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「さ、時間だ! 君の番だよ、あかりちゃん! いや、テツちゃん!」
「よし、ならばテツちゃん、五分でスピーチだ」
とく先輩が応援し、アキラ先輩がストップウォッチで計測する準備をしていた。というか二人とも自然と、テツという言い方になじんでいるようであった。
うっす、とテツが応じて、こっちを見据えた。
「じゃあ。悪いけどお前の負けだぜ、とどめ」
何か宣戦布告されたんですけど。
「……まず反論、再反論、そして立論に移るぜ」
「反論。アキラ先輩はこう言ってたな。モチベーション効果って。でもそれは重要じゃない。モチベーションが必要なら授業内容を楽しくわかりやすくすればいい。モチベーションはそれだけで上がる。制服でという必要性はないじゃんって話」
「次、アキラ先輩はこうも言っていた。いじめ抑制ってな。でもそれも違う。いじめは制服でも起きる。身長が小さい、声がキンキンうるさい、何かじっと見てきてキモイ。そういう些細な理由で起きる。制服は関係ないんだよな」
「そして次。再反論」
意外にもテツの意見は論理的だった。「ほう」とアキラ先輩は面白いものを見つけたような顔付きになり、とく先輩もうんうんと頷いていた。
俺はちょっとショックだった。テツが上手い。
あれ、これ普通にテツに負けるんじゃ、と不安になる。
同時に勉強になった。必要性がない。これって割と便利な表現なのではと思う。早速有効活用出来ないものかと思ったり。
「再反論。アキラ先輩の反論はこうだった。女はスラックス履いても良い。サリーとか着るのは放課後や休日でもいい。でも後者に関しては明らかな抜け漏れがあるんだよな」
「学生にとって放課後や休日は、実はそこまでファッションが重要じゃない。むしろ平日五日間、毎日八時間近くを仲間と過ごす学校のほうでこそ、ファッションが重要なんだ。放課後や休日は限られた奴としか顔を合わさないけども、学校は違う。皆と顔を合わすんだ」
「しかも学生にとって学校はほぼ全てだ。言い過ぎかもしれないが、学校生活が学生の生活をかなり占めていると言ってもいい。時間的にも、人付き合い的にもな。……放課後や休日だけで十分、というのは乱暴じゃん」
虚を突かれた。逆にこういう反論が成立するのか。思わず俺は納得してしまった。
にやりと。今度はとく先輩のほうが笑っていた。
入れ知恵か。そう思ってちらりとアキラ先輩を見ると「いや、とくも俺もそれはしない約束だった。……あの子自身の才能だ」と苦い表情だった。
旗色がどうにも悪い。
「最後。立論。自分のポイントは、ファッションの勉強」
勉強? 俺は一瞬反論を忘れて聞き込んでしまった。
「そもそも学校と言うのは、社会に出る前の最後の場所だ。社会性を磨くための最後のステップだ。そこでは当然、社会に出る前の常識を培うべきだ。……例えば、どういう服装なら品性を下げないとか、どういう服を着ればいいのか、とかな」
「学生のうちは暇がある。ファッションセンスを磨くことぐらい、友達と仲良くすれば訳ないだろう。でも、制服だと違う。制服を無理やり着せられていると、そういうセンスを勉強するチャンスがなくなるんだ。例えばゆるふわコーデをしてみたけど明らかに痛いファッションミス。そういうときも学校であれば一回の笑い話だけど、社会に出たら誰も注意してくれなくて痛いまま。きっと合コンとか友達付き合いとか、目に見えないところで人に避けられて損をする、でも本人は気付かない、なんてことに陥るかも知れないんだぜ」
「個性を育む場でもあるし、どういうものを身に付けたら自分らしくあれるのか、を見つけるチャンスでもあるんだぜ。子供の内ってお勉強も大事だけど、そういう誰も教えてくれないことにじっくり向き合うチャンスなんだぜ」
「だから、ファッションを勉強するためには制服を廃止するべきだ。自分はそう思うんだぜ。以上!」
終わった。
そしてまずいと思った。
何故なら、納得してしまったからだ。反論が思いつかない。やばい、頭が真っ白だ。
「ありがとう、テツちゃん!」
「はい!」
向こうではとく先輩はテツを労っていた。というか予想以上のディベートだったみたいで、テツに対して満面の笑みを浮かべている。ハイタッチまでして、「いやあ、もう上出来だ! テツちゃん」と抱きついてまでいる。
仲がいいことだ。「これは眼福ってやつだな」と隣でアキラ先輩がにやけたまま呟いていた。ニヒルな笑みを浮かべているのに、発言がこうもあれだと残念だという良い例だ。
「じゃあ、次はとどめクンか」
「よしとどめ! とどめを刺してこい!」
ちらとこちらを伺うとく先輩に、背中を軽く叩くアキラ先輩。
とどめ。
どちらかと言うと刺された側の立場なんですけど、と白い頭で何とか考える。
「え、じゃあ、その」
「ほら、スピーチ原稿を持って。ストップウォッチも貸すから」
てきぱきと原稿とストップウォッチを渡してくれるアキラ先輩は結構面倒見が良い人なのだろう。でも俺はちょっと恨めしい。これでもうスピーチするしかなくなったのだ。
時間が、もうない。
「え、えっと」
「リラックス! リラックス!」
出来ねえよ。
「……ふ」
テツが笑った。
リラックスできた。リラックスと言うよりプッツンだ。てめえよくも笑いやがったな。目にもの見せてやるぜ、っていう気分だ。
もういい、破れかぶれだ。喋ろう。そう思った。
思い切りぶちまけろ。それでいいんだ。
「えっと、じゃあ反論、再反論、立論行きます」
「反論ですが、ファッションセンスを磨きたいとか言ってました。それは別に大学でも出来ると思います。高校でする必要性はないかと。それに磨くだけならば雑誌を見ればどういう服がいいか分かると思います。制服廃止の必要性はない気がします」
「そして再反論です。モチベーション効果といじめ抑制について。テツは何か、モチベーションは他の方法でも上げられるし、いじめは制服にしてもそのまま変わらないとか言ってました。けどまあ、モチベーションを上げられるんならいいんじゃないかなと。それにいじめも少なくとも一因は減らせるんでしょ。じゃあありじゃないかなと。そう思うんですよ。何か、そういうもんじゃないですかね」
思ったところを述べた。
述べてみたが、あいまいに微笑まれた。とく先輩は「まあね」と頷いていたし、アキラ先輩は「惜しい」とぼやいていた。どうやら後一歩が足りなかったようだ。
まあいい、次だ。
次こそ、本当の勝負だ。
俺は真っ白になった頭を、そのまま無理やり動かした。俺は、もうこのアイデアを喋るしかないと思っていた。きっと滑るけど、もう勢いで喋ろうと決意する。
「立論ですけど。えっと、俺は制服最高だと思ってます!」
三人の反応が面白かった。
とく先輩はきょとんとし、アキラ先輩は「ぶっ」と笑い、テツは「は?」と怪訝な顔になっていた。
「いやもう制服はやばいんですよ! 夢ですよ夢! だって高校生の特権みたいなアイドル衣装ですよ! 白黒紺色で清楚なイメージ出しやがって、かと思いきや雨で透けたりしたらすごく色っぽい! 大人になったら着れないというのに、子供が着るものでもない。女子高生ですよ。女子高生が着るんですよ!」
「男子だってそうだ! 部活帰り、汗を流して、熱い熱いといいながら着崩したその半袖Yシャツ! タックインの眼鏡男子でも、敢えてシャツを出しているイケイケファッションでも、全然いける! むしろ有り! お前らは忘れているんですよ! 通学路の夕日の茜差す帰り道は制服だ、制服じゃないと!」
「自転車に乗りながら! 夕日をバックに! 二人乗りして! 『遠くまでいこうよ』とか何とか! どうだ! 女子がもしも制服じゃなくて「ケバいゴスロリ」とか「芋いジャージ」だったら! 男子がもしも「ぱちゅりー命」とか「海んちゅ」とか意味不明Tシャツだったら! 醒めるだろがあああ!」
魂の叫び。これぞ説得。
俺の鬼気迫る弁論に、全員が呆けていた。
思い切りぶちまける。それはこういうことなんだ、と俺は思った。
俺が掴んだ何か。それは、思ったことをそのままはっきり伝えることだ。
「いいですか! 制服は青春の証なんです! シンボルです! 俺はこの制服を着たい、だからこの高校を選んだ。そういう心がどこかにあるんですよ。私はサリーじゃなくてこの制服を着たい。自分はスカートは履きたくないけどこのブレザーを着たい。それで良いんですよ! そうやって、事前に自分で、色々加味して選ぶんですよ、青春を!」
「そして、もう自分を表現したいなあって思うんだったら私服の高校行きましょうよ! それでいいんですよ。でも、「皐月高校」の制服を愛する気持ちがあるからこの皐月高校に進んだんですよ! そうなんですよ!」
「入学式の写真を取る瞬間。授業が終わって、クラスを掃除し終わって、夕日の黄昏を眺めるとき。気になるあの子とちょっと友達以上恋人未満なお付き合い。いつだって! 制服は、自分の青春のシンボルですよ! 自分の相棒ですよ!」
「想像です。本当に想像ですよ。俺がきっと弁護士になりたいなあって強く思っていたら。弁護士バッジを胸につけるとき、絶対感動しますよ。これ凄く格好いいなあって。これを付けたかったんだよって。これが俺の生きがいだって。そうですよ!」
「制服ってきっと、そういう奴なんですよ。格好良いなあって思える校章が刻まれていて。歴史と伝統ある制服を身にまとって。ああ今俺は、なりたいものになっているんだ、って!」
「制服最高ですよ、青春の代名詞ですよ! もう、それが無理っていうんならごめんなさい。他の高校で過ごすのがいいと思います。でも、なりたいものの一個だと俺は思うんですよ。制服。いいじゃないですか。着たいですよ。格好いいですよ。俺、そう思ってるんですよ」
「制服廃止、それは反対です。きっと重要なんですよ、制服って。以上です」
もう滅茶苦茶バンバン机を叩いた。
思いっきり大声で主張したいことをぶちまけた。爽快である。同時に恥ずかしい。
今俺は何と喚いたか。ぱちゅりーとか女子高生命とかそんなことしか記憶に残っていない。やばいこれ大爆死という奴では。何か滅茶苦茶だし整合性がない。
何で制服についてこんなに熱く語っているんだろう、と思ってしまうほどだ。
そう思って周りを見た。
「……ほう。なるほど」
いかめしい顔つきで、しかし口元だけは獰猛に笑んでいるとく先輩がいた。ぽかんとしたまま圧倒されているテツが居た。
振り返ると、「よくやった!」と顔を綻ばせるアキラ先輩がいた。
「これは、もう合格だろう。テツちゃんは初めてとは思えないセンスを見せてくれたし、とどめクンは、反論は下手だし立論はアレだけど、最も大事なものを持っているし」
「ああ、そうだな」
合格。最も大事なもの。
それは一体どういう意味なのか、と問いただす前に先輩二人が俺とテツを立たせた。
とく先輩、アキラ先輩の両方ともが、かなり嬉しそうな顔つきであった。
「諸君! 君たち二人には才能がある。よって君たち二人を私たちと対等のディベーターだと認めることにしよう」
「えっ」
対等と認める。それはつまりどういうことなのだろうか。
そう思って先輩二人を見つめると、気付いたようにアキラ先輩が「ん、ああ」と補足説明を入れてくれた。
「実は弁論部、今度一ノ宮高校とディベート練習試合をするんだけどさ、人手が足りなくてな。だからお前たちにも出て欲しいんだ」
「え、え?」
あまりに突然過ぎないだろうか。というかそれって対等とかじゃなくて、単に部員が欲しかっただけなのでは。
思わずテツと見合わせてしまった。テツもちょっと話が急で分からない、という感じだった。
「君たちの今日のディベートを見て確信したんだ。これならいけるって。これならきっと一ノ宮高校の奴らに勝てる、そう思ったんだよ。ね、どうだい?」
ちょっと強引なのでは。というかまだ俺もテツも仮入部の立場ですから。そもそも入部するとも言ってませんし。
そう言葉に出しかけたが、ちょっとだけ考えた。思いっきり自分の考えをぶちまけるあの感覚。あれは、中々よかった気がする。というか楽しい。
あの感覚をもう一回。
(悪くは、ないのかも知れない)
そう思った俺は、ちょこっとだけ頷いた。「あの、でも、一応仮入部なんで。まあ一応体験だけしてみようかなーとは思っているんですけどね」と。
「え、嘘? 入らないのかい?」
「えっ」
「えっ」
あ、入りたいという前提だったんですか。なるほど。だからそんなにぐいぐい来たんですね。なるほど。
呆気に取られているとく先輩。あと「お、おう、ああ、なるほどね」と虚を突かれたようなアキラ先輩。
「ああ、ええと、そうか。はは、そうだったか」
とく先輩は露骨にショックを受けているようで、空しい笑い方をしていた。
やばいまずい、ちょっと取り繕わないと。
「いや、でも、ディベート楽しかったです。興味そそられましたよ」
「だろう!」
急に飛びついてくる。犬かと思うぐらいの反射神経だった。というか多分犬だった。尻尾が動いているような気がする。とく先輩、クール系の人かと思っていただけに、これはちょっと面白い光景というか、これはこれでありというか。
「今度土曜日だけど、来てくれるか!」
「ええ、はい」
「本当か! やった! やったぞ!」
きらきらとした笑みを向けられて、俺はこう答えるしかなかった。
ふとテツのほうを見た。何故かジト目を向けていた。唇が、すけべ、と動いていた。心外である。同情は下心ではないと思う。
「あの」
テツが先輩二人に向けて思い切ったように口を開いた。
「俺、こいつとは違ってディベートやろうと思っているんで。この場で入部します」
えっ。
俺は思わず声に出して驚いた。