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「君もディベートやらないか?」
分かりやすいぐらいポップな宣伝文句に、俺は思わず苦笑した。クラブ宣伝に用いられているイラストが今流行のアニメのイラストで、可愛らしくデフォルメされた少女の口から吹き出しが「公開ディベートやるよ!」と躍り出ている。
公開ディベートは昼休みに放送室にて行われ、全教室に等しく配信される予定らしい。昼休みと言えば、放送部の奴らがいつもサブカルな曲とかアニメソングとかを掛けているイメージだったので、こういう宣伝はちょっと物珍しかったりする。
俺はイラストを覗き込んで、下の方にある名前に目を留めた。
部長:深綴 とく
副部長・会計:佐渡 証
とく。
面白い名前だと思った。たったそれだけの印象だったが、最初はこんなものだ。
この時点では俺にとって忘れられない名前になるなんて思ってもなかったのだ。
「なあ、とどめ。とどめはどの部活に入る予定よ? 俺はボドゲ部入ろうかなって思ってるんだけどさー」
「それ有りだよな、俺もボドゲ部考えてたわ」
絡んでくるテツに適当に返しながら、俺はぼんやりと休み時間を過ごしていた。新学期の新入生たちは皆浮き足立ってる、ということはなかった。そういう会話イベントは入学して間もなくに終わっているのだ。
俺とテツは幸いに、この「皐月高校」に入学出来て中高ともに同じ学校生活が決定した仲だ。よく遊んだりするいい友達だ。
多分部活も一緒になるんだろう、そう俺は思っていた。
「とどめがボドゲ部って何か面白くない? 何かこう、決めセリフじゃん、『こいつでトドメだ!』みたいな」
「いやいや、人の名前で遊ぶなよ」
とどめ。
俺の下の名前については、自分で言うのもあれだが親のセンスを疑っている。意味を聞くと「踏みとどまって」という意味があるらしく、留とはつまり自殺しそうだとか人を傷付けようだとかに踏み切る大事なその一歩を踏みとどまって欲しい、という意味を込めたらしい。
いかにも優しい意味で、俺は親に強く当たることも出来ない。寧ろ感謝している。俺もそういう人に育ちたいと思ったものだから。
しかし、とどめという響きはむしろ人にとどめを刺してしまいそうだという謎理論で国語の作文のネタにされたこともある。それ以来俺は「とどめの一撃ー!」とかよくからかわれ、ポートボールやサッカーでも謎にパスが回ってきては、「おいトドメ決めろよ!」とか弄られたりしてきた。
とどめ。
もう少し何というか、智樹とか篤史とかなかったのだろうか。
「んじゃ、ボドゲ部入ろうぜ」
「まあまあ、俺兼部も考えてるから何とも言えんわ」
「え、兼部? 他の部活にもとどめ刺して回るの?」
「何でとどめ刺して回るんだよ」
購買のパンを机に広げながらテツは「いや、お前美味しい名前だよなって」とか言い繕っていたが、俺は美味しい名前だと思ったことはない。美味しいって言葉は総じて本人にとって美味しいパターンが少ないと思う。
兼部。
俺はもう少し気になる部活があった。例えば文芸部に入って小説を書くのもありだと思ったし、或いは美術部に入ってみるのもいいと思う。
不整脈の体だから、あまりしんどい運動部ならば入れないが軽いスポーツの軟式テニスサークル(軟式テニス『部』は厳しい)ならばそれも有りだと思っている。
人並みに青春を送りたい。
無難な願望が俺にはあった。
『……ハロー! 聞こえてるかい? 本日は晴天なり! It is fine today!』
『OKみたいだぞ、とく。……因みにマイクテストのIt is fine todayには人間の喋る周波数の殆どが含まれているとされ、それを喋ることでマイクの通りの悪い周波数があるかどうかを確かめることが出来るという』
『あきらクン、君は何を解説しているのかね?』
突然放送が始まった。「うお、びっくりした」とテツが目をむいていた。クラス全体もどことなく騒然として「あれ、今日はアニソンじゃないの?」とかいう声がちらほら聞こえてきた。
『さて、気を取り直そう! ハロー諸君! 私たちは弁論部だ! この度昼休みの放送を利用して諸君等に生ディベートをお送りする!』
『こいつはとく。弁論部の部長で意外と発育がいい』
『あきらクン、君は何を突然言い出すのかね?』
『まさにお得』
がつっという音が聞こえて、『んんっ』と咳払いする様子が放送された。殴ったらしい。殴っていいと思った。暴力女は嫌いな俺だが、今のはひどいやり取りだった。
テツは「何これ漫才?」とスピーカーを指差して苦笑いしていた。
弁論部。
そういえば昼休みにスピーチをするとか何とか書いてあったような気がする。
『こいつはあきらクン。全国大会にも出場したことがある凄腕のディベーターでもあり、うちの会計と副部長を務めている』
『ちなみにその時の相方がとくだ。全国大会経験者であるだけに、ディベートの腕は並ならない』
『さて皆さん、短い間だがよろしくお願いしよう! 今から少し模擬ディベートを行う!』
パチパチ、と手をたたく音が聞こえた。教室からではない。放送からだ。多分自分たちで自分たちに拍手しているのだ。
かえって寂しい気がするのは気のせいだろうか。
『さて、お題はこちら! 制服は廃止すべき! 制服は廃止すべき! さあ私「深綴とく」が賛成で「佐渡あきら」クンが反対だ!』
『本来なら賛成反対賛成反対反対賛成とスピーチが続くのだが、時間短縮のため賛成反対のみにした』
『スピーチ時間も本来の七分を五分に変える! またスピーチスタイルも厳密なものではなく見世物用として構成を崩してある。……それじゃあ行くぞ!』
制服廃止。
突如出されたトピックに俺は「何だこれ」とテツに問いかけた。テツも「制服廃止かー……」と眉をひそめていた。
どっちでもいいと思った。制服にこだわりがない俺からすれば、毎日同じ服は楽だなあという程度だ。
皐月高校は制服制だ。男も女もブレザーを着ることになっているが、別段俺に不満はない。一部からは「ブレザーがダサい」「セーラー服が良かった」などの声もあるが、そんなにダサいわけでもないと思う。
制服賛成しとこうかな、と俺は思った。
ちなみにテツは「俺も賛成、まあうちの女子の制服姿って眼福なんだよなあ」とかほざいていた。俺からするとうちの女子に可愛い奴が多いだけなのではという見解だ。可愛いは正義だ。
などとやっている内に、放送が始まった。
『……ladies & gentlemen! ようこそ本議会へ。本議会は皐月高校を意味し、制服制度を廃止し人に自由な服を来て登校してもらうこと、それが我々の議題定義である!』
朗々と語る声。
『本来学びとは何事にも制約されない自由のもとの権利である。何を着てどう自己表現しようがそれは本人の自由の中に含まれるものだと考える。私は主張する! 制服制度は廃止されるべきだと!』
『私が論題を肯定する理由は「ファッションの自由」のためだ!』
机を叩く音が聞こえた。後ろから『あのちょっと』と放送部員らしい人の慌てた声が聞こえる。恐らく機材などが積まれている机を叩いてほしくなかったのだろう。
『失礼。……ファッションの自由はとても重要だ。何故なら、その人個人のイデオロギーに関わったり、在りたい自分の姿に直結したりするからだ!』
『例えばスカートを履きたくない女子だ! ジェンダー的にスカートを履くのに抵抗があってスラックスを履きたい人。単純に風通しが良いのが気持ち悪い人。中を覗かれるのが嫌な人。……そういった人々は、個人個人思い思いの感情を抱いて、それでも意に反してスカートを強制されるんだ!』
『履きたくもないスカートを履かされるのはストレスだ! このような押し付けを、教育は是認してよいのか! 私は意味もない押しつけが大嫌いだ!』
吠えるような主張。俺は思わずテツと目を合わせていた。
履きたくもないスカート、なるほど、と思ってしまう。そう言えばテツもスカートに愚痴をこぼしていた。
『例はまだある! 例えば海外文化を誇りに思う人だ!』
『インドの服、サリーが好きで、自分はインドの血を受け継いでいるからとサリー服を着たい人がいるだろう! それは自分の祖先への敬いの念でもあり、自分の血族が受け継いできた伝統でもある! それを! 一意的に禁止して「この服を着たまえ!」と押し付けるこの教育の在り方を、私は許すことが出来ない!』
『服装は表現だ! ジェンダー意識、民族意識とまでいかなくても、例えばちょっと男っぽい服装に挑戦したい人だとか、ちょっと派手な服装を着たいとか、そういう願望は人それぞれ抱えていると思う! それを無意味に禁じて人の自由を抑圧するというのは許しがたい行動だ! よって私は、ファッションの自由の観点より制服を廃止すべきであると主張する!』
放送は『以上!』という勢いのよい言葉で一旦途切れた。多分裏で、放送部あたりに「機材があるのであまり乱暴しないで下さい」とか注意を受けているのであろう。
俺はそんなことを考えつつ、「なるほどな」と頷いていた。
自由。
そういえばそこまで深く考えたことはなかった。よく考えてみたら、そんなに可哀想な人たちがいるのならば制服廃止を認めてもいいのではないだろうか、と思えてしまう。
教室をみると、その意見に頷いている人間がちらほらと見える。「なかなか面白いね」と教室でもちらほら廃止賛成意見が聞こえてくる。
『諸君』
放送が再開されると、今度は男のほうの声になった。沢渡とかいう名前だったか。
今から彼の弁舌が始まるのかと思うと、ちょっと気の毒に思えてしまった。どう考えても廃止すべきだというムードだからだ。
今の俺ではさっきの意見にどうやって反対すればいいのか分からない。趨勢は決したように思っていた。
『それでは、続いて俺、佐渡の反対スピーチに移る』
『……着たいものがあるから、廃止すべき。この意見は実に子供っぽい理屈だ。何故ならば教育の制度として制服を導入した理由を忘れているからだ』
『統一意識? 伝統? そういう考えもあるだろうし、あるいは自分の誇りを育てる役割ももちろんある』
『しかし、俺は制服の果たす役割の大きさをもう少し深く分析したいと思う。それ故に俺は廃止反対だ』
説き伏せるような口調。
一瞬だけ、俺はムードの変化を感じ取った。未だに制服廃止すべきという空気は変わってないように思うが、しかし全員が佐渡のスピーチを聞こうとしているのが分かった。
『まずは反論だ。ファッションの自由。これは重要でないと俺は思う』
『ジェンダーについては制服の問題ではない。スカートが嫌なら男のスラックスを履いてもいいように制服制度を変えよう。会社のスーツと同じようにな。そこは制服が悪いのではなく制度の問題だ』
『また賛成のいうファッションの自由は、ちょっと話を大げさにしすぎている。放課後、休日などの時間があるからだ。
厳密にはこうなる。「放課後や休日というファッション自由の時間がある中で、社会性などを培う学びの場にも関わらず、制服を廃止してまで守りたいファッションの自由がある」ということだ。
自由を教授したい? 放課後や休日でいいではないか。何故、教育効果を無視してまで敢えてこの学びの時間にファッションを自由にさせたいのだ? 必要性がない』
『ファッションの自由は大事だ。しかしどんな時でも、というわけではない』
上手い。
ディベートは素人だが、俺は思わずそうだと思ってしまった。彼の意見は、制服の良いところを述べつつ相手を反論していた。意見が分かりやすい表現で、確かにファッションの自由は重要だけどもという所は否定せず上手に受け流している。
空気が若干変わった。
『続けて立論に入る。制服の効果だ』
『一つ目。制服のモチベージョン効果は大きい。自分の憧れの高校の制服、それを着ているだけでも誇りが沸き立つというものだ。この学校に恥じない生徒になろうという意識が生まれ、学習にも意欲がわく。しかも、普段と違う服を着ているというのが大きい。やはり普段の服だとやる気が出にくい面はあるだろう。しかしこの制服を着ているときは普段と一味違う見た目と着心地だ。今はだらだらしていい日常ではないのだ、この服を着ている間は頑張らなければ、という意識のきっかけになるのだ。勝負服とは、仕事服とは、つまりそういうものなのだ。……それが、制服のモチベーション効果だ』
『二つ目。制服はいじめ抑制に役立っている。貧乏な子供やファッションセンスが変な子は、往々にして学校でいじめられやすいというデータがアメリカにあった。理由は服装だ。彼らは服装が変なのだ。服装が自由であるというのはつまり、そういう子を浮き立たせてしまう意味がある。しかし制服は違う。お金のかかる私服ではなくいつも同じ服を皆が着ているため、目立たないのだ。彼らが毎日同じ服を着ていたとしてもそれを変に思われないという魔法の服、それが制服なのだ。彼らの隠れ蓑として制服は、守られるべきだ』
思わず俺は唸ってしまった。
制服をやっぱり廃止しちゃいけないのでは。そういつの間にか説得させられてしまっていた。
テツを見ると「ほええ」と間抜けな声で頷いていた。
「すげえな、何か」
「どうしたんだよテツ」
「ディベートって、凄いのな」
ぽつりと漏れ出た言葉に、俺は少しだけ同意した。廃止反対だったのに、賛成にさせられて、反対にまた戻ってしまった。あんなことが出来たら格好いいだろうな、と俺は思ってしまった。
言葉で人を説得する。それはかなりの頭脳バトルのように思われる。
『よって、制服を廃止することは不利益である。以上』
『……はい! いいスピーチだったな諸君! あきらクンと私に拍手を!』
パチパチ、とやはり放送越しの拍手が聞こえてきた。教室の奴らは拍手はしていなかった。
感動しても流石に拍手する奴らはいなかった。その代わり普通に聞き入っていたと思う。教室の皆が「へえ」「なるほどな」「そうか……」と色々と感じ入っているように見えたからだ。
「なあ、とどめ」
「どうしたテツ」
「ディベート、ちょっと興味わいたわ。何か、格好いいじゃん」
「……そっか」
購買のパンを飲み込むテツを見て、俺も昼飯を牛乳で押し込んだ。
休み時間はあと少しだけ残っている。ちょっとその隙に、挨拶だけでも出来るだろうと俺は思った。