまちに昏倒する顎狙いの一撃が、斜め右下から抉りこむように放たれて、
狙い通りに命中した、
瞬間、
■■■■■




