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Don't Touch!  作者: 鳴海 葵
Lesson3
84/127

file5 「innocent」

「退部届なら、私じゃなくて倉田先生に渡してよね」

「誰が辞めるなんて言った?」

「じゃあ、何よ。っていうか、あやのさんは? ひとりにしておいていいの?」

「遅刻については、謝らないのかよ」

「なっ……」


 この状況で、そんなことに謝れと言われて、私は頭を抱えたくなった。

 今って、それどころじゃないでしょ?

 どこまでも冷静な北原に対して、暴言が溢れ出しそうになったけど、必死で歯を食いしばって堪えた。

 だって、フツーじゃいられないのは私だけで……。


「ごめん……」


 中庭に寄り道しなければ、あんなふうにあやのさんとバッティングすることもなかったんだ。

 うつむいて、小さな声で謝った後、北原を上目使いで見た。


「早く、あやのさんのところに行ってあげて。私があんなふうに倒れたの見て、たぶんショック受けてると思うから」


 触らないで、なんて大きな声で言ってしまったし。

 何より、あやのさんは私たちの関係を誤解してるんだから。

 私たちは一緒にいない方がいい。

 北原から逸らした視線をどこに向けたらいいかわからなくて、なんとなく、さっき散ってしまったバラの花びらを見つめた。


「もう、いいんだ」

「え……?」

「それより、その膝、早く手当てした方がいい」


 もういいって、どういうこと?

 私の膝が痛いことこそ、北原にとって、どうだっていいじゃない。

 このまま、いつもと変わらない表情で、北原はあやのさんの後を追うのだろう。

 きっと、平気な顔して、私のこんな気持ちも知らないまま、いなくなってしまうんだ。


「北原、いつ行くの」


 聞いてどうにかなるものじゃないけど。


「行くってどこにだよ」

「留学に決まってるじゃない」


 見当違いな返答に、私は少しイラついて言葉を返す。

 私の気持ちが表に出たのか、北原もむっとして口を開いた。


「退部も留学もしない。俺は、どこにも行かない」


 真っ直ぐに、私から目を逸らさずに強い口調で北原が言う。


「え……?」


 どこにも、行かない?

 北原は、今そう言った。

 確かに退部も留学もしないと言ったのだ。

 98%ありえないと思ってた台詞に、私は一瞬目を丸くした。


「そんなの…あやのさんは、どうするのよ」

「あやのとは、もうずっと前に別れてる」

「だって」

「もう終わったことだ。他人に口出しされたくない」


 これ以上の反論を許さない、鋭い視線。

 だったら、さっきの抱擁は? 今朝の夢は何?

 聞きたいことも、言いたいこともたくさんあるのに、ちゃんと言葉にできるまで上手くまとめることができない。

 わずかな沈黙のあと、北原が眉根を寄せて大きな溜息をつく。


「桜井、前から言おうと思ってたけど」

「……何よ」

「お前って、ヒトの心が読めるくせに、どうしてそんなに思い込み激しいんだよ。肝心なところは鈍感で抜けてるし、嫌なことからはすぐ逃げて、どうしようもない馬鹿で。どうにかしろよ」

「どうにかっ……て……」


 できるもんなら、とっくにしてるわよ。

 そう、言い返そうとしたのに、驚いて声が出なかった。

 体が不意に引き寄せられて、今、私は北原の腕の中にいる。

 修学旅行の時みたいなアクシデントなんかじゃなく、確かに抱きしめられている。

 背中に回された手のひら、耳元に感じる吐息。


「俺も、桜井と同じ能力ちからがほしい」


 髪に触れる指先が、わずかに震えてるように感じた。


「桜井のこと、全部、知りたい。何考えてるのか、どう思ってるのか、全部」


 強く抱きしめられて、私も北原のジャケットを握る。

 全身が心臓になったみたいに、大きく波打っているようで。

 熱くて、苦しくて。


「桜井、好きだ」


 それ……って。

 ピンと来ない。


「好きなんだ。……ずっと、一緒にいたい」

『ずっと……ここに、一緒にいたい』


 あの時の言葉が重なって、私の胸の奥に響く。

 腕を離した北原が、少しだけ頬を赤くして、呆れた顔で私のことを覗き込んだ。


「いくらバカでも、告白の意味もわからないわけじゃないよな」

「………」

「おい」

「………」

「大丈夫か」


 徐々に不機嫌になる北原に、私は呆然としたまま頷いた。

 頬が、顔が、体中が熱い。

 自分の熱と、北原から伝わる体温に、頭の中が溶けてしまいそうで。


「ホントに、意味わかってるのか」


 真面目な顔して聞くから、私はもう一度、大きく頷く。


「だけど……」

「あやのには、ちゃんと話したよ。医者になるつもりもないし、もちろん留学なんて考えられない。それに、俺の気持ちは、春に別れたときに終わってるって」


 ずっと聞けなかったことを、確かめたかったことを、北原は簡単に答えた。

 あまりにもあっけなくて、現実感が無くて。


「あやのに何か言われたのか? 何を聞いたんだ?」


 私が能力のせいで何かを聞いたから倒れたのだと、北原もきっとわかってるはずだ。

 だけど、私が見たものを伝えるのは怖かった。

 強く北原を想う気持ち、どれだけ北原が彼女に心を開いていたのか、どんなふうに彼女のことを抱きしめていたのか。

 言葉に出来ない。


「桜井」


 うつむいた私の頬に、北原の手のひらが触れる。


「俺は、桜井に、そばにいてほしいんだよ」


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