第四章(急):25【只人間と荒御霊Ⅱ 喪失者の旅路】
一陣。
吹き抜けた風と共に、
神からの問いへ、
人からの返答が、
流れる。
「愛は、憎しみの言い訳には、ならない」
怯えず。
畏れず。
堂々と。
「どんなに惨い現実も、見ないままでは生きられない」
自らの解答に――此処までの人生の、結論に。
変化に、転身に、確かな矜持を伴って。
「僕は、義母さんが大好きだ。けれど、大切なものは、義母さんだけじゃない。もういないものを、今あるものと、引き換えになんて、出来ない」
これが。
生きるということで。
それが。
出会いの意味なのだと。
「人生とは、産まれた幸福よりも多くの不幸を浴び続ける試練で。得るよりも多く失い続ける、最後は空の旅路だとしても」
どのような風雨に晒されようと。
幾度、落日に打ちひしがれても。
【次の朝日】を求める希望は、決して絶えはしないのだと。
「それでも、産まれたことは肯定だ。あらゆる出会いに、物事に、否定し得ない意味がある」
彼は、喪失を肯定した。
悲劇と。
別離を。
苦難の意味を、受け入れた。
それもまた。
形を変えた、獲得なのだと。
人は、そう。
失うことで、手に入れる。
「たとえ、その最後が理不尽に閉じられようと。自分以外の何処かの場所に、世界を越えて、身分を越えて、伝わる熱がある。それを、他でもない君、彼らを思うことで、僕に証明してくれた。ああ、そうだ。だから僕は――君にだって、救われた。ありがとう、創造神ハルタレヴァ」
「そう」
不快を見る眼で。
無価値を言う声。
「それが遺言ということで、よろしいのかしら?」
身を離す。
一歩下がる。
位置と、関係が、変わる。
なんて美しい。
なんておぞましい。
そこに神が居る。
人を潰すモノが在る。
葬世救神、アンゴルモア。
神の為の、救い神。
「では、そういうことで。さようなら只人間。あなたは本当に――意味の無い玩具だったわ」
【世界】の全てを掌握する、【葬世の杖】。
その先がゆったりと、彼へと向けられる。
どこまでも無慈悲に。無感情に。無頓着に。
銃口を頭に突きつけるより血の気の引く、桁外れの絶望を伴って。
「精密に調整し、加減をしなさい、アンゴルモア。三層や二層や一層とは違う。ここは、決して穢れざる神聖の墓所よ。六十万の墓標の、一つ足りとも、僅かにだって傷つけることは赦さない」
「はい。了解致しました、我が」
「――――――――はぁぁぁぁぁぁああぁあぁっ!!!!」
…………ハルタレヴァも、流石にぎょっとした。
突然田中が、空気も読まず食い気味に、特大の溜息を吐いてへたりこんだから。
「な、」
「そうか。そうかそうか、やっぱりそうだよなあ、うん。いや、そうじゃないかとは思っていたんだ。そういうことで考えてた。そうするしかなかったから。でも、そこにもいまいち確証は無くて、最後の最後は結局のところ、博打にしかならないと半分ぐらいは覚悟してて」
「……何を、言っているのかしら?」
「いやね」
へたりこんだまま。
神々を見上げて。
田中は、いたずらっぽく笑い、生意気にウィンクをした。
「祈りがきいたと喜んだところさ。中々どうして、やるじゃあないか――神様ってやつは、たまにはイカした気まぐれで、人間の頼みも聞いてくれるらしい」
わけがわからない。
ただ不快感だけがある。
その正体を、ハルタレヴァは、理解しない。
理解しようとしないし、出来ない。
それはとても簡単で、皆が知っていることなのに。
――田中という男は。
――昔から、得体の知れないところがあって。
ここぞという土壇場で、何をしでかすかわからない。
「……ッ、葬りなさい、アンゴルモアッ!!!!」
「そりゃあ勿体無いだろう」
彼は。
ふと、何気ない仕草で、何でもないふうに、
【葬世の杖】を、押さえた。
「――――――――――――――――は、」
大創造神、ハルタレヴァ。
その呼吸が止まる。
その思考が止まる。
目の前の現実が、意味を変える。
何を。
何をしているんだ、こいつは。
どうして。
どうして、無事でいる?
【葬世の杖】に。
世界を組み替え、ゼロに戻す――触れたものを破壊せしめる【取消の権能】の具現に触れて。
なんで、こいつは、笑っていられる――――!?
「おまえ、」
「壊させないし、否定させない。もっと、面白いことをやろうじゃないか」
「まさか、」
「そうとも。生憎だが――諸事情あって僕は、こういうことにだけ、人一倍頑丈でね。もっとも、所詮しがない公務員、平和な平和な世暦に、そんな大事に出くわすようなことはまあないだろうと思ってたんだが」
「尽きてなどいなかったのかッ!!!!」
思い出す。
思い出す。
思い出す。
思い出す。
あの時を。
出会いの時を。
全く以て歯応え無くて、他愛も無かった迎撃を。
本気の殺意。
本気の敵意。
そこに用いられなかったから、
自分は無いと思い込んだ。
彼から、
それは、
その呪いは、
彼がその身で成し得たことは、
あの世界限定だと。
そうだ。
それはある意味では、間違っていなかった。
だから、
問題は、
問題は、
問題は、
「此処が、此処も、そうかッ! 今の彼女が――――アンゴルモアはッ!」
「【救世主】。……なんて呼び名は、いくつになっても、面映い」
本当に。
再就職にも役立たない、使い道のない技能だと彼は笑う。
通常の攻撃、敵意、衝撃、悪意に何ら効果を表さず――ただ、【世界を滅ぼす】相手、【滅亡因子】の概念にだけ、拮抗し、無力化し、特効する、異常体質。
創造神。
ミロレフロームが施した、妄執の呪い。
「ふざ――――けるなッ! こんな、こんな、こんな、ことが、都合良く、起こってたまるかぁぁぁぁあぁあぁぁああッッッッ!!!!」
叫び散らす大創造神に。
ちっぽけな人間が言う。
笑って、語る。
『ほらね』。
「苦難の価値。出逢いの意味。何が起こるかわからない、ミライってのは本当に――これだからッ! 捨てたものではないだろう、大創造神ハルタレヴァッ!!!!」
六十万の墓標。
永劫の過去に縛られた世界に、その肯定が轟いた。
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