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ヴェノムファクター  作者: がらんどう
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黄泉平坂



     3 黄泉平坂



 ウサ・セイジ中佐は強化外骨格〈イワツツ〉を身に纏い、ベースキャンプから出撃した。ベラム共和国陸軍からは、前線任務から引き、大洞穴内研究開発機構に出向している軍の後方指揮任務、つまりデスクワークに転向しないかと何度も打診されているのだが、そのたびにウサ・セイジ中佐は断ってきた。彼は今も前線に自らの身を投じることを望んでいた。

 彼には罪悪感があった。中尉時代。自らの部下を全て失い、惨めに遁走した引け目。それが彼を今も危険なヨミの最前線へ駆り立てる動機となっていた。

 今現在、彼が率いる単位は大隊規模だ。二個機械化歩兵中隊に一個戦闘支援中隊、二個特殊機械化歩兵小隊と二個人型戦車小隊を率いている。

 ウサ・セイジ中佐は最前線基地に到着した。先に任務に着いていた部隊と交代したあと、部隊の四分の三を警護要員として残し、副官に現場指揮を任せ、自らは、より深く、発掘作業が尚も行われている掘削作業場へ作業員とともに向かっていった。

 随伴兵は一個機械化歩兵小隊と一個特殊機械化歩兵分隊。そして一個人型戦車小隊だった。

 未開のヨミの世界をゆっくりと進んでいく。装甲兵員輸送車に乗り、ある程度進むと、掘削地区に到着した。作業員達は直ちに掘削作業に入った。作業できる時間は限られている。その間に出来る限りの鉱石を発掘しなければならない。そうやって、稼いでいるのだ。リスクを犯している分、その報酬はできるだけ多い方がいい。それにいつアガルタが襲来してくるかも分からない。以前は周期的であったが、いまでは予想が全くつかないのだった。

 ウサ・セイジ中佐は部下に警備命令を出すと、これからのことを思案するために、指揮車内に戻った。指揮車内には先客が居た。ユーリ・サハロフ大尉相当官だった。

「やあ中佐。気分はどうだ?」

「気分も何も。特に何も思わん」

 ウサ・セイジ中佐はぶっきらぼうにそう言い放った。眼の前に居るのは人型遠隔操作機体の〈ムクロ〉だ。ウサ・セイジ中佐が纏っている肉襦袢のようなそれとは全く違い、それは緋色に光る骨格標本のような姿形をしている。


 〈ムクロ〉は、ベラム共和国と日本国資本が研究開発している遠隔操作機体だ。ヨミで発見された未知の金属〈ヒヒイロカネ〉と、以前から魔術工学においてその存在が提唱され続け、ヨミの大気内に大量に存在することが判明した〈心象粒子〉によって研究開発が進められているものだ。ムクロのほか、アメリカ合衆国、ヨーロッパ資本によって研究開発されている〈ボーン〉という機体も存在する。

 この遠隔操作機体の最大の利点は、心象粒子を用いることで、タイムラグといったものを皆無にし、安全な遠隔地から戦闘に投入できるということである。しかし、現状では、ヒヒイロカネの産出量が少なく、精錬にかかるコストも高い。加えて、莫大なパワーリソースを必要とし、尚且つ、心象粒子を用いて概念通信を行う者には高い心象粒子に対する適合性が必要とされるという欠点がある。そのため、実戦配備されている数は僅少であり、特にその操縦者は希少であり特別視されている。ユーリ・サハロフ大尉相当官はその代表格だ。初めてムクロを用いてヨミの大気内を遊泳した実績を持つ。


 ウサ・セイジ中佐とユーリ・サハロフ大尉相当官は長い付き合いになる。ユーリ・サハロフ大尉相当官は元作業員だった。ベラム共和国が奴ら〈アガルタ〉に強襲され、当時中尉だったウサ・セイジが命からがら逃げ延びた事件。その頃からユーリ・サハロフは作業員としてヨミに於いて従事していた。当時の前線基地に於いて、彼は十数匹のアガルタに襲われた。現場の兵士の警護の下、研究員とその他の作業員とともになんとか逃げ延びたのだが、重症を負い、首から下は不随になっていた。その後、しばらく、彼はベラム共和国陸軍の監視下に置かれ、大洞穴研究開発機構が設置された後は、対ヴェノム治療開発チームにその身を移譲された。対ヴェノム治療開発チームはユーリ・サハロフの身柄を受け取ったものの、彼の扱いに困っていた。ヴェノム自体が未だになんなのかよくわかっていないのだ。治療方法の研究と言っても、できることはそうなかった。故に、ユーリ・サハロフは大洞穴研究開発機構内において扱いあぐねる存在となっていた。

 しかし、ヒヒイロカネと心象粒子による概念通信への高い適合力があることが判明してからは、その立場は大きく変わった。ユーリ・サハロフの身は、遠隔操作機体開発プロジェクトチームに移譲され、遠隔操作機体のテストパイロットとして任に就くことになった。

 こうして、ヨミでは生身の者と遠隔操作人型機械を操る者の二者が活動するようになった。ユーリ・サハロフのように、ヒヒイロカネでできたムクロ、ボーンといった遠隔操作人型兵器を心象粒子を介して遠隔操作する者を〈クグツシ〉と呼ぶようになり、従来型の生身の人間、すなわち、軽度の強化外骨格を纏う作業員や研究員や一般機械化歩兵、イワツツやヘラクレスと言ったより強靭なパワーを持つ強化外骨格を纏う特殊機械化歩兵は〈デク〉と呼ばれるようになった。


 現在彼は、前線より遠く離れた大洞穴研究開発機構ベースキャンプ内からムクロを遠隔操作することで、任務に付いている。ムクロやボーンと言ったヒヒイロカネと心象粒子による概念通信を使った遠隔操作兵の被験者は、軍の統括下にはない。大洞穴研究開発機構の中にある専門の研究部門の統括下にある。そこからの軍への出向という形をとっている為、彼らは〈〇〇相当官〉と言ったある種オブザーバー的な立場にある。それ故に、本来なら上官であるウサ・セイジ中佐に対してもこうした物言いが出来る立場にあるのだ。


「ハ・ハ・ハ。つれないな、中佐殿。イワツツとアマテラスとの同調がとれてないのかね?」

「お前には関係ないことだ。」

「イワツツもヘラクレスも単にマスタースレイブ式の強化外骨格という訳ではないからな。アマテラスの統御無くしては使えた代物ではない。」


 イワツツやヘラクレスと言った強化外骨格は、一般の機械化歩兵が装備している防護機能と簡便なパワーアシスト機能をつけたそれとは一線を画している。一般兵のそれが、この地球上の環境より高温高圧、そして大気粘土が高い中で、地球上と同じ程度の動きができる程度のパワーアシストをしているのに対して、イワツツ、ヘラクレスは人間以上のパワーを着用者に与えるものだ。

 その性能は、まさに百人力と言ったもので、二十ミリないし三十ミリ機関砲を速射しても全く問題なく運用でき、また、アガルタに対し、白兵戦濤を容易に行えるほどのものである。

 しかしながら、その力の増幅度の高さ故に、危険な面も持っていた。余りあるその力は暴走した際に着用者や味方に与える損害も多大になるためだ。一般の機械化歩兵の強化外骨格のような単なるマスタースレイブ方式による統御では、着用者の動きの中で有用ではない動き、すなわちミス動作をも増幅してしまう。ヒューマンエラーによって起こされるそれを防ぐため、イワツツやヘラクレスといった特殊機械化歩兵の纏う強化外骨格は、アマテラスと常に情報をやり取りすることで、過剰な動きを防ぎ、暴走を防いでいる。そして、この強化外骨格はヨミで発見された金属〈ヒヒイロカネ〉を各部に使用することで、更に強化された。常温超電導、耐熱耐高圧性。電気エネルギーの保存能力など様々な利点があるこの金属は、人類にとって夢の素材である。故に、現在ではレアメタルの採掘よりも、このヒヒイロカネの採掘の方に力が注がれている。


「ーーーヒヒイロカネ。まあオリハルコンとも呼ばれているが、コレは人類にとって大きな発見だったな。当時作業員だった私にも多額の報酬を約束してくれる夢の金属だった。」

「ーーー俺の命を救ってくれたのもこのヒヒイロカネを利用した特殊機械化兵だった。まだイワツツ、ヘラクレスが開発される前の試験段階のものだったがね。あの者達の屍の上に我々は立っている。彼らのお陰で、イワツツ、ヘラクレスの開発と大量投入を機構に認めさせられたのだ。」

「当時ベラム共和国政府は希少金属であるヒヒイロカネをできうる限り手中にしたいと考えていたからな。まったく、強欲なことだ。我々現場の人間がアガルタと少なくとも対等にやりあえる力がなければそもそも発掘作業それ自体ができないと言うのに。デスクワーカーの考えることはいつも目先の利益と私欲だ。たまらんね。」


 ヒヒイロカネは希少な金属であったため、強化外骨格その他の軍事利用に関しては当時のベラム共和国は消極的だった。しかし、先のウサ・セイジ中佐が中尉時代に経験したあの事件により、その考えを改めることとなった。ーーーアガルタの脅威とそれに対抗する手段ーーーベラム共和国が大洞穴内世界の存在を公表し、大洞穴研究開発機構が設置された後、ヒヒイロカネを使用した強化外骨格の有用性と必要性が実証され、多数投入されることとなった。

 しかし、フェアリーとヴェノムの存在がそれを阻害した。ヨミ内でアガルタに対峙した者の中に発狂する者が出てきたのである。それはヒヒイロカネを使用した者にのみ見受けられた。


「ヒヒイロカネは我々に力を与えてくれた。多大な力をね。我々の世界の技術とヨミの物質の融合。まるでヘロスのようだね。ヘラクレスと名づけたくなるのも頷けるよ。しかし、所詮はヨミの物質だ。アガルタは、いや、フェアリーは、ヒヒイロカネを通してヴェノムを我々に注入する。なかなかうまくいかないものだね?ウサ?」

「今まで、色んなアガルタと対峙してきたが、あれは、ーーー〈フェアリー〉だけは異質だ。」

 ウサ・セイジ中佐が口を開いた。

「あれはまさに〈フェアリー〉だ。私達を拐かす。ヒヒイロカネを、ヨミの物質を介してヴェノムを注入し、我々の精神を汚染する。そして、私達は奴らの傀儡となり、味方を殺すことになる………。」


 フェアリーの出現により、ヒヒイロカネを使用しているイワツツ、ヘラクレスの着用者はヴェノムによる精神汚染によって発狂した。そして彼らは味方に対し攻撃をするフェアリーの傀儡人形と化した。その様子も相まって、イワツツ、ヘラクレスの着用者が〈デク〉と呼ばれる所以となっている。


「ならば何故中佐はその危険性をわかっていながらもイワツツを着用しているのだね?指揮を執る立場なら一般防護服の方でも十分ではないか?」

「奴らの精神汚染にはアマテラスによるジャミングで対抗できる。それに、完全に侵食された場合に於いてもアマテラスに強化外骨格のコントロール権限が移譲される。故に問題はない。」

「しかし、アマテラスとのリンクを解することで動きに多少のタイムラグが生じることは不便とは感じないかね?」

「多少はな。お前のように概念通信で全くの通信タイムラグのない通信が我々デクにもできれば言うことはないのだがね。もしくはカグツチ、タケミカヅチ、ミノス、アキレスのようにコ・コンピュータを乗せることでリスク分散をする他無いが、あれはそうそう数も増やせん。強化外骨格以上にコストが掛かり過ぎる。」


 ヴェノムによる精神汚染に対抗するために、人類はアマテラスとのリンクを利用することにした。ヒューマンエラーを防止するためのアマテラスとのリンクが、ヴェノムによる発狂を防ぐための助力としても使用されることとなったのだ。イワツツ、ヘラクレスの着用者は常に自らが晒されているヴェノムの情報をアマテラスに送信し、相殺し無効化するためのプログラムを受け取っている。しかし、その代償として、動きに若干のタイムラグを生じさせることとなった。処理する情報が増えすぎたためだ。もともとタイムラグはあったが、それは〇、〇五秒にも満たなかった。それが〇、一秒にまで増加した。生死を分ける戦場においては無視できない数字だ。


「もしくはアダプテーターとなるかだな。彼らはアマテラスの助力がなくとも精神汚染の影響を受けん。狂気に陥らん。」

「故に、ヨミの世界から離れられない枷を背負っているがね。あれが解明され、人為的にアダプテーターを生み出せたとしても、私は部下にそのような軛をかけたくはないね。」


 ーーーアダプテーター。ヴェノムを注入され、発狂した者の中で、正気を取り戻した者が少数存在する。彼らは文字通り、ヨミの世界に〈順応〉したと考えられている。しかし、代償として、ヨミの世界から遠く離れることができなくなった。彼らはヨミの理を結果として受け入れてしまったが故に、自らが生まれ育った世界の理に適合できなくなってしまった。彼らは、ヨミから地球側に戻ると発狂してしまうように作り変えられてしまったと考えられている。現状では、彼らはここに、ヨミの世界と境界面から数キロの範囲でしか正気を保って居られない。彼らが境界面の外側、すなわち地球側になんとか正気を保ったまま留まるためにはアマテラスの助力が欠かせない。彼らは、アマテラスと常に通信をするために首輪状の送受信装置を常に着用している。まさに軛をかけられた存在だ。首輪を付けられた彼らは、アマテラスという飼い主の持つ手綱の統御から自由になれない。ヨミの世界の周辺から離れることができないという存在になってしまったのだ。


「しかし、アダプテーターは今後、必要になる事は事実だ。なぜならば、アマテラスによる後方支援ジャミングも完璧ではないからだ。それはウサもわかっているだろう?それでもなおイワツツを着用するというのは?」

「ジャミングが完璧でない点においてはわかっている。が………」

「面子ってものがある。だね?中佐?」

「まあ、そういうことだ。指揮官が臆すれば全体の士気が下がりかねないからな。」

 そう言ってウサ・セイジ中佐は苦笑いをした。


 ヴェノムによる精神汚染が初めて確認されたのは、アガルタに新種が見受けられたのとほぼ同時であった。それまでは、節足動物様の〈ワーム〉。蜘蛛型の〈ツチグモ〉。蜂型の〈ビー〉といったものがアガルタとして人類に抵抗をしてきた。いずれも昆虫の形をしたものであり、これが、アガルタの生態系を主に支配している生物なのだと思われてきた。しかし、ある新種のアガルタの登場で、それは一変した。

 ーーーそれは〈フェアリー〉と名付けられた。

 フェアリーを最初に目撃した者達は我が目を疑った。その姿形は人間の、しかも少女の姿形をしていたのだ。

 それらは、その可愛らしい姿形とは相反する凶悪な、そして強力な攻撃力を持っていた。彼女らは背中から羽を生やし、ヨミの大気中をフワフワと舞っていた。そして手をかざすとその腕は我々人類が使用している機関銃に変化し、荷電粒子を浴びせてきたのだった。

 人類とフェアリーの最初の邂逅は、人類側の大敗に終わった。精神汚染によるイワツツ、ヘラクレスの暴走は手痛い一撃であった。突然味方が、しかも強力な味方が、自分たちに牙を向いたのだから。

 皆、その状況に頭が付いて行かなかった。指揮系統は混乱し、敵味方の区別などつくはずもなかった。

 今までは、化け物を退治、駆除する神話の英雄、メデューサを退治するペルセウス気取りな部分も兵士たちにはあった。アガルタは異形だった。それ故に敵味方の区別など対して気にすることなどなかった。しかし、目の前に存在しているのは、今までのようなわかりやすい異形ではなかった。かつての味方が突然牙を剥いたのだ。人の形をしたものが敵となった瞬間だった。ーーーそして〈フェアリー〉。それも同じく自分たちと同じ姿形をして敵として現れた。しかも少女の形をして。


「フェアリーが登場してからというものの、我々人類のヨミの開拓速度は一気に減速してしまったね。それほどの衝撃があった。何故アレは人の形をしているのだろうね?」

「さて、私にわからんよ。ただ、研究者の中にはアガルタが人間に対抗するために人間の思考体系を知る必要があると認識し、自発的に自らを人間の様に進化するように促したと言っている者がいる。その者に聞けば幾分か思索を深める事ができるのではないかね?」

「魔術工学士マキ・イロハだね。アレには私も世話になっているよ。ヒヒイロカネと心象粒子の扱いについては古来よりの魔術体系による知識と現代科学の知識の両方が必要と聞くからね。それに………」

 ユーリ・サハロフはちらと外に駐機してある人型戦車を見やる。肩の部分には少女が一人座っている。フェアリーだ。

「こちらに出奔してきたフェアリーの研究もしているそうだからね。あれはなんと言ったかな?」

「カストルだ。マキ・イロハがそう名付けた。」

「そう、カストルだ。いや、名前などどうでもいいか。私のこの仮初のヒヒイロカネの身体も名前など必要ないものであるし………アレも私のような存在なのだろうかね?」

「というと?」

「あれは生身でこの高温高圧の環境下にそのままの姿で存在している。いや、元々ヨミの生物なのだから当然か………それは別としてもう一つ、アレも遠隔操作された〈何か〉ではないかという事だよ。フェアリー同士は情報を共有できるそうだよ。私に関して言えば、現状ではムクロを三体同時にコントロールすることができる。私自身は一人なのにね。彼女達もそんな存在なのではないかと………いや、これは気にしなくていい。ただ、なんとなく思っただけだ………」

 そう言って、ユーリ・サハロフは黙った。しばらくの間沈黙が続く。ウサ・セイジ中佐が沈黙を破った。

「三体、か………今までお前が、お前がコントロールしていたムクロが沈黙したのは二回だったな。」

「ああ、そうだな。二回ともお前が回収してくれたのだったな。一度目は飛行実験時の爆発の時だ。あれは抜かったね。ハ・ハ・ハ。二度目は大敗を喫したあの時だ。二つ『借り』を作ってしまったね。いずれ返すよ。借りは必ず返す主義なのでね。」

「いや、気にしなくていい。それよりも………」

 ウサ・セイジ中佐は指を二つ立てて言った。

「そのたびにコントロールできる機体が増えた。今じゃメインの他に二つ。合計三つのムクロをコントロールしている。」

「ああ、そうだな。自分が分裂した感覚があるよ。魂の分化だ。あれは………」

 そう言って、ユーリ・サハロフは少し間をおいてからゆっくりと話し始めた。

「あれは、紛れも無い『死』だったと思う。お前は『沈黙』と言うがね。   私は二度死んだのだ。走馬灯というのかね?アレを二回体験したよ。そして、虹色の世界が一気に広がった。無限に広がる桃源郷のような風景が視えたよ。しかし、すぐに息を吹き返してしまった。いや、単にムクロとのリンクを強制的に切られてコントロールコフィンから強制排出されただけなのだがね。そして私は新たな生を手に入れた。死ぬ前の私と死んだ後生き返った私をね。」

「『死』か………仮にお前が体感したものが『死』だったとして、死の体験はどのようなものだ?」

「夢を見ているようなものだね。しかし、現実と虚構の区別がわからなくなる。様々な境界が曖昧になる感覚はあったよ。自己と世界が融合して一つのものに還元していくイメージだ………」

「『一つのもの』か。それ故にお前は先程フェアリーと自分の相似点として端末としての存在   一者によってコントロールされている存在であるとフェアリーと自分を想定しているということか。」「ああ、なるほど。ウサ。君との会話は色々なことを気づかせてくれる。そうか、私が先ほど思ったことはつまりはそういうことだったのか。アレも私も生命の木の枝葉に過ぎず、幹によってコントロールされている。しかし、その枝葉それ自体は個体として振る舞う。それ故に、カストルは同胞であるアガルタを裏切って人類側についた。」

「アガルタとして、人類の敵であるという状況は、ただの枝葉の端末の振る舞いでしか無いということか。人類との共通性   ヨミと我々の宇宙は始原を同じくするという説もある   を考えれば、私達は最初から自分自身と、争っていたにすぎないということか。有史以来、人間同士が争ってきたのと同じで………」

「そう。決してアガルタはメデューサの如き化け物ではなく、我々と同じ存在だという仮説さ。」


 二人が思索に耽っている中、外ではゴウンゴウンと重機が音を立て、掘削作業をしている。レアメタルの鉱石は次々と掘り起こされ、手際よく運ばれていく。

 ウサ・セイジ中佐はそれを見ながらフェアリーを初めて殺した時のことを思い出していた。その日も同様に作業員は掘削作業をしており、自分自身は警備をしていた。その頃には既にウサ・セイジ中佐は何十体もワームやツチグモと言ったアガルタを仕留めた歴戦の勇士として名を馳せていた。しかし、フェアリーとの初めての邂逅に於いては、歴戦の勇士たる彼でさえ、自分と似たものーーー人間の姿形をしたものーーーに武器を向ける忌避感というものから逃れることができなかった。

 彼にとって、フェアリーとの初の邂逅と戦いは、二度目の大きな撤退戦であった。もう二度と、部下を失わないようにずっと務めてきたが、フェアリーの登場は彼の周到な作戦プランを簡単に崩したのだった。 

 フェアリーに対峙した者達は皆動揺した。一番動揺してはならないウサ・セイジ中佐でさえ動揺してしまったのだ。彼は未だにそれを悔いている。自分が、あの時、すぐさま部下を鼓舞し、フェアリーに対して即座に攻撃をするように指示すべきだったと。

 フェアリーが人間の姿形をしていた故に、攻撃することに対する忌避感と罪悪感が一気に襲ってきたのが原因だった。フェアリーに対峙した彼らはしばらく呆然と立っているだけだった。状況が整理できなかったからだ。上官であるウサ・セイジ中佐からの指示もない。どう動けばいいのか全くわからなかったのだ。

 次第に、部隊の特殊機械化兵達が徐々に発狂し始めた。ヴェノムを注入されたのだ。アマテラスによるサポートがあったとはいえ、その当時のアマテラスによる精神汚染対抗力はまだまだ未熟であり、完全に防備することができない段階であった。

 その場にはユーリ・サハロフも居た。彼は発狂せずに済んでいた。その理由がムクロという操作機体と操作方法による影響からくるものなのかはわからない。ユーリ・サハロフは次々と、発狂し味方に攻撃を加える自軍兵士を始末していった。そして、発狂寸前のウサ・セイジ中佐を取り押さえ、正気を取り戻すようにと必死に呼びかけた。それによって、ウサ・セイジ中佐はなんとか気を持ち直し、未だ正気を保っている兵士に対し、発狂した味方兵士の殺害命令と撤退を指示した。

 撤退戦は苛烈を極めた。ユーリ・サハロフの操作するムクロは完全に沈黙した。ウサ・セイジ中佐はそれをピックアップし、がっしりと抱え、装甲兵員輸送車に乗り、撤退をした。そこにはまだ、発狂し、フェアリーの傀儡となった兵士が居たが、見捨てて逃げたのだった。

 あの状況では仕方がない。アマテラスの技術的限界もあった。その状況下で君は最善を尽くした。恥じ入ることはないと司令部は帰還したウサ・セイジ中佐に言ったが、彼はずっと罪悪感に悩んでいる。中尉時代のそれに加え、もう一つの罪を背負ったのだ。

 ウサ・セイジ中佐はとうとうと語りはじめた。

「ーーーフェアリーを初めて殺した日を覚えている。あれはツチグモやビーと違って人間の、しかも少女の形をしていた。今までは駆除という気分だったが、さすがにあれは堪えたよ。でもすぐに慣れるものだな。今では微塵も罪悪感も忌避感も感じない。   フェアリーは気を狂わす。心象粒子を使ってこのヨミの世界の理を、膨大な量のそれを注ぎ込む。故に、こちら側の理と衝突し、混乱をきたす。俺は多少発狂しかけた。しかし、なんとか持ちこたえた。理由は?こちらの世界に長く居すぎたせいで、理の差異により生じる混乱と発狂の程度が低くなっているのでは?地球側の理がお前のムクロを通じて私に流れ込んだからなのかもしれない。お前はどう思う?ヴェノムの影響は感じたか?」

「いや、感じなかったね。何しろ死んでいたのでね。コントロールコフィンの中でただ死んでいることには変わりない。身体は穴の外だ。ヴェノムが洞穴の理だとするのなら、私には到達することすらできないのでは?そも、私は境界を超えていないのだ。あくまでこの世の理の中で、生きている。しかし、死ぬのはあちらの理の中だ。故に、真の死を体感できない………。」

 と、アガルタの襲来を告げるサイレンが辺り一帯に響いた。作業員達は慌ただしく避難の準備をし、一刻も早くこの場から逃れようと必死になっている。ウサ・セイジ中佐は全隊員に攻撃準備を整えるように指示した。兵士たちが橋頭堡に位置し、迎撃準備に入る。駐機していた人型戦車が起動し始める。そのうちの一体にはフェアリーのカストルが居た。彼女はいつもタケミカヅチのパイロットであるキリシマ・トウマの側にいる。なぜだか離れようとはしない。カストルは立ち上がると背中から羽を生やし、フワフワとタケミカヅチの上方を舞った。

 それを見て、ウサ・セイジ中佐は「まるで守護天使のようだな」と呟いた。しかし、それは敵でもある。彼女と、カストルと同じモノが今から攻めて来るのだ。

 次々と、作業員や兵士たちが倒れる。ヴェノムの侵食による精神汚染だろうか?理由は誰にもわからない。新種のヴェノムと感染経路によるものかもしれない。

 ここでは次に何が起こるのかなど誰にも予想できない。そういう場所なのだ。既知のヒヒイロカネを経由するヴェノムへの対抗策も、実際の所、有用性がどのくらいあるのかは未だにわかっていないのだ。ヨミで活動する人間はそのような、不確定な、曖昧な現実と対峙し続けている。ヴェノムの全貌がわかることは果たしてあるのだろうか?いや、わかった所でやることは変わらない。殲滅するのみだ。

「そら、敵のご登場だ。ワームにツチグモにビー、そしてフェアリーのご登場だ。少女の形を模しているのはこちらの攻撃意欲を削ぐためかね?しかし、ここにはそんな倫理観など、罪悪感などない。ただただ目の前の敵を殲滅するのみだ。」

「ハ・ハ・ハ。景気がいいね、ウサ。発狂した兵士の処分は私に任せるが良いよ。私が、私のムクロがアガルタともども殲滅してくれよう。」

 ユーリ・サハロフの人殺しの血が騒いだ。彼がヨミの世界に来た理由はつまるところ、そういった経緯からだった。

 ウサ・セイジ中佐もユーリ・サハロフも元々は、自らの失った肉体を取り戻すために戦ってきた。戦果を稼ぎ、研究に貢献し、ヴェノムの影響下から逃れることが目的だった。しかし今は違う。自らの肉体を取り戻すという考えはとうの昔に捨ててしまったのだ。二人共、自分たちが生きている間にヴェノムの正体が判明するなどと楽観的な考えは持っていない。自らの肉体はもう二度と取り戻せないことを既に受け入れているのだ。そして今、二人は、ヨミの世界で戦うことそれ自体のみ生きがいを感じているのだ。

「どうも今日は嫌な予感がするね。死ぬなよ、ウサ。まだ借りを返してないのだからね?『借りは必ず返す。』それが私の主義だからね。」

 ユーリ・サハロフの言葉などお構いなしにウサ・セイジ中佐は兵士を鼓舞する。

「皆共、戦いの狼煙を上げよ。悉く、悉く、皆殺しにせよ。」

 カストルがくるりと空中で一回転した。そして、右手を上に上げると、その手は一瞬で銃砲の形になった。そして、ウサ・セイジ中佐の言葉に呼応するように、戦いを告げる一発を空に撃ち放った。荷電粒子が放たれ、空に向かって一筋の光が立ち上った。

「トウマ。アガルタが攻めてくる。ポルックスも居る。あちら側に置いていった私の半身だ。しかし私はこちら側についた。あれは敵だ。私はいつもあなたとともにある。」

 カストルはそう言うと、キリシマ・トウマの人型戦車に融合した。

 キリシマ・トウマの搭乗した人型戦車らがカストルとともに先行する。それに続いて、ウサ・セイジ中佐麾下の兵士たちが続いた。


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