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中庭は、すっかり冬仕様で、クリスマスツリーのごとく、1メートルほどのゴールドクレストが幾つか並べられている。
「そういえば、伊吹にメルアド聞かれたから、教えといたけど」
「あ……そっか、川島くんだったんだね」
「は?」
「や、あの、誰が教えたのかなぁって」
「つーか、お前らがお互いのアドレス知らないとかって、ありえねぇんだけど」
「……はは」
笑ったら、ものすごくわざとらしくなって、自分自身に頬が引きつった。
そんな私を、川島くんの三白眼がぎろりと睨む。
「あのさ」
「な、なに?」
「コレって、何なんだよ。管理のしかた、さっぱりわかんねーんだけど」
北原の事について聞かれるんじゃないかと思ってた私は、ちょっとだけ拍子抜けして、同じ分だけ安心した。
川島くんが指差す先には鮮やかな黄緑で、三角に剪定されたゴールドクレストがある。
「理事長が来て、これは管理が難しいからしおりに聞けって。ついでに、でかいもみの木もそのうち持ってくるから、クリスマスの飾り付けするって言ってたぞ」
「ホント?」
川島くんは面倒くさそうに頷くけど、私はテンションが上がった。
去年は、このゴールドクレストに小さな飾りをつけて、玄関前にいくつか置き、生徒たちからも好評だったのだ。
クリスマスツリーをの飾りつけは、いつだってなんだか楽しい気分になれる。
「理事長、水やるなって言うんだけど、どーすんの?」
「ゴールドクレストは、水をやりすぎると根腐れしちゃうし、かといって乾燥しすぎると枯れちゃうし、剪定のタイミングも間違うとダメになっちゃうから、管理はちょっと難しいみたい」
「ふーん」
「土が乾いて何日か経ったら、タイミングよく水をあげてね」
川島くんが鉢土の表面を触ると、指に黒い土がついていた。
「まだまだ、だね」
「俺、無理。しおりに任せた」
「大丈夫だよ」
「そういう根拠のない『大丈夫』はいらねぇ」
「そんなことないってば」
両手を頭の後ろで組んで、ちらりと私の顔をのぞくと、川島くんはベンチへ向かい腰を下ろした。
去年は倉田先生とツリーの飾り付けをしたけれど、今年は川島くんや北原も一緒にするんだろうと思い、みんなの姿を想像すると似合わなくて笑えた。
でも。
もしかしたら、北原はいなくなっちゃうかもしれない。
本当は、こんなところにいる場合じゃないのに。
温室に、行かなくちゃいけないのに。
「伊吹、なんか、焦ってたけど」
「えっ?」
「余裕ないっつーか。らしくないような」
私は川島くんの隣に座って、両手を膝の上に置き、大きく息を吐いた。
「北原、留学しちゃうかもしれない」
「えぇっ!? なんだよ、それ!」
「元カノが、迎えに来てるの」
「は? 何がどうなってんのか、全っ然、意味わかんねぇ」
憮然とする川島くんに、私は黙って口を閉じた。
「あの、ウゼェ女の姉貴が帰ってきたってことか?」
「……愛美先輩のこと、知ってたの?」
「しつこく聞いたら、伊吹のヤツ、やっと言いやがった」
「私も、ホリちゃんから聞いたんだけど、ね」
私はポケットの中からケータイを取り出し、時計を確認する。
16:05。
まだ、今ならまだ北原はいるはずだ。
「……もし、北原とあやのさんのふたりが再会した時、お互いの気持ちが変わってなかったら、またよりを戻そうって約束して別れたんだって」
「はぁ? そういうのって、女の妄想じゃん?」
「えっ」
一応女の部類に入る私は、胸をぐさりと突かれたような気がした。
思わず顔をしかめて川島くんを見る。
「だいたい、あの伊吹が、だぞ。そんなふうに待つタイプだと思うか? 縁が切れたらそれまで、はいサヨウナラって感じじゃねぇの?」
「うーん……」
言われてみればそうなのだけど。
あやのさんを目の前にした、今まで見たことのない北原の表情がふと浮かんだ。
喜んだ様子には見えなかったし、ただただ驚いてるって感じだったと思う。
「てか、もし、女の後を追って留学なんてするようなヤツだとしたら、俺、伊吹のこと幻滅するな」
「どうして?」
「プライドなさすぎだろ。男としてかなりダセェ」
「そうかなぁ」
「そうかなぁ、じゃねぇよ。しおりはそれでいいのかよ?」
「あ……」
そういうふうに話を振られると思ってなかった私は、言葉につまってしまう。
今朝の夢、私は北原に行かないでと手を伸ばした。
その手を掴んでくれなくて、遠くに行ってしまう彼に、どうしようもなく悲しかった。
だけど、あれは、私一人の感情じゃない。
他人の心の中なんかより、今、私は自分自身の気持ちが知りたい。
胸に手を当てても、ぐるぐるした迷路の中で、途方に暮れてる私がいるだけで。
「遠慮なんかしてたら、あとからずっと後悔することになるぞ」
「うん……」
相手が、望むようにしてほしい。
たとえば、その結末が、私が望んだ未来と違ったとしても。
……でも、そんなの、自分の中のキレイゴトだってわかってる。
ふと、中庭の空気が、温度が変わった。
私は顔を上げて、引き寄せられるように彼女を見つけた。
そして、私につられるように、川島くんも振り返り、小さな声を上げる。
昨日とは違う、柔らかさとは対照的で、触れると壊れてしまいそうな儚さを纏い、ワンピースにジャケットを羽織った、あやのさんが立っていた。
目が合うと、優しく笑う。
「楽しそうに話してるときに、ごめんね。桜井さん、だよね?」
名前を呼ばれて、反射的に私は立ち上がった。
「はい……」
「少し、話を聞いてもらっても、いいかな?」
断ることを許されないと思った。
妹の愛美先輩とは違う、やっぱり北原に似た、その優しい表情から想像できない冷たいものが私を縛り付ける。
真っ直ぐに向けられる、あやのさん意識が痛い。
彼女と私のただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、川島くんが立ち上がった。
「じゃあ、俺、教室戻るけど」
そう言って振り返った川島くんは、私のことを睨みつけながら、負けんなよ、と低い声で呟いた。
すでに負けそうだよ、と言いたかったけど飲み込んで頷いた。