第二章:09【王冠と三角耳】
女神の陽気に吊られたのだろう。
田中の口からも、するすると言葉が出る。
「毎度のことながら、異世界を体験するというのは、驚きと発見の連続ですね」
「はいっ! はじめて田中さんの住む世界、地球に行ったときもそれはそれは驚きましたけど……グヤンドランガ、同じ創造神として脱帽モノのステキさです……!」
――さて。
田中も、ここに来る直前に聞かされた寝耳に水であったのだが、今回、この奇跡的というか出鱈目な状況が成立する為に、いくつかの越えるべき課題が存在した。
一つ目。
単純に、チケットの使用権の問題だ。
工藤がグヤンリー王族より賜ったその代物は、譲渡出来る類のものではなかった。そも、今回に限らずオープンワールドへの参加を許される、便宜的にそう呼ばれる“チケット”は形あるものではない。
神々が、該当者の魂に直接刻む査証であり、旅券だ。受け渡しなど出来ようはずもなく、故にどのような形式での転売もまた行えない。
『ええ。御安心ください、女神様』。
『どれほどがっちがちに、厳密に制限されていても――それでも方法はあるんです。いつだってね』。
……行えない、が。
ある種の配慮、口さがない表現ならば抜け道がそこにはある。
【異世界見学会当選者は一名までの同行者を認める】。
要するに、ペア招待権、というわけだ。
枠のひとつは埋まっているが、もう一つは当選者の気分次第――まっとうに使われている分ならば問題がないのだが、そうでないケースも、オープンワールドというイベントが魅力的であればある分だけままある。そこから発生する諸問題の相談や解決なども、異世界転生課の仕事であったりもする。
田中は今回、その枠で滑り込んだ。
だが、制度を利用するのならば、その相手は工藤になる。そうすると来なければならない重要な相手が招けない。田中と工藤か、工藤ともう一人か。あちらを立てればこちらが立たず、条件が満たせない。
それを解決する為に。
あろうことか、工藤はいけないことを考えた。
『丁度良い欠け方ではないですか、田中さん』。
『持ち込まれていた本来の問題と、くっつけてしまえばいいのですよ』。
結果。
この工藤には、今、女神が憑依し、操っている。
俗に言うところの、神憑り――丁度今の、【天照大神の分霊に田中の魂が憑依している】のと正反対の状態に工藤は、いや、女神はあるのだ。
そうした経緯で、女神工藤――メガ工藤は誕生したのだと、田中は説明を受けた。
ちなみに、【メガ工藤】なる呼称を自信満々に言い放ったのは勿論ながら天使である。
「凄いです、凄いです……勉強になることだらけですっ……!」
持参したメモ帳に、あれを見てはこれを見ては熱心に銘記する。
内容を軽く覗き見る。
人は何で喜ぶか。自分の知らなかったどんな文化があるか。創造のヒント。成功の実例。彼女は貪欲に吸収する。楽しみながら、身を以て。自分に湧いた感情を、信頼すべき証左として。
「た、田中さん……!」
そうしていた彼女が、ふいに手を止め名を呼んだ。どうしたんですかと問いかければ、知らない客が突然訪れたような顔で言う。
「手が! お、親指の付け根が、ぶるぶるってなってます!?」
さもありなん。
見る限り相当な筆圧でほぼ休み無く書き続けてもう二時間は経っている。それだけしていれば疲労だって溜まるだろうしともすれば無茶をして腱鞘炎にもなりかねない。
「少し休憩しましょう。そろそろ疲れてきたんですよ、工藤さん」
丁度良く手近な場所に店の前に席を出している酒場があり、そこに座って名産だという祭りの時にしか出さない特別な酒を二杯注文する。それを飲むならご一緒に、と薦められた串焼きも、店員の人当たりの良さに負けてお任せで。
「ああそれから、お水を一杯頂けますか」
注文が殺到していてこれから新しい酒の樽を開けるらしく、水のほうが先に来た。
それで、さっき売店で買った美しい染物の布を濡らし、女神の右手首から親指の付け根にかけて当てる。
「とりあえず応急処置ですがこれで。痛みなどありませんか?」
「は、はい。痛くは、ないです。申し訳ありません、田中さん。……工藤さんにも、その、貸して頂いているお体に、無茶をして」
「……私が言うことではないんですが。あなたが今そうした状態にあるのは、彼女の自発的な決断によるものでしょう。勿論、極端な無理や怪我の類はあってはなりませんが、……これまでに扱ったことのない感覚で慣れないことも多いでしょうし、気になされすぎないのがよろしいかと」
「――私。“疲れる”なんて、はじめてです」
工藤が。
……その中にいる女神が、夢見るように呟いた、その時だった。
周囲に、それまでの祭りのものとは違うどよめきが走った。
田中たちも何かと思いそちらを向いて、
タイミング良く。
人波が割れていく、その瞬間を目撃する。
「――――あ、」
田中が思うのは、かつて、自分の住んでいる国であったという、お偉いがたの“行列”だ。遥かな距離を旅して歩く、盛大なる人々の列。
それが、今。
自分たちの目の前にあり。
そして。
先頭には――輝くような毛並みの馬に乗ってやってきた、夜に、祭りの光に映える、男の自分からしても目を奪われるような男性がいた。
頭上に輝くは王冠。冶金と鍛冶、グヤンドランガの二代技術の粋を、その歴史ごと負うように被り。
その王冠の気品に負けじと、凛々しき風格に満ちた頭の三角耳が、【獣耳と被り物を同時に見せる】為の縦に長い独特な形状の王冠を、支えるように直立していた。
「わあ……!」
一目で分かる【特別さ】。言葉の要らない、貴人の証明。
その独特な雰囲気に、女神が素直な感嘆を示した。
「あれ、きっとすっごく偉い人ですよね、田中さん!」
神様が言うと、なんとも妙な塩梅の表現だ。
――そんなふうな返答を、する余裕はたちまち消えた。
何故ならば。
その、【すっごく偉い人】が。
位階を隔てる馬から降りて。
迷う事無く鮮やかに、工藤の足元に傅いたから。
「出迎えが遅れたこと、お許しください」
「…………え?」
「つい先程まで、五つの式典に出席しておりました。私にも立場があり、慕う民がおり、果たさねばならぬ責務があった。ですがこれだけは信じて欲しい。それらよりも貴女が軽んじられているというわけでは断じて無い。私には、私が守るべき全てのものと、貴女――その二つに、同じ重みがあるのだということを」
「あ、あの」
「招待を送り続けてよかった。私がこの夜をどれだけ待ち侘びたことか。ああ、これまでがどれだけ長かったことか。ついに、ついにこの祭りへやってきてくださいましたね」
「あなた、は?」
「つれないことを仰られる。ああ、まったく変わっていない」
そうして。
彼は月の女神もとろけるほどの美しさで微笑み、彼女の手を取った。
「不夜王城グヤンリー、二十八代皇帝グヤンヴィレド・ベル・オウル――貴女を心より愛するものです、我が女神、麗しのクドウよ」
田中は目頭を押さえる。
やたらほがらかな青年がこじれた空気を突き破り、「はいよ注文のお品お待ち」とお任せをいいことに串焼きが盛りに盛られた二人分のドでかい皿と、酒の入った木のコップを持ってくる。
「たなかさん」
こちらを向いて、涙目で、工藤が……女神が言う。
「くどうさんが、いってます。……『めんどうなヤツとあっちゃいましたか。うまいぐあいによろしく』って」
恐るべきは、敏腕異世界コンサルタント。
田中は内心で思う。
そうだ。
彼女は、こういうヒトだった。




