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「ああ、彼ね、彼はそういうタイプに見えるわよね」
「だって、ホリちゃんだって見たでしょう? あの、人を蔑むような目。あれは異常よ。なんか、思い出したら気持ち悪いもん」
「しおり、知らないの? 二年の間じゃ、有名だと思ってたけど」
「え?」
「一組の北原伊吹。成績は学年トップ、スポーツも万能で、あのスタイルに整った顔。これだけそろえば、三年の宮元君よりも素敵だと思うでしょ。だけど、しおりも見たとおり、仏頂面で必要なこと以外、何にも話さないコなのよね。一部の女子からは、騒がれてるようだけど、男子の間じゃ、変人って言われてるらしいわよ」
「ふうん、確かに、変人って感じ。ますます怪しいじゃない」
「イライラしたら、チョコレート食べなさい」
優しく笑って、ホリちゃんがわざわざ袋を開けて、私にチョコを差し出した。
これが、アイツがホリちゃんに送ったものだと思うと、無性に腹がたって、思いっきり口に放り込み、噛んでやる。
「……おいしい」
「でっしょう? そう、さっきね、北原君が出て行くはずなのに、戻って来たからおかしいなって思ったのよね。彼、何も言わないし、どうしたのかと思って見に行ったら、しおりがデコから血流して泣いてるんだもんね」
「うん……」
「けど、しおり、そんなボーっとして立ってたの?」
ホリちゃんにそこまで言われてはっとした。
そうだ、さっきの声は……。
あれは、アイツの声?
『殺ス』
思い出しても、鳥肌が立ちそうな憎悪に満ちた意識。
もしかして、ホリちゃんに向けられてる、ストーカーの声だとしたら……?
「ホリちゃん」
真剣な顔をホリちゃんに向けると、相変わらずチョコレートを頬張って、大きく開いた目をぱちぱち瞬きさせる。
なんか、なんだろう、この人の緊張感のなさ。
もしかしたら、ストーカーは凶悪殺人犯になるかもしれないっていうのに。
思いっきり、力が抜けちゃうよ。
「とにかくねぇ! 気をつけてよ、ストーカーってそんなに優しいもんじゃないでしょ。何かあったら大変じゃない」
私は、膝の上に置かれたままのお菓子の箱をホリちゃんに渡して、席を立った。
「あーあ、生徒に心配されるようになっちゃ、私も『保健室の先生』失格かしらねぇ」
相変わらずへらへら笑って、私を見上げる。
そして、持って行けと、お菓子の箱から、いくつか私に手渡した。
もう、いつまでたってもガキ扱いなんだから。
……まあ、いまでもガキなんだけどね。
「じゃあ、教室帰るね」
「うん。それで頭痛、どう?」
「あ、大丈夫。先生の顔見たら治っちゃった」
「いいこと言うじゃない。そうよね、私って癒し系なのよね」
どこまでも、自分の都合のいいように物事受け取るホリちゃんがうらやましいよ。
ちょっと苦笑して、私はホリちゃんに背を向けた。
でも、ホリちゃんに会ってほっとするのは本当だし。
「また痛くなったら、いつでもいらっしゃい」
その声に振り返ると、ホリちゃんは、にっこり笑って手を振っている。
うん、と頷いて、私は手をドアノブに伸ばした。
もしかしたら、アイツの意識が残っているかもしれない。
意図的に、私は扉を開く準備をする。
意識を額の奥、姉が作ってくれた扉の奥へ集中する。
また扉を開けた後、どうやって閉じるのかは知らないし、コントロールできるかはわからない。
ただ、もし彼がホリちゃんのストーカーだとしたら。
これ以上になるのを、止めなきゃ。
「………」
息を飲み、思い切ってノブに触れる。
指先から流れる電流。
私は肩をすくめ、目をぎゅっと閉じて、扉が開くのを待った。
そして……。
入り込んでくる、無数の意識。
矢のような意識の雨が、真っ白な世界に降り注いでいく。
でも、さっきのように鮮烈な声はない。
が。
『桜井しおりか、嫌な女』
「はぁ!?」
思わず声を上げて手を離し、その言葉を言ったドアノブを見つめる。
いや、違う、言ったのはこのノブじゃない。
「しおり? どうしたの?」
ホリちゃんの声に、ふと我に返る。
「ううん、なんでもない、静電気。じゃあね」
首を傾げたままのホリちゃんに手を振って、もう一度ノブを握り、ドアを開けた。
『桜井しおりか、嫌な女』
うわっ、また聞こえる。
最悪。
私はさっさとドアノブから手を離し、汚いものでも付いたかのように、手をぶるぶる振るった。
本当に、嫌な気持ちが伝わってきた。
心底、私を嫌っている。
最後に残っていた最新の意識、声。
『北原』って、ホリちゃんが言ってたっけ。
だけど、なんでよ!?
私がアイツに何したっていうのよ。
確かに、ホリちゃんとの二人っきりの時間は邪魔しちゃったかもしれないけど。
だからねぇ、嫌な女って。
私の後ろで、ゆっくり静かにドアが閉まった。
いや、違う。
違う、最初に聞こえた声と、北原ってヤツの声は違う気がする。
私は振り返って、鈍く銀色に光るドアノブを見た。
でも、それを確かめるために、こちら側のノブに触れる気にはなれなかった。
「ホリちゃん、本当に気をつけてよね……」
さっき、忠告したからね。
ここから先、どうなっても、私知らないから。
ああ、頭が重い。
身体もダルイ。
今まで感じたことのない、異様な疲労感だ。
やっぱり、ベッドで少し眠らせてもらえばよかったかな。
だけど、本当に、もうこのドアノブに触りたくない。
とりあえず、教室に戻ろう。
ただでさえボンクラな私は、こうやって授業を半分受けないだけで、どんどんおいてかれちゃうし。
「行こう」
私は静まり返った廊下を、教室に向かって歩き出した。