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テツは大丈夫だろうか。一瞬だけ不安に思い彼女の方を見た。俺が同じ立場なら絶対に嫌である。
しかし教壇へと上がるテツの表情に不安はなかった。
「それでは否定側第二立論を行いたいと思うっす」
「まずは反論。成長と生活リズム。これについては携帯電話は無関係っす。毎日規則正しい時間にご飯を食べて、適度な運動を取っていれば、基本的に夜は眠くなるし朝起きるのも辛くないっす。携帯があっても使いすぎないように自制を促せばいいし、最悪親が寝ている間だけ取り上げるのもできるっす。携帯ゲーム機と変わらないっす。成長と生活リズムは携帯電話を認めていても保たれるものっす」
「続いて再反論。向こうの立論から。携帯電話は競馬パチンコとかと一緒って言ってますけど、全然違うっすね。携帯電話を持ったからといってギャンブルするとは限らないんで。要は使い道の問題っす。悪いように扱う人が問題なんで、有害サイトブロックサービスを導入すればいいと思うっす。あれ有害サイトじゃないサイトでもグレーなサイトとかを追加したりでカスタム出来るんで」
向こうの表情が険しくなった。それだけテツの反論が刺さったのだろう。
「再反論で、私たちの意見っす。子供たちの安全。これはちょっと微妙っすね。夜中に不審者に襲われた瞬間、外部に助けを求めることができなくなる、というケースを対応しきれているとは思えないんで。パトロール強化にも限度はあるし、個人塾とかは送迎バスは無理っすから。警察通報機能付き防犯グッズって、一体いつの未来の話っすかね」
「子ども同士の連絡。これ家庭用電話が十分とは思えないっす。例えば親に相談しにくいこととかあるっすよ、恋愛とか、コンプレックスとか。そういうのを友達と相談するのにリビングまで行って家庭用電話で喋るのって無理っすよ」
「そして利便性。やっぱ携帯便利っすよ。外でぱっと思いついたタイミングで検索できるし、迷子になったらゴーグルアースで調べられるっすもの。代用品があるって言ってましたけど何ですかそれ?」
さらに追撃するテツの再反論。これは勝てるのでは、という兆しが見えてきた。
「んで、自分の立論っす。シンプルに可哀想っすよ。子供だって楽しみたいし、便利なものを使いたいっすよ。トラブルに巻き込まれないよう取り上げるのが便利だから、なんて理由で全面禁止はエゴっすよ。どうせこれから将来は携帯社会、携帯の使い方に若いうちから慣れるべきなんすよ。子供のうちにいっぱい失敗していっぱい学んで、そしたら健全に育つっすよ。便利だけどリスクがあるものって、禁止じゃなくて訓練が正しいと思うんですよ。違うっすかね」
「以上。否定側の第二立論を終えるっす」
立論スピーチが終わった。同時にこれは勝てるという兆しが強く見えてきた。
教壇に立つ。きっと勝てる。そういう自信が俺の足取りを確かなものにした。
「では、否定側の最終反駁スピーチを始めます」
「論点はシンプルです。携帯電話によるリスクが他の方策で対処可能かどうか。携帯電話の持つ役割が他のもので代替可能かどうか」
「携帯電話のもつリスク、これはすべて他のもので対処可能です。有害サイトフィルター、学校の教育、親の監視、これらにより、出会い系サイトにのめり込んだりすることはなく、課金ゲームもし過ぎることはないでしょう。むしろ子供のうちに慣れ親しんでおかないと大人になったときに返ってドハマりしてしまうかもしれませんからね」
「一方携帯電話の利便性は代替不可能でした。迷子になったときにゴーグル地図検索とかできますからね。親に聞かれたくない相談とかが出来るのも強みです。さらに、夜道を歩いているときに外部に危険を通報できない、というのは大きなデメリットだと思われます。警察通報機能付き防犯グッズなんかを認めるのならもう一歩踏み込んで保護者にも連絡できる携帯電話でいいと思いますけどね」
「以上により、携帯電話を持っていることの不利益を認めることはできませんでした。子供にも便利な道具を使う権利はあります。論題は極端すぎると思われます。以上」
軽くまとまった。これで十分俺たちの勝ちだろう。
俺は内心の勝利の予感を抑えられずにいた。
「……では最後。私とくによる肯定側の最終反駁スピーチを始めようと思う」
俺が教壇から降りて席に着くまでの時間で、とく先輩はもうすでに教壇に上がっていた。準備時間は不要だと言わんばかりであった。つまり、これで勝てるという自信があるというわけなのだろう。
「まず最初に政策正当性の比較。
我々は犯罪や金銭トラブル、および健康被害・依存症などのリスクが見込まれるものについては、使用者の責任能力がない限りは禁止するべきであるとし、政策を正当化した。実例は青少年保護条例による、パチンコ・競馬などの禁止。深夜のゲームセンター・カラオケなどの娯楽施設使用の禁止。そして酒・たばこなどの禁止だ。
携帯電話もまた、利便性・娯楽性は認められるものの、いかにリスクを備えているかを我々は立証した。つまり、使用者の責任能力が認められないならば同様に禁止するべきであるというのが我々の正当性である。これについて、否定側は何一つ反論せずただ認めたのみだった。
子供の好奇心の強さと法律知識・常識の疎さ。条例で禁止し学校教育でダメだと教えていても尚それを破り補導される少年少女たちの自制心の危うさ。義務教育課程という必要最低限の知識の教育を満了していない彼らに責任能力があると、どうやって証明された? 否定側は何一つ立証・反証をしなかった。ただ責任能力が危ういことを認めたに過ぎない。
故に原則として、大きなリスクを兼ね備えた携帯電話という代物は、競馬や深夜のカラオケ同様、責任能力を認められるまでは禁止すべきだという結論になる。残るはメリットデメリットの観点からの比較のみ、もしも携帯電話のメリットが上回らない以上は禁止すべきというのが政策として正当なものである」
政策正当性、と耳にしなれない概念が出てきた。そして指摘を聞いておぼろげに理解した。そういった危険なものはそもそも責任能力がないなら禁止すべきだ、という主張を、俺たちは何一つ否定できていないのだった。
「次に、代替可能性。
携帯電話がなくても通報は出来るしGPS等で位置は確認できる。塾から連絡を入れて何時に帰るのかを知らせられる。効果は僅かでもパトロールも強化し送迎バスなども推奨する。危険性は認められない。
友達と秘密の相談なら学校のカウンセリング室や休み時間で可能で、どうしてわざわざ家で相談するのかが分からない。むしろその相談の隠匿の容易性こそが、親の監視による制御を不可能にさせているというのに。
利便性については、今携帯電話が便利すぎるから発展していない技術があるというだけだ。腕時計にGPS機能や地図機能、ライト機能などがある世の中だ。携帯電話が禁止されたときにはそれらが代替品となって発展してくれるだろう」
「一方で携帯電話のもつリスクは、代替策では対処できなかった。
教育、親の監視を施してもなお、条例を破り補導される不良少年たちがいるように、有害サイトフィルタがあるにも関わらず毎年一五〇〇人以上の未成年が犯罪などに巻き込まれている。
SNSなどを介し直接メールが来て、法知識や常識の疎さを突くような手口を駆使する、出会い系、脱法ドラッグへの誘い。集団心理やアイテムの強力さの宣伝により人を誘いつける課金ガチャ。
加えて、携帯ゲーム機と違い金銭トラブルや犯罪の絡むうえで依存性や健康被害を有するものであるならば、一体どのようにして認められるというのだろうか」
「大げさな意見かもしれない。だが、全面的な廃止ではなく、我々はあくまで中学生以下という時期が危険すぎると言っているのだ。責任能力がまだ未熟な段階で、好奇心も強く、知識も疎く、自制心も怪しい。せめて義務教育を終えて最低限を身に付けてから、それからいっぱい失敗していっぱい学ぶのは遅くないのだ。若すぎると、一回の失敗で取り返しがつかないことに巻き込まれたとき、誰も救えないのだ。
以上より、有効な対処法の有無、政策正当性の観点において、我々はこの論題は肯定されるべきであると主張する。
諸君の清聴に感謝する」