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とく先輩がいる。とく先輩と戦う。昼休みの放送であの圧倒的なスピーチを魅せたとく先輩と、こうして直接戦うことになっている。
全国大会に出場したディベーターの彼女と戦うことになっているのだ。
今だに現実味を感じない。どうにも映画の中の出来事なのではないか、と他人事のような感覚が自分の中にあった。
なのにひどく緊張している。これは、ちょっとまずい傾向だ。
「ladies & gentlemen、ようこそ本議会へ!」
声が芝居がかっている、なのに思わず聞き込んでしまいそうな声質だ。
「本議会は日本! 塾には送迎バスの導入を推奨し、交番の警察による夜間パトロールを促進させる! さらに子供にGPS付き・警察通報機能付きの防犯グッズを持たせることは禁じない! パソコンでE-mailをすることだって禁じない!
しかし! 携帯電話! これを中学生に使用させることだけは許さない! 中学生以下の生徒は携帯電話を買うことも売ることも使うことも全てを禁ずる! われわれの政策モデルは以上となる!」
モデル? 一瞬脳が止まったが、とりあえずメモを書きつけておく。
しかし随分とこっちの主張を牽制してくるな、と思った。携帯電話がないと夜は危険だ、という意見は大きく弱まった気がする。
「肯定側のチームスタンスはこうだ! ……自由は尊い、しかし無制限ではないと! 危険性を孕むものには制限が課されるべきだ! そうでなくては人が傷付く! 本人も、そして家族も、取り返しが付かないほどに傷付くのだ! 責任能力を持ち得ない人間が引き起こす不幸は、本人のコントロールを超えて周囲にまで迷惑をかける!」
「だからこそ! 我々政府はパターナリズムの観点より、相応の責任能力がない人間の自由を規制することで彼らを保護する義務がある!」
「実例は数多ある。青少年保護法により、18歳以下の未成年は深夜にゲーセンやカラオケで遊ぶことは許されない! パチンコや競馬に手を出すことは許されない! このように犯罪や金銭トラブルに巻き込まれそうなリスクを有する行動は、たとえ娯楽の自由であれども全て法律で禁止されている!」
「故に! リスクがあってもなお子供でも認められうる自由である、と証明されない限り携帯電話は禁止すべきだ! 娯楽の自由は大事、というただそれだけの理由では、我々は断固としてそれを認めない!」
続けて語られるチームスタンスに、俺は思わず唸った。
どういうことだ? つまり、娯楽の自由を語るだけでは携帯電話を持ってもいい、とは説明し切れないというのか? これがディベートの技術なのかと思い知る。
俺を置いてけぼりにして、とく先輩は語った。
「立論は二つ! ネット被害の抑制! および生活リズムの良化だ! 後者はあきらクンに任せた!」
「一つ目! ネット被害の抑制だ! 我々の現状分析および深刻性説明はこうだ! 不幸にも現在、毎年一五〇〇件近くの若者がコミュニティサイトや出会いサイトでトラブルに巻き込まれ検挙されている。検挙されない被害者などを含めるともっとだ! より多くの学生たちが犯罪などに巻き込まれているのだ!」
「Twister、FaceLook、maxiなどのSNSサイト、および掲示板には、平然と『~~万円で援交』とか、『脱法ドラッグ~~で販売』だとか、そういう情報が垂れ流しにされている! 有害サイトフィルタに引っかからないサイトであってもだ! 動画サイトにはIPアドレスを取得して『~~万円振り込まないと訴えます』などの嘘広告で脅すサイトが存在する!」
「これらは携帯の発達でさらに悪化した! いやむしろ直接メールを送るなど、携帯を使う子供を狙い打ちするようにターゲット層を絞ったのだ! 親の管理が行き届かないことをいいことに! 好奇心旺盛で、法律や常識に疎い子供をうまく誘い込むような、巧妙な言葉表現や心理学的誘導が発達した!
IPアドレスが特定されたとなれば自宅を特定されるかもと勘違いする子供もいるだろう! SNSで活気あるコミュニティだったらオフ会も安全だと思い込んで騙されることもあるだろう!」
「そして犯罪に巻き込まれる! 一度犯罪に巻き込まれたらもう遅い! 刑事事件となれば前科が付く! 被害に遭えば十万、百万単位の金を失う! 最悪の場合、人攫いによって命さえ危ない!」
怒涛の捲くし立てを見せるとく先輩に、俺は思わず反論を思い付かないでいた。
いや、かろうじて何とか見つけた。見つけたが、言い返せそうな気がしない。
「他にもソーシャルネットワークゲームのガチャだ! 確率操作をグレーゾーンの境界で行い、これがないと攻略できないというような重要アイテムを集めさせる構造! コミュニティの中でその道具を持っていることがうらやましく見えてしまう空気、雰囲気! ……これら群衆心理を操って、射幸心を煽り、金を巻き上げる構造は集団心理詐欺や違法ギャンブルにかなり近しい!」
「判断能力のない中学以下の子供は、まるでギャンブルにはまったかのごとく課金を繰り返す! そして罪悪感を抱きながらも耐え難い心理学テクニックによって思わずガチャを繰り返すのだ! 抵抗できない子供の問題というだけでなく、構造それ自体がそうなっているのだ」
「以上より! 携帯は! 深夜のゲーセンやパチンコ、競馬と同じように! 犯罪の入り口であり高額金銭トラブルへの入り口なのだ! 取り扱う人間に責任能力がない限り! これらは禁止すべき危険なものなのだ!」
大げさな。そう言い返そうと思ったが、上手く指摘できる言葉が出てこなかった。
「そこで我々は提案する。携帯使用を禁ずれば、大きく改善するだろうと。そもそもSNSがない、ソシャゲが無いのだ。そういうトラブルにどうやって巻き込まれるというのだ? 非常にシンプルなロジックだ。ここに解決性の証明を終える」
「娯楽。結構だとも。別に楽しめばよかろう。しかし周囲に迷惑をかけない責任がないならば、その娯楽は許されないのだ。大人になるまで競馬やパチンコは許されず、深夜にゲーセンやカラオケを楽しむことも許されない」
「我々の正義とは、八歳九歳の子供をそのまま犯罪のリスクや金銭トラブルのリスクに晒すことではない。義務教育を終え、健全な精神と判断力が宿るまでは危険を取り除くことにある」
「以上だ」
静まった。
それは嵐が去った後のような静けさだった。やけに事細かで説得的なレトリックと表現力が、俺の反論を押しつぶしてしまっていた。
圧倒。
これが圧倒というやつなのか、と思い知ってしまった。
「次は、とどめクンだよ」
笑顔でそう俺を誘うとく先輩は、俺をいかにも楽しそうに見つめていた。
(……)
こういうときは無心だ。
無心でいるに限るのだ。
どうせスピーチは時間を引き延ばしても変わらない。行くしかないのだ。
当たって砕けろだ。
心の声が俺をそう励ます。
なのに俺は思わずすくんでしまう。何故か。何故だ。
簡単だ。
どうやって? どうやって当たって砕けたらいいのだ?
皆目検討が付かないそれを、俺は噛み締めていた。これが緊張。これが圧倒。この気持ちはまさに、処刑台に上る囚人ってやつだ。
(やるしかないだろうが! 反論! 立論! それでいい! 行くしかない!)
そうだろう、テツ。
テツは俺を見ていた。無言だったが、凛とした表情だった。それでいい、パートナーのこいつには絶対負けない、という意気込みで立ち向かう。
奮い立たせる。
何とか教壇の前に立つ。ストップウォッチを握りメモを前において、俺の試合は、ようやく始まる。手が震え足も震えるが、時間が俺の背中を押した。