アーキアに至る
5 アーキアに至る
大洞穴研究開発機構のカフェスペースに、魔術工学士のマキ・イロハと従軍巫女であるヒメが居る。二人は遅い朝食を取っていた。
そこに、カストルがやってきた。カストルは、ニコニコと笑いながら二人に近づき挨拶をした。そして、口元に人差し指をあてがい前かがみになり、二人の食事を物欲しげな表情で見つめた。
「………一口だけならいいよ。ほら。」
そう言って、マキ・イロハはカストルにチョコレートべーグルの一欠片をフォークに刺して差し出した。
カストルはパクリと口にそれを含むと、両の手を頬に当てて、
「おーいしーい♪」
と、言いながらピョンピョン跳ねた。マキ・イロハがキリシマ・トウマの側に居なくてもいいのかい?と聞くとカストルは、
「今日は一人になりたい気分なの。色んなものを見聞きしてトウマにお話するの。」
と言って、くるりと向きを変えてタタタッと駆けて行った。
その様子は人間の少女そのものだ。それも純粋無垢な。
「カストルもこっちに来た当初と比べるとだいぶ変わったのう………」
ヒメが口を開いた。
「アレがこちらへ出奔してきた当初は、まるで人形のようだった。あれはまるで依代の如き、ただ人の形をかたどっただけのものだった。それが今ではあのように感情豊かな少女そのものになっておる。しかし、時たま怜悧で聡明な女性の面も見せる。童のように振るまう時もあれば、老賢者のように振る舞うこともある………。イロハ。アレは、フェアリーとはなんなのかの?儂には到底わからんよ。」
「古神道の巫女様が何をおっしゃるやら。この手の者に関してはそちらのほうが近しいでしょうに?」
「いや、所詮儂はお飾りよ。確かに霊的存在と対峙し、其のための典礼を施し、そうやって生きてきたがの。それが当たり前すぎて客観視できなんだ。故にそなたに問いたい。魔術と科学の両方に精通しする魔術工学士、錬金術師、魔術師であるそなたにの?」
そう言って、ヒメはフォークでマキ・イロハを指した。
「そうさな………」
マキ・イロハは背もたれに体重を預け少し考える。そして、ふうと息をつき、紅茶を少しすすり、話し始めた。
「魔術工学的見地からがいいかね?」
「なんでもよいよ。暇つぶしじゃて。そも、魔術工学とはなんぞや?儂にはその括り自体がわからなんだ。俗世から離れ狭い世界で生きてきたでの。そこから話してくれるとありがたい。」
そう言ってヒメは少しからかうように笑った。自分自身に対しても、自嘲気味に。それに対し、
「〈暇つぶし〉とは酷いなあ」
と、マキ・イロハも笑った。
ーーー魔術工学。古来より人間が作り出してきた業のひとつである魔術。それは、呪術から発展し、暫くの間、人々の思想の基底に存在していたが、科学技術とそれに基づく思考体系が一般的になると、それはペテンとみなされ、また、宗教と対立するものとしても迫害され、なりを潜めていった。しかしながら、それはけっして、ペテンなどではなく、紛れも無い人間の業であり、密かに魔術師達は生き延び、現代に至るまで存在し続けている。長らくの間、魔術は秘匿され続けていた。少数の人間の間のみにおいてそれは受け継がれていった。それが魔術の神秘性を担保するために必要な高位でもあり、魔術というものが魔術足りうるために必要な、要素だったからだ。
また、魔術師は、古来よりこの、我々の住む世界以外の世界の存在を感じ取っていた。ーーーここではないどこか。そこから流出するエネルギーを媒介とし、様々な事物に宿るマナを制御するエネルギーとして、そして同時に行使するエネルギーそのものとして扱ってきた。魔術師達はそのエネルギーの流出点の中でも大きなものを〈霊脈〉・〈龍脈〉と呼んで人知れず管理してきた。
「霊脈の管理に於いてはヒメの世界と同じだね。」
「そうだの。しかし、それをどう扱ってきたかに於いては儂の世界とイロハの世界では違う。儂らの世界ではそれは畏れ敬うものであった。しかし主ら、魔術師はそれを統御しようとしておる。今のヨミにおける人類のやり方と同じでの。」
魔術が科学と接近したのは、魔術師のその〈ここではないどこかからのエネルギー〉を統御しようと手を出した結果起こった事象がきっかけであった。それは〈蝕〉と呼ばれ、様々な惨禍を起こしてきた。それが起こった場所一帯では因果律は狂い、時空も歪む。其の犠牲になったのは魔術師だけではない。一般人も多数含まれる。今まで魔術師が隠匿してきた秘儀の世界が一般世界に事象として顕になってしまったのだ。
その〈蝕〉は、魔術師以外の一般人に〈ここではないどこか〉の存在を認識させることとなった。魔術師の営為のひとつである〈不老不死〉に至る研究ーーーむしろそれは錬金術師が目指したアルスマグナへの到達かーーーと、急速に発展してきた人間の遺伝子の解読と、再生医療の発展と結びつき、魔術師は、わずかながらではあるが、一般世界にも自らの業を提供し、その対価として一般世界の科学の業を取り入れようと接近した。その結果、できたのが魔術工学という学問なのである。
魔術と科学が接近したことにより、新しいタームも誕生した。それが〈心象粒子〉であった。今まで、魔術師が精気やマナ、オッドと呼んできた魔術を発現せしめるきっかけとなるエネルギーであり、また行使されるそのエネルギーそのものでもあるそれを、科学的タームを持って説明するために心象粒子という仮想の粒子が提唱され、研究がなされてきた。そして、それは今現在、大洞穴内世界が発見され、未知の物質としてその心象粒子にふさわしい物質が発見された今、仮想の粒子ではなく、現実に取り扱われるものとなった。
「主らが今まで〈蝕〉と呼んでいた事象。それは一時的な事象だったと聞く。そしてそれは短時間で消滅していったと聞く。それが固定化して儂らの世界とひとつなぎのままになっているのがこの〈ヨミ〉だと認識しておるが?」
「ああ。それでいいと思うよ。ここは、大洞穴内世界は、蝕が安定した形で人類の目の前に現出したものだと思う。今までは蝕という形で刹那的に、不安定な形で現出してきたのが固定化したものだと思う。何故、今になってという疑問もあるが。まあ世界が総判断したのだろうね。」
そう言って、マキ・イロハは続ける。
「その他にも、我々魔術師は〈罅〉というものを観測してきた。そこから漏れ出るエネルギーが魔術を行使する際に使われるイグニッションたるものであり、行使するエネルギーそのものではないかと考えてきた。其の中には負のエネルギーと想定されるものもあった。それを私達は〈澱〉と呼び対処してきた。」
「儂の世界だと〈穢れ〉かの?和御魂に対する荒御魂。その現れ方の違い。相としての現れ方じゃの。そして〈罅〉。つまるところこれは………」
「〈ヨミ〉の国を垣間見る隙間だね。大洞穴内世界とつながるものだったわけだ。それが今まではエネルギーーー心象粒子といったほうがいいかーーーだけしか通さない大きさのものだった。故に〈罅〉と呼ばれた。しかし、今や、人が簡単に出入りできる大洞穴が現れ、我々はそこに踏み入れることができるようになった。」
魔術師達は、古来から大洞穴内世界から流出するエネルギーを取り出してきた。その経路が〈罅〉といわれるものであった。それが拡大し、現世に著しく干渉し、心象粒子だけでなく、物質さえも取ることができるようになった存在 それがこのベラム共和国に存在する大洞穴なのだ。
「〈罅〉としてしか垣間見れなかった世界が〈穴〉として一般人にも認知される存在として立ち現れたということじゃな。………さて、魔術工学の経緯はもうよい。いい暇つぶしになった。本題に戻りたい。フェアリーとはなんぞ?」
「フェアリー一般に当てはまるかどうかはわからんが、まあカストルに限定してなら、まあ、私見は述べられるよ。」
そう言ってマキ・イロハは私見を述べた。
「ーーーカストル。人の形をしたあちら側の者。アガルタ。自らをアガルタ人と呼称し、こちら側についた者。」
「名乗ったのか?人をか。いとおもしろきことよのう」
「カストルは人の形をしているが、その組成は未知だ。始原菌に似た性質がある。しかも一旦構造情報を獲得すれば質量変化を伴わない範囲ならば自在に姿形を変容可能な存在だ。」
「人の形をしているが決定的に違うのはその組成か。相としての現れ方として捉えれば御霊の顕現のしかたそのものが実態を伴って、しかも人の形をとって現れたと?まっこと尊の如き存在なのかもしれんのう」
「アーキア。アルケア。名前からしてアルケミストとしてはこれほど興味深いものはない。アルスマグナへ至る。枝葉から幹に至るその方法に。彼女らを研究することでより深淵に近づけるかもしれないと私は思うよ。」
「始原の存在か。イザナギとイザナミの国産みを連想してしまうのう。ここは常世か現世か?神世と言えるのかもしれんの。儂らが認識できる段階にまで降りてきておるのかものう。」
「常世の存在であるか?御霊の顕現であるのか?尊であるのか?それはまあ私の範囲外だ。ヒメの世界の概念だしな。私の言葉。私の持ちうる、そして思考する系統で説明しようとすれば、あれは生命の原形質そのものではなかろうか?故にあれは分子構造さえ観測できず、しかし、彼女によれば分子構造を理解すれば何にでも変容できると言っている。あれは我々の祖先なのかもしれない。その一部が、この世界にもたらされた。その子孫が我々人類なのかもしれない。」
「ますます国産み神話に近づいてきておるがの。まあ、捉え方は各々の信ずるものによるだろうて。触れ方の違いよの。」
「あれは単体にして総体なのだ。しかし、それを統御しているのは何なのか?アレにも魂が?」
「魂については儂もまあ考えがないことはないぞ。魂は何者にも宿るものぞ。天照大御神のもたらすそれはこの世のすべてのものにあるものぞ。いや、魂というのは在り方であって、生命そのものといったほうが正鵠を射ているかもの。」
「タケミカヅチやカグツチにも魂が?」
「アレもまた依代ぞ。搭乗者もまた依代なりて。様々に重なった縁による御霊の宿るものぞ。生体脳やAIといったの?ああいうものは九十九神としても捉えられる。搭乗者もまた然り。」
「神の名を冠することに対してどう思う?」
「まっこと不快じゃの。畏れ敬う態度が見えぬ。あれは主らの世界の造形物じゃ。ゴーレム。デウスエクスマキナ。そう言ったものじゃろ?まっこと不快じゃ。しかし、それでも儂は禊祓い、彼らを清めたもう。それが勤めじゃて。お飾りに使われておるのはわかっているがの。まあ、それでも、儂が少しでも力になれれば嬉しいのも事実じゃ。複雑よの………」
そう言って、ヒメは肩肘を付き、ため息をついた。人型戦車のあり方。依代としての存在。その形は、人々に、表層的なものではあっても、神なる存在を意識させることになった。大洞穴内世界〈ヨミ〉が常世ならば、人型戦車は現世からそこに繰り出す伊邪那岐やオルフェウスを彷彿とさせる。皆、なにか心に拠り所がほしいのだ。科学で説明できない何かに対する彼らはやはり、その心の拠り所にできるものは同じく科学では説明できない〈なにか〉なのだ。その拠り所として、ヒメが祓詞をかけ、浄め祓い、彼らを、ヨミの国に繰り出す者達を鼓舞させる。そのためにヒメは呼ばれ、その任を果たしている。
「難儀な仕事だね。信仰心といってもまじない程度にしか彼らは思ってないんじゃないか?」
「まっことそのとおりぞ。まったく。それにフェアリーらが随伴するようになってからは、その姿形から〈守護天使〉などと言い出す者もおっての。それ故に余計に拍車がかかる。守護天使なぞと。祖先崇拝なら儂の範疇じゃが、あれはキリスト教の範囲じゃろうて。全く、ここでは宗教観も混沌としておるのかのう………」
ヒメはイジイジとフォークでチョコレートベーグルをつついていじけている。そんな様子を見てマキ・イロハは薄笑いを浮かべつつ、言う。
「人間なんてそんなものさ。なにもかも一緒くたさ。人が神を作る。人工神をね。それを拠り所にしてなんとかよちよち歩きでもたっていられるのさ。まあそれは大目に見てやりなよ。」
「そういうもんかのう………まあ儂もわかっておるのじゃ。わかっておるのじゃがのう………なんとものう………ここの中枢コンピュータなんぞ畏れ多き天照大御神の名を冠しておるしのう………しかも三柱立てておる。なんだかのう………」
「権威付けのためさ。仕方がないねえ。」
「しかし、安易に神の名を使われるのはのう………はあ………」
ヒメはがっくり意気消沈している。フォークで弄られたチョコレートベーグルはもはやベーグルの形をしていなかった。チョコレートは溶け、生地はぐちゃぐちゃになり、原型をとどめていない。円環が崩れ、微細に、拡散する。それを見てヒメは言う。
「まさに混沌よの。円環もなにもかも形あるものはここでは粉塵に帰して行く。唯一再構成できるのはフェアリーのみよ。あれはほんとになんなんじゃろなあ………?」
「私の持ち合わせているカードはもうないよ。あとは個々人で考えるしか無いねえ。キリシマ・トウマの話を聞きたいところだ。アレには何故かカストルがなついている。彼がアダプテーターであるからなのかも知れないがね?」
「キリシマはむしろ、儂らよりアガルタに近い存在になっておるのかもしれんなあ。しかし、まだ人よ。しかし、アガルタと………いやフェアリーじゃの。それと儂らの区別なんぞまったくつかんぞ。アレが羽を生やしたり、その構成を一瞬にして変えるのを見ておるから儂らはあれを人間ではないと言っているわけで、アレを見なかったら普通の人間と見分けがつかんぞ。特にあれだけ人間の感情を持つようになってからはのう………」
「ああ、外から来た記者のユウ・トヴァレグは最初人だと思ったそうだよ。でもすぐに羽根の生える様を見て、人ではないと認識したようだが………そういやハタに聞いたら、ユウ・トヴァレグは最初、アダプテーターの話を聞いた直後だったそうで、カストルをアダプテーターだと勘違いしたそうだよ。」
「ああ、それはそれは。まあ、どちらもヨミでしか活動できないという点では同じか。」
「いや、アダプテーターはともかく、フェアリーはヨミの外でも活動できるよ?ただ、出ようとしないだけだ。他のアガルタと同じようにね。境界面から決してこっちへ来ようとしない。いや、カストル達堕天使は境界面を越えてこっちに来たか。しかし、洞穴の外へ出ようという意思は今のところないようだ。」
「堕天使?なんぞ?アレが言いよったのか?」
「カストルじゃあなくてポルックスがね。面白いことに、カストル達ーーー出奔してきたフェアリーは日本神話的価値観を持ち、ポルックス達ーーーアガルタとして我々と退治する姿勢を崩さぬもの達はキリスト教的価値観を持っているらしい。ポルックスからすれば堕天したルシファーとその一味がカストル達だと言ってるそうだ。まったく、彼女らには恐れ入る。人間の知識を恐ろしい速度で学習し取り入れ、知性を獲得している。それに感情も実装してきているときたもんだ。はてさて、これからどうなることやら………」
「ほんにのう………ああ、日本的価値観と言えばの、」
はたと思い出したようにヒメが言った。
「キリシマ・トウマの搭乗機であるタケミカヅチのコ・コンピュータにカストルをあてがうと聞いておるんじゃが?あれは主の考案じゃろ?」
いかにもと、マキ・イロハは笑いながら答えた。ヒメは、ああやっぱりと、呆れ顔で息をつき、頭を押さえた。
「主も遊びがすぎるのう。何がしたいのじゃ?フェアリーを九十九神にしたいのか?そしてどうする?しかもアダプテーターのキリシマと。ますます儂らの統御下から離れていくぞ?」
「さあて、何がしたいのかねえ?私はただ色々な可能性を見てみたいだけだよ。そのためならなんでもするさ。我儘と勝手ができなけりゃあこんな穴蔵にずうっと居ようなんぞ思わないよ。正当な対価さね。研究結果も機構に送ればいいのだし。誰も損しないさ。」
そう言ってマキ・イロハは、かんらかんらと笑った。
「主………楽しんでおるのう………儂は神名備としてここを恐れ敬っているというのにまったく………」
はあ………と、深い溜息をついた。そして続ける。
「ーーー代わりのチョコレートベーグル。一個追加じゃ。はよう持って来いこの悪戯好きの魔術師めが!はよう、はよう!」
そう言ってゲシゲシとマキ・イロハの脚を蹴り、急かした。マキ・イロハは、はいはいわかりましたよ、お姫様と言い、ニヤニヤ笑いながら、チョコレートベーグルをヒメに献上すべく、ひらと白衣を翻しながら席を立った。
………
「コレより出撃の儀を取り計らっていただく。希望者は集合。整列し給え。」
ウサ・セイジ中佐がそう言うと、出撃の儀を希望する者達が巫女のヒメの前に集まってきた。彼らは整然と並び、頭を垂れた。ヒメは彼らに向かって玉串を振り、祓詞を唱え、浄め祓いの儀式を執り行った。
このような儀式は、以前は人型戦車の生体脳と搭乗者においてのみ取り計られていた。しかし、現在となっては、一般兵や作業員中にもその儀式を受けたいと願い出る者が増えている。
以前、彼らは、それを鼻で笑っていた。人型戦車にまじないをかけるその行為を。意味のないまじないをした所で何が変わるのだと。
しかし、フェアリーの出現とヴェノムによる精神汚染がその意識を変えた。アガルタが、人の形を取り、単なる異形の化け物ではなく、人に酷似した何かになってからというものの、こうした要求は日に日に大きくなった。その現場からの声は無視できないほど大きくなり、結果、大洞穴研究開発機構は、ヨミで作業に従事するものに対し、希望者全員に浄め・祓いの儀式を受けさせる権利を認めた。
一般兵や、作業員への浄め・祓いの儀式が終わると、ヒメはようやく本来の努めであった人型兵器搭乗者への浄め・祓いの儀式をとり行うため、人型兵器の出撃ハンガーへ向かっていった。
「まったく。お仕事に精が出ることで。」
マキ・イロハがニヤつきながら声を掛けた。
「精もなにも、ここのところ仕事が増えて難儀よ………。」
ふう、と溜息をつきながらヒメが答えた。
二人は並んで歩いて行く。本来の役目である人型戦車搭乗員への浄め・祓いの儀式をするために。
「元々、儂に求められている役目ではないのにのう。上が言うからやっとるものの………慈善事業じゃ。それに、信心も大して感じない彼奴らにコレを行うのもなんだかのう………」そう言って早足になりながら続ける「ああもう、遠いのう!儂は渡り巫女ではないのだぞ、まったく………。」
「今度弓でも取り寄せようか?」
「そんなもん、形が変われど意味はなかろうて。彼奴らは心の平穏が欲しいだけじゃ。心の底じゃあ、儂の典礼など子供じみた〈まじない〉だと思うておるじゃろて。」
「まあ、なんでもいいんだろうね。不安を少しでも解消できるなら、何にでもすがるさ。藁でも神でもなんでもいいってこったね。」
「一緒くたにされたくないのう………」
ヴェノムに対する恐怖が、次第にヨミ内で作業に従事する者達の中に広がっている。その結果として、ヒメによる浄め・祓いの儀式を出撃前に受けたがる者が増えているのだ。ヨミが人類に開拓され、四半世紀近く経ち、人間は畏れ敬う事を忘れていた。それが、フェアリーの登場とヴェノムによる精神汚染に晒される事によって、再びヨミは人間が畏怖するものに変わっていったのだ。しかし、未だその心の持ちようは、浅いものだとヒメは考えている。自分の浄め祓いの儀式を受けたがる者達は、この儀式の意味を、深く理解はしておらず、しようとも思っていない。単なる〈おまじない〉としてしか認識してないという事に不満をもっている。
「もとより、ヨミは畏怖の対象であるべきなのじゃがの。ソレが今頃………」
「まあ、わかりやすい形として現れなきゃあわからんさ。」
「フェアリーとヴェノムがの。そういう意味では、全く畏れ敬わない人間に対し、わかりやすい形で警告しているのかものう。」
「とはいえソレに依って芽生えた半端な信仰心は?」
「まっこと迷惑千万じゃの!」
そう言っている内に、ヒメとマキ・イロハは人型戦車の前に着いた。先程までの雰囲気とはうって変わり、ヒメとマキ・イロハは神妙な面持ちになった。本来の務めを始めるのだ。人の形をした機械を、そしてそれを操る搭乗者を浄め祓う儀式を。人型戦車は象徴として、取り扱われる。死者の国へ送るために。そして、帰還を祈るために。災禍の担い手として、あらゆる業を人の代わりに引き受けさせる依代として。
搭乗者達が集まり、浄め・祓いの儀式を受ける。整列する搭乗者の中にキリシマ・トウマはいなかった。彼は後で、特別に浄め・祓いの儀式を執り行う予定だ。
「かけまくもかしこき いざなぎのおほかみ つくしのひむかのたちばなのをどのあはぎはらに みそぎはらへためひしときに………」
ヒメが祓詞を唱え始める。搭乗員は皆頭を垂れ、聞き入っている。儀式が終わると、彼らは敬礼をし、人型戦車に乗り込んで行った。
「さて、と。次はキリシマとカストルじゃな。別個にした理由は?」
「ああ。今回は特別なものでね。」
そう言って、マキ・イロハは続ける。
「実験機だ。タケミカヅチをベースにし、その装甲ないしほとんどのパーツをヒヒイロカネに換装したものだ。そして、コ・コンピュータを外し、その代わりをカストルに務めさせる。」
「あの時話したアレか。キリシマとの同調機構としてのヒヒイロカネ使用か。」
「それもあるが、彼女の構成変化能力をタケミカヅチに持たせるという実験でもある。」
「うん?と言うと?なんぞ?」
「カストルをタケミカヅチと融合させるのさ。そのための媒体としてヒヒイロカネと心象粒子を使用する。つまるところ、タケミカヅチをフェアリーのような存在に仕立て上げる実験さ。実際に見せたほうが早いな。おい、カストル。ちょいとヒメに見せてあげてくれ。」
「はぁい♪」
その声はタケミカヅチから発せられた。すると、タケミカヅチから羽根が生え、その腕部が人の手を模したものからあっという間に荷電粒子砲に変化した。
「なんとまあ珍妙な。キリシマはどこじゃ?キリシマが動かしているのか?」
「俺ならここに居ますよ。」
後ろからキリシマが声を掛けた。
「あれはカストルが動かしている。いや、タケミカヅチと融合している。」
マキ・イロハが言い、続ける。
「現在我々が到達できる最前線の技術の代物だ。今までは人と機械の融合を試みてきた。しかし、これは、それすらも超える。フェアリーとの、アガルタとの癒合だ。人間と機械とフェアリー。その三者に依って創られた新しい存在だ。私達はアレに新しい名前をつけたよ。」
ーーーその名を、〈ウガヤ〉と言う。
………
キリシマ・トウマへの浄め・祓いの儀式が終わった。ウサ・セイジ中佐に率いられ、兵士と作業員がヨミの国へ向かっていく。
翼端にはフェアリーのスピカとアルタイルが付き、宙を舞っている。守護天使のように。そして、殿にはウガヤが。
その後姿を見送りながらヒメは口を開く。
「………〈ウガヤ〉とはなんぞや。半神を意味したいのか。アレは何ぞ?人でもない。機械でもない。そしてフェアリーでもない。存在それ自体が曖昧で不確定なもの。異形そのものではないか?」
そう言って、マキ・イロハを見つめる。マキ・イロハはふいと視線を遠くにやって、言う。
「ウガヤそれ自体は、非常に不安定なものとなっている。外部装甲や大枠の外骨格、コックピット以外をヒヒイロカネによって形成している。キリシマとのリンクもヒヒイロカネを用いたヘッドセットによって執り行う。接続はアダプテーターに埋め込まれている首輪を介して行なっている。それに心象粒子とアガルタであるカストルを同化させることで、有機的に変形する機械とも生物ともとれない異形の存在………。」
「化け物討伐と息巻いておった人間からすれば、アレはまさに異形じゃろうて。もはや、人の形をさせた、依代としての意味すらもなくなってしまうじゃろう………この先何が起こると思う?」
「さあね?ただ………私は新しい生命の誕生を見たいと思う。アレがそうであるかもしれないし、そうでないかもしれない。それでも、始原の、生命の始原を見つける端緒にはなるのかもしれない。私はそう考えている。そしてそれをずっと追い求めてきた。その結果がウガヤだよ。」
ヒメはしばらくマキ・イロハを見つめた後、マキ・イロハと同じく、遠くの方を見やって言った。
「あれがタケミカヅチをベースに創られたのもまた因果か。神鳴る力。稲光。稲玉。生命をもたらす力の担い手………」
「有機物の変異を促す刺激足りうるといいのだがね。」
「それも織り込み済みなのじゃろ?錬金の徒よ。生命の誕生を、なぞらえるその営為が吉と出るか凶と出るか………」
と、少し間をおいて、ヒメは言った。
「ポルックス達はどう思うのじゃろうな?自らの似姿とは遠く離れた同胞のカストルをな?」