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「ん? 新入生かね」
「はい、倉崎 留です」
「どうも、平井 哲っす」
「あかりちゃんに、……とどめクン?」
放送室から出てくる男女。二人に俺たちが挨拶をしたところ、予想通りの反応が返ってきた。
あかり、ことテツに突っ込む要素は実はないのだ。外見は普通に女子をしてるって感じだし、名前も当て字が凄いだけで響きは全く変ではない。俺と違って羨ましいところである。
俺はとどめだ。
とどめって響きはやっぱり耳になれないはずだ。「はい、とどめです」と首肯して見せるも、「とどめクン……へえ、すごい名前だなあ」と驚かれる始末。
「いやあ、よく言われますね」
「私もだ。徳だなんてなかなか珍しい名前をもらったものだからな。君の気持ちはよく分かるとも」
「ありがとうございます、いや先輩も凄い名前ですよね、とくって」
とく先輩は朗らかに「もうちょっと可愛い名前がよかったんだが」と笑っていた。可愛い名前か。彼女は可愛いというよりは、むしろクールで格好いい女性というイメージが強い。初見のイメージだから何とも言えないが。
そのタイミングで横から「可愛い名前?」と俺と同種の疑問を投げかける人がいた。
アキラ先輩であった。
「とくは寧ろ可愛くしないほうが可愛いだろうに」
「は?」とく先輩は怪訝な顔だった。
「分かってないな」
セクハラっぽい発言だったが、アキラ先輩はイケメンであった。眼鏡をくいっと上げながら「分かってないな」というその一連の動作は、多分一定の需要があると思う。例えばテツとか。テツにはどストライクだったらしく「うえええ、あの、もう一回分かってないなってお願いします!」とかほざいている。
心底どうでも良かった。
「それで? 君たちは入部希望者ってところかな?」
「はい、あの」
続きを喋ろうとしたところで、予鈴が鳴ってしまった。
そろそろ教室に戻らないとまずい。
「ああ、君たち授業だろ。早めに戻るといい」
アキラ先輩がそういいながら「放課後はB棟三階3-4教室に来てくれ」と教えてくれた。近くで見ると背も高くイケメンだ。
テツは威勢よく「絶対行きます! 絶対行くんで!」とか返していた。こいつ、おい。
「君は? とどめクン」
「あ、もちろん行きます。よろしくお願いします」
とく先輩の声。もちろん俺は笑顔で返す。先輩には愛想よくが基本だ、社会の常識である、俺は社会の常識に従ったまでだ。
ふと隣のテツを見ると呆れた表情でこっちを見ていた。鼻の下を伸ばすな、と言わんばかりである。ひどく不服であった。本日のお前が言うな大賞はこのテツで決まりである。テツの方こそイケメンに鼻の下を伸ばす女子なのだから困る。
「じゃあこの辺で失礼しよう。私たちも授業だ」
「はい、とく先輩! アキラ先輩!」
じゃあ、と手を振る先輩たちをよそに俺たちは走って教室に戻る。会話してみると意外と面白そうなコンビの先輩だった、と俺は思った。テツを見た。テツも笑っていた。
いい感じの先輩だと、きっとこいつも思ったのだろう。
ちょっとだけ体験入部して、様子を見てみようと思った。
「お前ら!」
「はい」
「すみません」
授業には遅れた。
やりたいこと。
漫然と過ごしてきた俺に、やりたいことなんてあっただろうかと自問自答する。多分ない、それが答えであった。ただ漠然と勉強をして、ただ漠然と成績が良かったからこの道に進んで、という感じで、俺は人生を歩んでいた。
コピーであった。良い子ちゃんであった。
俺は結局、自分の中に一本の硬い芯をもった人間には、ならなかった。
だからせめて、楽しみたいと思うようになった。社会に出る前に何か一つ打ち込んでみて、それを楽しみたいと願う気持ちが心にあったのだ。
青春。という漠然とした憧れ。
周りの皆が楽しいというものだからきっと自分にとっても楽しいのだろう、だなんて。本当に漫然とした憧れでしかない。青春は楽しいものだと思うが、きっとそれは楽しもうという気持ちがあるから楽しいのであって。人生のいついかなるときであっても、人生を楽しくなくさせているのは自分自身なのだろう。
ならば楽しもう。
そういう気持ちがどこかにあった。
せめて格好良く。そして心から熱中できるような。そんな楽しみを。
「……というように、ディベートにも二つスタイルがあることを押さえて欲しい。裁判ディベートと呼ばれる準備型のディベートと、議会ディベートと呼ばれる即興型のディベート。準備型は証拠を提出できるし、半年近く同じ議題について争うから議論も深い。一方で議会ディベートは証拠ではなく説得力で勝負する。魅せるディベート、という傾向にあるだろう」
「はい!」
放課後。
アキラ先輩に元気よく答えるテツ。こいつ、ものすごく猫被ってやがる。
アキラ先輩曰く、ディベートには二種類。準備型ディベートと即興型ディベートだ。アカデの方は証拠品を提示して論拠を補強したりするディベートが出来るようだ。
一方でパーラの方は即興ディベート。証拠品による論議よりは、説得力で勝負する競技らしい。
「我が弁論部では、即興ディベートのほうに注力する」
「そうなんですか?」
「ああ」
語るアキラ先輩は、苦笑を浮かべつつ答えた。
曰く、準備型ディベートは人手が必要らしい。証拠探しには非常に労力が掛かるため、いつも大きな学校のチームが勝つ法則にあるという。「とんでもない証拠が一杯出てくるからな」と苦笑いを浮かべている。
「例えばコーヒーはがんを抑制する、コーヒーはがんを促進する、というように相反する証拠が一杯出てくるため、本当に証拠勝負になったりするわけだ」
「へえ」
「そしてそういう時は往々にして、証拠をたくさん持っているチームだったり、証拠の権威・正当性をより正しく証明できるチームが勝つ。……つまり、リサーチをたくさん持っているチームだ」
「なるほど」
そういう実情もあってか、現在の弁論部は即興ディベートを行うようになったのだという。
アキラ先輩は「機会があれば私も準備型ディベートをやってみたかったんだがね」と肩をすくめていた。
「でも、凄く上手でしたよアキラ先輩。あのままだったら俺、アキラ先輩が勝ってたんじゃないかと思うぐらいには」
「まさか」「まさか」
アキラ先輩と、意外にもとく先輩の声がハモった。アキラ先輩曰く「とくは天才だ。彼女ありきでこの弁論部が成り立っていると言ってもいいぐらいにな」と。そしてとく先輩は「事実だから否定しないよ、あきらクン。でもあきらクンも天才さ」とお互いを認め合っていた。
「その上で、あれは私の勝ちだよあきらクン」あれ、お互い認め合ってたのでは。
「……いや、前言撤回しよう。あのままやってたら俺が勝っていただろう」
「へえ、言うね」
急に雲行きが怪しくなった。どうにも二人の間に見えない火花が飛んでいるように見えた。
とく先輩は腕組みをして「だって、制服を廃止したほうがいいだろう? あかりちゃん?」と意味深な笑みを浮かべるし、アキラ先輩は「制服のほうがいいだろう、な、あかり」とイケメンボイスを無駄にフル活用して説得している。
テツは「え、えっと、その、俺は」と困ったように俺を見ていた。知らん。
「こうしよう、今から新入生歓迎を兼ねて、彼らにあのディベートの続きを作ってもらおうじゃないか」
「いいぞ、とく。ならば俺があかりちゃんと組もう」
「待てスケベクン。とどめクンが君のほう。あかりちゃんは私の方だ。性別で分けようじゃないか」
「名前一文字も合っていないぞ、とく」
スケベ君とは、アキラ先輩も中々手ひどく罵られるものだ。眼鏡をくいっと上げながら「よろしく頼む、スケベだ」と堂々開き直っているアキラ先輩は面白い先輩だと思う。「どうもっす」と軽く挨拶を交わす。
「何! あかりちゃん、哲って名前なのか! 面白いな!」
「あ、はい。だからよくテツって呼ばれたりしてます」
向こうは会話が盛り上がっているようであった。ようやくテツの名前弄りに話が入ったか、と俺は思った。本来俺の脳内の計画では、俺がテツより先にばらして、「こいつテツっていうんすよ」みたいに弄ってみたかったが、機先を制されたようであった。
テツがこっちを振り向いていた。ニヤリと笑っていた。こいつ、くそ。
「はあ。……とどめ君か。よろしく頼む」
溜め息を吐かれた。格差か。これが格差社会という奴なのか。まあ一応「よろしくお願いします」と頭を下げる。
確かにテツは可愛いかもしれない。と言うか可愛い。しかし俺とて可愛い後輩なのではないだろうか。
そう思いながらもなるべく明るく振舞うことにした。
「アキラ先輩、色々教えてください!」
「ん。じゃあ反論と立論な」
「はい」
「よし」
「……それだけっすか」
すげえ。放任主義にもほどがあるのではないだろうか。
冗談だ、と皮肉げな笑みを浮かべるアキラ先輩に、俺は冗談っぽさを感じなかった。多分本気だったのでは。何というかこのアキラ先輩は、見た目に反してこういう感じの人らしい。
「反論は、向こうのロジックを否定するものだ。立論は、どうして制服を廃止してはいけないのか、という意見を述べる」
「はい」
「まず反論のコツだが」
アキラ先輩が目の前に裏紙を取り出して、簡単な図を描いていた。
論理を否定しろ!! と意外とポップな文字で書かれているそれには、「主張:アキラは遅刻しても仕方がない 理由:朝起きれないから」と書かれていた。
それにいくつか留意事項が書かれる。
反論とは。①主張を否定するもの、②理由を否定するもの、の二つがある。
「このパターンにおいて圧倒的に有効なのは、理由を否定するものだ。主張を否定するのは時間と労力が掛かる、初心者向きではない」
「そうなんですか」
「アキラは遅刻をしても仕方がないわけではない、そのカウンター主張の理由は何だ? となってしまう。理由を説明できない感情論に堕する恐れがあるからだ。遅刻は駄目だ! 遅刻は駄目だ! 遅刻は駄目だ! ではディベートではない」
「じゃあ、理由が説明できるならば、主張の否定も有効なんですかね」
「そうだ」
アキラ先輩はそのまま、図を描き続けた。
②理由の否定、と書かれたほうに色々と説明が追加される。
理由:朝起きれないから
反論:朝起きれないなら目覚まし時計を使えば良い。前日早く眠れば良い。寝なければ良い。
「反論とはこうだ。よく勘違いする人間がいるが、反論と立論をごちゃまぜにする奴が目立つ」
「そうなんですか」
「例えば。『肉より魚がいい』というディベートでだ。肉より魚がいい、何故なら魚は健康に良いから、という意見が出たとしよう。反論に、でも魚を漁獲しすぎるとオーストラリアと中国に反感を受ける、と来た。でもこれは反論じゃない」
「そうですか」
「魚は健康にいい、を否定できていないからだ。このままでは魚は、オーストラリアと中国を怒らせるけれど健康にいい食べ物、というただそれだけになる」
「否定できていない……」
「そう。魚を漁獲しすぎるとオーストラリアと中国に反感を受ける、は反論ではなく、立論だ。『肉より魚がいい訳ではない』、の立論だ」
アキラ先輩はどうだ、という顔であった。俺も何となく、何を言わんとしているのかが分かった。
相手の論拠を否定できていないのなら、それは反論ではない、ということなのだろう。
「じゃあ、このディベートの場合は、反論はどうすればいいんですか」
「ん? ああ、この『制服廃止』ね」
「まだ相手、どんなことを言ってくるか分かりませんよ。テツが何を言うのか俺には予想がつきません」
「いい。それでいい。即興ディベートとはつまりそういうものだ」
肩を叩かれた。何だよそれ、と思ってしまった。随分と緊張するじゃないか。
何をすればいいのか全く分からない。
「強いて言うならば、何で制服を廃止しちゃだめなのか。その理由が立論だ。反論は、あれテツの意見ここが論理変じゃないか、という所を指摘するんだ。それでいこう」
「え、あの、まあ、はい」
かなり不安だ。全く頭が回らない。いきなりにしてはハードルが高くないだろうか。
俺は自分の中で必死に制服を廃止してはいけない理由を考えた。考えたが中々出てこなかった。毎日制服を着ている身分なので、いざ制服を廃止されたら何が困るんだろうか、というのが分からないのだ。
「いっぱいいっぱいなら、今はせめて立論だけ考えるといい。何で制服廃止しちゃだめなのか、と考えるんだ」
「立論……」
「立論は、思いっ切りぶちまけろ、だ」
「思い切りぶちまける……」
だめだ、頭が全然働いていない。アキラ先輩のアドバイスを反復するだけになっている。思い切りぶちまけろ。
思い切り、何をぶちまけるんだ? アイデアか。思い切り思ったことをぶちまけるのか。喋りまくるのか。
思い切りぶちまける。思い切りぶちまける何かが俺にあるのか。
万事休す。
しかし、何か掴んだような感覚。
思い切りぶちまけろ。
つまり何だ?
そう思った矢先にテツと目が合った。
ドヤ顔していた。こいつ。腹立つ。
「絶対負けねえ」
「その意気だ」
俺はもう一回メモと向き合った。よし、理由。有るじゃないか。いいじゃないか、笑えるネタだけどこれでいこう。理由。堂々と主張すればいいんだ。
思い切りぶちまけろ。そうだ、俺にはそれしかないんだ。
掴んだ何かを忘れないようメモを取る。ほぼ同時にディベート開始の時間が来る。