異世界からの手紙
1 異世界からの手紙
編集者から提示された締め切りが過ぎはとうに過ぎていた。私は慌ただしく一日中休みなしにキーパンチをし続け、なんとか初稿を書き終えた。そして、編集者に形だけの謝罪の言葉をメールの題名につけ、送信した。
自分の怠惰のせいではあるが、満足に睡眠を取らずに仕事をしたため非常に眠い。やっと眠れる。そう思った矢先、私の眼に旧友のウサ・セイジからのメールが飛び込んできた。それを見た途端、先程まで私を支配していた睡魔はどこへ飛んでゆき、私の眼は満月よりも丸く、大きく見開かれたと思う。
メールを寄越したのは私の旧友であるウサ・セイジ中佐だ。送信元は〈大洞穴研究開発機構〉。ベラム共和国と国連の共同管理下にある組織からのものだった。
ベラム共和国が全世界に対し、大洞穴内世界の存在を公表してから十年の月日が経った。人類の関心が外宇宙、月面都市の拡充や火星のテラフォーミング化に傾倒していた時代。その発表は衝撃的だった。我々の住む宇宙。それとは全く違う別宇宙への入り口が、地球上に存在するという発表は、当初荒唐無稽なものとして扱われた。しかし、事実は小説より奇なりとはよく言ったもので、それは純然たる事実だったのだ。
ベラム共和国が提示した映像資料には不可思議な世界が映っていた。そこには恒星が二つあり、荒野や森、そして海と空が映っていた。しかしながら、我々の住んでいる地球のそれとはどこか違う。違和感があるのだ。ベラム共和国の話では、地球の環境と酷似してはいるが、未知の組成物が多数見受けられるとのことだ。その中でも私達を一番驚かせたのはある映像だった。
それはとある兵士がヘッドセットに装備していたカメラが捉えた映像だった。人の丈をゆうに超える大きさの節足動物と兵士が壮絶な戦いを繰り広げている。撮影者はウサ・セイジ中尉。私の旧友だ。現在は中佐である。ベラム共和国はこの映像に映る世界の存在を十数年にわたって世界から隠匿してきた。誰もが捏造を疑ったが、その映像には何の加工もないことが専門家によって確認された。十数年に渡り研究を続けてきた研究員による記者会見も開かれ、様々な学会においても講演並びに研究結果が提示された。その結果、それらは純然たる事実であると世界に承認された。
ベラム共和国がこの別世界の入り口を自国に擁する事を公表したのは、この巨大な節足動物が、人類に対して大きな脅威となりうると判断したためだ。それまでは、自国の利益のために隠匿してきたというのに実に都合のいい話ではある。
しかしながら、その存在は国際社会の注目を一気に集めた。この大洞穴内世界の存在とそれの管理について、国際連盟の議場に上げられ、ベラム共和国と国際連盟の共同管理組織である〈大洞穴研究開発機構〉が設置された。大洞穴研究開発機構が設置され、各国の研究者並びに国連軍が介入することで、大洞穴内世界の研究と開拓作業はあっという間に進んだ。
巨大な節足動物や昆虫群に対抗するためにありとあらゆる先進兵器が投入され、人類はあっという間に開拓版図を広げていった。そして、地球上では希少土類に分類される鉱石を次々と発掘し、利益を得て行った。また、その過程で様々な未知の物質が検出、分析され新しい技術が創出された。人類の文明の進歩はその歩みを飛躍的に進めることができたのだった。
その、大洞穴研究管理機構に籍を置く、他ならない私の旧友であり、あの衝撃的な映像の撮影者であり、初めてあの巨大な節足動物と対峙し、生き残った男であるウサ・セイジ中佐からのメールだ。
以前から私は、大洞穴内世界への取材要請を大洞穴研究管理機構に打診し続けていた。大洞穴内世界の存在が確認されてからもう四半世紀近く立つというのに、一般人は立ち入ることを未だに禁止されている。大洞穴内世界の研究結果は、大洞穴研究管理機構の公式発表によってのみでしか我々一般人には触れる機会がない。
なんとかその状況を打破し、民間人の目線で大洞穴内世界を取材したいという欲求に駆られた者は少なくない。だがしかし、それらは全て却下された。しかし、今私が眼にしているメールの文面には驚嘆すべき事柄が書かれていた。私を、民間人初の大洞穴内世界の取材記者として招聘するとの文面が書かれていた。
………
「よく来たな」
そう言って、ウサは私の肩を叩いた。久々に合う旧友だ。直接会うのはもう十数年ぶりになるだろうか?彼がまだ中尉だった頃、そしてまだ右腕と右足が人工義肢でなかった頃だ。
「ああ久しぶりだな、ウサ・セイジ中佐殿。」
そう言って大仰に私は敬礼をしてみせた。ウサは豪快に笑い、私を抱きしめた。機械製の義手が私の背中を強く打つ。ーーー機械製。はたと疑問が湧いた。現代の再生医療技術ならば、機械製義肢ではなく生体義肢にすることもできるはずだ。なのに、何故彼はしていないのだろうか?確かに、再生医療手術は高額であり、おいそれと気軽に施術できるものではないのだが、彼ほどの人物 大洞穴内世界を全世界に知らしめた映像の撮影者であり生き残りとして全世界に顔を知られている にならば、政府なり機構なりが無償で生体義肢を提供してくれそうなものなのだが………?
その疑問を彼にぶつけると、ウサは言った。
「再生医療な………確かに政府は俺に対し、それを確約したよ。それだけの働きをしたのだからな。政府広報として名前と顔を公表し、時の人となることを決めたのもそれが理由だったしかし………」
そう言うと、ウサは機械製義肢を擦り、私に説明した。
彼の説明によると、大洞穴内世界において負傷した彼の細胞には変異が見られたとのことだ。それが原因で、生体義肢を定着させることが困難になってしまったがための事だという。その変異の原因は今だ不明であり目下研究中とのことである。工学、生物学、再生医療学、精神学、形而上学、魔術工学など様々な分野の最高峰の専門家が各々のアプローチで研究してはいるが原因は未だ見つけられないとのことだ。そしてそれは皆一様に、こう呼称されていると言う。
「ーーー〈ヴェノム〉ここではそう呼んでいる。」
ウサとしばし会話をした後、私は早速取材をしたい旨を告げた。すると彼は人を呼び、その者と一緒に行動して欲しいと私に告げた、いわばお目付け役だ。
しばらくすると、男が入室してきた。男はハタ・ヒビチカと名乗った。工学、医学の博士号を持つ大変優れた頭脳を持つ人物で、この大洞穴研究開発機構の研究部門を統括する人物であるとのことだ。
私は簡単に自己紹介を済まし、早速取材を敢行した。
ウサと別れ、ハタとともに大洞穴研究開発機構の建物内を歩く、その道中、色々な話を聞いた。まず、この大洞穴内世界の呼称についてだ。開拓当初は〈アガルタ〉と呼ばれていたとのことだ。
ーーーアガルタ。かつて地球空洞説が唱えられていた時代に、地球の中心にあり、高度な文明を持つと信じられてきた理想郷を指す名前だ。確かに、開拓当初の段階では我々人類にとってこの世界はまさしく地球内に存在する異世界であり、未知の物質並びに地上では希少な物質も多く発見されたのだから、そう呼称されたのも頷ける。宗教学的にも、形而上学的にもこの世界をアガルタと呼称することは至極当然で甘美な響きであったと思う。
しかしながら、それもすぐに変容する。あの巨大な節足動物の襲来。私の旧友であるウサ・セイジ中佐が中尉時代に遭遇した事件を機に、この大洞穴内世界は研究者たちの理想郷に対する幻想を打ち砕いた。その事件後、この異世界は〈ゲヘンナ〉と呼称されるようになったと言う。
ーーーゲヘンナ。旧約聖書、新約聖書における地獄を指す言葉だ。教派に依って解釈の違いはあるが、つまる所は、語句が表すそのままだ。ウサ・セイジ中尉が命からがら生還した後も、ベラム共和国は何度も自国の軍隊を送り込み、討伐しようと試みてきた。しかし、それは悉く粉砕された。ベラム共和国が擁する既存の地上兵器では、火力不足であり、奴らの攻勢を何とか食い止めることはできたものの損耗率は日に日に高まり、まさに地獄の様相を呈してきた。その結果、この呼称が使われることとなり、ベラム共和国が世界に向けて救援を求めたことにつながる。
また、〈アガルタ〉という言葉は現在では〈奴ら〉を指す言葉になっているとのことだ。大洞穴内研究開発機構が湿地され、世界各国の先進技術、特に軍事技術が投入されることにより、再び人類は〈ゲヘンナ〉において、主導権を握ることが可能になった。レアメタルや未知の物質の発掘と調査・研究が進み、今も新しい発見があり、新技術が常に試されている。
「つまりここはまた〈アガルタ〉と呼ばれることになったというわけですか?」
そう私はハタに尋ねた。人類の理想郷そのものに戻ったのだからきっとそうだろうと何の疑問も持たず言ったのだが、ハタから帰ってきた言葉は以外なものだった。
「今現在は〈ヨミ〉と呼ばれていますよ。なかなかおもしろい呼称だとは思わないかね?」
ハタによれば、ヨミと言う言葉は日本神話における言葉だという。これは諸説あるというのだが、闇を意味する言葉でもあり、地下世界を指す言葉でもあり、死者の世界を表す言葉でもあるという。また、それは我々生者の国とひとつなぎの世界であるとの解釈もあるとのことだ。何故?日本神話のワードがここで使われているのだろうとふと疑問に思ったのだがすぐに理解した。
それにはベラム共和国の歴史が関係している。大昔の大戦、二十世紀の中期に起きたその世界大戦後、ベラム共和国は戦後処理の混乱に乗じて国家設立を宣言した。戦時中からその計画は進んでおり、各国から広く資産家並びに研究者、そして軍事力を密かに貯めこんで居たという。そして、国家設立の際に、広く移民を受け入れたのであるが、その中でも、重要なポストについたのは日本人だということだ。
長らく封印されてきた歴史によると、当時、満蒙に置いて様々な生体実験をしてきた部隊の人員とその親族の身柄引受に於いて、研究結果を提供し、更に研究を進めることを条件に移民として受け入れたことがベラム共和国における日系人の現在における地位に起因しているという。ベラム共和国は様々な人種を各国から受け入れ、豊富な鉱山資源と科学技術によって急速に発展していった歴史を持っているのであるが、その中でも、研究部門に於いては日本人、日系人が多大な貢献をしたとのことだ。二十一世紀においては、多数の日本企業がベラム共和国内に研究施設を置いて共同研究をしていたという記述もある。そして現在、この大洞穴研究開発機構に置いて主要なポストに付いている者も日本人並びに日系人が多く見られる。勿論、ハタもそうだ。
「ベラム共和国はキリスト教圏であったが、まあこの組織を見てわかるとおり、日本の影響が強くなってね。それで様々な事物に対しても日本の価値観といったものが付与されることが多くなったのだよ。宗教観もそうだね。だからこそ対立物として地獄を置くキリスト教的表現の〈ゲヘンナ〉ではなく〈ヨミ〉という呼称になったというわけだ。面白いだろう?」
ハタに最初に案内された場所は、対アガルタ戦用の兵器がずらりと並べてあるハンガーだった。広大な建物内では整備クルーがせわしなく働いている。様々な兵器が並べてあるのだが、その中でも特に目を引いたのが巨大人型兵器であった。
それは、全高にして四〜五メートルほどの大きさの人の形を模した兵器であった。攻撃用ヘリコプターの胴体部分に両の腕と下肢を備え付けたような形をしている。下肢はメインの二脚の他に、バランスを取るためかわからないが、四脚のサブの脚が付いている。両の腕には人間と同じように五本の指があり腕部にはパイルバンカーが備え付けられていた。
「アレがね、メインの兵器になるんですよ。銃砲による攻撃も無論ありますが、アレが一番効率が良いのですよ。コレもまた面白いことでね」
そう言って、ハタは説明を続けた。この巨大人型兵器のひな形は既に二十一世紀初頭には存在していたそうだ。元々は、強化外骨格、すなわちパワーローダーの延長として巨大人型兵器の研究プロジェクトが始まったとのことだ。強化外骨格の研究が進むに連れ、次第にそのサイズが巨大化していったとのことだが、何故ここまで人型に拘ったのかは定かではないそうだ。
そもそも兵器は銃砲やミサイルなどがメインであって、戦車や戦闘機といったものはウェポンキャリアにすぎない。如何に効率よくメインウェポンを運用できるか?という観点に置いて、ウェポンキャリアは進化してきた。前方投影面積の可能な限り小さくし、レーダーからの不可視性を追求し、ひたすらに戦闘に特化した形に進化してきた。その点において、巨大人型兵器というものはナンセンスなのである。戦車と比べて正面投影面積は大きく、ヘリほどの機動性はない。しかも戦闘機ほどの速力も持たないそれは著しく兵器としてはナンセンスな形なのだ。私には何故このようなナンセンスなプロジェクトが前世紀から連綿と続き、今に至って存在しているのかが理解し難い。
ただ、ハタの私見によれば、
「人は自分の似姿を作りたいという欲求があるのですよ。それが一見どんなに実用性から離れていようともね」
とのことだ。そしてそれは、この〈ヨミ〉の世界において、今までの既存のどの兵器よりもアガルタとの戦闘において理にかなっている兵器になっていると言う。
「ヨミの大気は少し地球のそれとは違いましてね。組成は地球のそれと酷似しており、多少高圧・高熱と言った程度なので宇宙服より劣る程度の防護性を持つもので十分活動可能なのですが………」
と、ハタはヨミにおける大気の最大の特徴である粘度について説明をし始めた。
「ヨミの大気には未だ未知の部分が多くありましてね。その一つが大気粘度の異様な高さなのです。それは地球における水中と大気の中間程度の抵抗だと思ってくださればわかりやすいかと思うのですが………」
長々とハタは私に対し説明をしてくれた。要約すると、ヨミの大気は地球のそれと比べて空気抵抗が異常に高いため、銃砲の有効射程距離が極端に短くなるという。通常の兵士が運用する小銃や、強化外骨格を纏った特殊機械化歩兵や攻撃ヘリが運用する二十ミリないし三十ミリ機関砲ですら数十メートルが限界だという。
また、その大気の粘度により、飛行兵器は使用できない。回転翼機のローターは空気抵抗に耐えられず、固定翼機もまた然りとのことだ。また、ヨミの大気の空気抵抗とそれによって生じる圧縮熱は速度に対して冪乗的に増大することも航空兵器の運用が困難となっている要因の一つなのだという。故に、現状では地上兵器しか運用ができないとのことだ。
しかし、それならば戦車や装甲車があるのではないか?と質問するとハタは、人型兵器の実用性について語った。
「今まで、アガルタとの交戦においてもっとも活躍したのは何を隠そう特殊機械化歩兵でね。しかも、交戦距離は白兵戦距離。つまり腕部に備え付けられていたパイルバンカーによる戦果が一番高く、最も効率的だということがわかったのだよ。地球上ではお飾りだった兵装がよもやヨミで役に立つとは誰が想像しただろうか?」
また、このパイルバンカーには接触した物質の固有振動数を検出してそれをフィードバックしパイルバンカーをその固有振動数で振動させることにより、容易にアガルタの装甲を貫徹することが可能であるという。
固有振動数を感知しそれを持って被対象物を破壊する兵器は既にミサイルの弾頭にも使われているとは聞いていたが、ここでもその技術が使われていることに私は驚いた。しかも、ミサイルのように高額で使い捨てではない。そのため、白兵戦を行える形態である人型兵器は強化外骨格を纏う特殊機械化歩兵と同じくローコストで最大限の効果を得られる兵器として重用されているとのことだ。
ハタと私はハンガー内を歩く。ハタは兵器の前を通り過ぎるたびに兵器の名前を挙げていく。
「これは〈ヘラクレス〉。合衆国資本の強化外骨格。そして〈イワツツ〉。コレは日本資本ですね。」
基本的にはアメリカ合衆国とヨーロッパ資本系の兵器とベラム共和国と日本国資本の兵器が採用されているそうだ。性能にはさほど違いはないそうだ。電位差によって伸縮する高分子ポリマーでできた人工筋肉と、金属・セラミック装甲でできている。コレは地球上や、宇宙空間で用いられているものと同じだ。
と、見慣れないものを見た。骨格だけのもの。骨格標本のようであり、球体関節人形のようでもあるそれは、今までに見たこともない兵器だった。アレはなんなのだろう?
「〈ボーン〉と〈ムクロ〉ですね。」
私の様子を見て取ったのか、ハタがそう答えた。
「あれはとてもおもしろいですよ。このヨミで発掘された新素材が使われています。今のところオリハルコン、ヒヒイロカネと呼ばれていますな。民族、宗教観、染み付いた固有の意識の違いによる名称の付け合いですな。私個人としてはトールキンの作った〈ミスリル〉が折衷案としてよい名称だと思うのですがね。そうそう、これは魔術工学における心象粒子を使用して遠隔操作が可能になった機体ですよ。」
ーーー魔術工学。太古の昔より存在する魔術。それは荒唐無稽なものだとして扱われていた。しかし、現在となっては形而上学を媒介として科学との接近をし、十二分に探求可能な学問の一つとされている。宗教も哲学も含め、地球外に進出した人類にとっては重要な寄る辺となっている。
「しかし何分貴重な素材であるのと心象粒子によって概念通信が行える人員も限られてますのでね、なかなか頭数は増えません。目下の所、試験運用中といったところです。それでも有用な戦力なのですがね。ちょいとした飛行も可能にした機体とクグツシーーームクロとボーンの操者のことをそう呼んでおりますーーーもおりますし。」
「飛行が可能なのですか?それはすごい。」
「まあ莫大なパワーリソースを繊細にコントロールする技術がクグツシに求められるので飛行させられる者は更に極僅かしか居りませんがね。一度そのパワーリソースの暴走で大爆発を起こしましたよ。まあ、それでアガルタをもろともにできたのでよしとしていますが………。」
爆発とは物騒だ。クグツシの適合者も少なく、操作も難しいとなっては試験運用中の機体だというのも頷ける。
「そうそう、ヨミの大気では飛行と言うよりは浮遊、遊泳といったかんじですな。空中遊泳などと呼んでおりますよ。大気を泳ぐ骨。フィッシュボーンですね。」
ハタは、はははと笑い、別の機体の説明に移った。
「そして、巨大人型兵器。コレは〈ティターン〉。二十一世紀に開発されたものに一番近いものですな。今でこそ二脚で十分稼働できますが、当時はまだヨチヨチ歩きでサブの四脚の補助なしではバランスを崩しやすい機体でしてな。しかし市街地掃討戦に於いてはその形が与える畏怖と戦闘ヘリと同様の火力でテロリスト集団には恐れられたものですよ。〈マッドベイビー〉・〈鋼鉄の猟衣〉などとよばれてましてね………」
ハタの講釈は続く。ふと周りを見回す。出撃準備に入っている機体が目に入った。あそこから前線に向かっていくのだろう。そして境界面を越えて、ヨミの国へ向かっていくのだ。きっとあれがそのゲートなのだろう。産道のように見える。
巨大人型機械の前にはパイロットと思わしき人物の前に巫女服を着た若い女性が立ち、何やら呪文のようなものを唱えながら枝葉をパイロットの頭の上で振っている。アレは一体何なのだろう?宗教的儀式?それも日本の古神道におけるモノのように見える。そばには白衣を着た女性が居た。目が合う。彼女は笑って手を軽く振った。彼女らは?そしてあの儀式は何なのだろうか?ハタにそのことを聞こうとしたが、ハタはマイペースに巨大人型兵器について私に説明を続けており、口を挟める状況ではなかった。とりあえず、ハタの説明を聞く。
「そして、〈ミノス〉。〈アキレス〉。〈カグツチ〉に〈タケミカヅチ〉。コレはティターンと違ってコ・コンピュータ制御による実質複座型に近いものでな。ミノスとカグツチはAI。アキレスとタケミカヅチは生体脳を利用してますな。」
「生体脳ですって!?」
思わず私は大声を上げて聞き返した。従来の複座型式制御兵器の副操縦士の代わりとしてコ・コンピュータとしてAIを利用することは今では普遍的なことではある。しかし、生体脳とくれば話は別だ。生命倫理の観点から、生体脳を、つまり人間の脳をコ・コンピュータとして利用することは望ましくない。それが今の世相の考えだ。
「ああ、そちらの世界ではまだそういう倫理観が残っていたのでしたね。失敬。」
ハタは淡々とした調子でそう言った。
「こちら側の世界ではそんなものはとっくのとうに廃れていますよ。なにしろ地球上の、あなたや私が生まれ育ってきた世界とは違う異世界なのですからね。この異世界に拮抗するにはどんな手段も厭わない。それがこちら側の世界の考え方です。それに、生体脳の提供はきちんと誓約書を交わしていますし。非人道的とは一概には言えません。自由意志を尊重していますからね。」
ハタは説明を続けた。生体脳の提供者はヨミで鉱石の採掘作業に従事する人間や警備を担当する軍人、そして研究者だという。彼らは、日々、ヨミで危険に晒されている。そしてアガルタの攻撃に合い、負傷することもある。そのため彼らは皆保険をかけている。しかし、その保険料は莫大であり、そうそう容易に払えるものではない。そのため、彼らは自己の身体を献体として提供すること大洞穴研究開発機構に誓約することで、その保険料を賄っているとのことだ。
ーーー作業員。現場仕事をする者。ふと、どのような人間がそれに関わっているのか気になった。そのことについてハタに聞いてみると、
「レアメタルの掘削作業員の来歴は様々です。一般人もいますが中には犯罪者もいますし、元軍人も居ます。御多分にもれず、皆守秘義務を課されています。故に、外部に情報が漏れない………というのは建前で、多くの者はずっとここに幽閉されているようなものですよ。もしくは死ぬか。どちらかです。」
負傷の度合いによっては、機械製義肢や生体義肢治療を受けるケースが多いそうであるが、機械製義肢に比べて生体義肢は高額な治療であるし、機械製義肢も高度な能力を持つものは定期メンテナンスが欠かせない。そのため、彼らヨミで働く者達は、一度この世界に踏み込むと、自分が元いた世界、我々の地球に戻ることが困難になるとのことだ。
「それに〈ヴェノム〉の影響も大きいですな。生体義肢を固着させようとしても不可能になったり、軽微な損傷であったとしても自己治癒能力が全く働かなくなったりなど色々問題は山積してましてな。中には発狂する者も………」
「〈ヴェノム〉!」
私は思わず大声を上げた。
「先ほどウサ中佐からも伺いましたが一体ヴェノムとはなんなのです?彼はその影響のせいで生体義肢治療を選択できず、機械製義肢を着用せざるを得ないと聞いていますが?」
「ああ、ウサ中佐はかなり幸運な方ですよ。まだ機械製義肢が着用できるのですからね。先程もご説明しましたように、ヴェノムの影響が酷いと機械製義肢どころか人間本来が持つ自己治癒能力すら機能しなくなります。そうやって死んでいくものも少なくはありません。中には精神汚染という現象も見受けられまして、発狂する者もいます。」
ハタは淡々と答えた。ヨミは私たちの生きてきた地球、宇宙の環境と酷似はしている。しかし、未だに未知の部分が多い。まさに異世界であり、因果律そのものが違うのではないかとも言われている。ハタによれば、その説をとれば、ヴェノムというものは、異なる因果律を持つ世界同士の衝突の結果生じた混沌そのものだと言う。
「ーーーヴェノム。それがなんなのか未だに私達にはわかりません。しかし、その呼称が示す通り、それは毒のような効果をもたらしています。それは遅効性であったり即効性であったり、神経系を麻痺させるものであったり、糜爛性のものであったり………しかし、毒には選択性というものもありますな。つまり、抗体を持ったものには効かないということですな。」
ーーー毒の選択性。ある生物にとっての毒は毒ではなく、逆にある生物にとってはなんの毒性もないものも別の生物に取っては致死的な物質となりうる。そういうことだろうか?
「概ね、そのような理解でいいとは思いますよ。何分未知すぎて我々にも詳しいことはわかっていないのです。できることはひたすらに対処療法と臨床実験です。情けないことですが。まあ中にはヴェノムと共生している稀有な例もありますが。我々はそれを〈アダプテーター〉と呼んでおります。文字通り、順応した存在です。しかし彼らはヨミの世界に適応した対価として、地球上での生活が困難になっております。難儀なことですね。」
私達が話していると、タケミカヅチと呼ばれる巨大人型兵器のハッチがごうんごうんと音を立てて開いた。思わず、そちらを見やった。中からは男がでてきた。そして、続いて、少女がひょっこりと顔をのぞかせた。少女。一体何故このようなところに少女が?あまりにも似つかわしくない場所に何故………。と、思っていると更に不思議なことが起こった。少女の背中から虹色の羽根が生えたのだ。私は絶句した。アレは何なのだ?人間ではない?コレは生体実験の?いや、先ほどハタが言ったアダプテーターと言う存在なのか?
少女はふわりふわりと宙を舞い、地上に降り立った。そして、後から降りてきたパイロットの腕に抱きつき離れようとはしなかった。
アレは何なのだ?あまりにも奇妙な光景。ヨミと言う異世界とは言え、あまりにもあまりにも。私はハタに説明を求めた。
「アレは一体なんなのです?羽根の生えた少女?まさかアレがアダプテーターと言う存在なのですか!?順応とは、こういった姿形の変容をも遂げるのですか?」
勢い良くまくし立てる私に対し、ハタは至極冷静で淡々とした調子で言った。
「ああ、違います。アダプテーターは彼の方ですよ。タケミカヅチの操縦者。キリシマ・トウマ。彼女の方は………未だに彼女と言っていいのかわかりませんが少なくとも雌型であるから彼女で構わんか………」
そう、ハタはブツブツと呟いてから私に言った。それは衝撃的な一言だった。
「彼女の名前はカストル。ヨミからの使者。出奔者。人類の敵でありながらこちらに付いたもの。フェアリーとも呼ばれる。つまりはアガルタです。我々人類に興味を持ち、出奔し、共生の道を見出そうとしている存在だと私は思っていますよ。」
ーーーアガルタ。人類の敵。それが目の前に居る。しかし、それは、今までに、大洞穴研究開発機構が提供してきた映像資料で知らされていた節足動物や昆虫のようなものではない。人間の形、それも少女の形をしている。
ハタは尚も何かを説明していたが、私はあまりの衝撃にただ呆然と立ち尽くして居た。