Christmas ver. 「Longing for you」 2
確か、体育館横から温室のほうへ抜けられるドアがあったはずだ。
理事長の趣味だかなんだか知らないけど、俺は興味がないから行ったことがない。
その、開け放たれたドアの向こうから、飛び込むように女が現れた。
「あ……」
前から急ぎ足で来た女が通り過ぎるのを、俺は目で追った。
間違いない、さっきの、北原の彼女だと思われる人物だ。
うつむいて、右手で顔を覆って……泣いてた?
さっきまで中庭にいたはずなのに、待ちきれなくてふたりのあとを追ったのか?
でも、それならどうして北原は一緒じゃないんだ?
「もしかして」
俺の勘、かなり外れてるとか、そんなことないよな。
っていうか、彼女が泣いてここから出てきたことからして、外れてんじゃん。
嫌な想像が一瞬頭をよぎる。
いや、だけど、俺はいつでも前向き、ポジティブシンキング。
「おしっ」
気合を入れてそのドアの向こうへ、新たな彼女のいる生活へ一歩足を踏み入れた。
だけど情けないかな、すぐさまその足を引っ込め、慌てて俺は自分の姿を壁のこっち側に隠した。
「………」
信じられないものを見てしまった気がして、俺の心臓がバクバク鳴ってる。
あの光景は、何だ?
彼らに気付かれないように、俺は陰からその姿をもう一度確認する。
俯いて長い髪に隠れた表情はよくわかんないけど、あのシルエットは間違いなく桜井のものだ。
そして。
「うっそだろ……」
イスに座り、彼女に顔を埋めて抱きしめてるのは、北原以外の誰でもない。
並べば優に桜井の頭一個分デカい北原が、華奢な桜井にすがりついて、ヤツを慰めるように桜井の指が北原の頭を撫でている。
風が吹いて、桜井の顔を隠していた髪が揺れた。
「!」
女の子は恋するとキレイになる。
クラスメイトの誰かが言ってた。
俺は、馬鹿だ。
恋してる彼女に恋するなんて。
わかってたんだ、彼女の隣にアイツが現れてから、彼女が変わったこと。
わかってたはずなのに、惹きつけられて、いつの間にか彼女を追いかけて、目が離せなくなっていた。
俺が見ちゃいけない顔、好きな人を見つめる優しい瞳、柔らかな表情は、再び彼女の黒髪に隠される。
さっきまでいた私服の女は、北原に振られたのかもしれないな。
どういう関係か、俺にはもう想像する気力がないけど、彼女が涙を流す気持ちはよく理解できる。
今のふたりに、誰かが入れる隙間なんて、ない。
俺は深い溜息をついて、その場を後にした。
あぁ、俺、たぶん、他人からみたら魂出てそうな感じなんだろうなぁ。
失恋って、こんなにダメージ大きかったっけ?
小学校の時も、中学ん時も、それなりに好きな子はいたと思う。
だけど、こんな惨めな気分は初めてだ。
「楠木くん」
誰かが、女の子が俺の名を呼んでる気がした。
ついに空耳ってやつか。
相当重症だな。
「楠木くんってば」
俺は目の前に飛び込んできた小さな陰に立ち止まった。
噛んでいた唇を解放して、もう一度俺の名前を呼ぶ。
「楠木くん、しっかりして。大丈夫?」
「あ……? 相沢?」
なんでコイツがここにいるんだ?
俺が振られるとこ、わざわざ見に来たのかよ。
……つーか。
「相沢、予知能力者?」
彼女は首を振って苦笑した。
そうだよな、そんなわけない。
けど、相沢もたぶん、わかってたんだ、あのふたりがこうなることを。
「相沢の言うとおり、行かなきゃよかったんだよな。ごめん、俺、嫌なこと言った」
こんな俺に、相沢はにっこり笑ってくれた。
その顔、よく桜井の隣で見たことがある。
でも、こんなに可愛いなんて気付かなかった。
「私ね、勘違いしてたの」
「え?」
「いつも、楠木くんがこっち見てたから、もしかしたら私のこと見てくれてるのかもって……」
少し頬を赤らめて、相沢はうつむいた。
「だからさっきは、ちょっとショックで強く言いすぎちゃって、ごめんなさい」
そう、軽く頭を下げる。
彼女が顔を上げても、何を言ったのか、一瞬よくわからなかった。
勘違いって?
「相沢、北原のこと、好きなんだろ?」
「好きだけど。きっと北原くんはしおりちゃんのことが好きで、しおりちゃんだって彼のこと好きになるだろうって、なんとなくそう思っちゃってからは、ただの憧れの存在みたいな感じで」
「そう……なんだ」
「私は、楠木くんのこと見てたんだよ」
「え!?」
なんだよ、それって。
俺のこと、見てたって?
確かに、桜井を目で追ううちに、よく相沢とも目が合ってたけど。
俺の顔色を伺う相沢が、不安そうにこっちを見上げてる。
「けど、俺」
「待って!」
俺の言葉を遮って、必死な相沢の声が響いた。
「クリスマスまで待って。クリスマス、また、ちゃんと告白するから、それまで返事しないで」
真っ直ぐな視線に見据えられて、言おうとした言葉を飲み込んで、俺は頷いた。
すると、すごく嬉しそうな顔して笑う。
「じゃあ、またね」
「あ、あぁ……」
相沢は俺に手を振って背を向けると、足早に階段の向こうに姿を消した。
どうしようもなく惨めだったはずなのに、突然目の前に現れた彼女に、鮮やかな虹色に心の中を塗り替えられたみたいで。
「俺、こんなに惚れっぽかったっけ」
ついさっきまで、桜井のことだけ考えてたはずなのに。
振られたから、じゃあ、告白してくれた子と付き合おうなんて、俺、そんなに調子のいい軟派なヤツじゃない。
でも今は、相沢の笑顔が離れなくて。
クリスマスまで、まだ時間がある。
それまでちゃんと気持ちの整理が出来たら。
だけど、すでにどこかでクリスマスまで待ちきれない俺がいる。