3.未来
あの日以来、押入れの中に置いてあったタロットカードと本は、
たんすの上が新たな住処となった。
春夫が置いたのだ。
幸子は黙っていた。
その時点で捨てる気がない証なのだが、幸子は認めなかった。
本当は分かっているのだが、春夫の、僕が言ったとおりでしょうと言わんばかりの、
緩んだ口元を見てしまったのだ。
春夫は相変わらず趣味の中で過ごしていた。
変わったことといったら、家事をしてみたいと言い出したこと。
結婚してから初めて言われた。
小説を書くためだろうと思ったから、好きにさせることにした。
主婦歴37年のベテランの目から見た新米は、手や口を出したくなる有様だった。
どうせ長続きはしないと、片目をつむった。
ところが一週間経ち、10日経ち、一向に止める気配がなかった。
食器の洗い方すら冷や冷やさせていたのが、すっかり慣れた。
くやしいことに幸子より丁寧に洗う。
包丁の扱いはまだ不器用だったが、上達しているのが見て取れた。
これは・・と、幸子は驚いた。
春夫自身もはまるとは思わなかった。
いくら好きな事とはいえ、毎日が読書と執筆活動だけではマンネリ化する。メンバーに相談したら家事をするといいと言われた。最初は男が家事かと思ったが、なるほど、いい気分転換になる。
後片付けくらいなら安心して任せられるようになると、春夫の役目となった。
初めは楽になったと喜んでいた幸子だったが、時間を持て余す状態になると話は別になってきた。
他人に話したら贅沢だと言われそうだが、することがないというのは案外きついものだった。
春夫は好きなことをすればいいという。
好きなことといわれても、幸子にはこれといった趣味がなかった。
若い頃はファッションに映画に、様々な事が好きだったような気がする。何をしていても楽しかった。
その中でも一番夢中になったのはタロット占いだった。
子供の頃から占いが好きだった。星占い、手相占い、姓名判断、血液型占いなど。
数ある占いの中でタロット占いに行き着いたのは、奥ゆかしい神秘さを感じたからだった。
カードの絵は単なるイラストではない。あれはイコン、聖図像だ。色でさえ意味を持ち、カードは秘められし物語をつぐむ。
身体が熱くなりそうだった。血が騒ぐというべきか。
自分がやりたいこと・・・。あるじゃないか、そういっているようだった。
ある晩のこと。
そろそろ寝ようかと布団を敷いていると春夫が入ってきた。いつもより一時間程早い。
眠たくなったのかと思いきや、来てほしいという。
幸子は途中でやめて、春夫の自室についていった。
机の上に置かれてあるパソコンは、電源が入ったままだ。
「何ですか、これ」
モニターを見て、目が丸くなった。
複数人からのメールだと一目で分かったが、その差出人の名前が、紅麻呂、ひょっとこ、闇太郎、さぶろう、とある。
「ペンネームですか」
「ん。ハンドルネームだよ」
「何ですか、これ」
「ネットサークルだよ。創作系のね、入ってる」
「・・・小説を書いていたのでは?」
「書いてるよ。サークルに入ったのは、そのほうが切磋琢磨できるからだよ」
そう言われたものの、幸子はなんだか拍子抜けした。
逆に春夫は誇らしげだ。
彼が楽しく見える要因は、案外こちらにあるのかもしれない。
「私に見せたいものって?」
「うん。これだ」
春夫はマウスを動かし、一通のメールをクリックした。
題名は相談。差出人はさぶろうとあった。長いメールだった。
要点を春夫がまとめる。
「この人が飼っている犬が、1月程前に居なくなったのだ。近所を探したり、ビラ貼りをしたり、保険所や病院にも問い合わせたけれど、見つからないんだ」
「それはお気の毒で」
「犬には首輪を着けていて、連絡先の番号と名前を書いてある。普通、そこまでして駄目だったら諦めるところだろうけど、お孫さんが許してくれないそうだ」
「他の犬じゃ駄目なの」
「駄目なんだと。マロンという名の雑種の子犬なんだが、お孫さんが拾ってきて、世話をしていたらしい」
「何故、いなくなったの」
「庭に放して遊ばせた時、垣根の隙間からいなくなったようだ。人の目には盲点だよ」
幸子は相槌を打った。春夫が言いたいことが見えてきた。
「いくつなのかしら」
「小学4年生だったかな」
「女の子?」
「男の子」
幸子はいまどきの小学生を思い浮かべた。しかし思い浮かぶのは小学1年生になった孫の姿。
「君に頼みたいことなんだけど」
「今、考えています」
「・・・何を?」
幸子は一瞥した。
「何って、そのお孫さんを説得する方法でしょう」
「・・・いや。説得はいいよ」
「はい?」
「頼みたいのは、マロンのことを占ってほしいんだ」
「はい?」
幸子は耳を疑った。
「だめかな?」
「・・・どうして、そうなるんですか?」
「だって、できることはしたし、お孫さんは許してくれないし、八方塞状態みたいだから。何かこう突破口みたいなものができればと思ってさ」
「だから、どうして占いなのですか。箸にも棒にもならないかもですよ。第一、この人が望んでいるのですか」
「いやー。占ってほしいなんて一言も言われていないけれど」
幸子は頭痛がしそうになった。
「だったら。余計なことをして、笑われますよ」
「大丈夫だよ」
春夫は断言した。
幸子は苛立ちを感じた。
「ほら。ここを読んでごらん」
春夫はマウスを動かして一文を指した。
「ほら、藁にもすがりたいって書いてある」
「冗談なのでは?」
「さぶろうさんは冗談を言うタイプじゃないよ」
幸子は眉間に皺を寄せた。
「文は人成り。いいかな?」
幸子は返事をしなかった。春夫はそれを承諾の意とくみとり、さぶろう宛てに返信メールを送った。
春夫がメールを打っている間も、送信ボタンを押す前後も、止めることはしなかった。
暫くして、さぶろうからメールが届いた。
画面には一言だけだった。
よろしくお願いします。
文面を読んだ幸子は、がっかりした。もっと書いてほしかった。
しょうがないな。やるか。
そう思えるほど後押しをされたほうがやりやすかった。
「じゃ、お願いね」
とても楽しそうな目が、幸子を見つめていた。