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【序 章‐ひとつの伝説といくつかの約束‐】





◆1◆




むかし、むかし……


想像もつかないほどの遥か時の彼方




双子の神、"クブ神"と"デト神"は、広い宇宙の中にひとつの星を創り、"ラジアス"という名前を与えました


クブ神は、ラジアスに長い昼と暖かい春、煌めく夏を与え、命を育てました


デト神は、ラジアスに暗い夜と寂しい秋、凍える冬を与え、すべての命に死の宿命を定めました


いつしかラジアスは、生命の連鎖で満ちあふれる星になりました




繰り返される生死の中で、ある時双子の神の想像を超えるほどに飛躍的な進化を遂げた生命が現れました


双子の神はその生命に"人間"という名を与え、多くの愛と称賛の言葉を送りました


人間たちはその言葉を受け入れ、双子の神に永遠の忠誠を誓いました




その後も人間の進化はとどまることを知らず、次々と高度な文明を築き上げていきましたが、時の流れと共に神々への信仰は薄れ、心は荒み、いつしか人間どうし欲望に身を任せるままに愚かな争いを繰り返すようになりました


デト神は人間の精神の退廃を嘆き、罰を与えるべきだとクブ神に言いました


クブ神は反対しましたがデト神の怒りはおさまらず、激しい口論の末、ついにデト神はクブ神を"時の牢獄"へ閉じ込めてしまいました


それから約千年にわたり、ラジアスはデト神の恐怖に支配されました


永遠に続くと思われた苦しみと絶望の時代に、ある時一人の人間の男の子が誕生しました


彼の名は"トゥール"といいました


優れた肉体と精神を合わせ持つ青年へと成長したトゥールは、世界中を歩き、仲間達に支えられながら、デト神に苦しめられていた各地の人々を救い、いつしか英雄と呼ばれるようになりました


人々はいつの日かトゥールがデト神を滅ぼすと信じ、苦しみに耐え続けました




そしてその日が訪れました




トゥールと六人の旅の仲間たちは、数えきれない冒険の果てに、ついにクブ神を時の牢獄から解放することに成功しました


彼らはクブ神と力を合わせ、デト神との最後の戦いに挑みました




壮絶な戦いの末、勝利したトゥールたちの手により、今度はデト神が時の牢獄へと閉じ込められてしまいました




戦いが終わるとクブ神は、ラジアスの命運をこの星に暮らすすべての生命に託すと言い残し、宇宙の彼方へと去って行きました




クブ神が去った後、トゥールと六人の仲間たちは、崩壊した世界の秩序を取り戻すべく世界を七つの国に分け、各々が自ら初代国王となり国を治めました




人々は神々への信仰を取り戻し、そしてラジアスに長い平和が訪れました……




◆2◆




「その話なら知ってるよ!"創星記"だろ?学校で習ったよ!」


少年の不機嫌な声が夜の森に響き渡った。


少女としては、きわめて重要な話をしているつもりだったので、とても悲しい気持ちになった。


少年は少女の表情を見て後ろめたい気持ちになったが、それでも胸の奥からあふれ出す苛立ちを抑えることが出来なかった。


この森は少年にとって一番の宝物だ。


何かと口うるさい両親や意地悪な同級生、大嫌いな教師に、小学生だからと何かにつけて自分を馬鹿してくる近所の不良ども。


それら忌々しいものから解放される唯一の場所。


フクロウと虫たちの合唱に祝福され、優しい満月に見守られている大事な大事な二人きりの空間。大きな木の下に並んで座っている小さな小さな聖域。


しかし今、その聖域は他ならぬ少年のせいで重苦しい沈黙に満たされてしまった。


「そうなんだ……でもね、この話には誰も知らない続きがあるって知ってる?英雄王トゥールは臨終の際に―」


「そんなおとぎ話どうでもいいよ!」


少女は少年の苛立ちを受け流すように、努めて明るく優しい声で話を続けようとしたが、無情にも言葉は遮られてしまった。少年の怒鳴り声に驚き、びくっと体を震わせる。


「ただのおとぎ話じゃないのよ……双子の神と英雄王のお話は、みんな昔本当に起こったことなの。そしてそれはあたしたちにとってとても大事な話なのよ……どうして?……どうしてそんなに怒っているの?」ついに少女の瞳から涙が溢れ、声は淋しくかすれてしまった。「あたしたちが会えるのは今日で最後なんだよ……?」


少年は立ち上がり、少女に背を向けた。


「だからこそじゃないか……もっと大事な話をしなきゃ……」少年はそう言いながら、上着の内ポケットに手を入れて中にある物の感触を確かめた。「今日はちゃんと言うって決めたんだ……」


自分に言い聞かせるようにそう呟く少年の背中を、少女は不思議そうに見つめた。


「何……?何を言うつもりなの?」


少年は意を決したように素早く振り返り、少女の目を真っ直ぐに見つめた。そして左手を差し出して少女の名前を呼んだ。


「立って」


「え?」


つまりは手につかまってくれという意味なのかと思い、少女はためらった。


別に手を貸して貰わなくても立つことはできる。少年が何か特別な優しさを自分に見せようとしているのだと思い少し嬉しくなったが、それにしても手を握るというのは恥ずかしい。


しばらく何もしなければあきらめて手を引っ込めるのではないかと思ったが、少年は同じ姿勢のままじっと動かなかった。


「……何なの?」


根負けした少女は恐る恐る差し出された左手を握ってゆっくり立ち上がると、右手でスカートの汚れを払った。


少年の手はあたたかく汗ばんでいた。はやく離して欲しいような、そうでないような、不思議な感触だった。


少年は深呼吸をした。それから少女の手を離して肩膝をつくと、内ポケットから何かを取り出して両手で差し出した。


それは木彫りの指輪だった。


「えっと、一回しか言わないから……何回も言えないだろうし……じゃなくって、なんだっけ?……と、とにかく、ちゃんと聞いてくれよ?」


少年の緊張は少女に伝染した。いつの間にか涙は乾き、頬が熱くなっている。


―何なのよ?そっちこそちゃんと言えるの……?


「おいらと……おいらと結婚してくれ!」


その瞬間、少年は世界中の時計の針が止まってしまえばいいと思った。それ以上少女の目を見ていることができなくなり、顔を伏せて眉間に皺が寄るほどに強く目を瞑った。


―とうとう言っちまった。どうひいき目に思い返しても間違いなく言っちまった……ああ神様。おとぎ話の神様。いるのかいないのかわからない神様。双子のうちどちらでも構わない。あと六時間くらい時間を止めてくれないか?おいらの心臓が落ち着くまでの時間さ。もし今彼女が何か返事をしたら?それが悪い返事だったとしたら……?おいらの心臓は破裂しちまうに違いないんだ……。


しばらく呆気にとられていた少女だったが、やがてくすくすと笑い出した。


「な、何を言いだすかと、お、お、思ったら……」笑いは徐々に高まっていき、しまいには腹を抱えて笑いだした。「け、けっ、結婚って、あたしたちまだ十歳なんだよ?」


フクロウと虫たちの合唱は笑い声にかき消されてしまった。


満月も自分を嘲笑しているに違いない、そして体中の血液が顔に集まってきているに違いないと少年は確信した。


―昼間あんなに練習したのに……。


「それにもう会えなくなっちゃうんだよ……?どうやって結婚するの?」


ようやく笑いがおさまると、少女は息を整えて優しく言った。少年は勇気を奮い起こして顔を上げた。


―そんなことはわかってるよ……だから今伝えたいんじゃないか!……あきらめてたまるか!


「おいらさ、勉強できないから多分給料のいい仕事にはつけないと思う……でもさ、いつか大人になったら、父ちゃんと母ちゃんに頼らずに頑張るやつになってみせる……そんで、いつか必ず君を迎えに行く。世界中どこに行っても必ず捜してみせるから」今自分はどんな顔をしているだろうか、という考えが少年の頭の隅をよぎった。いい加減な顔じゃないだろうか?自分の気持ちはどれくらい伝わっているのだろうか?「だから結婚して下さい!世界で一番君が好きなんだ!」


再びフクロウと虫たちの声が聞こえてきた。満月は真顔になった。


少女は少年をじっと見つめていた。胸の中を強い風が吹き抜けていた。


―もしもあたしが"普通の女の子"だったら……永遠に再会することはないという事実を否定できたなら……彼に今すぐ真実を伝えられたとしたら……ああ、どれだけあたしは幸せだろうか……。


「ねえ、指輪を……」少女は少年の右手を指さした。「もう一度よく見せて」


「う、うん」


少年は思い出したように手のひらの中の指輪を見つめた後、そっと少女に手渡した。


手渡された指輪を親指と人さし指でつまむと、少女はそれを興味深そうに様々な角度から眺めた。


「これって、自分でつくったの?」


「そうだよ。鍛冶屋のハン爺に上手いやり方教えて貰ったんだ」


少年は誇らしげに人さし指で鼻をこすった。


もっとも、完成するまでに彫刻刀で何度か自分の指を彫るはめになったけどね、と冗談めかして言おうかと思ったが、恥ずかしいのでやっぱりそれは黙っていることにした。


「デコボコだね……」


少女はくすくすと笑った。先ほどとは違い、それは嘲笑ではなかった。


木彫りの指輪。宝石の代わりに花らしきものが彫られていたがとても歪だった。彫る力、やすりのかけかたにムラがありすぎる。


左手の薬指に嵌めてみると、多少窮屈だったが何とか指におさまった。


「いいわよ、結婚してあげる……」


「え?」


今なんと言ったのだろうか?本当に彼女の声か?フクロウが彼女の声色で悪戯をしたのでは?と、少年は耳を疑った。


「結婚しましょ。あたしもあなたが大好きだから……」


しばらく口を開いたまま立ちつくしていた少年だったが、もはや聞き間違いではないと確信すると、とたんに喜びが胸の奥から次から次へと勢いよく溢れだした。


「ほ、本当だね?やっ―」


「その代わり条件があるの」


飛び上がってばんざいをしようとした少年だったが、すんでのところで少女の言葉に制止されてしまい、急速に気持ちがしぼんでいくのを感じた。


―条件だって?……何だろ?"おっきい家を買ってね"かな?いや、"犬を飼いましょう"かな?……難しい条件だったらどうしよう……。


「条件……って何?」


少女はすぐには答えず、しばらく薬指の指輪を眺め続けた。やがて顔を上げ、少し寂しそうに笑った。


「いつかあたしを迎えに来てね。……もしも再会できたなら、その時は結婚してあげるから……」


少年は拍子抜けしてしまった。


―へ?それだけ?


「条件ってそれだけ?なんにも問題ないよ!さっきも言ったじゃないか!必ず迎えに行くってさ!」


「うん……わかった」


少女は何とか涙をこらえて笑顔を作った。少年に気づかれないように。


―なんにも問題ない……か。


「待ってるね、ずっと……指輪は婚約の証として貰っておくね」


少年は少女が隠している"寂しさ"に気づくことはなかった。


何故なら今二人は世界で一番幸せな話をしているはずなのだから。しばらく会えなくなるが楽しみが先延ばしになるだけなのだから。


「もちろん指輪はあげるよ。大人になってちゃんと結婚する時には、こんくらい大きな宝石がついたやつをあげるからね!」


少年はこんくらいと大げさに両手をいっぱいに広げながらそう言った。すると少女がおかしそうに笑ったので天にも昇るほどに嬉しくなった。


「じゃあ、あたしもあなたに婚約の証を……」少女は木の根元の辺りに置いてあった革袋の中を探った。「本当はお別れのプレゼントとして持ってきたんだけど……」


よいしょと言いながら少女が取り出したのは"短剣"だった。


鞘も柄も煌めくような赤い短剣。特別な装飾はなく、その"赤"でなければどこの街でも売っているありふれた短剣のように思えた。


少女は無言で短剣を両手で差し出した。しかし少年は贈り物が意外なものであったことと、短剣がかもしだす不思議な雰囲気に戸惑い、受け取ることができなかった。


「これはあたしの一番の宝物だったの……ずっと昔から……ずっとずっと長い間……」


「昔からって……?まだ十歳だろ?」


少女は目を見開いて少し驚いたような表情をした後、可笑しそうに笑った。


「そうね……まあともかく、これをあたしだと思って、ずっとずっと大事にしてね。あたしの代わりにこの剣を守り続けて欲しいの」


「……う、うん、わかった」


少年は意を決して短剣を受け取った。ずしりとした重みが体中に伝わってくる。あるいは鑑賞用のフェイクかとも思ったが、やはりこれは本物のようだ。


「これって本物だよね?本当に貰っていいの?結構高いんじゃない?」


「うん。本物だよ。お金なんかに替えられない価値があるの」


少女はそう言いながら歩み寄り、少年が抱えるようにして持っている短剣に両手を触れた。


短剣を挟んでいるものの、これまでにないほど接近したため、少年の心臓の鼓動は高鳴り、体は硬直してしまった。


「いくつか約束して欲しいの。ひとつは、この剣は自分が正しいと思うことのためだけに使うこと」


危うく聞き逃すところだった。声とともに吐き出された少女の息、その暖かさを感じ、緊張で頭が真っ白になりかけたからだ。


「わ、わかった。約束する」


「それから二つ目……この剣とあたしのことを決して誰にも話さないこと」


少女は短剣の鞘にそっと頬を埋めた。少年は、自分の体はこのまま石になってしまうのではないかと思った。短剣がなければこれは"抱擁"なのだ。


「……ねえ、ちゃんと聞いてる?」


返事が聞こえてこないため不安になり、少女は顔を上げた。


「え?……も、もちろん。わかってるよ。約束する」


短剣と同じくらいに赤くなった少年の顔を見て、少女はなんだか自分まで照れくさくなってしまった。


「ちゃんと聞いてね。次は一番大事なことだから……」


少女は一旦剣から手を離したが、思い直したように、すぐにまた手を置いた。


―そうするしかない……そんなことわかってる……でもやっぱりお別れしたくない……ああ、輝ける赤……なんと愛しい赤……。


「……何があってもこの剣を手放さないこと……約束できる?」


少年は短剣を右手だけで持ち直し、左手で少女の手を握った。


考えた上での行動ではなかった。そうしなければいけないと瞬間的に体が理解したのだ。


「そんなの約束するまでもない!そんなことするわけないんだ!……また会う日までこの剣が君の代わりなんだから」


少年の左手を少女は両手で強く握り返した。二人の恥じらいはどこかへ消えてしまった。それはお互いにとってまったく正しい行動だった。


「ありがとう……」


そして少女は呟くように少年の名前を呼ぶと、手を放してゆっくりと二、三歩後退った。


「ま、まさか……もう時間なの?」


少年は手の中に残る少女の手の感触を何度も反芻した。そうしなければ消えてしまいそうだった。


「もう少し話がしたいよ!どうにもならないの?」


「ごめんね、もう行かなくちゃ……」そしてもう一度少年の名前を呼んだ。優しく、暖かく、母親のように。「本当にありがとう……忘れないでね」


―結局伝説の続きを伝えることはできなかった……しかしこれでいいのかもしれない。あたしたちが再会することは二度とない。でもこれであたしは長い夢を見られる……そう、人間の光の夢……。


「忘れないよ!必ず迎えに行くからね!」


少年がそう叫んだのが合図であったかのように、突然景色が歪み始めた。不快な耳を突くきいんという音とともに。


間もなくいつも通り森は消える。いつもと違うのは二度と現われなくなるということ。


わかっていたはずなのにいざこの時をむかえると、少年の胸の中を悲しさの嵐が襲った。


そして何度も何度も少女の名前を叫んだ。そうしないと正気が保てないのではないかとさえ思えた。


しかし、その姿は森とともに歪み、次第に薄くなっていく。


少女は最後にもう一度だけ少年の名前を呼んだ。


「さようなら……"ラクラフィスの鍵"……そしてあたしの小さな、小さな恋人……幸せになってね……あたしなんかよりずっと……」


その時すでにお互いの声は届かなくなっていた。


歪みが極限に達すると、あたりは突然のまばゆい光に包まれた。


―いつも通り……いつも通りだ。


その眩しさに目を瞑りながら、少年はろくに信じてもいない双子の神に必死に祈りを捧げていた。


―でも、今日だけはどうか目を開けた時に彼女の姿を……せめて一目だけでも見せてください!最後にたった一度だけ……。


しかし願いは叶わなかった。目を開けると、そこにはいつも通りの風景が広がっていた。


村の外れにある小さな洞穴の中。森も少女も、何もかも消えてしまったのだ。


いつの間にか自分の頬が涙でびしょ濡れになっていることに気がつき、そんな自分に無性に腹が立った。


「ちょっと寂しいだけさ……悲しくなんかないじゃないか……泣くことなんかないんだ……必ずまた会えるんだから……」


少年の独り言が夜の洞穴にこだました。


それがおさまると、まるで見計らっていたかのように、夜の静寂が容赦なくすべてを包み込んでいった。




◆◆◆




【序 章‐ひとつの伝説といくつかの約束‐】




‐完‐




そして第Ⅰ章へ……




次の頁へと進もう。


旅の用意をすませた後に。


ある春の日、多くの運命が交錯したその日から物語が始まる。


そして、我々はそこでもう一度赤い短剣の姿を見ることになるだろう。


"輝ける赤"の姿を……。



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