第四章(急):17【元・公務員と公務員】
異世界ハルタレヴァ、第三層。
【満願の園】。
渡航門を越えてやってきた田中の前に広がったのは、無窮の闇が座す第二層とは、まるで正反対の趣を持つ、無際限の雑多だった。
それは、濫立する建築物だった。
それは、侵食する動植物だった。
それは、箍を失った増殖だった。
それは、縁を忘れた法則だった。
遠慮が無く、配慮が無く、憂慮が無く、熟慮が無い。
無辺に在り、無紋に在り、無惨に在り、無断に在る。
その光景には。
決定的に、秩序というものが欠けていた。
懐かしの眩暈がする。
【満願の園】は、まるで、壊れた世界そのものだった。
空想するのは玩具箱。
整頓されず、整理されず、ぐちゃぐちゃに、めちゃくちゃに、放り投げて詰め込まれただけの、ありとあらゆる希望と不安。
だが、違う。
田中は、この場が、どうしてこのようになったのかを知っている。
――外から投げ込まれたのではなく。
頭が痛くなるような光景は、溢れ返るモノたちは、全て、内側から生じたのだと。
「忌まわしいか」
数歩。
空から逆さに生えた町々を見上げていたところで、その声を聞いた。
「此処に広がる、醜悪なる欲望と背徳の塊が。人々の、その度し難さの証明が」
いつの間にか。
目の前に、彼女がいた。
「やあ。天使さん」
「あの鎧はどうした、タナカ」
不躾な切り出し方に、肩を竦める。
「門を越える時には、使わないようにしていてね。いや、よかったよ。第二層の【法則】が、大気成分に混じって効果を及ぼすモノで。周辺を浄化してからなら、一応は一旦脱いでも支障がなかった」
「こちらに踏み込んだ瞬間、身に纏うべきではなかったか?」
「それも考えたんだけどね」
ほら、と田中は笑う。
「こっちがいきなり、あんな物々しい格好をしていたらさ。マトモに話し合いも出来ないじゃないか。何処に行くにも、先出しの無礼があっちゃならない。やっぱり、異世界転生課職員の正装はスーツだからね」
「…………正気か?」
「失礼な。礼儀作法のお話です」
呆れた顔に、苦笑を返す。
「君もさ、今だから言っちまうけど、初対面の時のあれはひどかったぜ。何せ軍服だもんなあ。おまけに態度も物騒だった。あのね、天使さん。勤続年数で言えば、君のほうが遥かに先輩なのを承知で言うけど、この職業、大事なのはTPOだよ。異世界転生課ってのは、その世界に余所から人がやってきて、初めてお世話になる窓口なんだから――僕らがそれを怠ったんじゃあ、世界のほうまで悪い印象で見られちまう」
と、そこまで調子良く言ったところで舌が止まり、一拍。
ばつの悪そうな顔で、頬を掻く。
「……いや、うん。僕はその、もう、【元】がつく立場なんだけどね。偉そうに言えるこっちゃないか、あははは。でもさ、先輩。これは一応、それなりに余所と交流してきた、実際に現場で働いてきた後輩の、貴重な経験からの結論だぜ。参考にぐらい、きっと覚えておいて損は無いと思うなあ」
「そうか」
では、と天使は微笑む。
「それを早速実践しようと、よもや文句は言うまいな?」
「ああ、勿論だ。それが君の、業務ならね」
「タナカ」
「何かな」
「おまえはやっぱり、面白い男だよ」
「ありがとう。でも、」
「私情と、仕事は、きっちり分ける。それぐらい、自分だって知ってるさ」
「…………は、」
「ははは」
「あはははは」
「くっはははははは」
「「ははははははははははははははははははははっっっっ!!!!」」
今も。
増殖と、変貌を続ける世界の中。
【充実の園】の只中で、公務員と公務員は、互いに見合い、笑い合い、実に晴れやかに、和やかに、清々しく爽やかに、
そして、
「【天命:代行】」
天使は翼を広げ、
「【日光:照臨】」
侵入者は鎧を纏い。
いっそ酷薄なまでに、向かい合う面を切り替えた。
あらゆる私情を、裏に回して。
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