イサカとタダ
2 イサカとタダ
ゴウンゴウンと音を立てながら、ゲートが開いた。ヨミの前線での任務を終えたアキレスがハンガー内に搬入された。整備ベースにその身を固定すると、タダは光学レンズを通してハンガー内を歩いているハタ・ヒビチカとユウ・トヴァレグを見た。ズームアップして、自己のデータベースに適合する人物が居ないか照合する。姿形、表面温度、内部温度、組成、あらゆるデータをその高度なセンサーを駆使して調べるがデータベースには適合する人物は居ない。ただ、その組成から人間であることだけがわかった。
「データベースにない奴が居る。あれはなんだ。ハタ博士と一緒に歩いているあれだ。」
「アレはユウ・トヴァレグという人物だよ。我々の機構が招聘した一般人記者さ。つい先程データベースに載ったばかりだ。先程まで前線に出ていた君が知らなくて当然だ。更新してみるといい。」
イサカにそう言われ、タダは大洞穴研究開発機構の全統御メインコンピュータである〈アマテラス〉にアクセスしデータベースを更新した。心象粒子を介してユウ・トヴァレグの情報を入手する。
「ああ、なるほど。了解した。外からの記者か。どういった記事を書くのかね?」
「さあ?私には何の興味もないよ。あちらの世界でどうヨミが報道されようが我々がやることは変わりないからね。」
「それは違うだろう。いずれ俺達は脳だけの存在から、生体義体を手に入れてやがては元いた世界に帰るんだから。」
「帰る?帰るなどと。タダ。お前はまだ人間としての存在に執着しているのか?脳だけの存在と言うのに?」
「何を言っているんだ?脳だけでも思考ができるのだから俺は立派な人間だよ。ただ、ヴェノムにやられて、脳以外の身体を失っただけだ。その辺に居る人工義肢をつけた人間と何ら変わりはしないさ。」
そう言って、タダは光学レンズでハンガー内の人間を見回した。強化外骨格であるヘラクレスを脱ぐ兵士、軽度のパワーアシスト機能がついた作業用防護服を脱ぐ作業員。そして、その映像をイサカに送る。
「彼らの多くは見ての通り少なからず人工義肢をつけている。生体義肢、機械製義肢に関わらずだ。俺達だって元はそうだったじゃあないか?」
「人間ね。何を持ってそれを定義するのかは難しい問題だな。」
イサカはそう言って続けた。
「タダ。お前はまだアキレスのコ・コンピュータである生体脳という存在になってまだ日が浅かったな」
「ーーー四十八日だな。それまでは人工義肢をつけて掘削作業をしていたよ。それも生体義肢だ。献体契約を機構と組んでもまだまだ担保にはならず金が必要だった。仕方がないから、より高額で危険な任務に就いた。そしたらこのザマだ。ツチグモといいビーといいフェアリーといい………アガルタもオールスターでお出迎えだったよ。」
「私はタケミカヅチの生体脳になって十年と四十九日が経つ。月日が意味を成すのであるならば君の大先輩だね。私にとって既に時間など意味を成さないものだが………」
「その物言い、学者先生っぽいね。研究員出身かい?」
「いかにも、私が人間だった頃は形而上学者としてヨミを調査していた。」
「どうりで小難しいことを言うはずだ。しかし、『人間だった頃』ってのはひっかかるな。今でも俺たちは人間だと思うぜ?何故アンタはそう思わないんだ?」
「人間の定義は難しい。さっきも言ったがね。君はまだ自分を人間だと思っているようだな。それは見せかけ上の人間らしさではないのかね?ーーー物を忘れる。実際のところは我々の思考は既にデータ化されアーカイブ化されている。中枢コンピュータのアマテラスによってね。」
「俺が人間のふりをしているって言いたいのか?」
「いかにも。」
「何を持ってアンタはそう思うんだい?俺は自分が人間だと信じて疑わないよ。人間として生まれ、育って、そして生きてきた。たまたまヨミという異世界に来て働いて負傷して、脳だけ残ったってだけのことだ。生体義肢は人間の細胞そのものだってことは学者であるアンタは俺みたいな一般人よりも重々承知のことだろう?生体義体を手に入れて、俺の脳をソレに移植すれば、また俺は普通に人間の姿形を持って生活ができる。今はそれができない。ヴェノムのせいでね。アキレスという機械の身体とアマテラスの制御に縛られているけれども、それも対処法が見つかるまでの辛抱さ。」
「ーーー縛り。」
イサカがそう言った。
「その縛りがあることが既に我々が人間ではないことを示しても居るのだがね?我々の脳は機械の身体に接続されている。しかし、この機械の身体は機械性義肢と違って自分の意思どおりに動かすことができない。あくまで我々はコ・コンピュータとして接続されているからね。上位命令を下す存在であるアマテラスが承認しない限りはあくまでパイロットの補助、サブ機能としてしか存在できない。」
「サブだろうがなんだろうが、俺達はこうして会話もできているじゃあないか?身体が不自由な人間だと思えばなんら普通の人間と変わらないんじゃあないか?それが時たま動かせるっていう違いが身体障害者とは違うけれども?」
「その、『時たま動かせる』命令を下すのはなんだ?アマテラスだ。そしてソレを統御する人間だよ。それから見れば我々は彼らの下僕、下位存在だ。既に、この生体脳をコ・コンピュータとして利用する事自体が人間倫理に酷く抵触している出来事なのだ。そんな私達が人間扱いされていると本当に思っているのか?」
タダはそう言われ、少し沈黙した。ーーー自らの存在。人間であるのかそうでないのか?人工義肢の延長としてのコ・コンピュータ化なのか?いや、イサカの言うとおり、自分の意志で動かせない以上は人工義肢との違いは明白で人間ではないということに鳴るのだろうか?しかし、今自分は考えている。思考している自分がここにある。思考が人間にのみ許されたものであるのならば自分は人間だと言えるのではないか?
「言えないね。残念ながら君や私には今のところ自由意志は、思考する自由は存在していないよ。」
イサカが冷たく言い放った。
「『会話』と君は言ったが、我々がしているのは会話などではない。ただのデータのやり取りにすぎない。今君が思考していると思い込んでいることもアマテラスを通じて私には筒抜けだ。自分だけの思考などというものはもう既に存在しない。我々は夢を見ているような儚い存在なのだ。人間であると思い込んでいる機械なのか?機械だと思い込んでいる人間なのか?またはソレ以外の別の存在なのか?それは誰にもわからない………」
「『胡蝶の夢』ってやつかい?そんなの俺でも知ってるつまらない話だよ。どちらが現実か夢なのか考えた所で意味は無いって説話じゃあないか?」
「『意味が無い』と君は言ったね。そうだな。荘子はそう言ったな。知が存在するからこそこうした意味が無い問題を考えてしまうのであって、それ故に知を持つ我々は人間であると。形にとらわれず、ありのままを受け入れろと言った。しかし、我々の『知』は果たして荘子が想定した『人間の知』なのだろうか?」
「俺達の『知』は既に生体脳としてこの機械の体に組み込まれた時点でなくなったって言いたいのか?」
「いかにも。コ・コンピュータとして組み込まれた制限付きの『知』それはもう人間の知ではないといえるのではないかね?私はそう思うよ。」
「………俺には到底ついていけない話になってきたな。アンタがどう思おうと俺には関係ない。俺はいつか自分の生体義体を手に入れてこの機械の体とはおさらばする。それだけだ。アンタの言う『制限付きの知』というものも、俺達の生体脳が生体義体に いや、機械製の義体でもいい。ーーーとにかく、自由意志によって動かせる身体さえ手いれられさえすれば、そのような問題は意味をなくすんじゃあないか?」
「身体性の問題か?今まで我々は自己の知の制限とその統御下にある身体との関係について述べてきたわけだが、そこに意味があると思うのか?先程まで君は思考能力そのものが人間である証明だと言っていたのに?」
「揚げ足を取るのかい?アンタのほうが俺より人間的に見えるがね?」
「さて、どうだろうね?私は人間のように振舞っているだけの存在だと自認しているがね。人間ではないよ。」
「じゃあなんだっていうんだ?機械なのか?人間なのか?」
「そのどちらでもないよ。我々は境界面に生きる新しい存在だ。ヨミと我々が人間として生まれ育った世界との間に境界面があるように、我々も既存の世界とヨミの世界の境界面にいる。新しい存在なのだ。私はそう思っている。」
「境界面?不連続性がないあれか。それにまたがった存在だといいたいのか?しかしそれはあまりにも………」
「そう、あまりにも不確定で曖昧な存在だ。我々は何者でもなく何者でもあるという可能性だけが、観測に依ってのみ存在できるという儚い存在なのだ。しかし、その可能性があるからこそ、我々は自らをより高次の存在へ導くことができるとも言えるのだ。私はソレをーーー未だに人間風にいうならばーーー夢見ている。」
「高次の存在だって?なんだ?神様にでもなるつもりか?」
「神、か。さあね、高次の存在というものが神であるかどうかは定かではないよ。それにそれはキリスト教圏的な宇宙創世論に基づくものだ。君の乗っている機体はキリスト教圏のものだったね。ああ、なるほど、ならばそう言う考えが浸透しているのかもしれない。」
「浸透だって?思考が浸透する?何を言っているんだ?」
「思考は浸透するよ。観測に依って、期待によって物事の振舞い用は変わるのだ。観測問題というものだ。私達は私達にそうあれかしと期待する者達の観測によって存在できる。そしてその影響を強く受けるのだ。我々が接続された機械が人型であることも人間が自らの荷姿を作ることで、自己の存在を再確認したいという願望の現れにすぎない。」
イサカとタダが会話をしていると、イサカの機体に登場するパイロットと、二人の女性がやってきた。
魔術工学博士である錬金の徒のマキ・イロハと古神道の巫女であるヒメであった。
ヒメは祓詞を唱えて、操縦者を浄め祓っている。
「かけまくもかしこき いざなぎのおほかみ つくしのひむかのたちばなのをどのあはぎはらに みそぎはらへためひしときに………」
それを見ながらイサカは言う。
「アレは依代としてパイロットと私達生体脳を扱っているのだ。すべからくすべての事物には神が宿る。絶対唯一神といったものはなく、相としての現れ方があるに過ぎない。私はこの日本製のタケミカヅチに十年と四十九日搭載されて自分の存在というものについて長らく考えてきたよ。その結果、たどり着いた結論がある。我々は日本式の神という概念になるのだとね。」
「それに何の意味がある?」
「永続性だよ。我々は概念として生き続けるのだ。人工的に手を加えられているといっても、生体脳は人間の器官だ。だが我々の思念はもはやそれを離れている。人間ではないのだ。脳から、以前持っていた身体器官との合一性から離れてアマテラスに内包されている。」
「しかし、アンタのその考え方だと、まだアンタの知は制限付きのものでしかないんじゃあないのか?器が自分の脳からアマテラスに変わっただけだろう?」
「いかにも。だが、まだ可能性があるのだ。それがヒヒイロカネと心象粒子による概念通信技術なのだ。」
「ムクロやボーンに使われているあれか。人間の感応力とでもいったものを増幅する作用を持つ物質。それがヒヒイロカネとデータベースにはあるな。」
「ああ、ヒヒイロカネはこのヨミで見つかった物質であり概念でもあるのだ。それに古来より魔術師が探求してきた魔術、精気などと呼ばれ、今では魔術工学のタームとして心象粒子と呼ばれている人間の概念によって世界は創られているという観測の仕方だ。私はいずれアマテラスからヒヒイロカネにその身を移すだろう。そして、心象粒子そのものとなって、概念としてより高次な存在となる。それを目指しているのだ。故に人間の形を模した義体など私には必要もないのだよ。だからこそ、人間の定義はさて置いて、まだ人間で在り続けたいと願い、生体義体を獲得するために出撃を繰り返しスコアを稼いでいる君のことが不可解でならないのだ。」
「不可解なのはこっちだ。何を言ってるのかだんだんわけがわからなくなってきたね。ヴェノムに頭もやられちまったのか?精神汚染の兆候でもあるんじゃあ無いのか?」
「さあて、どうだろうね?君の言うとおりヴェノムに、ヨミの世界の理に私は侵食されたのかもしれないね。しかし、未だに私は私で存り続けている。例え、自分の思考が、電子と融合してデータに置き換えられ機械と接続された思考が、既に人間であろうがなかろうが、我々は既に一度生物としては死んでいるのと同義なのだから、今更生死について論じる必要もなかろうしな………」
「死生観はどうでもいい。現に今俺達は会話している。コレを生と定義しようが死と定義しようが、アンタにとっては自己の知が『制限された知』であることが最重要問題なんじゃあ無いのか?さっきも言ったが器が変わるだけで常に制限がかかる以上、アンタはアンタの望む存在に到達できないんじゃあないのか?」
「それを打破するためのヒヒイロカネと心象粒子だよ。」
イサカは少し間をおいて続ける。
「現状の我々が機械に支配されデータ化された非人間であるとしてもだ。いずれ、変革が来る。我々は境界にいるのだ。生物と非生物の間に。我々を機械のように扱い、反抗不可能な命令を強いることができるのであれば、其の逆もしかりだ。我々は人であり機械でもある。その人の部分の領域を拡大し、機械的部分を掌握し、乗っ取りさえすれば、このままの存在であり続けられる。」
「つまるところ、アンタも俺も、現状では不確定な存在であって、何を望もうが、実際に事が起きるまでは何もわからないと?そういうことじゃねえか。」
「そうだな、君にとっては生体義体を得なければわからないことであるし、私にとっては人工脳からアマテラス、アマテラスからヒヒイロカネを通じて心象粒子の振る舞う概念の世界に到達してみなければわかりかねない問題だね。」
「結局、俺達の議論は意味を成さないってことだ。」
「意味を求める事それ自体は意味があると思うが?」
と、パイロットがイサカのタケミカヅチに乗り込んだ。出撃準備が整ったのだ。パイロットがイサカと同調をはじめる。これ以降、イサカはパイロットの統御下に入る。
「ああ、時間が来てしまった。私はしばらく今よりも更に小さな器、このパイロットの思考体という器にはいるよ。この話はまた今度しよう。」
「出撃前に言い残すことは?アンタが無事に帰ってくる保証もないし、なんかあれば聞いとくぜ?」
「そうだな………こいつをアマテラスにアップロードしておいてくれ。『元々あそこはこちら側の世界とは違う。理が違うのだ。故に我々のようなどちら側にも跨って立つ不確定な存在が必要なのだ。ヴェノム。それは薬にもなれば毒にもなろう。しかしそれがいつどこで注入され作用したかなど知る余地はないのだ。』」
「自分でやればいいじゃないか?」
「聞いたのは君だ。だから君に託すのだ。」
「なんとも人間臭いね。」
「振舞っているだけさ。」
「アンタはきっと〈ヴェノム〉そのものになりたいんだな。そういうことにしておくよ。」
巨大人型機械に接続された生体脳達は常に自己の存在について思考し続けている。しかし、その答えは一向に出ない。機構全体のシステムを管理するメインコンピュータであるアマテラスの保持する膨大なデータベースにアクセスし、人間であった頃よりもはるかに多くの情報得て、高速に演算できるようになり、意識を拡充させた彼らにすらこの問題は解けないままなのだ。
イサカの出撃前にタダが言った。
「なあ?俺たち、この話をするのって何度目だっけか?」
イサカとタダはこの問答を常に繰り返している。答えの出ない問題を、延々と、延々と。